時期は一週間前に遡り、月日をまたいだ八月の終わり頃。静寂が漂う夜を迎えた江戸の町には、桂率いる攘夷党の面々がある宿屋に集結していた。近々実行される潜入捜査の概要を、桂は仲間達へと説明している。
「――以上が作戦の全てだな。オイルマッサージ店に訪れる幕府の重役から、貴重な情報を搾取することが最大の目的だ」
「おぉー! 遂にあの店へ行くんですね!」
「幕府の人間が常連だと噂されていたが……まさか本当だったとは」
説明を終えると同時に、志士達は次々と声を上げていく。みなこの作戦を好意的に捉えており、場は活気に満ち溢れていた。
桂の企てた潜入捜査は、幕府関係者が常連として通うオイルマッサージ店が標的である。今後の活動を有利に進めるためにも、貴重な情報を得る算段だった。
そこで肝心なのは、誰を捜査に任命するのかだが……?
「てか、その役目を一体誰にやらせるんだ?」
疑問に思った仲間が質問をすると、桂は自信満々に返答していく。
「フッ……それなら安心しろ。この作戦にぴったりの男を、すでに選んでいるからな。さぁ、入って来てくれ!」
「失礼します!」
どうやらすでに決めているようで、彼の合図とともにその人物が部屋に入ってくる。捜査に選ばれたのは――
「この度! 桂さんからの潜入捜査の命を受けた、クラインこと壺井遼太郎です! 懸命に頑張るので、よろしくお願いします!!」
攘夷志士初心者のクラインだった。有り余る元気で挨拶を交わし、仲間達へ向けて屈託のない笑顔を見せている。
彼の登場によって、場はちょっとしたざわつきが起こっていた。
「って、お前かい!?」
「どおりでいないと思ったら……」
「新人で大丈夫なのか!?」
衝撃を受けている者やツッコミをする者など、反応は様々である。新人のクラインが捜査に抜擢されるのは予想外だが……桂にはしっかりと選抜した理由があった。
「うむ。まぁまぁ落ち着いてくれ。クライン殿だが、幸運にもまだ幕府から目を付けられてはいない。さらにはこの容姿から、天人だとも誤魔化すことが出来る。その強みを生かして、俺はクライン殿に任せてみることにしたのだ!」
「おうよ! 初の大仕事だが、しっかり役目を果たしてやるぜ!」
「あぁ! みなも応援してくれよ!」
処遇や容姿と言った彼ならではの利点を話していき、クラインもまた意気込んで言葉を返している。自身の使命に強い誇りを持っており、大いなるやる気に溢れていた。
それでもなお、仲間達の反応は微妙なままだったが。
「本当に大丈夫なのか?」
「指名手配されてない限りは、大丈夫だと思うが……」
〔まぁ、クラインも精々頑張りな!〕
様子を見ていたエリザベスからは、上から目線なプラカードが掲げられている。桂のノリを受け入れるクラインの姿勢に、彼も呆れを感じているようだ。
仲間達からの期待と不安を背負い、攘夷党の新しい作戦がこうして幕を開いた。
翌日になると、すでに作戦が決行に移されている。クラインは変装をしており、黄色い眼鏡をかけて、白いバンダナを頭に巻き、クラジと言う出稼ぎの天人になりすましていた。対象のオイルマッサージ店に弟子入りを志願して、店長からは許しを貰い、店に雇われることになる。
日々雑用をこなして、施術の指導を受ける傍らで、幕府関係者が来客するのをじっと待っていた。店長との関係も上々であり、上手く誤魔化しながら師弟関係を続けている。全ては攘夷党の目的の為に、どんな苦行にも耐え抜いていた。
――そして潜入捜査から、約一週間が経過した頃。九月へと月日が変わり、クライン自身もこの生活に慣れを覚え始めている。変わらない日常の中で、今日は彼にとって絶好の好機が訪れていた。
場面はクラインと店長の会話から始まっていく。
「えっとな、クラジ。今日の予約客は一人なのだが、ウチの大切な常連である土方十四郎氏がもうじき来店する。折角の機会だから、俺の施術をしっかりと見ておけよ!」
「はい、分かっています!」
「いい返事だ。それじゃ、よろしく頼むぞ」
意気込んで要件を伝えると、店長はその場を離れて別室に向かう。一方のクラインだが、一人残された部屋で大いにテンションを高めていた。
(よっしゃー! 遂に幕府の人間がやって来たぜ!! こっそりと情報を掴んでやるぞ!)
