ほむら「ハーレムつくったら全部上手くいく気がしてきた」 作:ラゼ
ネット、あるいは街道でよく目にする“募金”。アフリカの恵まれない子達のため、災害の支援のため、高額の手術費用のためと、理由は様々だ。ちなみに最後の『手術費用』の募金に関してよく勘違いされるのは、手術そのものにかかる費用への誤解だ。
そもそも日本は医療保証が充実しており、海外のそれとは比べものにならない。如何に難しい手術といえど、患者が払う金額が数百万、数千万に上ることはありえない。金額に上限が設けられているためだ。延命治療を継続し、年間での医療費が馬鹿げた金額になることはあっても、手術そのものにうん千万、うん億円などと吹っ掛ける医者はブラックジャックくらいのものだろう。
ならば超高額の手術費用が何故必要なのかといえば、海外へ赴く必要があるからだ。日本で認可されていない、しかし有効な治療を受けるためにはまず国を出ることが前提だ。それには渡航費、滞在費、そして医療費がかかる。
海外での手術費用というのは、たとえ簡単な盲腸などであってもべらぼうに高い。難病治療ともなれば桁が変わり、米国などでは『医療費破産』という言葉も珍しくはないのだ。
渡航費の方も、患者によってはそれだけで百万、千万単位となる。自力で渡れるというならばともかく、動けない上に命の危険がある患者を海外へ運ぶとなれば専用の飛行機が必要だ。
医療器機が揃った専用飛行機のチャーター費用、そして医師の付き添い。恐ろしい金額になるのは誰でも理解できるだろう。そしてその手続きに関しても相当な手間がかかる。
金を用意し、手続きをする。
ただそれだけのことがとても難しい。特にほむらにとっては、金の出所すら悟られてはならないものだ。悪どい金とはいえ、そんな大金を気軽に使用できるならば、悪党どもが
少なくとも一ヶ月以内にどうこう出来る問題ではない……それどころか、ワルプルギスの夜への対策を考えれば、掛けられる時間は更に少なくなる。それを解決するために、当初は杏子の魔法に頼ることを考えていたほむら。苛烈な性格や戦闘スタイルとは裏腹に、彼女の固有魔法は幻覚、幻惑に特化しているのだ。
自身の願いを否定し続けた生活を送る内に、使用出来なくなった彼女の魔法。しかし先日から復活を遂げたそれを見て、ほむらは杏子の精神状態に問題がないことを確信し、だからこそ神浜行きの際にあのような試し方をしたという事情もあった。
しかし問題もある。その固有魔法は視覚的に騙すことは出来ても、催眠状態に陥らせるほど強力な能力ではないのだ。精々が軽い暗示程度であり、細心の注意を払いながら、綱渡りのように事を進めなければならない。書類の改竄なども含め、非常に難度の高いやり取りが連続するだろうーーほむらはそう考えていた。
結局それが杞憂だったことに、彼女は自身への『追い風』を感じた。今までのどんな世界より上手く進んでいるこの時間。そんな中で新しい難事を抱えてしまったというのに、それを解決するのにぴったりな魔法少女と出会えた。それを追い風と言わずしてなんと言うのだろうか。
神など信じていないほむらであったが、それでも彼女ーー純美雨との邂逅には運命というものを感じ、感謝した。美雨の固有魔法……『事実の偽装』という、ほむらの時間停止にも匹敵する強力な能力。
美雨が魔法少女になった際に願った奇跡。それは所属する集団の救済ーーすなわち蒼海幇の危機を救うことだった。現在こそ平和な互助組織ではあったが、過去には杏子の情報通り危険な顔を持っていたこともある集団だ。戦後まもなくは相当過激なこともやらかしており、現在においても各方面にそれなりの影響力を持っている。
そんな彼等を疎ましく思う勢力も存在し、様々な陰謀を経て蒼海幇は一度窮地に陥った。犯罪の濡れ衣を着せられ、国家権力の標的となり、あわや壊滅の危機といったところでーー美雨が奇跡を願ったのだ。
