カフェオレ色の髪が揺れ、村雨が目を覚ましたのは午前4時の事だった。
隣のベッドで寝ている男を起こさないように窓を開け外に出る。
月食中の月が南西の山間に沈みかけるのを見ながら
「今日で小笠原も終わりか。……提督に言えなかったな、穴の事。言ったら提督の事だから多分……」
目覚ましの音と共に男が目を覚ましたのは6時過ぎ。
傍らを見遣ると村雨の姿がない。
「ん? 風呂かな?」
男の耳に声が入ってくる。
「あ、起きた? 良い天気よ、ベランダに出たら?」
カーテンの隙間から笑顔でコーヒーを飲んでいる村雨の姿が映る。
男が着替えベランダに出ると、風は幾分強いものの眩しい位の晴天であった。
「いや、最後になって小笠原らしい天気になったなぁ」
「そうなの?」
「ああ。今日は暑くなるな」
シカクマメとカジキマグロの天ぷら、ハルタマ(水前寺菜)の白和え、島オクラとパパイヤの煮物にデザートのマンゴーと小笠原の野菜をおかずにした朝食を食べ終え部屋に戻った二人。
「今日はどうするの?」
台風中継を見ながら村雨が男に問いかける。
「ん~。村雨がいなかったら8時までに土産物やトランクをフロントに預けたりしてたから忙しかったんだろうけど、村雨がいるからな」
「あ~。私を運送屋にするつもり?」
そう言いながらも艤装を展開しドラム缶の中に二人分の荷物とトランクを詰め込んでいく村雨。
「荷物っていつも家に送るの?」
「ああ。なるべく荷物は持ちたくないからな。帰りはこのリュックだけだ。土産用の段ボール箱もトランクに用意して来ているんだ」
「あ、この段ボールってその為のなの?」
「そ。今回は村雨がいてくれて助かったよ。大体3,000円位は浮いたかな」
「ふ~ん。じゃぁその分で美味しいもの食べられるね」
「アハハ、お手柔らかにな」
そう言いながら財布の中身を素早く確かめる男。
フロントで夕食代等を精算し、リュックを背負うと、オーナーから
「ここに置いて置けば14時半までには待合に届けるよ」
と言われ、カメラや貴重品を取り出したリュックを預ける二人。
「これだけ? トランクとかは?」
「ああ、纏めて宅配の受付に持っていきました」
「何だ。電話すれば集荷もやってたんだけどね。まぁ流石ベテラン慣れてるね」
その言葉に苦笑する男。
「それじゃ、お世話になりました」
8時20分頃にチェックアウトするとバックを片手に散策に出かける二人。
「どこ行くの?」
周囲に誰もいないことを確認し村雨が男の腕を抱え込む。
同時に、村営バスが8:30から運転を再開すると村内放送が流れる。
「バスが動くみたいね?」
村雨が男を見つめる。
「どこ行く?」
「ん? そうだな……海洋センターで亀でも見るか」
モモタマナやバナナの木を横目に海洋センターに向かう。
「あ、そうだ。去年行けなかった所があった。ちょっと寄り道するな」
「うん。良いよ。どこ行くの?」
「ん? ……海軍墓地と咸臨丸墓地」
「海軍墓地? ここにもあるの? じゃあお参りいかないとね」
脇道に逸れ山道を登る二人。
「ここ?」
「ああ。初めて来られたな……」
手を合わせ参拝するうちに零れ落ちる村雨の涙を拭う男。村雨が堪え切れず男の胸に縋るのをかい抱き、背中をポンポンと叩きリズムを取り落ち着かせる。村雨が落ち着くと参りを済ませ、山道を降りる二人。
咸臨丸墓地に向かうも
「あちゃ~。これは無理かな?」
昨日の台風の影響か、墓地に向かう途中に水が流れ小さな川ができていた。
「渡っても良いけど、ウズムシいるかもな……。やめよう」
「え? やめるの?」
「うん。ウズムシがな」
「ウズムシ?」
「うん。ニューギニアヤリガタリクウズムシって言ってカタツムリを食べるんだ。小笠原のカタツムリが結構絶滅寸前になっているんだが、こいつが原因なんだ」
「それがいるの?」
「確実とは言えないけど、泥の中にいるからね。運び屋にはなりたくないかな」
「う~ん。残念だけど、私もやめるね。そのウズムシがいるのって父島だけなの?」
「ああ。だから持ち出さないように泥落しマットとか海水に浸したマットとかあるんだ」
「船に乗る前と降りた時のマットってその為?」
「あれは外来種を持ち込まないようにだな。帰るときに通るマットがウズムシ対策な」
「そうなんだ。私も鎮守府に持ち込まないように気を付けないと」
そんなことを話しながらもと来た道を戻る。
「ちなみに、この道を奥に行くと昨日通行止めだった夜明道路になるんだ。山登りするけど上の方に海軍通信隊送信所の跡地とか首無し尊徳像とか展望台があるんだが、今日は時間ないから行かないからな? バスは通ってないからね」
「そうなんだ。台風がなかったら行きたかったかな」
「綺麗な場所だからな。……帰ったら写真見るか?」
「え? 写真あるの!? 見る見る」
