──イタリア旅行?
──親の仕事と旅行を兼ねた、だけどね。本当は行きたくないけど、僕を向こうにいる友人に紹介したいとかで、強制連行になった
──そうなんだ・・・いつ帰ってくるの?
──七日後、次の土曜日には会えるよ
──短いようで、長いような・・・気をつけて行ってきてね
──ありがとう、お土産、ツナと奈々さんの分、沢山買ってくるからさ。期待しててよ
──うん!いってらっしゃい、いろは!
──うん、いってきます、ツナ
沢田綱吉が幼馴染みと、そんな取り留めのない会話をしてから、もう1年経った。
1年、そう、1年である。
「・・・いろは・・・」
意味も無く、その名前を口にする。
彼の世界の真ん中にいた一人の少年は、旅行に行ってから、一切の音沙汰がない。
「お土産、買ってくるって、土曜日には、会えるって・・・そう、言ったのに」
ふらふらと導かれるように、舗装された路面を、重いランドセルを背負いながら歩いて行く。もしかしたら、彼が──たった一人の幼馴染みが、帰ってきているかもしれないという幻想を抱いて、綱吉は少年の家に通い続ける。
あの少年がいなくなってから、沢田綱吉の幸せな時間はガラガラと音を立てて崩れ去ってしまった。
何も入っていない空っぽの物ほど、叩けばガラガラと、耳障りな雑音を響かせる。
しかし、綱吉の心はそれ以上に悲惨な状態になっていた。ガランドウで、空っぽで、本当に何も無くなってしまっていたから、叩いても音すら鳴らず、ただ、へこんで潰れて捻れるのを待つだけの、虚無の一歩手前。
彼は、何も言わずに去ってしまう人ではなかった。
友は、嘘をつくような性格ではなかった。
幼馴染みは、守れない約束は決してしない、誠実な人だった。
だから、今日も、沢田綱吉は、朱雀色葉の家へと向かう。
何も成果を得られないと直感しながら。ただ虚しい自己満足でしかないと分かりながら。
だって、何もしないでいるよりは、足を動かしている方が、少しは嫌なことも忘れていられるのだから。
いつものように、公園の近くの道を左へ曲がり、古くさい街灯の下を通り、幼馴染みの家がある場所まで、ゆっくりと歩き、
「・・・・・・・・・ぇ」
ピタリ、と時間が止まった。
目線の先、彼の家の前にいる存在が、綱吉の時間を止めたのだ。
「──あーもう!鍵が多すぎて、どれが玄関の鍵かわからない!エルキドゥ、鍵開けとかできないかな?え?駄目?そんなー・・・」
特徴的なアッシュブラウンの髪に、灰色の瞳。
何度も見た、彼の、横顔。
そんな、まさか。
「ッ・・・────いろは!!!」
「ぇ────」
気が付いたときには、その背中に飛びついていた。
必死になって、その体温を確かめるように抱きしめる。
「いろはっ・・・いろはあっ・・・!生ぎでるっ・・・よがった、生きてるよ゙ぉ!」
「・・・・・・あぁ」
わんわんと、生まれたばかりの赤ん坊の様に泣きじゃくる。
心の何処かで諦めかけていた命が、目の前に存在している。
色々な思いが心の中で生まれて、一杯になる。
伝えたいことが、言わなければいけない事が沢山あって、でも言葉を紡ぐ為の口は嗚咽で埋もれてしまっていて。
「・・・辛かったな」
「ッうん、うん・・・!辛くて、寂しくて・・・でも、それなのに・・・いろはがいないと、俺っ、何も感じることができなくなっちゃって・・・生きてるのに、死んでるみたいで・・・!!」
ボロボロとみっともなく泣き叫ぶ。
綱吉が言葉を吐き出している間、背中をあやす様に擦る手の温もりは、ずっと消えることなく存在し続け。
あぁ、よかった・・・夢でも、俺が作り出した幻でもない。これは、本物の、彼の───
これでまた、あの宝物のような日々を取り戻すことができるのだと、そう確信しかけて、幼馴染みの顔を覗こうとしたとき。
「・・・ごめん」
「・・・え?」
突然の謝罪の言葉。
何故、どうして?謝る事なんて、何もないのに。
生きていてくれた、もう、それだけで、俺は救われたのに。
不思議に思い、どんな言葉を返せば良いのか分からず混乱してしまう。
そして
言葉の意味を聞こうと、涙を拭い、彼と目を合わせようとしたところで
「君が俺の、幼馴染み、だったんだな」
灰色の瞳に悲しい色を湛えながら、
まるで、始めて会う人間を見る目をしながら、
見た事もない貌をした俺の幼馴染みは、困ったような微笑みをつくった。
「きおく、そうしつ・・・?」
「あぁ・・・詳しい話は、座りながらしよう」
震える少年の手をとって、始めて入る家の廊下を進んでいく。
幼いその手は、氷のように冷たく感じた。
