魔法戦記リリカルなのはWarriorS   作:雲色の銀

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第36話 別れ

 チンクがマラネロによって獣人化薬を打ち込まれた、次の日の早朝。

 ラウムは直々にはやての元へ来ていた。要件は当然、マラネロが映像ディスクにて要求してきた取引についてである。

 敵側の要求は六課が奪取に成功したセブン・シンズ"暴食(グラトニー)"、"嫉妬(エンビー)"の2種を渡すこと。そして、それらを持って取引を行う人物はラウム1人のみであること。

 

「お願いします。俺に、行かせてください」

「ちょ、ラウムさん!?」

 

 六課の会議室に来たラウムは席にも着かずに、その場ではやてへ土下座をしてきた。仮にも一等陸尉にして陸士部隊の部隊長という地位にいる男がいの一番に頭を地に付け、はやても流石に驚きを隠せなかった。

 

「六課側が命懸けで集めたロストロギアを預かるのだ。頭も下げれずして交渉もあったものではない」

「そ、それはそうかもしれませんが、とりあえず落ち着いてください!」

 

 ラウムの実直な性格ははやても知っていたが、まさかここまで態度に表わすとは。しかし事が早すぎる節もあり、はやてはラウムを落ち着かせてまずは話し合いの席に着かせた。

 会議の場にははやての他に、フォワード分隊隊長であるなのはとフェイト、六課の後見人である聖王教会騎士カリム・グラシア、そして同じく後見人のクロノ・ハラオウンがいた。

 最も、教会から滅多に離れられないカリムと多忙で現在も乗艦"クラウディア"にいるクロノは通信による参加だが。

 

〔久しぶりですね、ラウム〕

「お見苦しい所を見せました、騎士カリム」

〔貴方の真面目なところを、騎士レクサスも少しは見習って欲しいのですが……〕

 

 席に着いたラウムは、顔見知りであるカリムに挨拶をする。

 幼い頃に身寄りを失くしたラウムは、陸士訓練校に入るまで聖王教会に身を置いていた。そのまま教会騎士になるという道もあったが、守護の範囲をミッドチルダ全体と広く見ていたため、ラウムは陸士になることを志願したのだ。

 積もる話もあるのだろうが、今は世間話をしている場合ではない。ラウムは今回の現状について、もう一度説明した。

 

「私の補佐、チンク・ナカジマが薬を撃たれたのが午後14時37分頃。マラネロの説明が確かだとすれば、薬の効果が本格的に現れるまで残り6時間前後しかありません」

 

 ラウムが焦っている最大の理由が、この時間制限にあった。これを超えてしまえば最後、チンクは戦闘機人でありながら獣人と化してしまうのだ。そして、身体が適合しなければ命を落としてしまう。

 一刻も早く救うべく、ラウムは取引を行う他に方法はないと考えていた。それはこの場にいる他の面々も同じである。

 

「敵の要求はセブン・シンズ2種。それを私に持ってこさせることです。危険は重々承知ですが、こちらに悩んでいる余裕はありません」

 

 たった1人でマラネロと会うことがどれだけ危険なことかは、既にチンクが証明してしまっている。折角集めたセブン・シンズをラウム一人に持っていかせるなんて、目に見えて危険だった。

 

〔僕は反対だ。まだ7時間ある、もっとこちらでも作戦を練ればいい〕

〔私も反対です。貴方一人にこんな危険な真似を任せることなんて出来ません〕

 

 クロノとカリムは双方とも反対の姿勢だ。常識的に考えれば、当然である。

 こんな無謀な方法を取れば、チンクを助けるどころかラウム自身すら危ない。315部隊を動かせなくなれば、こちらを不利にするだけなのはラウム自身も十分理解していた。

 しかし、残り6時間で敵を欺ける作戦を思い付けるかどうかも怪しい。

 

「今は落ち着いて、何か考えよ?」

 

