江戸にひっそりと佇んでいる一軒の寂れた屋敷。ここには日々討幕の為に暗躍する攘夷党のリーダー桂小太郎と、部下のクラインとエリザベスが隠れ蓑として暮らす場所である。クラインにとっては初めての逃亡生活であるが、彼は何一つ後悔していない。自身の目指す侍に近づくためにと、攘夷志士としての誇りを持ち日夜鍛錬を積み重ねている。そんなクラインは今、桂やエリザベスと向かい合い自らの悩みについて打ち明けていた。
「……そうか。クライン殿がそんなことで悩んでいたとは」
〔意外にも気にしていたのか?〕
「俺にとっては死活問題でな……なぁ、二人共! 何かコツやアドバイスとかを教えてくれないか!?」
落ち着きを見せる桂らとは異なり、クラインは必死な表情で問いかけてくる。過去に起きたある出来事をきっかけに、彼の心には大きな焦りが生じていた。
時は一週間前へと遡る。この日の桂やクラインは、定期的に行われる攘夷党の集会に参加していた。ちょうどそれを終えたところで、二人は現在の住処へと帰路についている。
「いや~今日の会議は、一段と有意義だったな! 桂さん!」
「フッ……アレくらい当然のことだ。クライン殿もしっかりと見習って、みなに追いつくのだぞ」
「もちろん分かっているよ! だいぶこの世界にも慣れてきたからな!」
帰り際でも会議の内容について熱く語り合っていた。攘夷志士としてのクラインの上達ぶりも著しく、桂の期待もそれなりに高まっている。侍同士で良い仲を築き上げる中、クラインの目線はある方向へと移り変わっていた。
「おっ!? なぁなぁ、今の女子達可愛くなかったか?」
「そうか? 若い女子にはさほど興味はない。もっと熟していなければ、俺はときめかんぞ」
「って桂さんは、本当熟女が好みなんだな~!」
彼が話題に上げたのは、一瞬通りすがった振袖姿の女子三人である。可愛い美貌に目移りしてしまい、テンションが上がってしまったようだ。一方で桂は女性への好みが違うからか、冷静さを保って言葉を返している。反応の違いがあるが、これは女性達からの印象にも大きく関係していた。
「ねぇ、さっき通りすがった男の人、めっさかっこよくなかった?」
「わかる~! 凛としていて美しいよね!」
「えっ? まさかこれは……俺の事か!?」
偶然にも女性ら三人も同じような会話を交わしている。テンションを高めて大声で話しているため、クラインの耳にもすっと聞こえてきた。期待値を上げながらウキウキと、自分の名前が挙がることを楽しみにしていたのだが……
「あ~! 私もああいうロン毛男性と付き合ってみたいな~!」
「えっ……?」
残念にも聞こえてきたのは桂への噂である。どうやら三人共、彼の容姿に男らしさを感じて心を震わせていたようだ。
「それな! 横にいた赤髪のアゴヒゲ男は気に食わなかったけど、あの人は別格よね!」
「正直ジロジロと見てきて、うざったかったもの!」
「下心丸出しだっつーの!」
「「ハハハ!!」」
それどころか、クラインに対しての評価は散々である。泣きっ面に蜂が如く、文句を吐き出して彼の精神をズタズタに引っ掻き回す。本人にとっては聞きたくもなかった事実であるが、時すでに遅い。期待を裏切られた結果に心を落ち込ませてしまった。
「そ、そんな……」
「ん? どうした、クライン殿? 何かあったのか?」
「いいや……なんでもねぇよ」
対照的に桂は気にもしておらず、相も変わらないマイペースぶりを見せる。クラインにとってはこの事実を重く受け止めており、立ち直ろうにも時間がかかってしまった。こうして今日までずっと、女性からの印象について深く悩んでいたのである。
「それで要するに、クライン殿は女子にモテたいということだな?」
「その通りだよ! もう恥も外聞も関係ねぇよ! だから、教えてくれー! 女子受けのいいコツとかをよ!」
