広場から獣がいなくなった。
顔を少し出していた馬車から様子を伺いづつ、するりと近くの階段まで移動する。
馬車の傍で事切れている獣に奪った銃を放り返してやり、数段ほど段差をあがった。通路の側面を切り込んで作られた階段の半ばで止まり、転落防止用の柵の隙間から獣を探す。少し視界が高くなっただけで広場の様子が先程よりも観察しやすくなる。
私の見える範囲には三匹程度。
火炙りにされている磔の巨大な獣を見上げているモノ。
私が階段をあがった先に続いている通路の遠くに斧を持った長身のモノ。
この通路の対岸、反対側にもある通路の上をうろついている銃を持ったモノ、だ。
何度か辺りを確認するために身を乗り出しつつ、これ以上いないかと探り、三匹以外の動きがないことにソイツらを駆除すれば先に進めると判断する。
このぐらいならいけるだろうか。
できれば各個撃破と行きたいところだが。
一対一なら今まで通りの対処でなんとかできるだろうが三匹になると難しい。
なにか一網打尽にできる方法はないかとも考えたが、私が今持っているものは火炎瓶や銃、ノコギリ鉈ぐらいだ。
さぁ、どうするかな……と思案していると、私が潜んでいる通路の奥にいる獣が手に持っていた斧を壁に立て掛けた。懐からなにかを取り出すとそれを煽る。ソイツが今も持っている松明の火をそれはきらりと反射した。
スキットルだ。真新しい銀色のスキットルが光を反射している。私はなんとなく気になってその銀色を凝視した。ソイツは至極旨そうに飲み、その飲み慣れた様子から酒かもしれないと当たりをつける。
目を細めて飲み下すモノ。
容姿も相まって本物の獣が加虐性を隠しもせずに肉を踊り食いしているようにも見えた。
ソイツの口の端からツーっと目を引く赤黒い線が頬を伝い、顎から滴り落ちていく。
中身を飲み干したのかスキットルから口を離したソイツは、意地汚くスキットルを振り、舐め、頬についたものもべろりと掬う。手の甲でアゴを拭ってそれも舐め、楽しくなってきたのか陽気に鼻唄をうたいはじめた。
一連の光景を見て、私は嫌悪にほぞを噛んだ。
あれは恐らく、血だ。
私が獣を嫌いすぎて、獣は斯くあるべきと決めてしまっているだけかもしれないが、あの赤黒い輝きは一般的な飲料だと言い切るには生々しい。
酒に酔うではなく、血に酔う獣共。
あれは隣人には成り得ない。
嫌悪をこらえつつ、あの性質は使えるのではないかと思案する。
酒呑みは酒に目がないが、似たようにアイツらもそうなのではないか。そう考えた。
あの獣共を一ヶ所に集めて景気よく燃やせたら良いのだが。
アイツらの毛は硬質なわりによく燃える。衣服と合わさって火だるまになる速度も早い。
所持している火炎瓶はあとひとつだけ。心許なすぎるな。
火炎瓶を投げつけて中のアルコールをぶつけて獣の一匹が持っている松明を奪ってそれで殴り殺すか?
広場の中央で燃える磔を倒せたら牽制にもなって良いのだが難しそうだ。
道中の人間松明の火も、襲撃をかける前だと目立ちすぎる。
私の立ち回り次第の作戦とも言えない作戦だが、私の脳みそではそれ以上のことは思い付かない。
階段を降りて銃を返してやった獣の死体のところに行く。
通路の先の獣は懐からスキットルを出していた。慣れた動作から慣習になっているだろうし、同じ獣なら似たようなことをしているのではないか。
漁ってみれば私の考えは正しかった。
アレと同じような鈍い銀色のものを持っていて中身は案の定、鉄臭い。
これをどうするか。
獣とはいえアイツらにも考える力はある。
下手な罠を仕掛けても見破られる。手の中のスキットルを眺め、今回はこれは使わないでおこうと自身の懐にしまう。
さてどうするか。あいつらの目を掻い潜って先に行くことは難しいだろう。一匹ずつおびき寄せることができればいいのだが。
思案していると広場の先の閉じられた大扉が大きな音を立てた。
何かが扉を開こうと叩きつけたような音だ。だがその大扉には閂がされていて開くことはなかった。音の大きさと比べてびくともしない鉄製の大扉は、向こう側の何かの侵入を確実に防いでいる。
あまり大きいものではない何かがぶつかっている音が一定のリズムで響き、扉の向こう側の何かは徐々に諦めてきているのか音が弱々しくなっていく。
扉の異常に散らばっていた獣共が扉前に集まってきていた。
大扉の前の馬車に隠れて見えていなかったが、猟犬もいたようだ。銃を持った男に追従するようにして大扉を見ていた。
ドンドンと扉を殴りつける音が響き、獣共がそれに気を取られている間に大扉横の道を抜けるかと考えていると、大扉の向こう側が何やら騒がしくなってきた。
あれは、声だ。
それも先程の獣共のものじゃないか?