 この場にいる人間は、誰もラウム一人に危険な役目を負わせたくないと考えていた。はやては余裕のないラウムに優しく諭す。

 ラウムの頭に浮かんでいたのは、苦しむチンクの姿。短い間だったが傍にいて、信頼してくれた部下が身体を蝕まれていく様は、昔の仲間達が苦痛と共に死んでいく姿と重なって見えたのだ。

 

 はやて達が作戦を考えてから1時間、2時間と過ぎていく。しかし、誰一人としてこの状況を打開する案が浮かばなかった。一番手っ取り早いのは、取引直後にフォワード全員をマラネロにぶつけることだが、相手が相手なだけにバレ易い。

 影武者を使った場合でも、マラネロは1人で来るよう要求していたためにあまり意味はない。セブン・シンズも偽物を用意したところでロストロギアを取引に使うことに変わりはなく、やはり危険だ。挙げ句、偽物とバレた瞬間にワクチンを破壊されてしまう恐れもある。

 

「……やはり、俺が行くしかありませんね」

「そんな!」

 

 いよいよ取引時間が迫る中、ラウムが立ち上がる。はやてが引き留めようとするが、ラウムは首を横に振った。

 もうこれしか手段がないのだ。いかに代替品を用いても、伏兵を用意しても、マラネロの先手を打つことが難しい。

 

「その代わり、頼みがあります。エドワードを貸してください」

「エド君を?」

 

 ラウムの頼みとは、彼の唯一無二の親友を貸すことだった。エドワードは確かに優秀な狙撃手だが、一人でマラネロの裏を突いて狙撃が出来るかどうか。

 しかし、ラウムはエドワードを信頼していた。真っ直ぐ頼み込む視線に、もう焦りによる揺らぎはなかった。

 

 

◇◆◇

 

 

 マラネロが指定した取引の場所は、ミッドチルダ南東の草原だった。広がる草原に障害物は殆どなく、何かを隠しておけるような場所がないからだ。

 ラウムはチンクを両腕で抱え、チンクには封印済みの2種類の像が収まったアタッシュケースを持たせていた。

 タイムリミットが近付くにつれてチンクの呼吸も荒くなり、熱も上がってきているのがラウムには分かった。

 

「やぁ、ラウム・ヴァンガード一尉。それに、チンクも一緒かい?」

 

 その時、黄緑色の閃光が走り、2人の目の前にマルバス・マラネロが現れた。薄ら笑いを浮かべた科学者を殴り飛ばしたい衝動を抑え、ラウムは会話に乗った。

 

「解薬剤をすぐに打つためだ。文句はないだろう」

「こちらは1人で、と言ったはずだけど……まぁいいや。まずはセブン・シンズを渡したまえ」

 

 顔を顰めるマラネロだが、さっさと寄越せと言わんばかりに手を伸ばしてきた。

 不遜な態度に、最早怒りも出ないラウムはゆっくりとチンクを降ろし、持たせていたセブン・シンズの入ったケースを預かった。

 

「解薬剤を見せろ」

「……欲しいのは、これだろう?」

 

 ラウムはケースの中身を公開し本物であることを確認させると、今度はこちら側の要求である解薬剤が本当にあるかどうかを尋ねた。

 すると、マラネロは白衣のポケットから小さな注射器を見せる。中に入っている橙色の液体は明らかに怪しく、ラウムは警戒心を露にする。

 

「本物か?」

「あぁ、実験も既に成功済み。私の作品を疑わないでほしいなぁ」

 

 当然のように疑うラウムへ、マラネロは挑発的な態度を辞めない。

 だが、この無駄なやり取りがチンクの寿命を縮めていることを知ったラウムはこれ以上の言及をしなかった。どの道、チンクを助けるにはあの薬に頼るしかないのだから。

 

(頼むぞ、エドワード)

 