喜びの表情を浮かべて、内心舞い上がっている。幕府の人間である土方の来店をここぞとばかりに嬉しがったが、同時に一抹の不安もよぎっていた。
(でも正体とかバレないよな? 変装もしているから、大丈夫だと思うが……)
彼とは過去にも対面した経緯があり、正体を見透かされないか気にしている。
いずれにしても、この機会を逃すわけにはいかない。機密情報を聞き出すためにも、次第に躍起となっていた。
だがしかし……突如としてその計画に狂いが生じてしまう。
「もしもし。オイルマッサージ店サラマですが……何!? 例の攻略本が、入荷をした!? もう列が出来ている!? 分かった、今すぐ向かう!!」
「えっ、攻略本?」
別室から聞こえてきたのは、店長の驚嘆とした大声。某ゲームの攻略本の入荷を聞きつけて、彼の気持ちに変化が訪れている。
そして電話を切ると、急いでクラインの元に戻り、新しい指示を与えていた。
「クラジ……」
「は、はい? 何でしょうか?」
「突然だが、俺には急用が出来た! 土方さんがここに来たら、事情を説明して応対しろ! どうしても俺に用があったら、連絡しろよ!! 後はお前に任せる!!」
「ちょ!? 店長!?」
なんと今後の応対を、全てクラインへと丸投げしてしまう。自身は一心不乱に裏口から退店して、書店に足を進めていく。常軌を逸した店長の行動力には、彼も止めることは出来なかった。
「絶対に攻略本を買いに行っただろ。そんなにアバウトで良いのか?」
唖然とした表情で、ボソッと本音を呟いている。店長の変わった趣味には、つい意外性を感じていたが……。
結果的に店長の不在となったが、これはクラインにとってもよくない状況であった。
「てか、俺だけで土方さんに説得するのか……えっ!? 難しくね!?」
土方との対面を余儀なくされてしまい、徐々に焦りが生じている。彼の気難しい性格を知っているため、上手く話をまとめられるか、さらなる不安を覚えていた。
そう心に察していた時には、もう手遅れである。
「頼もうか! 予約した土方だが、誰かいるのか?」
「って、もう来てる!?」
ロビーから聞こえてきたのは男の大声。なんとも悪いタイミングで、土方が来店してきた。彼との距離はもう目と鼻の先にある。
(し、仕方ない。一人でも立ち向かうか……!)
もはや説得するしか選択肢は無く、クラインは覚悟を決めてロビーに向かう。がむしゃらな心構えで、土方との対面に挑んでいた。
「い、いらっしゃいませ……!」
まずは作り笑いをして、真摯な振る舞いで挨拶をする。
「随分と遅かったな。さっきから声をかけて――てか、お前誰だ?」
若干苛立っていた土方が前を向くと、すぐにクラインの存在に気が付いた。見慣れない顔を凝視しており、彼を怪しむように睨みを利かせていく。
(や、やっぱり聞かれた。ここはもうあの嘘で通すしかない!)
ここまではクラインも想定内であり、彼は迷いなく偽のプロフィールを元に返答をする。
「お、俺はクラジだよ! 出稼ぎの天人でな、ここの店に弟子入りをしたんだ! 店長とは師弟関係なんだよ!」
微妙に声色を調整して、陽気な性格の天人を演じていた。弟子の部分を強調して、必死に怪しまれないようにしている。この挨拶に土方の反応はと言うと、
「クラジって言うのか……」
(ヤバい……バレているか?)
「要するに新人かよ。あの店長、また天人を雇ったのか?」
(おっ、これは気が付いていないか!?)