何かを叫んで近付いてきている。それは離れた場所にいる私にもよく聴こえるもので、絶叫に近いものだった。なんだろうか? 獣共に見つからない程度に身を乗り出して観察していると、大扉が轟音を響かせた。
人の数十倍はある大扉が強く軋む。
爆発音に似た轟音を響かせた鉄製の大扉は大きくたわみ、閂が衝撃で半ばへし折れる。
あと一度先程と同じものを食らえば大扉はあっけなく開くだろうと確信を持てた。
私は異常な事態に慌てて身を隠す。近くの馬車の底をくぐり抜け、来た場所を戻る道を見、そして大扉を見る。
―――― ⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛ ―――― ッ ! ! !
何かの絶叫は、雄叫びだった。
大扉が衝撃に耐えられず跳ね飛ぶようにして開かれた。
大扉を開いたのは、獣だった。
今まで見て来た、人間のふりをした獣ではなくもっと完成されたもの。
肉を削ぎ落とした細い骨と皮だけの肉体。肋骨が浮き出た身体は何かが凝固したのか全身が黒く、左腕だけが何故か獣の毛が纏わりつくように生えている。大きく肥大化しているように見える左腕が振るわれた。
広場で呆けていた獣共が簡単に宙を飛んだ。
前に突き出た顔は犬に似たもので、炎が揺らめくが如く靡く獣毛が覆っている。側頭部に生えるのは、あれは角だろうか。大きく見開かれた目は次の獲物を捕らえている。その大きな巨体に比べるとあまりにも小さな存在である猟犬は無残にも踏み潰された。ぎょろりと目が次を捉える。銃を向けて撃とうとしていた獣に細い右腕を奮う。鞭のようにしなった腕は獣を弾けさせる。
背骨に沿い生えていた獣毛が流れる様を私は見ていた。
次々に、的確に生きたものを潰している悪魔染みた獣。
私は自分の無意識の思考に一人納得した。そうか。どこかで見たことがあると思っていたのだ。
あれは悪魔だ。見てみろ。あの側頭部から生えた角は悪魔の象徴ではないか。赤ん坊でも知っているサタンの絵を彷彿とさせるものだ。
広場の中央に誇らしげに掲げられていた獣の松明を薙ぎ倒し、火をものともせず傍若無人に暴れ回る様を見せつけられて私の身体は虚脱していた。魅せられた、わけではない。ただあの純粋な暴力と殺意に怯えて動けなくなっているだけだ。そうだ。それ以外には無い。
先ほど広場から出て行った獣たちだろうか。
それらが大扉の先からぞろぞろと悪魔に農具を振るう。
何度かその身体に到達して傷を負わせてはいるが、それも致命傷になり得ない。
悪魔が奮う腕が次々と獣を屠っていく。それらを眺めていた。
…… 早く、逃げないと。
その思考に至った時にはもう遅かった。
広場にいた動くものたちが千切れて散乱し、その場に立つものはいなかった。
目が私を捉えた。
巨躯が力を溜めるために身を屈め、そして跳んだ。
あまりの速度に空を見上げると、こちらに顔を向けている犬の顔と骨と皮、鋭い爪が生えた足の裏が見えた。
身体に衝撃があったのを最後に私の意識は途切れた。