訳を全て話したクラインは、三度頭を下げて桂達へとお願いした。今後始まるかもしれない恋路の為に、彼は自分の印象や行動を変えようと必死に悩み続けている。桂にも相談して、その本気さは数段と高かった。もちろん二人にもその想いは伝わっており、お馴染みの腕組みをした後に彼は少し考えて、ある策を思いついていた。
「うむ、分かった。クライン殿の要望に応えて、俺がとっておきの方法を教えてやろう!」
「ほ、本当か!?」
「ああ、そうだとも。ひとまずは場所を移動しなければ……連いてきてくれるか?」
「もちろん! 教えてくれるなら、俺はどこまでも連いていくぜ!」
どうやら場所を移動して取り行うらしい。クラインは一斉疑うことなく、桂の意見へと賛成した。共に立ち上がり外出への準備を始めたが、エリザベスだけは気乗りしておらず今回は住処へと待機することに決めている。
〔いってらっしゃい、二人共。健闘を祈っているぜ〕
「ああ! 必ずいい知らせを持って、帰って来てやるぜ!!」
「エリザベスは留守番を頼むな」
〔任せておけ〕
外出する二人を見送って、エリザベスは静かに手を振る。一方で桂に連いていったクラインは、これからの展開に存分と期待を寄せていた。
「ところで桂さん? 一体どこへ行こうとしているんだ?」
「そう急かすではない。後の楽しみとして存分に取っておけ」
「は、はい! 分かったぜ!」
何をするのかは不明であったが、すでにモテている自分を想像しており彼はつい笑みを浮かべていた。早くも思いに浸っているクラインであったが……エリザベスだけは知っている。桂が思い浮かんだという策の全貌を。
〔クラインは恋愛のコツを知る前に、桂さんのコツを掴んだ方がいいな……〕
辛辣なプラカードを掲げながら、エリザベスは二人の行く末を見守っていた。表情はまったく変わっていないが、心なしか不安そうにも見える。こうして事態は動きだした。
数分後。正午を迎える中、桂とクラインはかぶき町へと姿を現している。天気は快晴で日当たりも良くなっていたが、クラインはまだ今後の展開について把握できていなかった。
「ここは……」
「笑ってよきかなでお馴染みのスタジオオルタ前だ。人通りも多いし、絶好の機会であるな」
「って、桂さん? ここで何をするんだよ?」
人通りの多いスポットまで来ても、まったく策の全貌を話さない。クラインが不思議に感じていると、急に桂は懐から小型のトライシーバーを取り出して彼へと渡してきた。
「ト、トライシーバー? って、どこに行くんだよ!?」
何の説明もないままクラインを町中へと置き、桂だけは路地裏へと進み身を潜めている。するとトライシーバーから、彼の通信が聞こえ始めてきた。
「さて、準備は整ったようだな」
「準備って……一体何の?」
三度質問して、ようやく桂は作戦内容をトライシーバー越しに発表してくる。
「ナンパだ」
「えっ? ナンパ? ま、まさかここでナンパをしろってことなのか!?」
「なんだ。今気づいたのか」
「はぁ!?」
引っ張った割には、かなり安直な答えが返ってきた。そう。ここまでの前振りは全て、クラインを強制的にナンパさせるための誘導でしかない。本人もやっと状況を理解して、心を大きく動揺させていた。そしてトライシーバー越しに文句をぶつけてくる。
「待ってくれ桂さん!? さすがに急すぎるよ!? 俺何も準備してねぇよ!!」
「そうなのか? だが彼女を作るには手っ取り早い方法だと思うぞ」
「そうかもしれないけど、時と場合によるだろ!? そもそも俺が求めていた答えと違うんだけど!?」
「ああ、そうかもしれないな。だが俺だって考えた結果これしか浮かばなかったんだ。人と言うのは失敗を経験して自らの実力に変えていく……クライン殿にはぴったりであろう」
「って、失敗する前提なのかよ!? 桂さんの言い分は分かったけど、さすがに俺だけじゃ……」
