ほむら「ハーレムつくったら全部上手くいく気がしてきた」   作:ラゼ

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舞台装置の魔法少女

 

 少女は長い長い旅をしている。終わりを見据えてはいるけれど、いつ届くのかはまったくもってわからない旅を。終わりを渇望してはいるけれど、進んでいる気がまったくしない旅を。絶対に諦めないと誓った少女は、当て所ない旅をずっとずっと続けている。

 

 続けば続く程彼女の心は冷気を帯びて、進めば進む程何か大切な物を落としていった。けれど彼女は諦めない。大切な、本当に大切な友人が、何よりも大切だから彼女は諦めない。

 

 そして、何度目かもわからない世界の果てに……彼女の心は遂に張り裂けてしまった。

 

 

 ――否。はっちゃけてしまった。あまりにも上手くいかない世界に憎しみを滾らせて、そっちがそうでるならこっちもこうしてやる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見滝原の人々を陰から守る魔法少女『巴マミ』は、今日も今日とて魔女と使い魔狩りに励んでいた。人に仇なす化け物を放ってはおけぬと、誰にも感謝されない善行を積んでいるのだ。魔女の多い見滝原の地にて、それでも生き残り続け化物を屠る彼女。戦い続けることを強制される魔法少女の世界において、それは強者の証明であった。“永く生き抜いてる”という事実こそが魔法少女としての実力を表しているといってもいいだろう。

 

 戦い続けなければ死の運命が待ち受ける魔法少女。故にその平均寿命はあまりにも短く、そもそも大人になれた魔法少女がほとんどいないという事実がその過酷さを物語っている。そんな世界において、二年の永きに渡り――それも戦いの頻度が異常に高い街で――生き残る、というのは並大抵のことではない。

 

 しかしそんな彼女も、今日の魔女の手強さには舌を巻いていた。その豊かな経験が齎す直感が、目の前の魔女が大した敵ではないと訴えているにもかかわらず、だ。防御、攻撃、速度、どれをとっても二流だった。しかしいざとどめをさす段になると、奇妙なことに“一手”足りなくなるのだ。

 

 偶然も重なれば必然。その違和感は間違いなく目の前の魔女の能力であると確信し、彼女に警戒を促す。現役最強とも目されるマミは、たとえ弱そうに見える魔女であっても油断はしない。魔女には固有の能力を持つものが存在し、それによっては戦況を引っ繰り返されることも経験済みだ。

 

 『強さ』と『能力』は比例しない。どんな弱い魔女にだって、鬼札は存在しうる。そんな心持で戦いを継続していた彼女は――しかしあっけなく敗れた。

 

 敗れ“かけた”。なんてことのない、避けられる筈の攻撃が致命的な一撃に変わる。必中を確信した攻撃があっけなく避けられる。まるで時間が飛んだかのような出来事が時折訪れ、故に彼女はその実力からは考えられない程あっさりと命を散らしかけたのだ。

 

「――あ…」

 

 もう避けられない。遠目に見えた車が次の瞬間、眼前に現れたかのようなコマの飛び方。わかるのは、おそらく自分はここまでだという事実だけ。発した言葉は恐怖の絶叫でもなければ悔しさの叫喚でもない。嘘だ、という混乱だけだ。慢心でも過信でもなく、己は強い。それがこんなにも他愛なく死ぬなんて、と。

 

「大丈夫よ」

「――え?」

 

 そして諦めがマミを襲う、その刹那。彼女は抱きしめられた。幼くして両親を失った経緯もあり、マミは他人の体温をあまり感じたことがない。だからこそしっかりと抱きしめられたその状況に混乱し、攻撃がこないことに戸惑った。

 

 顔をあげれば、そこにいたのは可憐で凛々しい黒髪の少女。自分の背中に手を回し抱きすくめ、片腕に装着した盾で魔女の攻撃を防ぐ魔法少女の姿があったのだ。

 

「立てるわね?」

「え……あ、はい……っ、ええ。ありがとう」

 

 おそらくは自分よりも年下の魔法少女。だからこそ僅かながらのプライドが彼女を奮い立たせた。情けなさと、ほんの少しの敵対心。そう、魔法少女は基本的に相容れないものだ。ソウルジェムの穢れを吸うグリーフシードにも限りがあり、それを落とす魔女の数にも当然限りがある。下手をしなくとも奪い合いが起こるというのは、マミの培ってきた経験からすれば当然だった。