1年間掃除もされず放置された埃っぽい室内は、話をするのには不適切な場所に感じられたが、リビングだけは整えられていた。
恐らく俺の親権者の、親戚の者達が、ここを定期的に使用していたのだろう。
書類やらをそろえる際に。
「・・・・・・」
無言で見つめてくる、栗毛色のつんつん頭の少年を椅子に座らせ、自分もその向かいの椅子に腰掛ける。
そして、相手の目を見据えながら、静かに口を開いた。
「一年前、俺はイタリアで起きた事故に巻き込まれたんだ」
「・・・事故?」
「あぁ、酷い事故だったらしい。沢山の人が亡くなって・・・俺の両親も、助からなかった」
「っ・・・そんな!そんなのって・・・」
「・・・俺は運良く生き残った。だけど、一年間意識不明で、眠り続けることになったんだ」
「・・・・・・」
顔面蒼白。
目尻に涙を溜めながら、少年は、正気を保つのに精一杯といった様子だ。
一瞬、これ以上彼に負担をかけるのは駄目なのではないかと、良心が痛む。しかし、彼には耐えて貰わないといけない。
躊躇いを振り払い、再び口を開く。
「・・・目が覚めたら、何も覚えていなかった。そして、医者には記憶喪失だと診断されて、暫くは入院生活を送ることになったんだ」
「・・・そう、だったんだ・・・・・・」
相手はまだ小学4年生の、幼い少年だ。
分かっていたことではあるが、二人は本当に仲の良い間柄だったのだろう。
そんな、自分の幼馴染みの友達が、事故に遭う。それだけではなく、記憶喪失。
思い出も何もかを──共有していた宝物を失ってしまった相手を見て、平気でいられるわけがない。
栗毛色の少年は瞼を閉じ、俯いてしまった。
「・・・・・・・・・」
再びリビングが沈黙に包まれる。
子供が二人、向かい合わせに腰掛けているだけ。
それだけなのに、余りにも悲愴な空気が漂う。
「・・・いろは、あのさ」
ぽつりと俯いたまま、少年が口を開いた。
「今の俺、頭の中がグチャグチャで、自分が何を考えているのかも、分からなくてさ・・・」
「・・・あぁ」
「・・・でも、今ひとつだけ、大切なことを思い出せたよ」
「大切なこと・・・?」
気が付けば、少年はその相貌を、真っ直ぐと俺に向けていた。深刻そうな気配は一切無い。
長年追い求めた謎を解き明かした瞬間の、旅人の様な、晴れ晴れとした雰囲気を滲ませる。
少年は、優しい笑顔を浮かべて、言葉を紡ぐ。
「生きていてくれて、ありがとう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「俺きっと、この言葉を言う為に、毎日いろはの家に通ってたんだと思うんだ・・・この一言を諦めきれなくて、手放したくなかったから・・・」
「・・・・・・」
「・・・ごめん、始めて会うような奴に、こんなこと言われても嫌かもしれないけど。でも俺・・・いろはが生きててくれたことが、どうしようもなく嬉しいんだ」
ブラウンの瞳がきゅっと細まって、安心したように口元が綻ぶ。
心の底から溢れ出る喜びを、抑えることができない、そんな表情だった。
俺は今、どんな顔しているのだろう。
ふと、そんなふうに思った。
「・・・いろは?」
心配するような声が耳朶に届く。
自分で始めたことだというのに、何をへこたれているんだ、己は。
長い溜息を吐き出して、一度頭を切り換えて、話題を変えることにする。
「悪い・・・そうだ忘れてた。君に渡すものがあったんだった」
「俺に?」
旅行カバンを開き、中にある物を取り出し、机上へ並べていく。
荷物の7割を締めていた箱や、袋を積み上げれば、机の上には山が完成する。
「俺が起きたときには食品類は消費が切れてたから、また新しい物を買いに行くことになったんだけどさ。俺が事故に遭う前に購入した分は、ちゃんと漏らさず揃えられたと思う」
「・・・もしかして、これ全部、イタリアのお土産?」
色とりどりのパスタや、チョコレート菓子。
カントゥッチと呼ばれるアーモンドやドライフルーツの入ったビスコ。
ナポリの質の良いオリーブオイル。
フィレンツェの百合の紋章が描かれた飾り皿。
「あぁ、よく税関に捕まらなかったなあって今でも驚いてる。なんだか、これは絶対に届けないといけないと思ったからさ。記憶がなくなる前の俺が、君に渡したかった、一年遅れの贈り物って事でっ────・・・て、ごめん、俺何か泣くようなこと言ったか?」
「っう・・・ひっく・・・ごめん、違くて・・・でも、こんなの、泣くに決まってるじゃないかっ・・・!」
先程まで笑っていた少年が突然泣き出してしまい、何が悪かったのかと冷や汗を流す。
いやしかし、悲しくて泣いているというよりは、嬉しくて泣いているのか?