互いの意見を応酬しあいながら通信会話を続ける二人。桂への強引さには脱帽しながらも、クラインはまだナンパへの決心がついていない。そこで桂も最後の後押しへと移る。
「大丈夫だ、安心しろ。俺もただ来ただけではない。下手に表に出ていれば、幕府の犬共に捕まっておじゃんだからな。幸いクライン殿はまだ目を付けられていない……正々堂々と挑む方が良いぞ。俺も裏方でサポートするからな。では」
「桂さん!? 勝手に通信切らないで!! ちょっと!?」
陰ながら助言すると約束したうえで、急に通信を遮断してしまった。クラインから呼びかけても反応が無いため、ここからはたった一人でナンパに挑まなくてはならない。なりゆきや偶然で始まったことなので、若干後悔の渦が流れ始めている。
「な、なんてこった……まさかこの世界にでもナンパする羽目になるなんて。でも今回は桂さんが後ろ盾してくれるみたいだし、何とか挑戦だけはしてみるか……」
それでも無理矢理自分を納得させて、ナンパに挑戦しようと心に決めていた。諦めるのもかっこ悪いと思っていたが故の、ヤケクソじみた行動である。桂も見守って助言をくれるみたいなので、普段と同じ雰囲気で女子と接しようと考えていた。深呼吸をして気持ちを整えた後に、早くも彼に好機が訪れる。
「よし……! じゃまずは、あの子達にしてみるか」
クラインが発見した女性は、和服を着て楽しそうにおしゃべりする活気のある二人組であった。ちょうど歩きながら移動しており、近づくと同時にまずは強引気味に話しかける。
「おっと、すまねぇ! 君達、今時間は空いているかい?」
なるべく男前な口調で強さをアピールして、言動もキザっぽく決めた。場の勢いに任して言い放った誘いに女性達の反応はというと、
「ん? おりょうちゃん? 話かけられたけど、これって一体何なん?」
「これはナンパよ。しかも下手過ぎるし、何の捻りもないしロクでもないわね」
「ナンパ!? ウチらナンパされたん!? めっちゃラッキーな事やないの!?」
「って、なんでアンタだけテンションが上がってんの!?」
それぞれ違った反応である。苦い顔で呆れる者もいれば、ナンパされたことに嬉しさを覚え好意的に捉える者もいた。いずれにしても、一組目にして早くも手ごたえのある反応である。
(おっ!? 意外にも上手くいきそう? これは初っ端から当たりを引いたってことか?)
クライン自身も成功へと近づくことを心待ちにして、次の段階へと入ろうとした。ところが、この女性達はある知り合いと深い親交のある人物である。もちろん桂はこの繋がりをよく知っているので、通信を入れて早速伝えていく。
「おい、クライン殿! あの二人には注意した方が良い! 何をされるか分からないぞ!」
「か、桂さん!? いや、そんなことはねぇよ。少なくとも男をボコボコにするようなタイプじゃないし、このままナンパを成功させるからよーく見てくれよ!」
「そういうことではなくて……後ろだ! 後ろに気を付けるんだ!」
「後ろ? って、どういう――」
必死に呼びかける桂の言葉が気になって、つい後ろを振り返ってみるとそこには――
「何二人にナンパしてんだぁぁぁ!! このドスケベ野郎がぁぁぁ!!」
「ブホォォォ!!」
思いっきり飛び蹴りを交わす妙の姿が目に入った。当然クラインは避けることが出来ずに、その攻撃をもろに食らってしまう。彼がナンパした女性二人は、妙と共に働くキャバ嬢の同僚であった。気付くことなく誘ってしまい、たまたま見かけた妙の怒りを買ったようである。もちろん彼女はクラインだと分かっていながら、現在もなお制裁を加えていた。別世界の人間だろうと、お構いなしである。
「おい、てめぇ!! 私の同僚をラブ〇に誘うとはいい度胸してんじゃねぇか!!」
「って、お妙さん!? 色々違うから!! さすがの俺でも〇ブホまでは連れて行かねぇって!! つーか俺だから!! クラインだから!!」
