逆巻く子   作:ふじみゃー

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 目を開くと目前に白い物体が見えた。

 小さなそれは私の顔に向けて細く白い腕を伸ばしていた。

 あまりに突然の出来事に大きく仰け反る。勢いが付きすぎたせいでそのまま地面に尻をついてしまった。

 目を見開き白い物体の正体を観察すると、それはあの棒の周りを蠢く白い物たちの一匹だということが分かった。自分の手が届く距離から私が離れたのが名残惜しいのかその空間を数度掻くように手をこまねかせた後、カンテラがぶら下がった棒を支えるのに戻る。

 私を驚かせたものは使者たちだった。

 見開いた目で茫然と彼らを凝視し、停止していた脳みそがゆっくりと活動を始めていく。

 

 そうだ。私は悪魔に踏み潰されて死んだのだった。

 周りを見渡せばそこはギルバートの家の前だった。

 またここからか。

 私はおもむろに立ち上がりギルバートの窓をノックする。あれからどれぐらい経ったかを訊ねて、「十数分前ですよ」という言葉を聞いて一つ息を吐く。

 本当に意味が分からないな。

 これからまたあの場所に行くのかと考え込み、せめてもっと火炎瓶があればなと思っているとギルバートから声をかけられた。

 

「獣狩りの方……これを渡しておきます。私には無為の品でしたが、あなたなら違うでしょう」

 

 そう言って窓が小さく開けられ、その隙間からおかしな形の物を差し出された。

 私は素直に受け取り、これが何かを訊ねるとどうやらこれは火炎放射器らしかった。

 それはそれは。……良い物を貰ってしまったな。

 ギルバートに何度目か分からぬ感謝の言葉を述べ歩き出す。

 肩に掛けられるようにと紐が通されたそれを後ろに回し、移動に支障が無いかを確認する。

 少し、重いかもしれない。

 これ以上の荷物を増やすと私の枯木のような身体ではいつか潰れてしまいそうだ。これ以上必要なものが増えなければいいのだが。

 

 走るのにも問題が無いことを確認して先に進む。

 あの悪魔が出現する時間までにはどれぐらいあるのだろうか。

 頭の中で数を数えていく。

 私は近くの梯子を下りて行った。付近にいた獣が私の存在に気付き近寄ってくる。

 私が地面に到達した頃にはすでに武器を振りかぶっていた。なんとか横にズレて攻撃を躱す。壁に斧が辺り不快な音が響いた。

 ソイツの攻撃を避けながら相手を注意深く観察した。

 斧を振る速度は速いが大振りであり読みやすい。一体であれば問題はなかった。

 ならばとソイツから大きく距離を取った。獣は私の探るような動きに警戒をしているのか急に距離を詰めて来ることはしない。ならばと背中を向けて門の方に軽く駆ける。獣は私の動きを追うようにしてついてきた。その動きは緩慢だ。全力で走ってくるかと思っていたが、小走りでついてくる程度のようだ。

 殺意を漲らせた目をしているわりには追う意思は弱いのかもしれない。

 

 

 それは困る。非常に困るな。

 私は振り返り、獣に声をかけた。

 お前の家族は、友人は、大切な人は、皆獣になってしまったのだろう。

 獣に堕ちてまで生き永らえる愚かさをお前は真に理解しているのか?

 人を慈しみ、周りに感謝し、愛を捧げ誰かを愛する、その心が今のお前にはあるのか?

 酒瓶に血を溜め極上の美酒と勘違いし煽るその姿は醜悪な獣そのものであり、倫理も何も無い穢れた存在になっていることをお前は理解しているのだろうか。

 その血が誰のものなのか分かっているのか。きっとそれはお前を愛した誰かを、お前の手から生えるその爪で奪い採ったものなのだろう。

 

 あぁ吐き気がする。

 おぞましい存在め。

 私が浄化してやらないと。

 それでこそお前たちは報われるんだ。

 

 獣は私の言葉に怒りを咆哮として発した。

 周辺の獣共も、私の言葉を聞いていたようで私に駆け寄ってくる。

 私はそいつらに背中を向けて駆けだした。

 

 開いた門を抜けて、なりふり構わず駆けた私の存在を認識した巨漢が巨大な斧を振りかざす。

 転げそうになりながらそれを躱し、近くの馬車が破壊される音を聞く。

 私はあの巨大な獣が磔刑にされた広間にへと向けて走った。

 道を巡回している獣たちの横を抜けて、罵声を後ろに聞く。

 

 この時点で少し息が苦しいが別にいいだろう。

 広間の中央に燃える獣の亡骸を確認し、私はそのままその場に躍り出た。

 火に覆われた獣を見上げていたヤツらも、周りをうろうろとしていたヤツらも、突然の闖入者である私を見つけ少しの戸惑いの後に殺意を向けて来た。

 私は構うことなく近くの短な階段を上がる。上がって折り返し、真っ直ぐに突き進めば大扉の横に設置されている格子を抜けて向こう側に行ける。

 

