逆巻く子   作:ふじみゃー

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 火炎瓶を拾った。良いものを手に入れたものだ。

 松明で直接衣服に火を点けるのは案外手間であるし、時間もかかる。だがこれなら投げつければ一気に浄化できるだろう。

 今は松明があるからそちらを使いつつ、投擲する場合や松明が使い物にならなくなったときに使おうか。

 …… 火打石が必要だな。それも探すか。

 

 周囲に目ぼしいものが無いかと探しつつ、市街に入る方法を模索する。

 あの鉄製の門を乗り越える、というのも考えたが私の体力ではずり落ちるのが分かっている。

 いまだに燃え続けている獣たちの死体を避けつつ、門の出入り以外はヨセフカ診療所に行くしかない短な道を歩き、ふと頭上を見上げる。

 右手に住宅街を見下ろす空間と、左手に見上げる建物の群がある。建物の側面にはしごらしきものを見つけ、その下にへと移動した。はしごは折りたたまれて頭上高くにある。屠った獣共はあのはしごを使っていたのだろうか。

 はしごの下付近の建物の外壁を注意深く観察していると、細い柱の模様に紛れてレバーがあるのが分かった。それを操作すと頭上のはしごが音を立てて落ちて来た。地面に到達し動きを止めたのを見て、本来の機能を取り戻したはしごを上っていく。

 

 カンカンカン、と私が立てる音だけが響く。安定した足場とはいえ垂直を上がり続けるのは疲れる。それに敵に相対するための武器も使えず、もし空を飛ぶ獣がいれば私は格好の的だろう。

 それが分かっているので上がる速度をはやめた。

 

 

 ……―――― ⬛ ⬛ ⬛ ⬛ ⬛ ーー ッッ !!

 

 

 

 人では到底出すことの出来ない、絶叫染みた甲高い振動が空気を切り裂き響いた。

 突然のことに思わず動きを止める。本能的な恐怖が、その声の主である何かに見付からないようにと身を縮こませた。

 しばらくの時間、建物にへばりつく虫のように動きを止め感覚を研ぎ澄ませる。あたりに変化がないか注意深く見定め、何も起こらないことを確認して遅々とはしごを上がった。

 無意識に掴む手に力を込めていたらしく、手を開くのが若干ぎこちない。

 

 ようやく上り終えるとすぐさま距離を取り、はしごを振り返った。

 随分と高いところにきたようだ。変わらない夕暮れの色があり、陰影を刻んだ建物群を見渡せる。

 古都ヤーナムは山間部にあることから必然的に坂道が多くなる。傾斜に沿うように建てられた家々をつぶさに観察する。喉を潰してもなお叫ぶ、産声に似た叫びはもう聴こえない。

 

 ……独特な甲高さだった。私が相対したことのある獣たちとは違う。悲鳴に近いのかもしれないが、分からない。ただ潰れた喉で叫ぶような甲高さで、空気を震わせるほどの声量があるということは、叫んだ本人は物理的に体の大きな何かであろうことは分かった。

 夕日の赤をしばし眺めて気持ちを落ち着かせた後、私は先に進むために身を翻した。

 

 私が今立っているのは、住宅街への道だった。

 私は建物の外壁を上っているつもりだったがどうやら違ったようだ。はしごを上った先に一軒の家があった。

 窓に吊るされた赤いランプから、思わず眉値を寄せる臭気が発せられている。あれは確か獣除けの香だったか。あんな酷い臭いのものを焚かなければいけないとは、おちおち換気も出来ないな。

 明かりの付いている窓に近寄ると、中からゴホゴホと苦しそうに咳き込む音がした。人がいるようだ。人差し指の関節で窓をノックした。

 家の中の住人はいきなりの物音に驚いたようで、一切の音が途絶える。

 私はもう一度窓を叩いて声をかけた。

 

「あ、あぁ……驚いた。獣狩りの方ですか」

 

 男の声だ。呼吸器官が狭まった苦しそうな声。

 ヤーナムに来て初めてまともに会話が出来そうな住人に出会えたのは僥倖だ。

 驚かせてしまったことを詫びて、友好的に会話をしようと試みた。

 

「あなたは……どうやら外からの方のようだ。私はギルバート。あなたと同じ、よそ者です」

 

 私には名乗る名が無かったのでそれにも詫びる。

 ギルバートは私の言葉に少し笑ったあとに「いえ、いいんですよ」と言った。

 

「色々とご苦労が多いことでしょう。この街の住人は皆……陰気ですから。私は床に伏せり、もう立つこともままなりませんが、それでもお役に立てることがあれば、言ってください」

 

 何度も息継ぎをして言ったあと、ゴホゴホと咳き込む。

 彼の発作が収まるまで待ち、耳を傾ける。

 

「……この街は呪われています。あなた、事情もおありでしょうができるだけ早く離れた方がいい。この街で何を得ようとも、私には、それが人に良いものとは思えません」

 

 そんなことは知っていた。この街が呪われていることも、ここで得られるものが無いことも。

 私はギルバートに端的に母親を探していることを伝えた。母のことを知らないかと尋ねてみたが、彼はあまり外に出歩くことも無く人との交流もそれほど無いらしく、該当する人物に心当たりが無かったようだ。

 獣狩りに出歩く狩人の知り合いなど一人もいないらしく、私は少し落胆したがまだ探し始めたばかりなので気を持ち直す。

 ならば、と「青ざめた血」のことを尋ねてみた。

 

「青ざめた血、ですか……? うーん……すみませんが聞いたことはありません」

 

