目を開いて顔を上げる。
頭の中は明瞭だ。
折りたたまれた身体をゆっくりと起こし、立ち上がる。
空気の流れる音とその不可視が私の周りを纏わりつく感覚があり、私が今いる場所がギルバートの住居の前であることを確認する。不愉快に思われる酷い臭気の香を目で追い、赤い光を宿すカンテラの下、窓から聞きなれた咳の音がしてそちらに近寄る。
その窓を指の第二関節で叩く。何度も済まないが、と声をかけると「あぁ、先ほどの……獣狩りの方」と知った声がした。
人の声。人の言葉。私に敵意を向けるでもなく、得たいの知れないものでもない。
私が知りうる限り普通である人間の言葉と声。
伝えるのを忘れていたのだがと言い、ヨセフカが言っていたことをギルバートに伝えた。
「あぁ……そうですか。それをわざわざ? はは、あなたは……少し、人を気にかけすぎるのではないですか? ……いや、……ヤーナムの人間が排他的なのでしょう。私も……知らず知らずのうちに、毒されていたようだ……。はは、分かりました。彼女のところには……行きませんよ……獣狩りの方、お気をつけて……」
ギルバートの言葉に礼を言う。
あぁそうだ、もう一つ訊きたいことがあったんだった。
私が彼のところに訪れてからどれくらいの時間が経っているのだろうか。
「……? 十数分前、ですよ」
私は再度礼を言ってその場から離れた。
市街地に降りるための道を歩き、見慣れた土嚢や壁に立て掛けられた棺桶を素通りし、短な橋の上を足音を立てないように慎重に進む。私の視界に不自然に積まれた木箱や樽の壁が入り込み、手に持ったノコギリ鉈を確かめるように握りしめる。
バリケードの正面、少し離れたところに立ち細く深呼吸をする。
終えると足に力を込めて走り出し木箱や樽に体当たりをした。
盛大な音を立てて向こう側に崩れていくバリケード。何個かこちら側に落ちてきたが幸い私に当たることは無かった。
近くから樽が肉に当たる鈍い音とくぐもった悲鳴が聴こえた。
樽の雪崩が収まるのを待ち、階段の下に転がり落ちていく様を眺めて木箱に乗り上げる。尻もちをついて驚いた顔でこちらを見る獣を確認し、ノコギリ鉈を振り上げてソイツに飛びかかった。
ソイツは自分の武器を探すように目を私から離した。ノコギリ鉈はソイツの顔面、胸元を大きく切り裂く。赤い血が飛び散り私を汚す。ソイツは痛みに小さく悲鳴を上げて顔を庇った。庇った腕に向けて再度ノコギリ鉈を振り下ろし、ガリガリと削っていく。
あぃあぁああぁ、と言葉になっていないか細く可愛らしい、情けなく怯えた悲鳴を上げるソイツは戦意を喪失したのかその場に蹲ってただただ私からの暴力を受け入れる姿勢になる。
これなら、と私はノコギリ鉈を振るう手を止めて武器を変形させた。
ガシャリと小気味の良い音がする。
ソイツは息も絶え絶えに腕の間から私を伺い、私が身体全体で大きく地面を削るように武器を振るう様を見て目を見開いた。ガリガリと地面を削って渾身の力で縦一直線に切り上げる。投げだした両足の間、股間から交差された腕のところまで一気に肉を抉る。骨に当たる硬質な感触、内臓を引っ張る柔らかな感触、肉を切り裂く鈍い感触、――すべてが血に塗れる。
変形させたノコギリ鉈に付いた血を払い、もう一度ガシャリと変形させた頃には壁に寄りかかる獣の開きが出来上がっていた。
今回は非常に上手く出来た。
どうやら私も腕を上げているようだ。
鼻を鳴らして少し得意になっていると階段の下から木盾を持った松明野郎と鎌を持った獣が姿を見せた。
階段の下には樽が散乱している。それらを避けるように鎌を持った獣がまず私に怒りの目を向けて迫ってきた。
見たことのある振り上げを銃の側面で軽く払う。金属同士の音が鳴り、鎌を持った獣は私に無防備に身体をさらけ出した。一歩階段を下りてソイツとの距離を詰め、体勢を崩しかけているソイツの胴体に蹴りを入れる。
ソイツは踏ん張ることもできず無様に階段から転げ落ち下の松明野郎を巻き込んで倒れた。
二匹が重なっている。