 この瞬間、ラウムは遠くからこちらを狙っているであろうエドワードに全てを託した。

 ケースを渡した直後、マラネロの手を狙撃することでケースを奪い返し、同時に解薬剤も奪うというのがラウムの最後の作戦だったのだ。

 マラネロに気付かれないギリギリ遠くの射程では、並の狙撃手ならば打ち損じるだろう。しかし、長年コンビを組んでいたエドワードだからこそ、ラウムは信頼を寄せていたのだ。

 

 実際に、エドワードも友の頼みに応じ、取引場所から600メートルも離れた場所からマラネロの手を狙っていた。

 そして、マラネロがケースをラウムから受け取った瞬間、エドワードはブレイブアサルトの引き金を引いた。

 

「おやおや、やっぱり1人じゃなかったじゃないか」

 

 しかし、エドワードの狙撃がマラネロに当たることはなかった。魔力弾はマラネロ達がいた場所の50メートル手前で地に落ちてしまったのだ。

 マラネロの台詞と着弾しなかったことで、ラウムはエドワードの狙撃が失敗したことを瞬時に悟りガーゴイルを起動、解薬剤を持っていた腕へ槍先を突き刺そうとした。

 

「おっと、これを握り潰してもいいのかい?」

 

 マラネロの言葉で、ラウムの動きは止まってしまう。右手に握られた注射器は、少しでも力を入れたらすぐにでも壊れてしまいそうだったのだ。

 完全に作戦失敗だった。エドワードの狙撃すらも、マラネロには読まれていたのだ。

 

 その頃、エドワードの方にはタイプゼロ・フォースがブレイブアサルトの銃口を踏みつけていた。

 狙撃するギリギリまで隠れ、引き金を引くタイミングと同時に銃を踏みつけて狙撃を外すようしたのだ。

 

「なっ、貴様!?」

「久しぶりだね、狼獣人さん!」

 

 フォースは自分の責務を果たすと、IS"真空破砕"を駆使してエドワードの顔面に一発入れた。

 フォースのモーションに合わせて発生する真空波は防ぐことが至難の業であり、エドワードはその場から吹っ飛ばされてしまう。

 

「そこを退けぇ!!」

 

 エドワードはすぐに体勢を整え、人間だった身体を狼獣人のものへと変貌させた。

 人間としての自分を取り戻したエドワードは、極力獣人の力を使うことを避けていた。だが、今はそうも言ってられる状況ではなく、エドワードは狼の咆哮を上げてフォースに飛びかかって行った。

 

 エドワードがフォースと戦っているとは知らないラウムは、今はどうやってマラネロから薬を奪うかのみを考えていた。

 

(転送で逃げられてはいけない。ここで逃がすくらいなら、マラネロを殺してでも奪った方がいい)

 

 思考を巡らせるラウムに対し、マラネロは楽しそうに笑顔を崩さない。寧ろ、全てが想定通りだと言わんばかりに顔をニヤケさせていた。

 

「約束を破ったラウム一尉には、何か相応の罰を与えるべきだと思うのだがね、どうだろうか?」

「ふざけるな!! その薬を渡せ!!」

「これがそんなに大事かねぇ?」

 

 激昂するラウムに、マラネロは首を傾げた。

 今まで陸士315部隊の映像データを見る限り、ラウム・ヴァンガードという男は常に冷静沈着で鋭い状況判断を見せていたはずだった。それが今は焦りが表面化しており、冷静さを保てていない。

 全ては、この薬が欲しいため。ならば、とマラネロはラウムを見てまた口元を歪ませた。

 

「これが欲しいのなら、もう一度チャンスを上げよう」

 