既に蒼海幇を壊滅させる手筈は整っていた。令状、指名手配、ガサ入れの日時……それを覆す奇跡とは、つまり事実の改変。蒼海幇を追い詰める全てを、その資料やデータごと無かったことにすればいい。歴史の改竄ともいえる奇跡は、彼女に『事実の偽装』という強力な固有魔法をもたらす結果にもなったのだ。
不自然な大金。唐突な患者の移送、無かった筈の予定。付随する各所への申請、その許可。
諸々の事実は不自然にねじ曲げられて、しかし気付くものはいなかった。ほむらの時間停止、杏子の幻覚と暗示、美雨の偽装能力の三つが揃えば出来ないことの方が少ないだろう。それは必然の結果でもあったのだ。
「本当にありがとう、美雨」
「気にしなくていいよ、ギブアンドテイクだしネ。アイツら、ワタシにとっても目の上のタンコブだったヨ。金も武器も無くなったら、暫くはおとなしくなるネ」
「それでもよ。貴女と会えて本当によかった」
「…フフ、あんまり言われると照れるネ。また何かあったら協力するヨ。友と家族は絶対に見捨てない……それが蒼海幇の掟ネ」
「ええ、ありがとう……それじゃ」
「
僅か数日で事を終えたほむらは、美雨と友宜を結んだ後別れを告げる。ワルプルギスの夜に関してはまだ話していないが、力を貸してもらえる可能性は充分にできた。彼女の人脈の広さや単純な強さも考えると、良い縁を結べたのだろう。手を振って見送る美雨に微笑みを返し、ほむらは見滝原へと帰還した。
自宅へ戻り、玄関を上がった途端に飛び付いてきたなぎさをあやしながら、居間へ向かうほむら。紅茶を飲みながら寛いでいたマミと杏子へ声をかけ、事の顛末を話した。
「ま、一件落着ってとこか」
「ええ。といっても本命……ワルプルギスの夜を倒さないことには気を抜く暇も無いけれど」
「なぎさも頑張るのです!」
「ダーメ。伝説の魔女が相手なのよ? いくら魔法少女でも、なぎさみたいな小さい子はお留守番に決まってるわ」
「むー! マミは心配性なのです! こう見えてもなぎさは強いのです」
「そういやまだ戦ってるとこ見てねーな……よし、いっちょ魔女探しと洒落こむか!」
「ちょっと、佐倉さん?」
自身を救ってくれたほむら、病院で母親に回復魔法をかけ続けてくれたマミ、治療の手筈を整えてくれた杏子、それぞれになぎさはとても懐いている。大好きな彼女達に恩を返す機会ともいえるワルプルギスの夜の襲来は、彼女にとって好機でもあった。
しかしそれには参加するなという過保護な言葉に憤慨し、抗議の代わりとでもいうようにもぞもぞと移動する。ほむらの膝上からマミの背中に場所を変え、小さな顎で頭をぐりぐりする様子はとても微笑ましい。しかしほむらはそれを見て強烈な悪寒に襲われた。今にも首無し魔法少女が誕生するような、謎の悪寒であった。
「なぎさがただのお子ちゃまなら甘やかしたっていいさ。だけど小さかろうがなんだろうが魔法少女だ。四六時中こいつの側にいて守れるってんならともかくさ、一人で戦うことだってあるだろ? 戦わせないのが優しさじゃなくて、戦い方を教えてやんのが優しさなんじゃねえのか?」
「…それはそうかもしれないけど、だからってワルプルギスの夜を相手にするなんて…」
「だからなぎさは強いって言ってるのですー!」
「それを見るために今からーー……っ! …ははっ、グッドタイミングじゃん。魔女でも空気読むことあるんだねぇ」
マミの言っていることも理解でき、杏子の言っていることも間違いではない。ほむらとしてもなぎさの参戦はどうするべきか悩んでいただけに、二人の会話に口を挟めずにいた。
そんな状況で、見計らったかのように出現した魔女の反応。これ幸いとばかりに、杏子はなぎさを伴っての魔女狩りを提案した。そして当人は勿論のこと、他二人も渡りに舟とばかりに立ち上がった。仲間の戦闘能力の把握は、連携において非常に重要だ。ワルプルギス戦の参加については置いておくとしても、なぎさの力を見る良い機会と言えるだろう。
「この反応だと……工場地帯の方かしら」
「ええ、おそらくね。急ぎましょう」