これなら、と階段の途中から飛んだ。
短い飛距離の間に身体を畳み、ノコギリ鉈を下にし片足を刃の背に乗せる。
私の全体重を乗せたノコギリ鉈は折り重なった二匹の上に滑り、何本もの肋骨が折れる音と感触が伝わってきた。片足に負荷がかかり、軋む。不安定な足場でバランスを取れる程器用ではない私は、そのまま無様に滑って尻もちをついた。
鉈に乗せていた足の神経が悲鳴をあげている。しばらくの間その場で悶絶した。
獣二匹も似たような状態らしく、血を吐く音と途切れ途切れの荒い呼吸と共に転がっている。
松明の火が樽に燃え移り、二匹が血反吐を吐きながら地面を這いつくばってその場から逃げ出そうとし始めた。周囲には燃え移りそうなものは多くある。私も離脱しないと巻き込まれてしまうだろう。
だが、逃がすものか。
ずりずりと這いずるソイツらに、変形させてリーチを長くしたノコギリ鉈を振るう。
腕を浅く切り裂いただけだったが獣共の動きが止まる。私に向けて何かを喚き散らしながら腕を振るい、私からの干渉を拒絶しようとする。
それが許されると思っているのだろうか。
骨の内側に響く痛みはまだあるが、立ち上がれない程ではない。
ゆるりと立ち上がって這いずる二匹の傍に行く。
獣共は目に見えて怯え始めた。
何かを言っているが分からない。
ノコギリ部分で邪魔な腕を切り裂く。
切断までには至らないが動きが鈍くなった。それぞれの二本の腕を裂き、ソイツらの声に嗚咽が混じったところで止めて腹を蹴りあげた。私よりも体重が重たいソイツらはそれほど動くことは無かったので、私は屈んでソイツらを火の側にへと押す。
獣が喚き散らしている。火を嫌がっている。
じりじりと熱が私の顔を熱し、汗が伝った。
ぎゃあぎゃあと叫ぶソイツらは無我夢中で腕や足を振り回し私に血を塗りたくっていく。
あぁ鬱陶しい。
さっさと焼かれろ。
お前たちは天上にへと行くんだ。
人として生を終わらせることのなんと素晴らしいことか。
獣性に身を浸し、人として生きれない生がどれほど憐れなことかを知らずに、ただ息をして病をまき散らす存在になり果てる事がどれほど人として醜悪なのかも分からずに、のうのうと生きるだなんてそんなことが許されるはずが無いのだ。
あまりの鬱陶しさに銃の持ち手の底で顔面を殴りつける。
逃れようとするのを追い、何度も殴りつける。
あぁ鬱陶しい。これだったらノコギリ鉈で存分に切り裂いた方が早かったのではないか?
そう思いつつ黙々と殴り、一匹がぐったりとしたところで解放する。もう一匹の方は血を流しすぎたせいか朦朧とした目を私に向けていた。
次々と樽に燃え移り火が這いよって来る。私は二匹を置いてその場から離れた。
ソイツらの服に引火し、じりじりと焼けていく。
意識があるせいか二匹はそれでも逃れようと憐れにももがいていた。
私にも流石に思うところがあった。
痛みを与えたいわけではない。
ソイツらに銃を向けて、よく狙いを定めて撃つ。
見事頭に命中し動かなくなった。
カチッカチッと銃が虚しい音を立てる。
…… …… 銃弾を使い切ってしまったようだ。
ポーチの中にももう無い。調達しないといけないか。
私は軽く辺りを見回して火がこれ以上燃え広がらないか確認する。
恐らく大丈夫だとは思うのだが。
大丈夫では無かったとしてもいいだろう。
私はなんとなくだが予感をしていた。
このヤーナムに来てから、悪夢に足を踏み入れたような奇妙な事象を体感した。私が今まで培ってきた常識を覆し、現実でありながら御伽噺のような事が多く起こった。何度考えても、どう考えても常識に当てはまらない現象が多く起こるこの場所で、火事のことを心配する意味などあるのだろうか?
火事なぞ所詮現実のこと。常識の範囲内のことだ。
夢の中で起きたことが現実に影響するだろうか?
ここが現実だという認識をしているが、私はどうしても奇妙に足元が浮つく感覚が抜けきれなかった。
熱気が当たらないように距離を取りしばらくの間火葬を眺める。
火はそれ以上燃え広がらず、徐々に鎮火していった。