様々な人が行き交う市場。
食べ物があふれかえっている場所で、和気あいあいとしている男女のカップルがいた。
「はー。ここは空気も美味しいし、街は活気があっていいなぁ」
青年はこの国の言葉ではなく、日本語を話している。ニコニコとはにかむ笑顔が眩しい。そんな青年の隣にいる女性は周囲を警戒し続けている。
「ねー。翔一くん! そんな陽気な顔して、まただまされるよ? この国に来た時は、なんとかなったからいいものを…」
「まぁまぁ。ほら、真魚ちゃん! これなんか美味しそうだよ!」
真魚と呼ばれた女性からの忠告をやんわりと回避して、翔一と呼ばれた青年は笑顔を崩さなかった。
「…おれ、気にしてないから。それにさ、あれだって、自分達が生活するためにやった事だって言ってたじゃない?」
困り顔で真魚も答える。
「そりゃあ、そうだけどさ…」
「この場所でもあの子達が住んでいることには変わりなくて、今度からは手は出さないって言ったよね? だったら、信じてみようよ」
時として、翔一のその優しさが彼自身を傷つけることを、真魚は知っていた。
すぐさま翔一は近くにあった食材へと目を向け、目の前の品を手にとって、笑顔を向けてくる。
「これが美味いと評判の野菜かー。このままでも美味しいのかな?」
翔一は食材にかじりついてみた。
「…これは! 確かに美味しい! おばちゃん、これ一つ頂戴!」
財布からこの国のお金を適当に取り出し、渡す。受け取った店員も、現地語ではない言葉を聞き、頭をかしげながらもお金を受け取る。
「あぁ、お釣りはいいから!」
ジェスチャーだけでどうにか処理した翔一は終始笑顔だ。
「んー、ねぇ、真魚ちゃん、どう料理すれば俺の店で出せるかな~? あ!あそこにも!」
「ちょっと翔一くん! 待ってよ~」
「真魚ちゃん、そんなに焦らなくても、美味しい食材は逃げないよ!」
そう告げると翔一は、すたすたと一人で行ってしまった。
「もう! …せっかく二人で旅行に来たのに」
その時、近くでパシャリというシャッター音とフラッシュが光った。
「いい画になるねぇ」
急に写真を撮られた事に対して、嫌悪感を示す真魚。
「………」
「あー、すまない。反射的に撮っちまった。キミは、日本人かな?」
知らない男性から話しかけられ、警戒心を高める。
「…はい、そうです。あなたも日本の方…みたいですね。今はこの場にはいませんが、もう一人の連れと旅行していまして…」
学生だった頃だったら、無視して進んでいってしまったが、疑問に対し素直に答える。
(なんとなく、なんとなくだけれど、この人、悪い人じゃない気がする)
「ほう。置いてけぼりってワケじゃなさそうだな。さっきお店がどうとか言っていたみたいだけど、店主さんと奥さんなのかな?」
「おっ、奥さん!? …いえ、わたしはまだそんなんじゃ…」
真魚は照れてしまい、言葉を詰まらせた。
「真魚ちゃん? どうしたの?」
先にいなくなっていた翔一が戻ってきた。
「翔一くん…」
「ごめんね。さっきは言い過ぎた。…なにかあったの?」
真魚の前に立つ見知らぬ男性の様子を一瞥しながら、告げる。
「…なにもないよ。大丈夫」
「そう、なら良かった」
「あー。変なタイミングで声をかけちまったみたいだな、すまない」
先に男性が深く一礼をした。
「そんな~、謝らないで下さい」
急に謝られて真魚は面を食らってしまう。
「気分を害したようだし、さっき撮った写真も消しておく。…ほら、この通りだ」
手慣れた手つきでカメラの画面をこちらに向け、写真を削除していく。
「…いえ、別にいいのに」
「俺は悪い者じゃないんだ。…といっても、信じてもらえるかわからんよな。あ、そうだ」
そう言うと、男性はポケットから革製の名刺入れを取り出し、二人に自身の名刺を渡した。
「…いちもんじ、はやと?」
「そう、俺の名は一文字、一文字隼人。見ての通り、フリーでカメラマンしている」
翔一は背中のバッグから、紋章の入った革製の名刺入れを取り出し、お返しにと一文字へ名刺を手渡した。
「一文字さんですね…。俺、津上翔一っていいます! これ、ウチのお店の場所や電話番号が書いてあります。よければ貰って下さい」
「おう、名刺のお返しサンキュー。なになに、レストランアギト? 面白れぇ名前だな」
面白いなんて言われて、ニコニコと翔一が笑顔を振りまく。
「ありがとうございます! 是非、日本に立ち寄った際はお待ちしていますよ!! 腕によりをかけておもてなし、しますからね!!」
真魚はやれやれといった表情で、頭を抱えている。ふと見上げると市場の時計から鐘が鳴った。
「ねぇ、翔一くん、そろそろ行こう?」
「え? どうしたの、真魚ちゃん?」
「いいから! それじゃ、失礼します」
「あぁ。またな」
翔一の腕を引っ張り、真魚と翔一は一文字の前から立ち去った。
「やれやれ、俺も嫌われちまったかな」
ポリポリと頭をかきながら、呑気にあくびをする一文字だった。