・デレ側のプロダクション名は明記していません。
765プロライブ劇場内の廊下をキョロキョロと見回しながら歩いている人影が一つ、スーツ姿のプロダクションの人間……プロデューサーである。
迷子になっているはずもないので誰かを探しているのだろうか。
事務員かアイドルか、あるいは社長という可能性もある。
そこへ偶然一人の少女が通りかかった、凛とした表情は大人びて見えるもののどこか幼さも感じさせる。
「志保、まだ帰ってなかったんだな。良かった」
北沢志保は声をかけられると振り返った、特に表情に変化はなく実に落ち着いている。
「いえ、これから帰るところですけど……なんですか?」
「大事な話があるから少し時間をもらいたいんだけど、いいか?」
「用事があるので……手短に済ませてもらえれば」
志保は時間を確認しながらそう答えた、時間にシビアな予定があるということだろうか。
プロデューサーも時間を確認し、少々考えてから言葉を返す。
「そうか、弟さんの迎えがあるんだったな。長引くようだったら保育園まで送るよ、それでどうかな?」
「……そうですね、車で間に合う時間に収めてもらえるのなら問題ありません」
「そ、そうだな、上手くまとめるよう努めるよ」
話が一旦まとまったところで、二人は廊下から事務室へと場所を変えた。
「早速本題に入らせてもらうけど、今回の劇場公演が終わったらすぐに大型のアイドルフェスに出てもらいたいんだ。大丈夫そうか?」
「問題ありません。むしろ、せっかくのチャンスをふいにしたくありません。出演させてください」
志保の目はギラギラと燃えている、更に上を目指すのだという意欲に溢れているようだ。
しかし、チャンスに食いつき無理をしてしまい体調を崩してしまっては大変である。プロデューサーはそのことを懸念しているのだろう。
「ありがとう。ただ、フェスには違う事務所のアイドルと出てもらうことになる。それでも大丈夫か?」
「違う事務所……ですか、……あの、私を選んだ理由を教えてもらえませんか?」
気にはなるのか志保は選考理由を尋ねた。
もしかすると、プロデューサーの答え次第では断る可能性もあるかもしれない。
知らない相手と共演する、そういう点においては他に適任者がいると考えているのだろう。
「志保なら、この経験を活かして更なる成長をしてくれるだろうと思ったからだ」
「それは他の人にも言えることだと思います」
「そうだな、じゃあもう少し詳しく言うと……志保なら尻込みせずにぶつかっていけると思ったからかな」
「それ、褒めてるんですか?」
志保は顔をしかめる、遠慮のない失礼な人間と評価されていると感じたのかもしれない。
しかし、本当にそんな人物であるのなら他事務所との合同の仕事に推薦はしないはずである。
「当然だ、他の事務所だからって気を使いすぎるのはよくないからな。今回に関しては、自分の譲れない部分はしっかり主張して切磋琢磨できるアイドルが最適だと判断した。それが志保なんだ」
プロデューサーの言葉を聞く志保の表情からは感情が読み取りにくい、しかしまっすぐに言葉を受け止めていることだけは伝わってくる。
目をそらすことなく見据えているからだ。
「……分かりました。私としても貴重な機会ですから、逃す手はありません。出演させてください」
「受けてくれるか、ありがとう」
志保の反応を見つつも、プロデューサーは感謝の言葉を告げる。断られる可能性もあると考えていたのだろう。
事実、少しとはいえ志保は考えてから返答した。
「いえ、別に。私ならできると判断しての抜擢のようですから、プロとして当然の選択です」
「そうだな、こっちもスケジュールの調整をして疲れが残らないようにするよ」
「お願いします。……それにしても、結構大きな企画だと思うんですけど、ずっとプロデューサーさんが動いていたんですか?」
「え? いや、それは……」
プロデューサーはどこか言いづらそうにしている、なにか理由があるのだろう。
あまり誰かに言うべきではない秘密の繋がりがあるのか、それとも運が良かっただけで手腕とは言えないということなのか。
「もしかして、社外秘ということですか?」
「そういうわけじゃなくて、その……社長がプライベートで飲みに出かけたらたまたま隣の席に相手の事務所のお偉いさんがいたらしくて、そこで意気投合して話をしていたら勢いで決まった……らしい」
「なるほど、そういう経緯でしたか。偶然相席になった人と会話を弾ませて仕事に繋げるコミュニケーション能力……プロデューサーさんも見習った方がいいんじゃないんですか?」
ずいぶんと辛辣な言葉ではあるが間違いではないだろう、営業活動をする上でコミュニケーション能力は必要不可欠だ。