その場所に現れるとすればまず間違いなく『ハコの魔女』だろうとほむらは予想する。人の心を無遠慮に覗き、トラウマを映し出す意地の悪い魔女だ。その関係上、過去に辛いことがあった魔法少女ほど敗北しやすい性質を持っている。
絶望と魔女化がイコールで結ばれる魔法少女にとって、中々にやりにくい相手と言えるだろう。相性で言うならば、四人全員が『悪い』。とはいえ耐久性の無い脆弱な魔女でもあるため、速攻を仕掛ければ容易く仕止められる。謂わば能天気な脳筋魔法少女と相性の良い魔女である。
「っ…! 相当集めやがったな…!」
「マミ、お願い」
「ええ、任せてちょうだい!」
結界に近付いたところで、魔女に魅入られた人々が虚ろな目をして集まっている様子が彼女達の視界に入った。混ぜてはいけない洗剤を一つのバケツに入れ、死に至るガスを発生させようとしている。集団自殺をしようというのだろう。
かなり狭い密室でもないと死亡は難しくないだろうかーーという疑問はきっと野暮だ。魔女の口付けを受けた時点で、思考能力などあってないようなものである。つまり操っている方のおつむがよろしくないのだろう。
しかしそんなことは関係ないとばかりに、マミが魔法を繰り出す。操られ襲いかかってくる人々に対し、その全てをリボンで拘束していったのだ。この汎用性の高さこそが、彼女を強者足らしめている最大の要因と言えるだろう。
危害を加えたくなければ拘束を。敵に近寄られたならば銃身や砲身で直接反撃し、遠距離ならば銃撃や砲撃を。回避が不可能ならばリボンで簡易結界を作り出し、そしてそれは他人にさえ及ぶ。
近距離、中距離、遠距離、拘束、回避、防御、全てを高い水準でこなし、更に高精度のリボン操作という特性上サポートすら得意とする魔法少女。それが巴マミだ。ほむらは彼女と出会った時『現役最強』という言葉で称賛を送った。それはお世辞でもなんでもなく、あらゆる局面において対処が可能なマミを、心底から強者であると理解しているからだ。
「ーーあそこが魔女の結界の入口ね。みんな、準備はいい?」
「当然っしょ!」
「ええ、問題ないわ」
「なぎさの強さを刮目するのです!」
「お前ガキの癖に難しい言葉知ってんな…」
それぞれが魔法少女の衣装に身を包んでいるが、ほむらはなぎさのコスチュームを見てなんとなく既視感を覚えた。特に彼女が持っているラッパのような武器の柄に記憶を刺激されている。
しかしいま考えても仕方ないかと、意識を魔女に向ける。この結界は地面が存在せず、無重力空間に近い。しかし“意思”によって推進力を得ることが出来るため、通常では無理のある三次元機動を可能にしていた。
勝手が違うデメリットと縦横無尽に動けるメリット、相殺されてプラスマイナス0といったところだろう。ちなみにこういった空間への適応力は、大人よりも子供の方が高いことが多い。有りのままを受け入れる柔軟性が失われていないからだ。
「モベホーンの
「ラッパの錆ってなんだ…? ーーにしても…! マジか…」
「嘘でしょ…?」
先日マミが倒した魔女ーー『薔薇園の魔女』の結界で見せた華麗な舞。襲いくる無数の使い魔を銃身で、あるいは蹴りで、マミ自身がミキサーの刃になったかのように高速で敵を駆逐していく一幕があった。
いま目の前で繰り広げられている戦闘は、それの焼き直しのような美しさだ。細い木の枝のような脚が、四方八方から飛びかかる使い魔を正確に捉え蹴り飛ばす。
前方から群れがくれば、ラッパから吹き荒れるシャボンが敵を包み遠ざけ、離れたところで内部ごと破裂する。およそ一桁児童の戦闘展開とは思えない、強者の蹂躙がそこにあった。
「なぎさだって一緒に戦えるのです! ワッフルの夜なんかちょちょいのちょいなのですよ!」
「なんだその旨そうな伝説は」
「うーん……これは流石に……認めるしか……ないわよねぇ」
「心強いわ」
「えへへ……ほむらはなぎさが守るのです」
幼女に守られる自分を想像してしょんぼりするほむらであったが、およそ半月後には現実になっているであろうことを思うと笑い話にもならない。