「関係ねぇんだよ!! これ以上私の同僚に手を出して見ろ……アバターごと消し炭にしてあげるわよ……」
「何さりげなく怖い事言ってんの!? ちょっとやめて……ギャァァァ!!」
説得も無駄に終わってしまい、妙はクラインの体を締め付けたと同時に大きく投げつけたことでとどめをさした。彼女ならではの容赦ない攻撃によって、クラインの体力や精神にも大きな打撃を与えている。この光景にナンパされた側の仲間達はというと、
「さすがお妙……もう向かうところ敵なしだわ」
「折角ナンパされたのに……なんか残念やわ」
いつも通りの用心棒ぶりに言葉を詰まらせていた。もう何も言い返せないのである。
「だから注意しろと言ったのに……」
桂も同じような心境であった。折角のナンパも相手が悪かったことで、最悪の結果を残ってしまう。そして桂はクラインを裏路地へと連れて行き、ひとまずは応急処置で容体を安定させた。
「痛ぇ……お妙さんってやっぱり激しい一面を持っているんだな……」
「前にクライン殿も告白したことがあったろ? その件については、どう思うんだ?」
「断ってくれて本当に良かったと思う……」
「だろうな」
以前にもノリで妙にナンパしたことがあったクラインであったが、昨今では彼女の意外な一面を目の当たりにして過去の自分の好意に後悔を覚えてしまう。一方で彼の傷は徐々に回復はしているが、精神的な傷は癒えておらず、ナンパへの自信はすり減っていた。
「なぁ、桂さん……流石に今回は分が悪くないか? ナンパって言ってもタイミングとかにもよるから、今日は一旦引いた方が身のためじゃないのか?」
「うーん……そうだと困るんだよな。まだ話の半分も進んでないし、何よりオチの段階までいかなければならない……ここで打ち切りは難しいだろうな」
「何の話!? 桂さんの事情は分からないけど、流石に俺の身が持たねぇって! 今日とかじゃなくて、また時間がある時でいいだろ?」
「そう言われてもな……」
制作側に配慮して深く考える桂に対して、クラインは調子の悪さから今日は身を引こうと提案している。お互いの意見がずれ合う中、またもある知り合いと遭遇することになった。
「ん? 桂にクラインではないか? こんなところで何をしているのだ?」
「この声は……九兵衛さん?」
聞こえてきたのは特徴的な低い声を持つ女性……。振り返ってみるとそこには、知り合いである九兵衛が立っていたのだが、その容姿にクラインは驚くことになる。
「……えっ? 九兵衛さん?」
なんと九兵衛の格好は、いつもよりも女性らしい姿であった。落ち着いた野良着から、可愛さを目立たせるゴスロリ風の振袖に。髪型もポニーテールからツインテールへ変更。何の変哲もない眼帯もハート形に変化しており、これらすべてを踏まえて以前よりもキュートさを目立たせる容姿となっていた。劇的なイメージチェンジに、クラインも驚き反動から黙ってしまう。いわゆるギャップ萌えであった。
「ど、どうしたんだよ!? その格好は一体……」
分かりやすい動揺を見せて質問してみると、九兵衛も恥ずかしがりながら答えを返す。
「ああ、これか。実は今日お妙ちゃんの店を手伝うことになってな……東城の奴が強制的に僕へ着させてきたんだ。まぁ恥ずかしいが、妙ちゃんの為ならば仕方ない。少し変か?」
「はっ! いやいや! むしろ凄い似合っていて、び、びっくりしてるよ!!」
「本当か? いずれにしても有り難い言葉だな。褒めてくれてありがとうな」
訳を話し終えた九兵衛は、そっと屈託のない笑顔を桂らへと見せつけてきた。この天使のような笑顔には、クラインの心境にも多大なる変革を起こし始めている。
(アレ……九兵衛さんって、こんなに可愛い人だったの!? ここまで乙女のような仕草を見せる人だったの!? なんでこんなにも、鼓動が止まらないんだよ……!?)
