月が雲に隠れ、光の差し込まない夜の森。
その中を1人の少年が歩いていた。暗過ぎて姿は見えないが、枝や草を踏む音で位置が確認出来る。
ここは無人世界。名前通り、本来は人がいない世界である。それを、しかもこんな夜更けに少年がたった1人で森の中にいることなんてありえない。
ふと、足音が止む。同時に、微かに唸るような音が3方向から聞こえた。
厚い雲から漸く月が顔を覗かせ、枝の隙間から薄暗い森に光を差し込ませると、奇妙な物音の正体が露わになる。
唸り声の主は野性の狼だった。無人世界とはいえ、生物自体がいない訳ではない。このような肉食動物も数多くいる危険な地帯も存在する。
狼達は少年を警戒するかのように周囲を徘徊した。鋭い牙を揃えた口からは涎を滴らせている。
すっかり夕食として目を付けられている少年は、恐れるどころか動じる様子すら見せない。
「邪魔だ」
狼達が一斉に飛び掛かる。その瞬間、少年の手に巨大な剣が現れ、素早く周囲に振るった。
風を薙ぐ音が止むと、狼達は少年に辿り着くことなく、血飛沫をあげながら地面に落ちた。
獣の血が付いた刄を軽く払い、少年は再び手品のように大剣を消す。
「食っていいぞ」
そして、狼の死骸を一匹だけ背負い何処かへと去っていった。どうやら少年も夕食を探していたようだ。
半分だけ雲に隠れた月を見上げ、ポツリと呟く。
「早く来い、ソラト」
少年が去った後には既に他の狼の死骸はなく、静かな森の中にバリボリと肉を貪り骨を砕く音だけが響いていた。
◇◆◇
ミッドチルダから発つ小さな次元艇が1つ。先日、機動六課に配備された小型次元艇"ドロレス"だった。
元々、型の古い小型次元艇のため廃棄処分になりかけていたドロレスだったが、少人数のみを乗せて次元の海を渡れる船という良条件を満たしていたので、機動六課で引き取ったのだ。
そしてドロレスは機動六課での初任務として、ミッド付近の無人世界を目指していた。乗員数は8人。操舵者のルキノ、スターズ分隊長のなのは、そしてフォワード達6名である。
「あと1時間ぐらいで着きます」
「ご苦労様」
ルキノの報告に労いの言葉をかけるなのは。船が安定したことでリラックスした様子だ。
一方、ソラトとエドワードはあまり落ち着かないようだった。2人にとって、今回が初めての次元世界間の移動だったからだ。
「次元の海とは、こんなものなのか……」
「だ、大丈夫だよね? 急に隕石が来たりとかしないよね?」
冷静に航行を楽しむエドワードに対し、ソラトは不安が勝っていた。
「大丈夫だよ」
「ほ、本当? 目の前に虚数空間が現れたり、次元震が前触れなく起こったり……」
「もう、心配しすぎだってば」
怯えるソラトを母親のようにあやすスバル。結局、ソラトの心配は無事に目的地に着くまで続いた。
◇◆◇
"グリトニル・リゾート"。元は自然豊かな無人世界だが、その美しい風景から一部にリゾート地を開拓し、今では次元旅行者に愛される観光スポットとなっている。
だが、管理局の取り決めで自然の多くは残り、森林の奥深くには狂暴な原住生物も潜んでいる。なのは達が到着した時も、特にビーチには旅行者で溢れていた。
「いいなぁ……」
スバルが旅行者達を羨ましそうに見ていた。白い砂浜、青い海、そして高級リゾートホテルへの宿泊。誰もが憧れるバカンスになるのは間違いない。
「今は仕事中でしょ」
そんなスバルの羨望を、ティアナの冷たい一言がバッサリと斬る。
今回スバル達がここへ来たのは、"セブン・シンズ"の保護のためである。実はグリトニル・リゾートのオーナーが最近入手したオブジェクトがセブン・シンズの特徴と一致したのだ。
更に、数日の間にこの近辺で獣人らしき影の目撃情報まで出ている。
実物を確認するべく、なのは達はオーナーと秘書の案内で宝物庫に向かう。
「これです」
宝物庫の中央の台座に置かれた、ガラスケースの中にあるオブジェクト。それは30cm程の小さな藍色の像だった。どうやらクマを象っているようで、材質は不明だがまるで宝石のように美しく輝いている。