 マラネロはそう言って指を鳴らす。

 すると、マラネロが現れた時と同様に黄緑色の光が放たれ、中から体長2メートル以上はあろうかという程の巨大な鋼鉄の怪物が姿を現した。

 特徴的なのは身長以上に長い蛇腹状の尻尾、その先端は相手を突き刺せるように鋭い針となっている。肩しか関節のない両腕は盾として身を防げるほど大きく、手と思える部分には三本の鉤爪が付いていた。そして、頭部は牛の頭蓋骨のようなデザインをしており、空洞の眼の部分には敵を捕らえるセンサーがしっかりと備わっていた。

 現れた怪物は獣の咆哮のような電子音を響かせ、ラウムの前へのそのそと歩き出した。

 

「この最新作のネオガジェットを1人で倒して見せたまえ。それが出来たら、この解薬剤は君にあげよう。もし、彼女が変わるまでに倒せれば、だがね」

「貴様ぁぁぁぁっ!」

〔おい、避けろ!〕

 

 激昂するラウムへ、彼のデバイスであるガーゴイルが忠告する。その直後、ネオガジェット・タイプHの巨大な鉤爪がラウムに襲い掛かって来た。

 軽い身のこなしでラウムは鉤爪を避け、懐から懐中時計を取り出し強く握った。

 

「ならば……望み通り、瞬殺してやる! ガーゴイル、セットアップ!」

〔Standing by!〕

 

 ラウムが起動ワードを発すると同時に蓋を開くと、時計の針が回転し中から現れたワインレッドカラーの帯状魔法陣がラウムを包む。

 やがて魔法陣が消えると、ラウムは灰色の上着の上に黄色いラインが入った青のジャケット、黒いズボンを身に纏っていた。手には三叉槍が握られ、その切先は巨大な機械へと向けられている。

 

「はあああああっ!」

〔Bazuzu strike!〕

 

 ラウムはガーゴイルの三叉の刃に魔力を纏わせ、タイプHへ特攻していく。並のネオガジェットならばAMFごと斬り裂いてしまう強力な一撃であり、タイプHもすぐに倒せるだろうとラウムは考えていた。

 だが、タイプHは巨大な腕だけでラウムの全力の一撃を防いでしまった。傷こそ付けられているのだが、分厚い装甲を抜くまでには至らなかった。

 

〔クソッ、硬ぇなオイ! こんな鉄の塊に俺をぶつけるなんて何考えてやがる!〕

「くっ!」

 

 ぼやく愛機を無視して、ラウムは薙ぎ払われる前にタイプHから距離をとった。あの腕、特に鋭い鉤爪の一撃を食らえば五体満足では済まないだろう。

 あの盾のような両腕がある限り、自分の攻撃は通らない。そう確信したラウムはタイプHの隙がありそうな場所を探った。

 当然、前への攻撃は腕で防がれる。後ろは長い鞭のような尻尾があり、逆に反撃を食らいやすい。

 しかし、手を拱いている間にチンクの息はどんどん荒くなっていく。もう残り時間も僅かだろう。

 

〔ボサッとするな! 来るぞ!〕

「っ!?」

 

 タイプHの武器は太い腕や鉤爪だけではない。蛇腹状の尻尾は伸縮自在であり、地面を掘り進んでラウムを狙っていたのだ。そして、先端には人間の体を一刺しで葬ってしまうであろう針が付いている。

 ガーゴイルの指摘が遅ければ、ラウムは地面から帯びる凶刃に刺されてしまうところだった。

 

〔ラウム! あのデカブツ早く俺に斬らせろ!〕

「……そこか」

 

 タイプHの尾を避けながら、ラウムは漸くタイプHの弱点を見つけた。

 尻尾が引っ込んだ隙に、喚くガーゴイルを水平に構え先端をタイプHの頭部に向ける。ラウムの構えはまるでビリヤードの弾を撃つ姿勢のようにも見えた。

 

〔Belphegor spike!〕

 

 三叉槍を前へ突き出すと、刃の形をした魔力はそのままタイプHへと一直線に放たれた。

 ラウムの唯一の遠距離用魔法である"ベルフェゴールスパイク"だが、タイプHには難なく腕で防がれてしまう。装甲には先端部が少し刺さった程度しかダメージはなく、相変わらず強固な腕部は健在であった。

