・デレ側のプロダクション名は明記していません。
フェス当日、観客の熱狂を尻目に見つつ変装した凛は自分の席へと向かっていた。
長い髪を後ろで束ね、上条春菜に見繕ってもらった変装用のメガネを着用している。
この変装でもかなりの差異があるので、さすがにパッと見て渋谷凛だと分かる者はまずいないだろう。
大きい会場ということで凛は客席側からの光景を確認しながら歩いている。
黙々と準備を進めている人、隣の席の人と談笑する人、スマートフォンを弄っている人、ステージ等を観察している人……それぞれ開演までの時間の使い方は個性がある。
「……ここかな」
そんな独特な雰囲気を楽しむように歩いていると、早くも凛は自分の席へとたどり着いた。
時間に余裕があるからか、彼女は一息つきつつメガネを外している。なくても大丈夫という判断と思われるが、そうなるとここは関係者のエリアということだろうか。
水分補給をしつつ、パンフレットで出演者等を眺めていると凛の隣の席に誰かがやってきた。
「あっ、静香ちゃんも来てたんだね!」
「え?」
「はれっ!?」
やってきたのは可奈だったのだが、誰かと勘違いしているようだ。
二人は見つめ合ったまま微動だにしない。
「す、すみません、人違いでした~!」
勘違いに気づくと、不動の状態から急に慌てふためきながら頭を下げたりし始める可奈。
あまりに余裕がなさそうだからか、凛はただ見守っている。
「どどど、どうして間違えたんだろう!? ……はっ、かっこいいところは似てるかも!」
「えっと……ありがとう?」
「えへへっ、本当のことを言っただけだから。……あっ、あの、765プロの矢吹可奈ですっ。よろしくお願いします!」
ペコリと頭を下げる可奈を見て、凛の表情は優しいものへと変わっていく。
焦ってバタバタとしていたのが庇護欲を刺激したのだろうか。
「私は渋谷凛。よろしく、可奈」
名前を呼ばれたことが嬉しかったのか、頭を上げた可奈の表情は満面の笑顔だった。
「うんっ、よろしく! 凛ちゃん!」
つられて凛も笑顔になる、これが可奈の能力とも言えるのだろうか。
しかし、何か問題でもあるのか可奈の表情は途端に険しくなっていく。
「そ、そういえば当たり前みたいにアイドルだと思ってたんだけど……」
「アイドルだよ、今日765プロの子と一緒にステージに立つアイドルと同じ事務所」
「やったあ! それじゃあ今日だけ同じ事務所みたいなものだよね!」
「なるほど……そういう考え方もあるんだ」
その考え方は思いつかなかったと関心している様子の凛。
こういった発想の転換ができると初対面の人物とも早く打ち解けることができそうである。
「仲間がいっぱい~♪ 友達もいっぱい~♪ 楽しい絶対~♪」
席に着きながら突然歌い出した可奈に凛はギョッとしている。
会場ということで控えめではあるものの、唐突な歌に驚くのは仕方がないだろう。
隣にいたのが同じ事務所の誰かであったならそんなことはないのかもしれないが。
しかし、最初こそ驚いていた凛だが楽しそうに歌っている可奈につられて自然と口角が上がっている。
「歌、好きなんだね」
「えーっ、なんで分かったの!? まさか、凛ちゃんはエスパー!?」
「いや、エスパーじゃないよ、私はね。というか、歌ってる可奈を見ればすぐに分かるよ」
「ほ、本当~!? えへへっ、でも嬉しいな。私、歌が大好きだから!」
眩しいくらいの笑顔で可奈はそう語った。
「…………」
まっすぐな表情と言葉に凛は少し見入ってしまっているようだ。
初対面の人物にここまで素の感情を出せるというのは珍しいタイプである。
「凛ちゃん?」
「ごめん、ちょっと考え事してた」
「考え事?」
「うん、可奈と一緒に歌えたら……もっと歌を好きになれるのかなって」
「それは……うーん、ちょっと分からないけど、でも私も凛ちゃんと歌ってみたい!」
二人とも少し会話をしただけだというのに一緒にステージに立ってみたいと感じているようだ、お互いに惹かれるものがあったのだろうか。
「今日の二人のステージが期待以上のものだったら……、この企画を続けていこうってなる可能性が出てくるかもしれないかな」
「志保ちゃんならきっと大丈夫!」
「私も未央を信じてる」
「ならしっかり応援しないとだよね!」
「もちろん、そのためにここにいるわけだし」
凛と可奈は笑い合ってお互いの準備を進め始めた。
気がつけば、広い会場とはいえ空席を探す方が難しいほどになってきている。
もうすぐ開演だ。