とはいえ強い仲間が増えたのは喜ばしいことだ。何度も敗れたワルプルギスの夜を相手取るには、戦力はいくらでも欲しい。そもそもなぎさを残していったとして、見滝原が壊滅すればどうなるというのか。
仲間を失い、帰る家すら失い、絶望に暮れて魔女化するだけではないだろうか。それならば共に戦い勝利を掴みとる方が余程いい。ほむらはそう考え、誇らしげに胸を張っているなぎさの頭を優しく撫でた。
「そろそろ近いわね…」
「ま、使い魔も大したことないし楽勝でしょ」
「油断は禁物よ」
「へーへー」
結界深部ーー魔女の根城。使い魔を蹴散らし、ボスを追い詰める魔法少女達。そこには……油断があった。警告を発しているほむらですら、過剰な戦力のせいか緩みを隠しきれていない。
それは魔女の情報を知っているという
仮に一人が精神を乱されても、他の魔法少女が手早く倒せばそれで終わりだ。それ故の油断ーーそしてそれこそが悲劇の幕開けだったのだろう。ちょっとした気の緩みが死に繋がる……そんなことは解りきっていた事実だった。
『追い風』が吹いているなどと……順風満帆などと、まだまだ途中でしかないのに感じてしまった。きっとそれは報いだったのだろう。希望は容易く絶望に転じる。ほむらはそれを誰より知っていた筈だ。それでもーー油断してしまったのだ。
「あれが魔女か…? 小っさいなおい」
「テレビ…? 何か映ってるわ…」
忌まわしい過去が映し出されていた。誰にも知られたくはない、悪夢の先にある絶望が。時には追求され、涙を溢したこともある。もう大丈夫と強がって、それでも何度も失敗した。
ーー国が映し出されていた。
ーー日本列島が映し出されていた。
ーー日本列島の形をした“染み”が映し出されていた。
ーーぶっちゃけると布団におねしょをした証拠が映し出されていた。
「わあぁーー!! あー! あー! み、見ちゃだめなのですぅーー!!」
「あらあら、うふふ。なぎさはまだ子供だもの、仕方ないわ」
「えげつねえな…」
「綺麗な形ね」
「あぅ、うぅぅぅーー!!」
顔を真っ赤にして怒るなぎさ。凄まじい勢いでシャボン玉が吹き荒れ、魔女とその取り巻きに付着していく。隙間なく埋め尽くされ、一つの巨大なワタアメのように変化したところでーーその全てが一斉に爆発し、結界そのものを揺るがす程の衝撃となった。
景色が歪み、世界が現実へと戻る。なぎさも現実逃避をやめて現実へと戻った。しかし幼くとも彼女は乙女だ。他人におねしょの跡を見られて平静でいられる訳もない。
俯いてぷるぷると震えている彼女を、ほむらは優しく抱き締めて耳元で囁く。おねしょなど誰もが通った道だと。小学生なら当たり前の失敗だと。裸踊りの方がよっぽど恥ずかしいと。
「…また布団を汚すかもしれないのです」
「そんなの気にしないわ」
「…一緒に寝てるほむらまで汚れるのです」
「むしろ嬉しいくらいよ」
「ただの変態じゃねーか」
「黙りなさい」
野暮な突っ込みを入れてくる杏子にピシャリと言い放ち、なぎさを慰め続けるほむら。その甲斐あってか段々と立ち直り、幼い魔法少女は笑顔を取り戻した。
全員が気を取り直して周囲を見渡せば、マミが拘束していた人々が気を失って倒れていた。魔女の口付けは問題なく解除されているようで、命に別状はないだろう。発見されやすいように解りやすく被害者を並べ、今夜の戦いは終了ーーといったところで、ほむらは被害者の中に知り合いを見つける。
『志筑仁美』。毎度毎度さやかから恭介を奪い続ける、生粋のネトリスト……とほむらは認識している。なんといっても『さやか魔女化』の元凶第二位だ。勿論彼女に責任を問うほど愚かしいことはないが、とにかく上条恭介と志筑仁美はタイミングの悪さに定評があるのだ。ほむらの視点からすれば、わざとやっているのかと言いたいくらいにさやかを魔法少女化させ、絶望させる。
嫌っているわけではない。しかしなんとも言えない思いがあるのも事実だ。世界によってはまどかやさやかと友人になることもあるのだから、それなりに縁を結んだこともある。しかし彼女は習い事に忙しく、ほむらは一ヶ月という短い期間でやることが目白押しだ。接点の無さが関係の希薄さを助長していると言えるだろう。