 この場を纏めているのであろうリーダーらしき獣が怒号をあげた。

 獣共が一つの生き物のようにうねり、私を目掛けて走ってくる。

 銃を所持している獣を目視し、ソイツの銃口から逃れるよう横に移動する。丁度引き金が引かれた瞬間であったようで、爆発音と共に私の横を弾が通過していった。

 数を数える。あれが来るのはどれぐらいだっただろうか。

 走りながら首を巡らせ獣の数を確認する。多い。正確な数は分からないが、先程よりも確実に多かった。

 

 斧を振りかぶり、農具を薙ぎ、鉈をめちゃくちゃに振り回す獣の攻撃をなんとか避け、ギルバートに貰った火炎放射器の使い威嚇し格子の向こう側にへと来た。

 小さな広間。道路の終着点である広間の真ん中には噴水が置かれていた。周囲は雑多に馬車が転がされ、荷物が散乱し、土嚢のようなものが積み重ねられている。

 周囲の家から姦しい笑い声が聴こえる。ぎゃあぎゃあと獣の鳴き声が背から聴こえる。

 私はとにかく走った。

 獣たちを無視して先にへと行く。

 

 獣たちを引き連れて小さな広間を横切り、階段を上がって住宅が密集している場所を突っ切っていく。

 踊り場で休憩していたらしき獣がいた。横には犬もいる。私の存在をいち早く認識した獣が犬を私にけしかける。私の脚では犬には勝てない。狙いをつけて銃を撃った。犬の顔側面に銃弾が命中し、悲鳴をあげて飛び上がり転がった。

 医療教会にへと行く道。ギルバートは大橋の先にあると言っていた。

 そこを目指して走る。

 

 大橋の上は物に溢れかえっていた。

 壊された銅像、妙なオブジェ、その上を徘徊する……黒い体毛に覆われた巨躯の犬。

 あれはヨセフカの診療所で見たものと同じだ。人間大ある黒い獣は犬と同じく四つ足でうろうろと徘徊している。それが二匹。

 壊された馬車が聖堂街にへと続く大橋の先を塞ぎ、少し空いた道はその犬共が陣取っている。

 遠目に見える大橋の先にある門が閉じられていることをなんとなくではあるが確認し、私は犬共のすぐ脇にある下りの階段に向かって走った。

 

 すぐさま私の存在に気が付いた犬共が命を刈り取るが如く伸びた大爪を奮って来る。

 避け損ねた。

 ガリ、と右半身を爪が抉る。顔が、腕が、腹が、削られた。

 目は、目は無事だ。痛みが襲い来る。私は走った。

 後ろから獣共の声がする。私を罵倒する声がする。

 私を罵倒していた声は犬の雄叫びに覆いかぶさられた。

 怒号が響く。後ろで獣と犬共の吼える音がする。

 ぎゃあっ! と悲鳴が聞こえた。

 

 計画していたものとは違ったが、どうやら獣同士で争いを始めてくれたようだ。

 一匹ずつまともに戦うだなんて馬鹿らしい。あの悪魔に全て屠ってもらおうと思っていたのだが、これはこれで良かった。

 ギルバートが言っていた言葉を思い出す。

 大橋を挟んだ南側に下水道がある。その上に架かる下水橋を渡れば聖堂街にへと続くはずだ。

 その言葉を信じて走り、下り階段が終わり小さな空間にへと出た。土嚢が積まれ、麻袋に詰め込まれた荷物が積まれ、どこに下水道があり橋があるのかが分からなかった。

 右手側の視界が開けていた。その先にはあの燃える巨大な獣が磔にされている広場が見えた。

 ……なら、左側に何か無いだろうか。

 

 そう考え麻袋が積まれた道を選ぶ。行く手を塞いでいた麻袋を勢いよく乗り越えて、――その先に足場が無いことに気が付いた時には遅かった。

 身体が落下を始め、ひゅっと喉が鳴り咄嗟に頭を庇う防御姿勢になる。

 このまま落ちる、と思った瞬間、丸まった背中側から何かにぶつかって転がった。

 

 ………… …………、

 

 仰向けになり空を見上げる。

 ハッ、ハッ、と荒い息がどこか他人事のように思えた。

 酸欠になりかけてぼやける頭を微かに巡らせる。木の破片が見える。震える手で床に触れる。木のささくれが手の平を傷つける。

 首を小刻みに動かして周りを確認し、そこが木で組まれた足場であることを理解した。

 

 どくどくと血が流れていく。

 頬を削られ、口の中に達しているのが分かる。

 血が、血が私の中から抜け出ていく。

 血を足さないと。そうしないと、また死んでしまう。

 

 震える指で輸血液を取り出し、腕に刺した。

 痛い。痛いが犬に削られた傷よりかは痛くはない。

 遠くで喧騒が聴こえる。

 

 あぁ、それと。

 

 

 ―――― ⬛⬛ ⬛⬛ ⬛⬛ ⬛⬛ ―――― ッ ! ! !

 

 

 悪魔の咆哮も聴こえ、途中で数えることを忘れてしまった秒数もどうでもよくなった。引き攣る笑みを浮かべ、一段下がった視界に見える空を見上げて痛みに呻いた。

 

 


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