 

 しかし助けられたことは事実。グリーフシードが目当てだというならばマミが死んだ後に魔女を攻撃すればいいだけのことだ。故に彼女は、あっという間に目の前の魔女を撃破した魔法少女に恩を感じていた。

 

 魔女とその結界が揺らぎながら消失し、鋭い針がついた球体がカツンと地面に突き刺さる。紫を基調とした魔法少女は、そのグリーフシードを拾い上げマミの元に戻った。

 

 背丈はほぼ同じ――マミの方が1、2センチほど高いだろうか。紫の魔法少女……『暁美ほむら』は、マミの側に戻る――そして近くまできてもその歩みを止めない。狼狽える黄色の少女の、その首の後ろに手を潜り込ませる。キスでもしようかという程の接近、接触。更に右手を彼女の頬に添え、数瞬見つめ合った後その手を頭の方に動かした。

 

 手にはグリーフシード。マミの頭にあるソウルジェムにそれを近づけ、穢れを吸い取ったのだ。

 

「油断は禁物……百も承知でしょうけれど。それと、ああいう時は体よりもソウルジェムを優先した方がいいわ。グリーフシードに余裕があるなら、どんな大怪我だっていずれは復活できるもの」

「あ、ありがとう…」

「どういたしまして」

 

 マミのソウルジェムが輝きを取り戻したことを確認し、ほむらはまだ使えそうなグリーフシードを少女の手に握らせる。そして固まっていた少女は握らされたものの正体に気付いた瞬間、申し訳なさそうにそれを固辞する。

 

「あ、あなたが倒したんだもの。気持ちは嬉しいけれど、使わせてもらっただけで充分だわ」

「…暁美ほむら」

「え?」

「私は『暁美ほむら』。明日から見滝原中学に通うことになるのだけど……“仲間”内でグリーフシードを共有するのは迷惑かしら」

「あ――」

 

 いまだ吐息がかかる程の距離で微笑む紫の少女。マミはその笑みと、感じる体温に頬を染めながら自分が満たされていくのを感じていた。誰にも褒められず街を守り、それに時間を取られるせいで友達付き合いも希薄。基本的に魔法少女とは仲良くなれない。故に彼女は孤独で、そして寂しがりやであった。

 

 家に帰っても待つ者はいない。人と話している時間と、魔女と戦っている時間。後者が多い日もあるくらいだ。そんな孤独な日々を送っていた彼女にだからこそ、“仲間”という言葉は殊更に甘美に感じられる。信用できるかに関しては――自分が邪魔なら、排除するタイミングはいくらでもあった。それどころかわざわざグリーフシードを使ってくれた。

 

 その事実だけで十二分だろう。更には自分が苦戦した魔女をいとも容易く滅ぼしたのだ。あらゆる意味でほむらの言葉は彼女に至福を齎した。

 

「わ、私は巴マミ!」

「知ってるわ。見滝原の魔法少女といえば、現役でもトップクラスだって有名よ」

「…さっきみたいな様で言えたものじゃないけれど、ね」

「それに関しては気にしないことね。少し特殊な魔女だったみたいだし……それに」

「…それに?」

「貴女の魔法は、誰よりも私の魔法と相性が良い」

 

 少し落ち込むマミ。その様子を見たほむらは、彼女の手を握り指を絡ませて固有の能力を発動させた。魔女の強さと能力は比例しない――それに関しては魔法少女とて同じことだ。魔法少女の才能という点では相当な下位に位置するほむらだが、彼女の能力そのものは最上位といってもいいだろう。時間を停止させられる能力など、まさに神の如き御業なのだから。

 

「――すごい…!」

「そのかわり、ほとんど攻撃能力がないの。さっきみたいに兵器に頼らなければ弱い魔女にも苦戦する」

「それでも充分すぎるじゃない……そっか、遠距離攻撃が得意な私には最高のパートナーってわけね。ええ、任されたわ! これから私が貴女の矛になる!」

「なら私は貴方の盾になる。安心して。どんな敵にだって指一本触れさせない」

「え……ええ!」

 

 にこりと笑うほむら。彼女は自分が美少女であるということを自覚しており、たとえ同性であってもそれが魅力的に映ることを理解している。そしてこの笑顔は偽物などではなく、計画の第一歩が成功したことに対する笑みでもある。そう、彼女の『魔法少女掌握計画』の第一歩が、だ。