考え込む素振りは見せたものの、特に疑わずに信じていた。内心ではクラインも戦々恐々としていたが、何事も無くて一安心している。下手を踏まない限りは、誤魔化せそうであった。
「そ、そうですよ! 日ごろから店長には、色々とお世話になっているんです!」
「そうかい。それならいいんだが……店長はどこにいるんだよ?」
「あっ店長なら……急用で出かけていて」
「またなのか? あの先走る性格は、どうにかならねぇのか?」
(って、それは日常茶飯事なんだ)
その後の会話も難なく進んでいき、店長の一件も伝えられている。土方の手慣れた様子からは、彼の突飛な行動は珍しくないようだが。
適宜心の中でツッコミを入れながらも、クラインは土方の機嫌を伺いつつ、応対を続けていた。
「もし良かったら、店長が来るまでここで待ちますか? すぐに戻ってくると思いますし」
「いやいや、店長ならすぐに寄り道するから、そう早くは戻ってこねぇよ」
「そ、そうですか……では、別の日に予約を」
「今月はもう難しいな。勤務や予定も入っているし……」
(って、全然噛み合わねぇ!?)
ところが代替案を立てようとも、土方は頑として首を振らない。中々交渉が上手くいかず、クラインももどかしさを感じる始末である。
このまま穏便に済ましたいところだが――土方にはとある考えが閃いていた。
「何としてもこの時間が良いが……あっ、そうだ。店長の弟子だったら、もうお前の施術でも構わねぇよ」
「そうか、俺のでも良い……って、はい!? それどういうことだ!?」
どうやら弟子の話を信じており、クラインに向かって施術を委ねてきている。彼の提案には本人も困惑しており、つい耳を疑ってしまった。
「何を驚いてんだよ? 弟子って言っても、多少は教えられているんだろ? 時間もないからアマチュアでもいいんだよ。こっちは」
「いや、そう言われても……俺に何か」
「そう謙遜はするな。下手でも俺は怒らねぇからよ」
(そういう問題じゃないんだけど!?)
当然クラインは断るのだが、土方も提案を折ろうとはしない。時間の都合もあって、どうしても通そうとしている。
「とりあえず、お前に任せてみるわ。俺は着替えるから、しっかり準備はしておけよ」
仕舞いには強制的に、自らの足で更衣室へと向かってしまう。もはやクラインの意志とはお構いなく、勝手に話を進めていた。
(いやいや、何で勝手に決まっているの!? さっきから、強引な人ばかりじゃねぇか!?)
店長の件と引き続き、今日のクラインは変装のせいか押しが弱い。穏便に済ますどころか、予想もしない展開に巻き込まれてしまう。
この状況下では店長を待たずとも、自分自身で乗り切るしか方法は無かった。
(これじゃ、俺の手でやらなきゃいけねぇだろ……施術なんて、上手く出来るのか?)
強い責任感を心に感じながら、彼はどんよりした気持ちで施術室に向かう。施術法に関しては、基礎を教えられているだけであり、他はさっぱりである。
店長の不在が、クラインの活動に大きく影響をしていた。現在の彼の心境では、早く店に戻ってきてほしい。ただそれだけである……
土方の来店から数分が経過した頃。場面はいよいよ施術室へと変わっている。彼は上半身のみを裸にして、診察台の上で背中を向けてうつ伏せになっていた。目も閉じており、早くもリラックスな気持ちに浸っている。
そしてクラインは、神経質な心構えで準備を施していた。
(この手順で合っているよな? とりあえず、作戦通りにやってみるか)
本来の予定とは大きく異なるが、それでも作戦の軸だけは忘れていない。油断をしている土方から情報を引き出す……改めてこの一点を意識に入れていた。
紆余曲折はあったが、遂に施術が始まっている。
「じゃ、始めていきますね」
「おう。最初にオイルを頼めるか? 種類はMのN2で頼む」
「はい、オイルですね! えっと……もう一回お願いできますか?」
「MのN2だよ。右端の棚に入っているはずだぞ。赤いキャップも付いているかな」
「は、はい! 探してきます!」
開始早々に土方から、オイルの注文が入っていた。聞き慣れない種類に戸惑ったが、一応実在しているものらしい。彼の言われた通りに、右端の棚を隈なく探していく。
「そんな名前のオイル、聞いたことないぞ。えっと……これか」
注意深く見てみると、すぐに赤いキャップの付いたオイルを発見していた。しかし、
「えっ、これなの!?」
その正体はどこからどう見ても、ただのマヨネーズである。一瞬判断に迷ったのだが、クラインは一応土方へ聞いてみることにした。
「あの……まさかこのマヨネーズじゃありませんよね?」
「いや、それで合っているぞ」
「ハハ、そうですよね――って、えぇぇぇ!? 合っていたのかよ!?」
想定外の返答を聞いて、思わず一人ツッコミを繰り出す。この見た目そのままのマヨネーズこそが、土方お気に入りのオイルだという。
「あぁ。このオイルは俺の特注で用意してもらった代物だよ。ドロっとねちねちした黄色い液体……限りなくオイルの感触に近づけたマヨネーズだ」
(って、途中からマヨネーズになっているじゃねぇかよ!)