「オークションに並んでいた時には"
秘書の解説で、ますます確信が得られた。怠惰は7つの罪の1つに数えられる。
この像こそ、紛れもなくセブン・シンズだ。
「獣人の撃退後、この像は管理局で保護します。いいですね?」
「ああ、好きにしてください。君、後は任せたよ。ふぁぁぁ……」
なのはが確認を取ると、オーナーはやる気のなさそうに応答した。そして、後のことを秘書に全て任せて自室に戻ってしまった。
「すみません。あの像を手にしてから、オーナーは怠け癖が付いてしまって……」
オーナーの不遜な態度に秘書が謝罪をする。
セブン・シンズは持ち主にのみ、名前通りの影響を与える。オーナーの怠け癖が
警護内容は、日中は全員が各場所にて見張り、夜は交替で見回りとなった。
東区域を担当することになったソラトには、ビーチと居住区が一望出来た。
居住区には管理局の許可を得た漁師や、リゾートでの労働者とその家族が暮らしている。家々は石造りになっていて開拓出来る区域が広くないため、まるで迷路のように密集していた。
『そういえば、スバルの先祖やなのはさん達の出身世界に似たような場所があるんだっけ』
ソラトは以前、図書館で読んだ地球の本に載っていた写真を思い出していた。こんな平和な光景が何時までも続けばいいのに、と考えながら。
「ソラトさん」
すると、南区域を警備しているキャロから念話が入った。
「今、いいですか?」
「ん? 何だい?」
周囲の異常がないのを確認しつつ、キャロの念話に答えるソラト。六課に入ってから暫く経ったが、まだまだ新入りなのでスバル以外の人物とも仲良くなるチャンスは欲しかった。
「実は、エリオ君からソラトさんのことを聞いたんです」
「えっ?」
エリオからと言われ、ソラトは前にスバルとの馴れ初めについて話したことを思い出した。
「ちょっと恥ずかしいな……」
「すみません」
「いいよ。事実だし、あのことがなかったら僕は……」
笑いながら話すソラトだが、改めて考える。
もしスバルに出会ってなかったら?
もしあの時、彼女が話し掛けてくれなかったら?
果たして自分は立ち直れただろうか。心の拠り所がなかったら、どんな性格になっていたか分からない。
「ソラトさん?」
キャロの呼び掛けに、ソラトは我に帰った。悪い方に考えても仕方ない。スバルがいてくれるからこそ、今のソラトがあるのだから。
「誰かを好きになるのはいいことだよ、キャロ」
「誰かを好きに……」
好きになること。友情関係も含まれるが、恋愛感情に関してはキャロにも心当たりがあった。最近、エリオの存在が自分の中で大きくなっているのを感じていたのだ。
しかし、先日カルナージに行った際にルーテシアがエリオと仲良くしているところを見て、心の中にモヤモヤを感じるようになった。ソラトに念話を掛けたのも、このモヤモヤについて相談するためだった。
「それは、誰かを憎む結果になってもですか?」
ふと出てしまった言葉に、キャロはハッとして口を押さえる。そして、同時に自覚してしまった。ルーテシアを少なからず憎んでいるのだと。
「えっ?」
「ち、違うんです今のは! 忘れてください!」
恥ずかしさと自己嫌悪が込み上げてくる。
折角親友になった少女を、同じ人が好きになったという理由で自分は憎んでいる。キャロは自分の黒い面を知り悲しくなってしまう。
「恥じることじゃないよ」
しかし、ソラトはキャロにきっぱりと返答した。
「どんなに親しい相手でも、好敵手なら対抗心を抱くものだよ。それくらいで自分を恥じちゃダメだ」
ソラトの脳裏にはある人物が浮かんでいた。
恋の好敵手ではないけれど、好きな人を守る役目を取られて以来、その人物に強い対抗心を抱いている。
「対抗心、ですか?」
「そう。その相手のことも好きなら、その気持ちは憎しみなんかじゃないよ。嫌いじゃないけど譲れない、負けたくない気持ち。これはキャロを強くするよ」