急に顔を真っ赤にして、九兵衛の隠れた魅力に惹かれ始めていた。その瞬間、クラインの心にあった抵抗の鎖は剥がれおち、彼女を一人の女性として認識するようになる。するとその気持ちを悟ってか、桂が静かにクラインの肩へと手を添えた。
「桂さん……」
「クライン殿。もしや君にとっての運命の相手は、九兵衛殿だったのかもしれないな」
「運命の相手……確かにそうかもしれないな!!」
後押しされたように決意を新たにして、彼は九兵衛の元まで歩きだし遂にナンパへと振り切ろうとする。
(そうだ……今までの仕打ちは全て、この瞬間の為の布石だったんだ! 俺がつい九兵衛さんの魅力に気付かなかったばっかりに、与えられてしまった試練だったのかもしれない……でもそれは過去の話! 魅力に気付いたならば、ナンパをする他はない! 今の俺なら、きっと大丈夫!)
前までは触れただけで投げ飛ばされてしまい酷い目にあっていたが、魅力を再発見した今、もうあの恐怖なんて存在しない。女性として受け入れるなら、きっと起きないと予測していた。そして……
「あの、九兵衛さん!!」
とうとう話しかけて彼女の手を握りしめる。その結末は、
「うわぁぁぁぁ!! 僕に触るなぁぁぁぁ!!」
「やっぱりかぁぁぁぁ!!」
お馴染みの投げ飛ばし攻撃を受けてしまった。容姿が変わろうと根本はまったく変わっていない。クラインの目も覚めたところで、彼は近くにあった木々の茂みへと不時着してしまう。妙に続いて理不尽な仕打ちをまたも受けてしまった。
「ダメだったか……」
一筋の可能性を信じていた桂も、これには頭を抱えてしまう始末である。こうして九兵衛へのナンパも失敗に終わってしまった。
数分後。再度応急処置をしてもらったクラインは、三度人通りへと姿を見せている。一方の桂は真選組にバレないようにと、未だに路地裏へ身を潜めていた。気を取り直してナンパと行きたいところだが、立て続けの失敗や仕打ちに脱力感を覚えており、やる気に関してはもう微塵も残っていない。トライシーバー越しの通信でも、その心境は分かりやすかった。
「もういい加減やめようぜ。これ以上ここで待っていても、何も進展しないと思うんだけど……」
「そう諦めるな。もしかすると、また知り合いにばったりと会うかもしれないだろ? そこが狙い目だ」
「といっても、猿飛さんや月詠さんなんて成功する気すらねぇよ! 色々と癖が強いし、とんでもない一面を持っているし……」
遂には似合わない後ろ向きな言葉まで口に出す始末である。ストーカー加害者でもあるあやめや酒乱の一面を持つ月詠に抵抗心を覚えるのは仕方ないことではあるが……。それでも桂は必死な説得を続けていた。
「ここが踏ん張り時だ。クライン殿が字数を稼いでくれたおかげで、残りも後少ない。オチまで持っていって、一気にとどめを決めるんだ!」
「だからどういうこと!? オチとかドラマじゃあるまいから、そこまで重視する必要は――」
メタ発言を交えながら話す桂に疑問を覚えながらも、クラインの意志は中々変わろうとしない。このまま状況を鑑みて桂自身も作戦を中断しようと考えていたその時である。
「おい! 何トライシーバーでコソコソと喋っているんだよ?」
またもある知り合いがクラインを見つけて声をかけてきた。しかしそれは、あまり嬉しいものではない。声を聞いた瞬間に、彼の脳裏には大きな緊張が走っていた。
(ま、まさか……)
早くも正体を悟っており、恐る恐る後ろへと振り返ってみる。そこにいたのは……
(や、やっぱり土方さんだ!!)
真選組副長の肩書きを持つ土方十四郎である。眼光を鋭くさせながら、こちらをじっと睨みつけていた。現在のクラインにとっては敵対すべき相手であり、土方を見た瞬間から反射的に体を震わせている。
(ヤ、ヤベェ……もしかして俺の肩書きを知って、捕まえに来たのか? だとしたらナンパどころじゃねぇよ! 桂さん助け――って、絶対黙り込んでいるよ……どうすれば?)
心の中では、絶対に表には出せない言葉を言い放ち、思いを存分に吐き出していた。逮捕への恐れもあったが、何よりも頼れるべき桂もこの状況では手も足も出せない。現にトライシーバーから聞こえるのは、誤魔化しを利かすためのコマーシャル音声である。
「こだまでしょうか? いいえ誰でも。OC~!」
(桂さん!? 聞いたことあるCMで誤魔化さないで! むしろバレるから!)