滑らかな口調で説明をしていたが、要するにただのマヨネーズである。その真意に気が付いたクラインだったが、あえて深くは追及しなかった。
土方の重度なマヨネーズ愛は、桂からも聞かされていたが、その愛情は度を越している。クラインは思わず気を引かしていたが、土方はさも当たり前のようにマヨネーズを催促していく。
「とにかく塗りながらほぐしてくれ。油で手が滑るから、気を付けとけよ」
気の抜けた声で注意を加えている。しかしクラインからすれば、オイル代わりのマヨネーズはかなりの抵抗心を感じていた。
(いや……手に付けたくねぇ。普通のオイルならまだしても、マヨネーズって何!? 特殊過ぎて、何も言葉が出てこねぇよ!)
特殊な相手にぶち当たった故の困難。状況を受け入れられず、体も固まってしまう。
けれども――覚悟を決めなければ、前に進むことなど出来ない。無理にでも自身の使命を思い起こして、抵抗心を無くしていく。
(――いいや。それでも俺には使命があるんだ! 情報を盗聴するくらい、マヨネーズがなんだ! これに恐れる限りは、本物の侍になんかならねぇよ! やるぞ、クライン! これが俺なりの武士道だぁぁ!!)
咄嗟に湧き出た気合から恐れを跳ね除けて、がむしゃらにもマヨネーズをまんべんなく手に塗りたくる。そして土方の背中を揉み解すように、塗りたくっていく。
「あー気持ちいいなー」
「そ、そうですか……(こっちは色々と心苦しいけどな!)」
癒しの一時を楽しむ土方と、苦しさを我慢して涙を飲むクライン。高低差の激しいテンションの施術は、これから三十分間も続いていった。
こうして予定通りに三十分が過ぎた頃。施術は何事も無く終わっていた。再び着替えを終えた土方は、ロビーにて支払いを済ましている。最後まで応対をしてくれたクラジことクラインには、彼の施術の腕をべた褒めしていた。
「あぁースッキリしたな! 店長と似た感触で、だいぶ満足したよ。良い腕持っているじゃないのか?」
「そ、それはどうも……ありがとう」
快く褒められていることには、クラインも愛想よく返している。それよりも今は、未だに手に残っているヌルヌルした感触を、取りたくて仕方が無かった。
(まだ腕がヌルヌルしている……もうマヨネーズは、絶対もう使いたくねぇ)
これでも入念に手洗いをした方であり、中々落ちずにしばらくはこの感覚に付き合わなければならない。勢いのままに行った施術は、思わぬ結果を生み出している。
しかし、決して悪いことばかりでは無かった。
(でもこれで、ようやく土方さんとはおさらばできる! 情報もある程度得たし、俺の役目もこれで終わりだな)
最大の目的だった情報搾取には辛うじて成功しており、潜入捜査の役目を果たしている。この結果には、クラインもこっそりと嬉しく感じていた。店長不在でも良くやったと、つい自画自賛をしている。
「それじゃな。達者でやれよ」
「はい、ありがとうございました!」
根本の気持ちは異なるが、土方も上機嫌に退店しようとしていた。結局はクラインのことを気付かずに、邂逅を終えている。
このまま何事も無く終わるはず――共にそう思っていた時であった。
〈ピロロロ!〉
「ん? 電話か?」
突如として土方の携帯電話が、大きく鳴り響いている。即座に着信へ出てみると、それは上層部からの指示であった。
「もしもし、土方ですが――何!? あのお方がこちらに向かっている!? ついでに、護衛に付けだと!? おい、それ本当なのか……って、もう切ったな」
(な、なんだ今の会話?)