「…」
「どうしたの? 暁美さん」
「先に帰っていてくれるかしら。クラスメイトを送っていくわ」
「あら……お友達まで巻き込まれていたのね。了解、気を付けて帰ってきてね」
「お風呂沸かしておくのです!」
「ええ、後で一緒に入りましょう」
名家のお嬢様が集団自殺を目論んでいたとなれば、完全無欠に醜聞だ。催眠だのなんだのと世間を賑わすのはいつものことだが、彼女も頻繁に巻き込まれている。常であれば気にせず放置するとこだがーーというよりも、この事件はさやかが解決することの方が多いのだ。
この時点では戦力として当てにできるため、魔法少女の馴らし運転として放置が基本だ。さやかとは相性の良い魔女であるため、負けるのを見たことがないというのも大きい。
なんにしても、仁美にとってはかなりの厄介ごとになるこの事件。病院での検査に始め、私生活における自由が更に少なくなるという事態に陥る筈だ。
それは少々忍びない……そう考えたほむらは、気を失っている仁美を抱き上げた。彼女が家を抜け出したことに気付かれるのは、日を跨いでからというのが多い。夜遊びを疑われるような娘ではないのだろう。時間停止を使用すれば、きっと何事もなかったと装える。
「う……ん…」
「…!」
仁美の家ーー豪邸に辿り着き、どこから浸入しようかと周囲を確認するほむら。そうこうしている内に腕の中の少女が覚醒しかけていることに気付き、慌てて時間を停止させるが……少し遅かったようだ。
「暁……美……さん? …私……いったい…」
「…っ」
全てが灰色になった世界で、二人だけが色付いている。抱かれている少女はどこか惚けた思考で、まだ上の空だ。抱いている少女は、まだ間に合うかと一気に二階のバルコニーへと跳躍した。
部屋への扉は鍵がかかっていたが、魔法少女に対しそんなものは意味がない。容易く開錠し、ほむらは抱えていた荷物をベッドに押し込んだ。さっさと帰ろう、そう思って離れる彼女であったが、スカートの裾を弱々しく掴まれていることに気付く。
「なん……だか……怖い……目に、遭いましたの。でも……暁美さんが……助けてくれた…」
「…夢よ。目を瞑って、眠りなさい。起きたらいつもと変わらない日常が待ってるわ」
「ほん……とう…?」
「ええ。ゆっくりお眠りなさい……泣く必要なんかないわ。何も怖いことなんて無かったのだから」
目の端から零れる涙を、懐から取り出したハンカチで拭う。不安そうにすがり付く彼女の指を優しく開き、ほむらは
「ゆ……め…」
「そう。悪夢は終わったわ。今度は楽しい夢を見ましょう?」
「ホモも……ゆめ…」
「そ、それは夢じゃないわ」
夢ではなく勘違いと言ってやりたいところだが、さやかの為にもここは誤解を解くわけにはいかなかった。落ち着いたのか、それとも諦めたのか、すぅすぅと寝息を立て始める仁美。
ほっと安堵の息をついて部屋を後にする。その際、枕元にハンカチを置き忘れてしまったことがーーほむらの最大の失敗だったのだろう。ホモ夢という言葉に動揺したが故の失敗だったのかもしれない。
ーー翌朝、いつも通りにほむらは登校した。少し不安はあったものの、魔女に操られている状態など、実際問題として夢のようなものだ。なんとなく違和感はあっても、証拠など何もないのだから大丈夫。何か聞かれたとしても、知らぬ存ぜぬで通そうと考えていた。
教室の扉をスライドさせる。彼女の登校に気付いたまどかとさやかが手を振り、笑っている。そんな気安い関係になれたことを喜び、ほむらも彼女達にーー仁美を含めた三人に近付いていく。しかし到着するよりも前にその内の一人が立ち上がり、ほむらに駆け寄った。
「あけーーいえ、ほむらさん。これ……受け取って頂けませんか?」
「…え?」
ほむらによく似合う、薄い紫色のハンカチ。一目で値段の高さが伺える質の良さ。そんな贈り物を渡す仁美の頬にはーーうっすらと赤みが差していた。