「そりゃ伊達に10年以上通ってないからな。一昨日話した今じゃ枯れたブッシュ元大統領の植えたノヤシとか4年前の台風で倒れて無くなった東京や沖ノ鳥島までの標識とかあるよ。休業中の『森の喫茶店』から撮った二見湾とかもね」
「え~。見たい! 鎮守府にも持って帰りたい!」
「帰ったらメディアに焼いておくよ。……あるよな? CDとか見られる奴」
「あるよ。2010年頃まではこっちもあっちも技術の進歩が一緒みたいだからDVDも見られるよ」
「ん。じゃあDVDに色々焼いておく」
そんな話をして道を歩いていると甘い香りが漂ってくる。
「あれ? 甘い匂いがする」
村雨が鼻をひくつかせ、
「どこから来てるんだろ」
と周囲を見回す。
「ん? そこにグアバがあるし、あそこにヤシの木があるな。それと村雨の斜め前の家の庭にバナナの花が咲いている」
「え? あ。ホントだ」
「ついでに言うと、そこの家にも香りはしないけどバナナが成っているな」
「え? あ、ホントだ。よく判った……って知っていたのね?」
「もちろん。原付で何回も通ったからね……急な山道も。どこに何が生えているかくらいは解るよ。実を食べていい木もね」
「そうなの? 来年は案内してね?」
坂道に差し掛かると二人に前に
「うわ。鈴谷さんが見たら、『な~んか、マジヌメヌメするぅ~』とか『うわっ、キモッ!』とか言いそうね、これ」
アフリカマイマイが5、6匹屯している光景が飛び込んできた。
「写真、写真っと」
男がカメラを構える。
「……よくそんなの撮れるね」
そう言いながらも写真を撮る村雨。
長いスロープを下ると大きな木が何本も目の前に現れる。
「あ、オウギバショウ」
「お、タビビトノキ」
顔を見合わせる二人。
「扇芭蕉でしょ?」
「旅人の木だよ?」
男の言葉に首を傾げる村雨。
そんな仕草を撮る男。
「同じ木だよ、オウギバショウもタビビトノキも」
笑いながら種明かしをする男に
「? あ、引っかけたの?」
「村雨の可愛い顔頂きました」
と、カメラを掲げる。
「もう、また青葉さんみたいな事して」
「青葉っていつもこんな感じなの?」
「うん。色々撮って貰ってるんだ。幸い鎮守府から轟沈は出てないけど、いつ起きるか解らない……って、提督を信用しないわけじゃなくてね」
「いや。それは正しいよ。前に瑞鶴が大破したのにうっかり進軍させてしまってな。あの時は物凄い恐怖があった。幸い沈まなかったから良かったものの……」
それまでの雰囲気を一転させ、男が村雨に向き合う。
(あ、あの時ね)
村雨の脳裏に上旬の進軍が思い浮かぶ。
沖ノ島沖への定期的な戦闘哨戒中に瑞鶴が大破した際、普段は撤退命令が出る筈が進軍命令が発せられたことがあった。
あの時は瑞鶴・翔鶴とも悲壮な顔で進軍し、他の随伴艦も蒼褪め何も会話を交わさないまま会敵した。幸い翔鶴航空隊と足柄達の奮戦があり瑞鶴には一発も命中させることなく敵艦隊を撃滅させたが、その後が大変だったと思い出す村雨。ようやく提督からの撤退命令が発せられ、瑞鶴を庇いつつ辛うじて敵の追撃を振り切った部隊が母港に戻り意識を半ば失いかけた瑞鶴を入渠させた後に旗艦を務めた足柄が怒りを顕にし、鎮守府全体が提督を拒否しかけたことがあった。かくいう自分も提督の指揮に不信を抱いていたが、妹の五月雨や夕立、古参の多摩達の説得もあり、提督が以後数日姿を現さなかったこともあり何らかの突発的事故だったのだろうとして沈静化したが、瑞鶴が轟沈していたらどうなっていたかは全く分からなかった。
「提督」
周囲に人影がない事を確認し、村雨が艦娘として己の提督に話しかける。
「あんな指揮はもう二度と執らないでください。提督はご存じ無い事ですがあの時の鎮守府は提督に対する不信感で崩壊寸前だったんです。もし瑞鶴さんが轟沈してたら、私達は艤装だけおいて姿を消していました。脱走ではなく艦娘が持っている権利ですから。そうなっても暫くは艤装妖精さんがいるので提督が指揮を執ることはできますが、何れは……」
村雨のその言葉に改めて、
「村雨。鎮守府に戻ったら皆に伝えて欲しい。今後如何なる場合でも大破進軍は絶対させないし、轟沈者を出すことはしない。万が一にも轟沈者を出した場合は提督は引退する。と」
そう伝える男。
「村雨、君が来るまでは、ゲームだから。と思っていたところがあったのは否定しない。だがな、もうそうは思えない。実際に村雨と触れ合って、身体の温もりや柔らかさを感じ取った今となってはな」
男の眼差しは真剣なものであった。
男の言葉を聞き、頷く村雨。
二人の間に重い空気が流れる。
「行こう?」
そんな重苦しい空気を振り払うかのように村雨が歩き出す。
暫く歩みを続けた後。
「お、見えてきた。海洋センターだ」
重苦しい雰囲気を振り払うかのように男も声を上げた。