言うべきことを言った途端に、上層部からの電話が切れてしまう。彼の驚いた反応や口調からは、クラインもどこか嫌な予感を覚えていく。どうやら護衛を任されたようだが。すると土方はクラインの方へ振り向き、真剣な表情でとある仕事を相談してきた。
「おい、クラジ」
「は、はい? 何でしょうか?」
「ちょいと大仕事がお前に入ったぞ。もし成果が出れば、飛び級すること間違いないぜ」
「ど、どういうことだ!?」
「勘が鈍いな……将軍様だよ。今こっちに向かっているそうだ」
「しょ、将軍様?」
予想外の言葉が次々と飛び出して、またもクラインを困惑させてしまう。特に気にしていたのは、大仕事や将軍様と言ったにわかに信じがたい言葉である。その真意だが、何一つ間違ってはいなかった。
「聞いたことあんだろ。この国を治める上様のことだよ。おっ、もう来たそうだな」
さらっと重要そうな一言を告げると、彼はその上様を迎える為に外へと出ている。将軍様や上様と言った表現を聞き入れて、クラインはさらなる嫌な予感を察していく。
(う、嘘だろ……将軍って、あの将軍だよな。まさか本物……!?)
急に緊張感が高まってしまい、心臓の鼓動も早くなっている。自分自身でも必死に衝動を抑え込んでいたが――遂に噂の将軍が目の前にやって来ていた。
「将軍様。ようこそおいでなさいました」
店に戻った土方は、敬礼で真摯に出迎えていく。そしてやって来たのは、明らかにオーラの異なる若い男性であった。
「うむ。ここが噂のオイルマッサージ屋か。余の心も癒してくれるといいな」
(ナッ!?)
目に見えない眩い光が、クラインにも襲い掛かっている。来店をしたのは丁髷姿の男性であり、光沢のある派手な法被を着こなし、表情を何一つ変えずに歩んでいた。きっちりとした目つきで、クラインにも目線を向けている。
その異様な出で立ちの通りに、彼こそがまごうことなき本物の将軍様こと徳川茂茂であった。
(ほ、ほ、本物の将軍かよぉぉぉぉぉ!?)
もはやお決まりのツッコミも、クラインも内心繰り出していく。話や写真程度でしか触れなかった将軍様が、目の前にいることに驚きが止まらなかった。
(嘘だろ!? 敵の本丸がこんなあっさり来て良いの!? とても大物過ぎて、どうすればいいのか分からないのだが!?)
次々と思い浮かんでいく激しいツッコミ。心の中にて何度も繰り返しているせいか、表情や外観にも影響が出ている。
そんなクラインに対しては、土方も小声である助言を告げていた。
「ほら、アレが天下の将軍様だ。店長がいない今は、お前の手にかかっているんだぞ」
「いや……俺に出来るのか!?」
「大丈夫だ、俺が保証する。ただし……将軍様の気だけは損ねるなよ。言われたことは絶対に何でも応じろ。それさえ守れば、無事に生きられるだろうな」
(いやいや、物騒だろ! 生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのか、俺!?)
明確に伝えていたつもりだが、さらなるプレッシャーを与えてしまう。強ち間違ったことは言っていないが、クラインにとっては刺激的である。
「さぁ、将軍様。ひとまずは更衣室で着替えてもらえるか?」
「うむ、分かった。案内をしてもらえるか?」
「了解だ。俺についてきてくれ」
そう驚嘆している間にも、着々と準備が進められていた。土方は茂茂を更衣室へと連れていき、着替えの手伝いを行っている。
もうクラインにとっては、断るという選択肢は残されていなかった。
(ど、どうするんだ!? 俺にこんな大役、出来ねぇって!!)
軽い潜入捜査のつもりが、とんでもない出来事に繋がっている。豪運なのか不運なのかは、自分でもはっきりと分かっていない。逃げ出したい気持ちで一杯だが、良心が邪魔をして行動には移せていなかった。
そして時はあっという間に過ぎていき、気が付いた時にはもう遅い。施術室には茂茂が台の上で、うつ伏せに寝ているではないか。もちろんその部屋には、断れなかったクラインもちゃんと同席している。
「では、よろしく頼む」
「は、はい……」
多くは語らずに茂茂はリラックスな気持ちで、施術を大いに楽しみにしていた。
だがしかし、一方のクラインは緊張感がまったく解けていない。目には見えないプレッシャーが心を覆っており、一つ一つの行動に重い責任を感じ取っている。
(なんで気付いたら、こうなっているの!? もう訳分かんねぇよぉ!?)