 そのガードモーションこそが、ラウムの狙いとは知らずに。

 

「ガーゴイル、フォルムツヴァイ!」

〔Fluch form〕

 

 ラウムはタイプHへと走り出し、ガーゴイルのカートリッジを1つ消費する。すると、三叉に分かれていた穂先は一つに纏まり、その下には三日月状の斧と鉤が出現していた。ハルバード型の"フルーフフォルム"こそ、ガーゴイルのフォルムツヴァイだ。

 ラウムはタイプHの腕を足場にし、頭上へと飛び上がった。巨大な盾は全身を防ぐ文字通り鉄壁の防御となるが、その巨大さが原因でセンサー部を塞いでしまう欠点があった。

 一瞬で敵を見失いセンサーをキョロキョロと動かすタイプHに、ラウムは穂先に魔力を集中させながら降りていく。

 

〔Atlas break!〕

「アトラスブレイク!」

 

 機械兵は構造上、関節部の装甲は薄くなりがちである。タイプHも例外ではなく、ラウムはがら空きの頭上から一気に降り立って機械の怪物の首を斬り落とした。

 綺麗に寸断された頭部は電子音の咆哮を放つことなく、重力に従って落下。裂かれた断面からは火花を散らすコードの束がいくつも見えていた。

 生物ならばこのまま死に逝くが、相手はロボットだ。頭部を失った程度で行動を完全に停止しない。その証拠に、ぎこちない動きだがタイプHは鉤爪をラウム目掛けて振り下ろそうとしていた。

 

〔さっさと〕

「墜ちろっ!」

 

 ラウムも相手が生き物でないことは重々承知であり、ガーゴイルを二度振り回す。残留した魔力の籠った斧はタイプHの肩関節をも斬り裂き、敵の主武装を失わせた。

 最後にラウムがその場から跳び立つと、今まで彼のいた地点からタイプHの尻尾が付き出て来た。標的を失った針はタイプH自身の腹部を貫いてしまう。

 頭と腕を失い、身体も貫かれたネオガジェット・タイプHは火花を放ちながらゆっくりと倒れ、最期には巨体を爆散させた。

 

「ブラボー! いやぁ、コングラッチュレーション!」

 

 ラウムの戦いを見ていたマラネロは、自身の作品が跡形もなく破壊されたにも拘らず、大きな拍手でラウムの健闘を讃えた。

 しかし、マラネロの挑発的とも取れる態度も気にする余裕もなく、ラウムはすぐに科学者へと詰め寄った。

 

「さぁ、解薬剤を寄越せ! 早く!」

「ま、まぁ落ち着きたまえ。ほら、これだよ」

 

 鬼気迫るラウムに、一瞬の怯えを見せたマラネロは白衣のポケットから再び注射器を取り出す。

 ラウムは解薬剤を奪い取ると、すぐにチンクの元へ走って行った。チンクは呼吸こそ荒く顔色も悪いがラウムの戦いを一部始終見ており、必死に腕を伸ばしていた。

 

「ラウム、殿……」

「チンク! もう少しだ、頑ば――」

 

 苦しむ部下の元へ必死に走るラウムだったが、身体に起こった異変に気付くのに時間はかからなかった。

 チンクも、眼帯をしていない左の眼が驚きと絶望で大きく見開いていた。

 あと少しというところで、その場に膝を突くラウムの背後。マラネロは口元を大きく歪ませながら、左手に構えた銃の引き金を引いていた。但し、放たれたのは鉛玉でも魔力の弾丸でもない。

 

「ラウム・ヴァンガード君。約束を破った君に、最後に一つ選択肢を上げよう」

 