心でツッコミを交わしながらも、緊張は未だに解ける気配すら無い。多くの意味を含めて、クラインは現在最大の危機に陥ってしまった。一斉の油断が許されない中、ついに土方が声をかけてくる。
「って、お前は……」
「いや、違うんです!! 俺にとっての使命を曲げたくなかっただけなんです! だから土方さん! 見逃してくれないか!!」
悪あがきが如く説得を促したクラインであったが――
「おい、何言ってんだよ? 確かお前は、キリトやリーファの仲間の一人だったよな? こんなところで会うなんて、随分と奇遇じゃねぇか」
「えっ……アレ?」
なぜか土方は普通に接してきた。それどころか敵意を見せるような素振りもなく、目は鋭くても他は優しそうな雰囲気にも見えている。これらのことから彼は、自分の正体がまだ悟られていないと推測していた。
(これはもしかして、気付かれていないのか?)
下手に誤魔化すよりも、ここは正々堂々と話した方が無難である。そう確信すると、彼も気軽な感じで土方と話していく。
「どうした? 何黙ってんだよ?」
「い、いや……少し考え事していて」
「そうか。ていうか、テメェの名前って何て言うんだっけ?」
「ああ、クラインだよ。本名は壺井遼太郎って言うんだよ」
「壺にクラインか……随分とお手頃な名前に決めたんだな」
「いいや。しっかり来たのが、これしかなかったからだよ」
怪しまずにゆっくりと会話を進めて、攘夷志士だと悟られないようにと会話を進めていた。一方で桂も状況を理解しており、息を潜めながら二人の話に耳を傾けている。
「どうやらバレていないようだな……びっくりさせておいて……」
ひとまずはホッと安心していた。その後の会話も特に変わりはなく、土方もクラインを疑いはせずに場を進めている。
「そういえば、土方さんはパトロールの最中なのか?」
「まぁ、そんなところだよ。大事な会議をほったらかした長官を探し回ってんだよ」
「それは……ご苦労さんだな」
土方が探しているという長官が話題に上がったり、
「と言うか、クラインはこんな真昼間から何していたんだよ? 散歩でもしていたのか?」
「まぁ、そうだな。少しスランプなことがあって色々と考えていたんだが、中々思いつかなくてな」
「スランプか……人生生きてりゃ何度もあることだな。だが、どんなことがあっても投げ出さない方が良い結果を出すこともあるからな。焦らずゆっくりと見定めた方が、てめぇの身の為にもなると思うぜ」
「土方さん……」
何気ないアドバイスがクラインの心に響いたりと、会話は和やかな雰囲気のまま進んでいた。しばらく話すと、土方にも召集がかかったので丁度良いタイミングで話は打ち切られる。
「じゃ、この辺でな。達者でやれよ」
「ああ! ありがとよ!」
最後まで攘夷志士だと身バレせずに乗り切ったクラインは、離れていく土方を見ながらようやく緊張をほぐしていった。大きなヤマを越えたことには、彼も十分な達成感を覚えている。するとようやく、桂からの通信が再開された。
「クライン殿! 大丈夫であったか?」
「もちろん。何とか乗り切ったぜ」
「ふぅ……良かったな。しかしどうする? 奴が近くにいては俺も行動が制限される……ここらでやはり撤退するか?」
場の安全を考慮している桂は、慎重にも撤退を求めている。しかし、土方の言葉によってやる気を戻したクラインは、真逆な反応を示していた。
「いや! もう一回だけ挑戦してみるよ。ここらで諦めても情けないし、何よりせめて一つくらい収穫があってもいいからな」
「クライン殿……」
「俺はよ、いっつも不器用だから、理屈よりも根性で動く時があるんだよ。今がまさにその時だよ……だから桂さん! 最後くらいは俺に委ねてくれないか?」
気持ちのこもったクラインからの願い。もちろん桂にもよく伝わっており、その意見を快く受け入れることにした。
「……分かった。クライン殿が思い描く様にやってくれ!」
「ああ!」