 そうか、と頷く。

 血に乗る呪いが蔓延っているヤーナムでも知られていないものなのだろうか。

 それともギルバートが知らないだけなのか。彼は少し考えた後に言った。

 

「ですがそれが特別な血であれば、訪ねるべきは医療教会でしょう。医療教会は、血の医療と、その特別な血の知識を独占していますからね」

 

 医療教会。

 それは母から聞いたことのあるものだ。

 ギルバートは医療教会のある場所を教えてくれた。

 ヤーナム市街から谷を挟んだ東側、聖堂街と呼ばれる医療教会の街があり、その聖堂街の最深部には古い大聖堂に医療教会の血の源がある。そういった噂を聞いたことがあるようだ。

 

「ヤーナムの街は、よそ者に何も明かしません。私が聞いたのも噂程度ですが……すみません。常であれば、あなたが近づくことも叶わないでしょうが……。獣狩りの夜です。今夜はむしろ、好機なのかもしれませんよ……」

 

 ギルバートはさらに続けた。

 常なら市街地を抜けた先にある大橋を渡ればすぐなのだが、獣狩りの夜は橋門は封鎖されるらしい。なら、ともう一つの行き方を教えてくれた。大橋を挟んで市街の南側に聖堂街にへと続く下水橋が架かっており、そこを進めば良いとのことだ。

 

 言い終えると彼はさらに激しく咳き込む。

 私は彼にお礼を言った。彼からの情報が無ければ私は闇雲に母を探すハメになっていただろう。目下の目標は聖堂街に赴き「青ざめた血」のことについて調べることか。母との関連性は分からないが、あのメモはなんだか気になる。あれは誰の字だっただろうか。酷く憶えのあるクセのある字なのだが、一向に思い出せない。

 母の亡骸を探すのが最優先事項ではあるが、酷く、酷く脳みそにこびりついて思考を振り払うことができない。血を、血を求めよとガリガリと脳みそが削られ啜られている恐ろしい幻覚を感じる。

 痒いな。ガリガリと頭を掻き、そういえばと最後にギルバートに尋ねた。

 先ほど聴こえた獣らしき絶叫になにか心当たりは無いだろうか。

 

「あぁ……先ほどの……。いいえ、あんな、あんな恐ろしい声を聴いたのは初めてで……。今夜はいつもとは違うのかもしれません。……獣狩りの方、あなたはそれでも、行くのですか?」

 

 そうだ、と答える。

 ギルバートはごほごほと咳き込んだ後に私の身を案じる言葉を口ずさむ。

 私はそれを素直に受け取り、窓から離れる。

 

 ヤーナム市街に入るであろう道は二つ。

 うち一つには格子の門がそびえ、こちら側からは開かないようだ。

 もう一つはギルバートの家から下るように続く道であり、私はそちらを道なりに進んでいった。

 土嚢や荷物が道の端に置かれており、鎖のかけられた棺桶が無造作に壁に立て掛けられている。風が建物の隙間を通る音と、石畳を踏みしめる自身の靴音。手に持った松明の火がはじける音だけが聴こえ、人の営みの声は一切無い。薄気味悪い街並みを歩き、住宅街の上に架かる橋の上をゆっくりと歩く。

 周囲に何もいないか慎重に探りつつ、道を塞ぐように置かれた土嚢や樽に近付く。何かの進行を防ぐために置かれたものだろう。私はそれらを迂回するように移動した。

 

 瞬間、置かれた樽が大きな音を立てて勢いよく私の方にへと倒れてきた。

 思わず顔を庇うように右手をあげ、身体全体に衝撃が襲う。予想していなかった事になすすべも無く地面に倒れ、盛大に背中を打ち付けて息を詰まらせる。

 骨が軋んだ。ガヒッと無様に肺から空気が漏れ、痛みに呻く。

 

 

 身体を何かが貫いた。

 

 

 ……?

 私は自身の胸に生える鉈に疑問を覚えた。

 血に塗れた鉈を伝い、持ち手、その先にへと視線を移す。 

 

「でていけ」

 

 歪んだ虹彩で私を睨む男がいた。

 

「ここはおれたちのまちだ」

 

 人の形をしているくせに酷く獰猛に唸り、興奮のためか獣のように息を荒くする。

 男は鉈を引き抜き、再度振り下ろしてきた。

 

「かってになんて、させるものか」

 

 引き抜き、振り下ろす。

 

「すべて、おまえらのせいだ」

 

 何度も引き抜き振り下ろす。恨みのこもった刃は何度も何度も私を切り裂く。

 痛みが飽和している。熱い、全てが熱い。喉を血が遡り、ごぼりと吐き出す。

 嫌だ。

 

「おれたちのまちだ」

 

 嫌だ。死にたくない。

 

「おまえらが、かぞくを」

 

 嫌だ、嫌だ。私はまだ母を見つけていない。母を、父の下に。

 

「おれのかぞくを、おれの、おれの」

 

 

 死にたくない。

 

 

 今持てる力を振り絞って松明を叩きつける――叩きつけようとした。

 私の腕はもうぴくりとも動かない。痙攣するばかりだ。血を吐き出し、血を垂れ流し、肉を抉り返され道に全てをまき散らしていく。蛆が、私の身体から蛆がころりと腹を見せて這い出してきた。

 怖い。寒い。

 熱かったはずの身体が急激に冷めていく。視界が暗くなっていく。眠りたくない。怖い、嫌だ。

 

「のろわれろ」

 

 ガツガツと衝撃が襲う。

 何度も跳ねる。あ、あ、あぁぁあ、

 

 

   、

 

 

 ひかりが、よぎったきがした。

 

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