 マラネロの言葉に疑問符を浮かべながらも、ラウムは自分が何をされたのかに薄々勘付いていた。

 ガーゴイルを落とし、ゆっくりと左手で首筋を触る。すると、何かが刺さったような痛みをチクリと感じた。首に刺さった異物を取ると、それは小さな注射器だった。何か入っていたはずの中身は空になっている。

 

「君が頑張って手に入れた薬を誰に使うか」

 

 次の発言で、ラウムは自分に撃たれた薬が何なのかを確信した。

 恐らく、これも獣人化薬なのだろうと。

 

「マラネロ……貴様……!」

「おっと、ウカウカはしてられないよ。ラウム君に打ち込んだのは、最も即効性の強い薬だからね。これを試したくて仕方なかったんだ。君のように強い肉体の持ち主なら、これにも耐えてくれそうだと思ってね」

 

 悔しそうに睨むチンクに、マラネロがラウムに打ち込んだ薬の説明をする。即効性の強い薬というのは本当らしく、ラウムは今のチンクと同じように苦悶の表情を浮かべ、滝のような汗を流していた。

 最初から、マラネロはこうなることを計算していた。弟子2人にセブン・シンズを持たせて向かわせたのも、チンクに獣人化薬を打ったのも、タイプHをラウムにぶつけて来たのも、全ては自分の実験のために仕組んだことだった。

 

「タイプHの戦闘データも取れたし、セブン・シンズも回収できた。後は、君達の内どちらかが獣人になってくれればいい。獣機人か、即効獣人化薬の証明か。あるいは、両方獣人になってくれても構わない」

「貴っ様ぁぁぁぁぁっ!」

 

 血も涙もない科学者に、チンクは残っていた力を振り絞って叫ぶ。しかし、叫んだところでマラネロは痛くも痒くもない。涼しい顔で、被検体を見下ろすだけだ。

 その時、膝をついていたラウムがチンクの元へ再び歩き始めた。ガーゴイルを杖代わりにし、一歩一歩進んでいく。

 

「ラウム殿……早く薬を、自分に……! 私のことなど、もう……!」

 

 チンクはラウムの行動を止めようと、首を振って訴える。

 だが、ラウムは躊躇することなくチンクの傍まで来て、獣人化の解薬剤をチンクの腕に刺した。

 

「ほぅ……一瞬の迷いもなし、か」

 

 ラウムの迷いのない行為に、流石のマラネロも感嘆の声をあげる。次の瞬間、ラウムはガーゴイルをマラネロの頭に向けて投げつけて来た。

 勢いよく投げられた槍は、その穂先を科学者の脳天に突き刺すはずだった。

 

「危ないなぁ」

 

 しかし、ガーゴイルがマラネロに突き刺さることはなかった。

 マラネロ上下が真逆になった2つの三角形が重なり合いその周囲を円が囲っているという、どの魔法式にも属さない魔法陣を眼前に展開し、投合されたガーゴイルを防いでいたのだ。

 今までニヤけた表情を崩さず挑発的だったマラネロも、無表情でラウムを睨んでいる。

 

「それが、お前の……」

「まぁいい。君の変化、楽しみにしてるよ」

 

 マラネロについて、管理局側が知っていることは少ない。だが、ラウムの咄嗟の反撃によってマラネロが未知の魔法式を使うという貴重な情報を得ることが出来た。

 マラネロはガーゴイルを払い落とすと、転送装置を起動。セブン・シンズの入ったアタッシュケースを持って、黄緑色の光の中に消えて行った。

 

「ラウム殿!」

 

 薬が効いてきて、起き上がったチンクは逆に倒れ込んだラウムの傍に寄る。目には涙を浮かべ、右目を塞ぐ眼帯を濡らす。

 そんなチンクを見て、ラウムは身体を苦痛が襲っているにも拘らず微笑みを浮かべた。

 

「何故、私なんかを! ご自分を大切にしてくださいとあれほど……!」

「……チンク」

 