優しく話すソラトに、キャロの中の黒い感情は静かに消えていった。確かに、ルーテシア自身を嫌いになった訳ではない。
「ありがとうございます!」
「うん、頑張ってね!」
自信が付いたキャロは満足そうに念話を切る。
恋する女の子を元気付けると共に、ソラトは自分の目標を再確認したのだった。
『僕も頑張って……必ずなのはさんを超える!』
その時、北区域を警護していたティアナからアラートが入った。
「こちらティアナ。北側でネオガジェットを数機確認」
漸く敵が動き出したようだ。ティアナのいるポイントから一番近いソラトが応答する。
「了解、今すぐそちらに」
向かう、と言い掛けた所で口を止め周囲の気配を探る。
すると自然豊かなその場に不似合いな機械音と、ガサガサと草木を揺らして移動してくる音が聞こえてきた。
「……訂正。少し時間が掛かります」
「気にしないで。この数なら1人でやれる。他の皆も持ち場を離れず警戒態勢で」
フォワード陣のリーダーらしくティアナが指示をする。それと同時に、ソラトの目の前にネオガジェットが5体飛び出して来た。
「了解。ここから先は通さないよ!」
通信を切るとソラトは大剣型アームドデバイス、セラフィムを取り出し臨戦状態に入った。
ホテルから離れた森の中。
木陰に座り込んだ少年が、ネオガジェットのカメラアイから送られる映像を眺めていた。
彼の任務は当然、セブン・シンズの奪取。しかし、彼自身の目的はそれだけではなかった。
「やっと来たか、ソラト……」
いつもへの字に曲げていた口から歯を覗かせて笑う。
これで宿願が叶う時が来た。
少年は立ち上がり、土を払うとホテルのある方向へ歩き出した。
◇◆◇
ネオガジェット達との戦闘も終わり、日が暮れて月が昇る時刻となった。
結局警護中に獣人は現れず、ネオガジェットの編隊が襲撃してきたのみだった。
「何かが変だな」
貸し与えられたホテルの一室で、エドワードが考えを巡らせていた。同室にいるソラトとエリオも、今回は引っ掛かる節がある。
「ネオガジェット、しかもタイプAだけだなんて」
「今までの中でも、弱い襲撃でしたよね」
今まで確認された機体にも、空戦用の量産型ネオガジェットは存在していた。獣人はおろかそれさえも投入せず、陸戦用のタイプAのみでの襲撃は明らかに手を抜いている。
「もうすぐ見回りの時間だ。気を抜かずに行くぞ」
「うん!」
見回りは2人で行うことになっている。次はソラトとエドワードのコンビだ。まだ何か起こる可能性を十分考慮し、交替に向かおうとした。
正にその時、ホテル内に警報が鳴り響いた。
「まさかっ!」
3人は急いで宝物庫へ向かう。この警報の意味に、エドワード達は頭に悪い予感をよぎらせた。
「キャロ!」
「あ、エリオ君達もですか!?」
「ソラト! これって……」
途中で同じく警報を聞いたキャロと、見回りから戻ってきたスバル達と合流する。
勢い良くドアを開けると、そこには信じがたい光景が広がっていた。
「え……!?」
「
部屋の中に生き物の姿はなく、代わりに盗まれたと思われた怠惰が宙を漂っていたのだ。予想外な展開に唖然とするフォワード達。
「いえ、よく見て!」
だが、異変に気付いたティアナが指摘する。怠惰には何かで捕まれているような跡が付いている。つまり、姿の見えない何かが怠惰を盗み出そうとしていた。
正体を見破られた敵は、窓ガラスを突き破って外へ逃げ出す。
「あ、待てっ!」
6人もそれぞれのデバイスを起動しながら敵を追った。
見えない敵の行き先は、迷路のように入り組んだ居住地区。ただでさえ姿が見えないのに、真っ暗な夜中ということもあり、探し出すことは困難だ。
「手分けした方がよさそうだ」
「ええ……各自散って見えない敵を追って!」
少しでも効率を上げるため、分かれて探した方がいい。エドワードの提案に賛成し、ティアナが指示を下した。
月明かりが薄く照らす家並みにて、フォワード達と謎の敵との鬼ごっこが今始まった。