 

 そして『兵器』という部分にまったく突っ込まないマミもどうかしているが、そこはやはり仲間との出会いが彼女を浮つかせているのだろう。

 

 かくしてほむらのほむらによるほむらのための、自作自演の救出劇は幕を閉じた。そう、彼女の能力があれば気付かれないように戦闘の邪魔をすることなど朝飯前である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪の世界線――それは誰も彼もがほむらを信用せず、あるいは仲違いし、酷い時には自滅するような世界。幾度も世界を繰り返す彼女であったが、人間関係において上手くいかないということは、実のところ意外と少ない。最後の最後で拗れる、というならばかなりの頻度で存在するが、基本的には性格も性質もよく見知った相手との触れ合いだ。何に不快感を感じ、どういったことをすれば怒り、何をすれば喜ぶのかは熟知しきっている。

 

 故にそつない人間関係を築く程度のことならば容易い。しかし状況がそれを許さない場合、険悪な関係になるのだ。ほむらにとって優先すべきは『鹿目まどか』という存在だ。彼女を守るためならば、他の全てを犠牲にできる――たとえそれが自分自身であっても。とはいえ鹿目まどかという少女も、こちらはこちらで自己犠牲精神の塊のような性格だ。

 

 恐怖に怯え、時には蹲り立ち止まる、か弱い少女だ。しかし最後には他人の為にあっさりと恐怖を、怯えを、躊躇を乗り越えてしまう――否。踏み越えて(・・・・・)しまう。だからこそ彼女の周囲全てを気にかけなければならず、時には車に猫が轢かれたなどという理由で魔法少女への道を選択してしまう故に、あまり目を離せない。

 

 そしてまどかが魔法少女になる決断をする最大にして最多の要因。それが『美樹さやか』である。単純一途で向こう見ず、喧嘩っ早くて考えなし。けれど情に厚く、他人を思いやる心が強い少女であった。それは人間社会においてはメリットもデメリットもある、良くも悪くも『どこにでもいるタイプ』といえるだろう。

 

 しかしその性質は魔法少女としては最悪で、悪循環に陥った際はすぐに魔女化してしまうような性格だ。だからこそほむらは彼女をあまり好ましい存在だとは思っていなかったのだが、今回ばかりは気にしないことにしたのだ。誰も彼もがキュゥべえの甘言に騙され、誘惑され、破滅する。

 

 ――ならもういい。あんな腐った孵卵器に誘惑されるアホ共なら、いっそ私が誘惑してやる。たとえそれが魔法による自作自演の“劇”であっても。そうはっちゃけたのは自然の成り行きであった。

 

「危ない!」

「…えっ? あ――」

「うそ――」

 

 見滝原は新興都市である。『近代的』をコンセプトに、前衛的な創作物や建築物が溢れている。ガラス張りの学び舎や、光ファイバー理論を応用した光る噴水などが代表的な例といえるだろうか。一時の建築ラッシュは過ぎ去ったものの、まだまだ工事や改修事業などがそこかしこに見受けられる。

 

 改装途中のマンションなど珍しくもない。ただしその真下を歩いている女子中学生達に、鉄骨が落ちてくるような不運はそうそうないだろう。しかし今回ばかりは、一人の少女の思惑が絡んだ結果、そんな事故(・・)が起こる結果となった。これにより責任者の首が飛ばないように、精神異常者の悪戯を装うことも忘れない。なるべく人に迷惑をかけないようにという立ち回りは、彼女に残った少しばかりの良心だ。

 

 鹿目まどかと美樹さやか――彼女達が落下する鉄骨に気付き、しかし回避できないようなタイミングで叫び声をあげる。走馬燈が流れるほどの死の恐怖を味わうだろう、そんな刹那。それを確認した後、時間を止めて近付き、彼女達を抱えるように飛び掛かり時間を解除する。

 

 それがもたらす結果といえば、自分を顧みず他人を助けた美しい少女の完成だ。三人共が倒れこんだ後、彼女はもう一度時間を止める。超重量の鉄の塊が地面に落下したのだから、石の破片が巻き散るのは当然のことだろう。その中でも比較的大きな破片を選び、彼女はそれを自分の後頭部に叩きつけた。

 