 自分を犠牲にしてまで命を救われたチンクは、ラウムを責めながら涙を零し続けた。

 泣き腫らす部下に、ラウムは優しく声を掛ける。

 

「もう、こんなことで大切な人を失うのは、嫌だった……」

 

 こんなこと、というのはラウムが昔仲間を失った事件のことであった。未知の細菌兵器により苦しみ、最期には無地だった自分が手を下さなければならなかった。あの苦しみを思い出し、ラウムはチンクを救うことを躊躇わなかった。

 

「チンク……最期の頼みがある……」

 

 ラウムはチンクの綺麗な銀髪を撫で、一つ頼みごとをする。

 秘書官になってから、チンクはラウムの頼みごとを何度も聞いて来た。しかし、今回ばかりは聞けそうもないと首を横に振る。

 部下の泣き顔を見て、自分は彼女を困らせてばかりだとラウムは思い苦笑した。

 

「俺を、殺してくれ」

 

 それでも、ラウムはチンクの涙を拭いながら、最期の頼みを口にした。

 

 

◇◆◇

 

 

 チンクが解薬剤を打たれてから数十分後。

 フォースがマラネロの命令で撤退した後で、エドワードからの連絡を受けた陸士315部隊や、スバル達が急いでチンク達を迎えに来た。

 すると、チンクは()()でギンガ達の元に歩いてきた。

 

「チンク姉!? 無事か!?」

「部隊長は!?」

 

 駆け寄るノーヴェとギンガに、チンクは暗い表情のまま首を横に振った。

 チンク自身は人の姿のまま、立って歩けるほどに回復していた。だが、ラウムの姿が何処にも見えない。持って行ったはずのアタッシュケースも、チンクは持っていなかった。

 

「皆、心配かけた。それと済まない、セブン・シンズは……」

 

 チンクは自分が解薬剤を打たれて元に戻ったこと、セブン・シンズはマラネロの手に渡ってしまったことを告げた。ロストロギアを奪い返されたことは残念だったが、この場にいた全員がチンクの無事を喜んだ。

 だからこそ、チンクは胸を痛めていた。最愛の上司、ラウムを救えなかったことを。

 

「皆、心して聞いてくれ。ギンガは特にだ」

 

 そして、いよいよ話はラウムの安否についてに移った。

 思い出すだけでまた涙が出て来るチンクだが、左目を拭って話を続けた。

 

「ラウム殿は、私に殺すよう頼んできた。それに対し、私は――」

 

 

◇◆◇

 

 

 青い空を、いつの間にか灰色の雲が覆っていた。空を見上げていたラウムは、この灰色がチンクの銀髪の色とそっくりなように思えていた。

 美しく、ラウムは内心で気に入っていたチンクの長い銀髪が揺れる。

 

「私には、出来ません……! あなたを手にかけるなど、出来るはずがないでしょう!」

 

 両手で顔を覆って、チンクは泣き続けていた。上司と部下と言う関係だけではない。一人の男性として好いていた相手を、チンクは殺せるわけがなかったのだ。

 この願いがどんなに酷なものか、ラウム自身もよく分かっていた。かつて、自分が殺めた仲間達に頼まれたことと全く一緒だったのだから。

 

 

「……俺が獣人化する前に、早く殺してくれ。これは、お前にしか頼めない……」

「何故私なのです!? 私には……!」

 

 もう一度頼み込むラウムだが、チンクはやはり聞き入れてくれそうもない。

 この先、助かる見込みのない自分がチンクと話せるのは今しかないのかもしれない。ラウムは意を決し、本心を語り出す。

 

「お前が、好きだからだ」

 

 ラウムの突然の告白に、チンクは思わず顔を上げる。涙で腫れた顔を優しく撫で、ラウムはチンクの額に口付けをする。

 

「お前に俺を裁いてもらいたかった。惚れた女になら命をくれてやっても構わないと思った。だから、お前にしか頼めないんだ」

 