内心では本音のままに、激しいツッコミを繰り出していく。目の前に茂茂がいることに対して、未だに受け入れられなかった。
(お、お、落ち着け俺!! 下手を踏まない限りは大丈夫だ! むしろこれをチャンスだと思い込め!)
どうにか落ち着こうとするが、体の震えは止まらない。相手の身分が高すぎる為、神経質にも失敗を恐れてしまう。好機だと思い込んでも、心ではそんな余裕は無かった。
ただ唯一の救いとしては、お目付け役の土方が部屋の外で待機していることである。
(とりま土方さんも、施術室にはいない! しっかりとやれば、何も怖くはないはずだ! この施術が終わったら、もう何が何でも逃げよう!)
そう自分に言い聞かせながら、否が応でも意を決していく。この大役を終えた後には、攘夷党に必ず戻ると心に強く誓っていた。
そんな矢先に茂茂は、早速施術への要望を伝えている。
「それでは一つ、余からも頼めるか?」
「は、はい! 何でしょうか……?」
肝心である最初の一手。何が来てもいいように、クラインは心構えをしていたが――その要望は明らかに困惑する内容であった。
「この部屋の空気は、中々に心地よく感じるな」
「あーそれはですね、さっきのお客様が使用したオイルなんですよ。いやオイルと言うか、結構特殊なものでして……」
「そうか……では、そのオイルを塗ってもらえるか?」
「かしこまりました、ってはい!?」
なんと茂茂は、オイルでもないマヨネーズの匂いを気に入っており、直感的にも注文をしている。事情を知っているクラインからすれば、どうしても変更をしたいところだが。
「いや……それよりももっと良い品種もあるので、そちらにした方が」
「いいや。そのオイルで頼む」
「しかし、癖がありまして……」
「構わない。どうしてもそれが良いのだ。素直に聞いてはくれぬか?」
やはり説得をしても、茂茂の意見が変わることは無かった。彼の表情は見えていないが、気持ちの強さだけはどことなく感じている。先行きが怪しくなる一方で、クラインは土方のある一言を思い出していた。
〈将軍様の気だけは損ねるなよ。言われたことは絶対に何でも応じろ。それさえ守れば、無事に生きられるだろうな〉
(ヤバい……これは素直に応じないと、絶対に抹殺される!!)
将軍様の気だけは損ねるな。この言葉だけが、何度も心の中で繰り返されていく。
未だに抵抗心を拭いきれないが、抹殺されるよりはマシである。そう読み取っていたクラインは、遂に迷いを振り切っていた。
「わ、分かりました! 只今オイルを用意します!」
「あぁ、ありがとう。よろしく頼む」
彼は逆上されるのを覚悟に、茂茂をマヨネーズまみれにすることを決めている。ここまで来るともう、考えるのを放棄してヤケクソな精神で挑んでいた。先程よりも多くマヨネーズを手に塗りたくり、勢いのままに茂茂の体全体に馴染ませていく。
(もうこの先なんて、知るかぁぁ!! 隙を見て、俺はもう逃げるぞ!!)