「あー・・・君、せっかく一度泣き止んだのに、そんなに泣いたら目が溶け落ちるぞ」
「・・・
「・・・え?」
「君じゃなくて、俺は綱吉、
「・・・・・・ッつ、
「あはは、なんだかいろはに綱吉って呼ばれるのも、変な感じだなあ・・・まあいいや」
くらりと、目の前が暗くなるような感覚がした。
綱吉、沢田綱吉。それは、よく知っている名前だった。
この世界において、極めて重要な意味を持つ、その日本名。
『ふふ、ねえマスター。本当は彼を見た瞬間から、気づいていたんじゃないかな?』
『・・・・・・どうかな』
案外世界は狭いんだなあ。
そんなふうには、思っていたかもしれない。
「ねえいろは、俺達さ、もう一度友達になろうよ」
目の前から明るい声が聞こえた。
思わず苦笑してしまいながら、俺は一つの提案をする。
「・・・そうだなぁ、じゃあこうしよう。俺が記憶を取り戻すその時まで、俺達は友達だ」
「えっ?どういうこと?記憶が戻った後はもう・・・」
「違う違う、今の俺と、元の俺は別の存在なんだ・・・感覚的にさ。だから俺が元の記憶を──朱雀色葉を取り戻すことができたら、そのときには、俺達は友達ではなくなる。朱雀色葉と沢田綱吉の二人は、ただの幼馴染に戻るんだ」
「うーん、俺にはよくわからないけど・・・うん、でもちゃんと記憶が戻るってことだよね?」
「あぁ、戻る。いや、必ず取り戻すさ。今日綱吉と言葉を交わして、一層その気持ちが強くなった」
心を決意で満たす。
頭に幾つかクエスチョンマークを浮かべる綱吉を見ながら、俺は小さく微笑んだ。綱吉は、俺の言葉に、少し考えるような素振りをする。
眉に皺を作り顎に手をあてながら、難しい顔をした少年は、しかしハッキリとこう言ってみせた。
「一つだけ、約束してほしいんだ」
「約束・・・?」
「うん・・・俺は確かに、いろはに記憶を取り戻してほしいよ。だけどさ、いろはが過去を忘れてちゃったのは、事故のことを思い出したくないから、なんだよね?・・・だったら、もしもいろはが記憶を取り戻せなかったとしても、誰もいろはを責めたりしない。それに、例え記憶が戻らなくても、俺達が友達だってことは変わらないんだ・・・だから、辛かったり、困ったりしたことがあったら、お互いに助け合おうよ。絶対に一人で抱え込まないこと・・・これだけは、約束してほしいんだ・・・!」
どこまでも真摯な目で、訴えかけるように綱吉は言葉を紡いだ。
──この目は、どこかで見たことがある目だった。
一年前のあのとき・・・今にも消滅してしまいそうな少年が、自分のことはかなぐり捨てて、残された友の夢を守って欲しいと叫んだあのとき。
少年の顔なんて見えなかったのに、何故だか肌に感じた熱い思いと、
一瞬だけ垣間見えた、炎を灯した灰色の瞳。
俺の心を揺さぶった、あの苛烈な少年の眼。
それと全く同じモノが、今、自分と相対している少年にはあったのだ。
「・・・眩しいなあ」
室内にいるはずなのに、目の前の存在が余りにも輝いて感じられて、思わず瞳を閉じてしまう。
確かな二人の絆を感じて、焦がれるような思いに胸が妬かれる。
「・・・わかった、約束する。守れるように、努力するよ」
「うん!それじゃあまた、これから一緒に頑張っていこうね!よろしく、いろは!」
「うん、よろしく、綱吉」
なんだか最近、似たようなやりとりを交わしたなあと思い出しながら、
俺ははじめて出会う沢田綱吉と、再び友人になったのだった。
かき氷の美味しい季節になりましたね。
韓国のふわふわしたかき氷を食べてみたいです。