 小さな破片で頬にも傷をつけ、“護った”という印象を殊更に強く植え付ける。普通の日常生活を送る女子中学生が、そんな危機的状況に陥り、あまつさえ血を流して助けてくれた存在のことをどう思うだろうか――ああ、当然ながら初対面としてはこれ以上ない好印象だろう。命の危機を感じることで男女の関係に持ち込める確率が上がる、有名な実験『吊り橋効果』に近い成果が見込める……この場合それ以上だろうか。

 

 もちろん同性愛の気がない少女達にとってそのまま恋愛感情に発展するような事態にはならないが、そのきっかけ程度にならば充分なる。それがなくとも、命の恩人という事実は、それ以降の人間関係において非常に役立つファクターとなるだろう。

 

 ほむらが今までこういったことをしなかったのは、当然ながらその行動が『卑しい』からこそだ。卑怯で、最低で、クズの所業だからだ。

 

 けれど本当にそうなのだろうか。こんなことをした結果、得られるものは“希望的観測”。鹿目まどかも美樹さやかも、巴マミも佐倉杏子も、そして見滝原そのものも救えるかもしれない(・・・・・・)可能性だけだ。

 

 しかしこんなことでもしなければ、確定するのは“絶対的な事実”。宝物のような少女も、泡と消える人魚姫も、本当は泣き虫の先輩も、寂しがり屋の一匹狼も、みんな死ぬ。そして見滝原は壊滅し、大勢の死者が出る。

 

 ――本当にこれ(・・)は卑怯なのだろうか。

 

「大丈夫?」

「――あ……え?」

()っ…! え、と……助けてくれたの? あ、ありが――ってあんた、血が…!」

「あ……ごめんなさい、制服に血が…」

 

 少女達に微笑み、血を流しながら無事を問いかけるほむら。彼女達へ覆いかぶさった状態でそんなことをすれば、滴る血液が二人を汚すのは当然だ。申し訳なさそうに白いハンカチを取り出し、さやかの制服の首元についた血を拭う。もちろんそんなことで綺麗になるわけがないのは彼女も承知している。

 

 これはパフォーマンスだ。自分の怪我より相手が汚れることを厭ってしまう健気な少女の演出。そしてとどめにふら付いて寄りかかれば悲“劇”は幕を閉じる。

 

「そんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!? ああ、もう……血が止まらないよぉ……誰か――」

「あ、ぁ――そうだ、救急車…!」

「――暁美さん!?」

 

 人通りの少ない道路。それでも野次馬が少しづつ集まり――待ち合わせ(・・・・・)の時間通りに現れた魔法少女が、血を流し倒れかけている魔法少女へ駆け寄る。その怪我を見て、事態を把握する前に、そして少女が携帯で救急車を呼ぶ前にほむらへ声をかける。その声に一つ頷くと、ほむらはマミのソウルジェムからリボンが現れ、四人を繋いだことを確認して――最後にもう一度だけ時間を止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風見野市。広くもなく狭くもない、そんなこの街を縄張りにしているのは『佐倉杏子』という少女だ。彼女も経験豊富な、歴戦といってもいいほどの魔法少女である。固有の能力がとある事情により使用できないにもかかわらず、現役の魔法少女の中でも上位に食い込む実力の持ち主だ。

 

 自分が願った奇跡で家庭が崩壊し、挙句の果てに全てを失った。そんな過去を持ちながらも彼女は強く生きている。それはある種の諦観ともいえ、しかしだからこそ生き続けるための条件をクリアしていた。感情の振れ幅が大きい人間こそが、もっとも魔法少女に向いていない存在だ。それを考えれば、斜に構えつつ“生きるために生きている”杏子のような人間こそが魔法少女に相応しいのだろう。

 

 それでも心の奥底では、光に憧れていた。人を助けるために魔法少女を続ける『巴マミ』のような存在に憧れていた。大事なものを失って、自暴自棄になって、それでも親身になってくれた魔法少女の先輩。結局意見の食い違いでその絆を振り払い、今に至る。自分はそんな綺麗事で生きていけるような人間じゃない――そんな風に諦めてはいても、心のどこかでまだ繋がりを求めている。あるいは“弱肉強食”という自分の信条に従って、自分よりも強いであろう彼女を認めているのかもしれない。

 

 ――ああ、今日はくだらないことを考えてるな。

 