 ラウムは常々、自分のことを罪人と呼び過去の事件を自らの罪だと背負い込んでいた。そして、いつの日か戦いの中で裁かれ、命を落とすことを望んでいたのだ。

 それが漸く叶う。しかも、相手が一生でただ一人惚れた女とあれば、こんなにいい幕切れはない。

 

「だから、これは上司としての命令じゃない。俺個人の頼みだ」

「……そんなの、ズルいです」

 

 勝手な告白をするラウムへ、チンクは涙を堪えながら睨みつけた。

 また怒り出すのかと思い込んでいたラウムだが、次の瞬間には強く抱き付かれていた。チンクの背が小さい所為で、ラウムの胸で泣くような形にはなってしまったが、それでもラウムはチンクの突然の行動に内心驚いていた。

 

「そんなことで命を差し出されたら、私の想いは何処へ行けばいいんですか!」

 

 ラウムは一瞬、チンクの言葉の意味が理解出来なかった。私の想い、とは何なのか。

 

「私だって、貴方のことが好きなのに……! 私に裁いて欲しいだなんて、言わないでください!」

 

 チンクはラウムに抱き付いたまま、自身も告白をした。

 ラウムもチンクも、互いに一緒にいる内に好意を抱くようになっていったのだ。気付いたのはお互いが命の危機に瀕した時だったが、2人は両想いであった。

 そんな事実に今気付き、ラウムは自分の滑稽さに笑いすら出てきてしまった。

 

「それに獣人になっても、ラウム殿ならばきっと負けません。エドワードのように、ラウム殿のままでいられると信じています。だから、自分を諦めないで。死ぬことで償おうとせず、罪を背負って生きることで少しずつ清算してください。それが、私の裁きです」

「……そうか。俺は……」

 

 優しく語り掛ける愛しい人に、ラウムは自分への嘲笑と共に涙を一滴流した。こんな状況になって漸く、彼は自分自身を縛っていた罪から許されたような気がした。

 そう、ラウムはまだ死が確定した訳ではない。エドワードやマラネロの弟子達のように自我を保ったまま獣人の力を使う者だっている。

 しかし、それは一握りの適合者のみの話である。ラウムが危険であることに変わりはないのだ。

 

「ぐっ!? ああああああ!?」

 

 突如、ラウムが苦しみ出す。獣人化が始まってきたようで、右腕に変貌が始まってきていた。

 男らしい太い腕が獣のように更に太くなり、青い毛に覆われていく。更に手の先には鉤爪が生え揃い、このまま抱き締めればチンクの体を確実に傷付けてしまいそうだった。

 

「ち、チンク……! ならば、まだ頼みがいくつかある……!」

「は、はい!」

 

 変貌に苦しむラウムだが、瞳にはもう憂いを感じさせない。チンクを愛し、生きて罪の残りを清算する意思を決めたラウムに、チンクは大きく頷いた。

 

「皆に伝エテくれ……俺は、暫ク戻レソウニない。だから、後のコトハ全テギンガに任せル……ト」

 

 ラウムの声が獣人の時の低いものと入れ替わりになるが、伝えるべき個所をチンクに伝えた。

 陸士315部隊は突如、部隊長を失うことになるので代理としてギンガを指名した。だが、必ず戻ってくると言ったようにラウムには戻る意思があった。人間の姿を取り戻し、チンクの元にも帰ってくると。

 

「チンク……ありがとう。愛シテル」

 

 ラウムは最後にチンクへ口付けを交わし、すっかり変化してしまった手足を駆使して何処かへと去って行った。人の少ない、獣としての本能を曝け出せる安全な場所へ。

 命を救い、代わりに異形の姿を永遠に背負うことになってしまった。勇敢で哀しい漢の姿を、チンクはずっと見送っていたのだった。

 いつかまた会える。そう信じる女の手には、残された懐中時計が握られていた。

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