薄っすらと滲み出る涙を堪えながら、彼なりの施術は続いていた。クラインにとってもこれは、精神的にもだいぶ追い込まれている。
一方の茂茂だが、マヨネーズとは気付いておらず、次第にそっと眠りに着いていく。
約束通りに施術を行ったところで、クラインはこっそりと荷物をまとめて、裏口から逃亡している。
それから数分が経過した頃。書店にて攻略本を入手した店長は、上機嫌なままマッサージ店へと戻ってきていた。
「いやーようやく買えたな。これで万々歳だぜ……って、アレ? 土方さんか?」
ロビーから入ると、そこには待機を続けている土方の姿を目にしている。さらに彼もまた、店長の存在に気が付いていた。
「あん、店長か? 随分と遅かったじゃねぇかよ」
「いやそれよりも、施術の方はどうしたんだよ?」
「クラジって言う、アンタの弟子にやってもらったよ。ついでに今は、将軍様の施術を行っているよ」
「何、クラジがだと!? というか、将軍様も来ているのか!?」
大方の説明を聞き、店長は素直に仰天している。自分がいない間に多くの物事が進んでいたようだ。
「もう数十分も前からだな。そういえばやけに静かだが、もう終わっているのか?」
その一方で土方は、説明を終えると施術室の様子を気にしている。一段と静まり返っているので、てっきり終わったものだと思い込んでいた。
二人は揃って、施術室に入ってみることにする。
「おい、クラジ! もう終わったのか? 将軍様は……」
と声掛けをしつつ周りを見てみると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。
「こ、これは……」
「どうしたんだい? 一体……」
さらには店長も見てみると、理解が出来ずに絶句してしまう。
そこにいたのは――マヨネーズで体全体を乗り固められた将軍の姿である。
「って、何だこれは!?」
「おい、しっかりしろ将軍様!? ていうか、クラジはどこへ行ったんだ!?」
いまいち事態を飲み込めずに、大きく取り乱している二人。状況を知っているはずのクラジことクラインも、すでに部屋からはいなくなっていた。
だが一方の茂茂だが、まだ自身の状態には気付いていない。微笑みを浮かべながら、心地よく眠りに着いている。
「重い……けれども心地よい」
そう言い残すと、また深い眠りに戻っていった。
「将軍様! しっかりしろぉぉ!」
「クラジ!? お前何をやった!? って、どこへ行ったんだ!?」
てっきり気絶したと思い込んだ土方らは、さらなる混乱に陥ってしまう。理由が分からないままに、まずは将軍を起こすことに躍起となっていた。現場の騒動は続きそうである。
そして逃げ出したクラインの方だが、
(もう知るかぁぁ! 帰らせてくれぇぇ!!)
目に見えないプレッシャーに押し潰されてしまい、予定より早く潜入捜査から引き上げていた。心の中で叫び続けながら、懸命に桂達のいるアジトへと戻っている。
その日の夜頃。無事にアジトへと戻ったクラインは、桂達に向けて結果報告を行っていた。変装もバレずに情報を得たことに、彼は大変褒め称えている。
ところが途中で逃げ出したことで、面倒くさい状況にも発展していた。
『続いてのニュースです。本日の昼頃、マッサージ店を訪れた将軍公に多量のマヨネーズを塗り付けたとして、自称天人のクラジを指名手配にしました。現在も逃亡しており、真選組は早急な確保と証拠の発見に迅速するとのことです――』
テレビに映し出された茂茂に関わる騒動。彼をマヨネーズまみれにしたとして、クラインの変装姿が大々的に指名手配となっている。幸いにも自身の変装なので、影響はそこまで無いと思われるが……彼にとっては手痛い失敗ではあった。
この報道されたニュースに、桂の反応は意外にも喜んでいる。
「良くやったぞ、クライン! 敵の本丸に精神的苦痛を与えるとは大したものだ! これは名誉ある指名手配だぞ! もっと喜んでも良いのだぞ!」
「ハハ……どうせなら、もっとマシな理由で手配されたかったよ」
茂茂にも攻撃的な側面を知って、よりクラインのことを見直していた。
だがそこに至るまでの過程は、過度なプレッシャーから生まれた乱心的な行動だと本人はよく知っている。精神的苦痛を与えられたのは、むしろ彼の方であった。
(桂さんには詳しいことを言うのは止めておこう……しばらくは潜入捜査はやらなくても良いかもな……)
攘夷浪士や捜査としての苦労や、敵対組織の個性を改めて思い知り、クラインも侍として成長を果たしている。
こうして彼の初めての大仕事は幕を下ろしていた。
ちなみにこのニュースは、他の仲間達にも伝わっている。
「なぁ、キリト。一ついいか?」
「どうしたの、銀さん?」
「クラインが指名手配されているぞ」
「ふーん。そう……って、ふわぁ!?」
キリトも当然の反応であった。
まさかの将軍様参戦! 皆さん、お待たせいたしました! 登場早々にマヨネーズまみれになるなんて……もういつも通りですね(笑)
そしてクラインも記念すべき指名手配へ! 変装した姿の方だけど、本物だとバレるのもそう遠くはないのかも……
次回予告
たま「そういえばリズベットさんは、普段からどのように生活しているのでしょうか?」
リズ「そんな特別なことはしてないわよ。みんなとご飯食べたり、お風呂入ったり……」
たま「要するに風俗嬢はしていないと」
リズ「って、している訳ないでしょうが!! 流石に遠慮するわよ!!」
たま「次回。地方自慢に限って、穴場スポットは知っていない」