「そ、そうだな、それはたしかに……。どこに大きな仕事のきっかけが潜んでいるか分からないっていうのは、今回のことで社長が実践して見せてくれたわけだし」
「私たちがステップアップしていくためにも、プロデューサーさんには大きな仕事をどんどん取ってきてもらわないといけませんから。がんばってください」
「ああ、努力するよ。……まだ時間に余裕があるな、フェスに一緒に出るアイドルのことって知りたいか?」
「資料があるのなら確認しておきたいです」
「よし、じゃあちょっとこれを見てくれ」
そう言ってプロデューサーは相手にもらったと思われる未央の資料を志保に見えるよう並べていった。
「名前は本田未央、年齢は15歳。志保の一つ上だな、兄と弟がいるみたいだ」
「……そうですか」
志保は若干興味を持ったようだが食いつくほどのものではなかったようだ、彼女の弟は年が離れているのに対し未央の弟は年がやや近いからだろうか。
「後は……とにかく明るくて元気なムードメーカーみたいだ、うちでいうと……年齢も考慮すると茜が近いのかな」
「……そうなんですか」
資料を眺めつつ志保は少し顔をしかめた、今彼女の頭の中では野々原茜が元気に走り回っていることだろう。
「苦手なタイプか?」
「いえ、幸いなことに茜さんで慣れているので大丈夫です」
「そうだな、本当に茜に似ているならたぶん大丈夫だろう。三人ユニットでの活動がかなり多いし、ステージの経験値も心配なさそうかな」
プロデューサーの言葉に耳を傾けつつ志保は資料に目を通していく。
しかし、とある経歴のところで目を止めた。
「舞台……出てるんですね」
「秘密の花園だな。これまで演劇の経験があったのかは分からないけど、いきなりでよく主役を勝ち取れたと思うよ」
「…………」
志保は真剣に何かを考えている様子だ。
未央にお芝居の才能があるのかあるいは熱意を持っているのか、演技の道に強い想いを持っているからこそ志保は興味を抱いたのだろう。
「気になるようだったら、空いた時間とかに話でもしてみたらどうだ?」
「いえ、別にいいです。違う事務所ということはフェスが終われば仕事をしていく上でのライバル関係に戻るわけですから」
ほぼ目を通したのか、志保は視線を上げてそう答えた。
彼女の言うことも正しいのだろうが、人間関係が広がることで良い影響を受けることもある。
プロデューサーもその可能性を捨て去ってしまうのは惜しいとは思っているはずだが、そこは志保自身に任せる方針のようだ。
誰かに言われたから仕方なく、では意味がないというところもあるだろうか。
「そうか。でも、トレーナーさんの指摘なんかはちゃんと聞くんだぞ」
「分かっています」
「今回はいつものトレーナーさんじゃないからな、実はあちらさんの事務所にある施設を借りることになっているんだ」
いつもの場所を借りる分の費用が削減できて喜ぶ人が多い……のだろうか。
ただ、スケジュールを合わせるだけで良く手配の必要がないというのはどちらにとってもありがたいことのはずだ。
「……そうですか。でも、問題はありません」
「うん、違うトレーナーさんの指導もいい経験になると思う」
「分かりました、話はこれで終わりですか?」
「そうだな、これで説明は全部だ」
二人は時間を確認し、視線を戻すと自然と目が合った。
「じゃあそろそろ行こうか、弟さんを待たせるわけにはいかないしな」
「お願いします」
準備を済ませ二人は事務室を出た、日も暮れ始めているからか劇場内は静かだ。
ただ、公演も近いということで誰かが残って練習をしている可能性はある。
「あ!」
いきなりプロデューサーは声を上げた、志保は少し驚いたようだが取り乱す様子はない。
「忘れ物ですか?」
「いや、忘れたのは物じゃなくて連絡事項だ。さっき説明した本田さんだけど次の公演を見に来る予定だそうだ、せっかくフェスの前に公演があるんだから見ておきたいってさ」
「分かりました」
志保はいつもと変わらない様子で返事をする、特に意識するようなことではないということだろうか。
「驚かないのか?」
「誰が見に来るにせよ、完璧なパフォーマンスを目指すだけですから」
動揺する素振りもなく志保は落ち着いた表情でそう答えた。
公演が近いこともあって集中できているということもあるだろう。
「頼もしいな。よし、じゃあ車を出してくるから外に出て待っててくれ」
「分かりました、お願いします」
プロデューサーは駐車場へ向かうために別の道を歩いていく。
志保はその後ろ姿を見送ってから、口を一文字に結び外へ出る為にまた歩き出した。
やや高揚しているのか、その歩みは少しだけ速くなっていた。