 そんな風に、とあるビルの屋上で満月を見つめる杏子。取り付けられた高い柵を乗り越え、屋上の端に座りこんで足をぶらぶらとさせている。魔法少女にとってこの程度は危険でもなんでもない。たとえまかり間違って転落したとしても、どうにでもなる。もちろんそのまま地面に激突すれば死は免れないが、そんな間抜けをやらかすのは成りたての新人くらいのものだろう。

 

 高所の風に髪を揺らしながら、菓子を口に放り込んで益体もないことを考える。そしてそんな彼女の背後、屋上への入り口から、この場所にまったくそぐわない少女が姿を現した。

 

「…こんばんは」

「…あん? 誰だよオマエ」

「あなたの“ご主人様”よ」

「はぁ? なに言ってんのさ――っ!?」

 

 その姿を認めた杏子は、服装から見て同業者であることを悟る。縄張り争いにでもきたのかと眉を顰める彼女であったが、次の瞬間驚愕の声をあげる。どこの誰とも知れない魔法少女の足元にドサドサとばら撒かれたのは、億はあろうかという札束と、グリーフシードの小山だ。いったい何事かと少女を見る杏子。しかしそんな視線はどうでもいいとばかりに、少女は言葉を続けた。

 

「この世は弱肉強食……それが自然の摂理でしょう?」

「…はん、わかってるじゃんか。それとそれ(・・)はなんか関係あんの? 私は弱い肉だから、これで舎弟にしてほしい――なんて顔じゃないよなぁ」

「ええ。これはチップよ」

「チップ?」

掛け金(チップ)。私が負ければこのお金とグリーフシードは貴女のもの。貴女が負ければ――向こう一か月間、私のものになりなさい」

「――はっ、正気かよテメぇ。金はともかく、その量のグリーフシード……溜め込むのにどれだけかかった? それとも……勝てるとでも思ってんのか? なぁ!」

「…怖いの?」

「あん?」

「貴女の一ヶ月にはこれだけの価値がある。私にとってもこれはなくてはならないものだけど……それを賭けるだけの理由がある。強さこそが正義なんて標榜してる貴女が勝負を受けないなんて、想像もしていなかったのだけれど――ごめんなさい、それならいいわ。期待外れもいいところだもの」

「…っ! ――いいぜ、その安い挑発……受けてやるよ。落ちてる金は拾う主義だから――なぁ!」

 

 少女が銃を取り出したのを合図に、杏子は槍を構えて突進した。どんな思惑があろうが、どんな裏があろうが、ぶちのめせば終わり。それが彼女にとっての弱肉強食で、たった一つの信条だ。そしてグリーフシードや金も魅力的なことに違いはないが、一番の目的は『舐めた女』をぶん殴ることだ。自分が勝つことを疑っていない――それが少女の態度から見え見えだったからこそ、勝負を受けた。杏子にとって“面子”はなによりも大切だから。

 

「そんな盾で受けきれるもんだと思ってんなら…! そのまま死んじまいな!」

 

 自分の速さに反応すらできていない、小さな盾を構える少女。角度自在の槍にかかれば、もはや勝利など疑いもない……そう考えて腕を振りぬいた。振り切って――そして何の感触もない。いや、感触はあった。自分の後頭部に触れる、冷たい金属の感触が。

 

「まだやる?」

「…っ! …いいや、私の負けだ」

 

 まるで世界が自分をおいて進んだかのように、なんの脈絡もない敗北。それが必然であったかのように事が終わり、杏子はストンとそれを受け入れた。勝負を受けて、そして負けた。ならば勝者に従うのが“筋”で、彼女にとってそれは当然の理屈であった。口惜しさよりも先に受け入れたのは、何一つ『理解』できなかったからだろう。何をされたかもわからない、何が起こったのかもわからない。あるいはそれを知りたいから自然と受け入れられたのかもしれない。

 

 もしかしたら――自分を必要だと言ってくれたからなのかもしれない。

 

 懐から何かを取り出して差し出す少女。暗闇の中でもわかるその形は、自分が好きなチョコ菓子。まったくもって似つかわしくない口調で、そして少し皮肉気に少女は言った。

 

「…食うかい?」

「――ぷっ、あははは! うん、あんた……わかってるじゃん!」

 

 満月の下、足をぶらぶらとさせてビルの上でお菓子を頬張る魔法少女。数刻前とは異なって、もう一つ影が増えていた――そんな夜。

 

 ワルプルギスの夜まではまだ少し遠い、そんな夜の出来事であった。


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