了解を得ると同時に大きく返事を交わした。残るチャンスはあと一回……例え失敗してももう怖がったりはしない。今の自分ならではの全身全霊をかけて挑む……そうクラインは心に決めていた。すると丁度よく、可愛らしい女性を遠目で発見する。
「じゃ……あっ! あの子にしてみるか!」
「う、うん……いいんじゃないのか?」
「どうしたんだよ、急に歯切れが悪くなって? まさか桂さんが一目惚れしたってわけじゃないよな?」
「そういうことではないのだが……」
「まぁ、いいや! とりあえず最後のナンパくらいは、びしっと決めないとな!」
桂はやや苦い対応であったが、クラインの意志は変わることなく彼女へと勢いよく近づいていく。気合を込めて表情も一段とビシッと決まっていた。
「ヒュ―! そこのお嬢ちゃんー!」
ついに一歩手前まで近づいていった……その時である。
「てめぇ……」
「ん? って、うわぁぁぁ!?」
何者かによって、急に別の路地裏へと連れ去られてしまった。当然クラインは何が起こったのか分からず、状況をまったく理解できていない。
「痛ぁ……って、何すんだよ! 折角の俺の花道を――」
と引っ張った相手へ強気にも文句を言おうとしたのだが……
「ああ!? てめぇこそ、俺の娘に何手を出そうとしてんだぁ? ゴラァ?」
「は、はい?」
あまりの勢いを受けて返り討ちにあってしまった。彼がナンパしようとした相手は、警察庁長官を務める松平片栗虎の娘、松平栗子だったのである。土方が数分前に探していた長官は、娘の安否が不安で尾行していたようだ。当然クラインはこの事実をまったく知らないため、未だに何が起こっているのか分かっていない。しかも松平は拳銃を所持しており、ためらいもなくクラインへと差し向けて脅しにかけた。
「お前よぉ……俺の娘に手なんか出したらどうなるのか分かってんだろうな?」
「ど、どうなるんですか……?」
「腑抜けた野郎なら抹殺! これしかあるめぇよ」
「いや極端すぎねぇか!? あまりにも強引すぎるってば!!」
我流を通す松平の考えに、クラインもつい激しいツッコミを入れてしまう。しかし、彼の勢いは衰えることなくむしろ悪化の一途を辿っていた。
「おい、おめぇ。なぜ栗子に手を出そうと思った? 三秒以内に言わねぇとドタマぶち抜く……」
「えっ、嘘!? 待ってくれ!? アレはただのナンパであって……」
「一~」
〈バキューン!!〉
「って、二と三は!?」
「知らねぇな、そんな数字。男は一だけ覚えていりゃ、生きていけるんだよ。さぁ、言えアゴヒゲ男!! 俺の栗子に手を出した理由を!!」
「……な、何でナンパだけでこんな目に合わなきゃいけねぇんだよおぉぉぉ!!」
お得意の強制射撃まで披露して、クラインにさらなる恐怖を与えていく。彼の無常な響きが辺り一面に広がっていった。一方の栗子は何も気づくことなく、そのまま通り過ぎてしまう。果敢にもナンパへ挑戦したクラインであったが、今日は特に運が悪く散々な結果を残すだけであった。ちなみに桂はと言うと、
「クライン殿……可哀そうであるが、これでオチは完璧だな!!」
元も子もない事を口走っている。悪意はないのだが、今のクラインからすればただの煽りでしかない。今はただ時が過ぎるのを見守るしかないのだ。
「だ、誰か助けて~!!」
再び無常な叫び声が響き渡っていく……
第二章終了まであと一訓……チクショウ! 結局令和をまたぐことになったじゃねか!
というわけで、次回投稿は連休明けです。
次回予告
エギル「有給に付き合ってくれ?」
たま 「はい。たまにはエギル様のことも多く知りたいので、お願いできますか?」
エギル「構わないぜ。俺もたまさんの事を知りたいからな」
たま 「次回は私達が主役ですから、本腰を入れないといけませんね」
エギル「そんなに気合を入れないとダメなのか?」
たま 「次回、休みはとりあえずはっちゃけろ!」
エギル「たまさん……威勢いいな」