東洋租界奇譚 ―The Strange Episode of Oriental Concession― 作:soliquid
何かの折に、お読みいただければ幸いです。
842年。ウォール・シーナ領、ストヘス区内、とある館。
その夜、夜会(ソワレ)が行われた。普段ならば王政や貴族、兵団上層部などの社交の場である。珍しいことではない。だが、今回は様相が異なる。もちろん彼らも出席はしているが、特に目立つものといえば――
香炉から漂う素馨(ジャスミン)の香り。水煙草を静かに吹かす「プクプク……コポリ」という音。紫色の煙をフゥーッと吹き出す、妖艶な女性。原色鮮やかな、色とりどりの服に身を包んだ老若男女。
「――やァ、ロンさん。最近はどうだね」
「ぼちぼちかねぇ。パクさん、アンタのとこは?」
「――は、いやいや、アンタのとこには及ばないがねぇ、そういやウルジさんのトコの馬、また兵団に高く売れたってさ」
「やぁ、羨ましいもんだ――」
景気や商売の話だろうか。互いの出方を伺うような、それでいて同じような目的を持っているような――そんな不思議な空気。壁内では、まず見ることが無い衣装と言葉。この夜会を設(しつら)えた者の計らいか。一風変わった装いの者たちは、思い思いに酒を呑み、語らい、煙草をふかし、やがて弦楽など演奏する。
立ち込める香り。喧噪とBGMが程よく混ざり合う空間。
――珍しい曲調。これが「東洋」の音楽なのね。
金髪の少女は、初めて聴く音色に不思議な印象を持った。きちんと拍が刻まれているわけでもない。しかし曲調全体が一つの流れになっている。弦楽器の調べは、緩やかな大河の中にたゆたう魚のような。横笛の音は、悠久の草原を優しく吹く風のような――
齢七歳では、そんなことを言葉にすることはできないが、敢えて言葉にするならば、そんな感覚。少女は母に連れられてお披露目の挨拶を待っていた。
「――ほら、ご挨拶しなさい」
母に促され、一人の老人の前に出る。
――あ、さっき『ターラオ』って呼ばれていたおじいさんだ。でも、変な名前。
くすりと笑ってしまいそうになる気持ちを、淑(しと)やかな笑顔に作り替え、少女は挨拶をする。
「はじめまして。ヒストリア・レイスと申します。今宵は素敵な夜会にお呼びいただきありがとうございます」
ぺこり。
頻繁ではないが、昨年から夜会や社交の場に出るようになった。小公女(レディ)として及第点の振る舞いをする。『大老(ターラオ)』と呼ばれた人物は品定めするような目――そんな気がしただけだが――を向け、
「おぉ、これはこれは。レイス家のご令嬢――こちらこそ初めまして。あなた方のお陰で私たちは生きていられるのです」
恭しく礼を述べた。
「そうそう、ヒストリア嬢、我々もお目通りさせたい娘が居るのです。ちょうどあなたと同い年の――」
そう言った後、大老(ターラオ)が側用人に何か聞き取れない言葉をしゃべり、手を叩く。程なくして、奥の方から少女が連れてこられた。黒髪を伸ばし、前髪を額の高さで程よく切り揃えたような髪型。着ている服は――おそらく。今までに見たことがない。綺麗な模様の入った何枚かの布を筒のようにくるくる巻き、腹部に別の布でベルトをしている。言葉にするなら、そんな衣装だった。――わぁ、お人形みたい。ヒストリアはそう思った。
「はじめまして。ヒストリアさん。私、スバル・タカチホです」
ぺこり。
「向こう」の礼式なのだろうか、両手を合わせて膝を軽く折るような姿勢で、スバルと呼ばれた少女は挨拶をした。
七歳の少女同士、にこりと笑い合う。互いにこのような場で出会ったこと、その連帯感が彼女たちを親しい空気にさせていた。
「――ヒストリア、少し向こうでスバルちゃんとお話でもしていらっしゃい」
母がそう言う。大人の小難しい話は分からないので、そうすることにした。もちろんそこには大人の利害得失や駆け引きなど存在しない。
「――ね、行こ?」
「うん――」
ヒストリアとスバルは連れ立ってコテージの方へ向かった。
月が綺麗な夜だ。
「ねぇ、スバルちゃん?」
「なあに?」
「あなたたち、『東洋人』って言うのね?私、初めて会ったの!」
「そうなんだ!私もあまり外の人と会わないから――」
――外の人。ヒストリアはよく分からなかったが、スバルも箱入り娘なのだろうと理解した。確かにこのような夜会に来る程の人間だ。貴族でないにせよ、特殊な、そして比較的顔が利く有力な身分なのだろう。
その後、二人の少女はしばし語らった。互いの趣味や好きな物など。特にヒストリアは触れたことのない「東洋人」ということもあり、ひどく興奮していた。
話にうち興じているうちに、夜会は終わりを迎えようとしていた。子供が起きているには少々遅い。だが、大人達の夜会は、ここから第二幕を迎える。政治や利権、商売に関わる話――そんな駆け引きの第二幕が始まるのだ。夜更けまで。
「ぅう~ん……またね。また会おうね」
「――うん。約束ね」
互いに眠い目をこすりながらヒストリアが別れの挨拶を交わす。場所を変えるらしい。めぼしい大人達は二次会へと向かうのだろう。まばらに館から出て行く。どうやら父も二次会へ参列するらしい。ヒストリアは御者に連れられ、母と共に馬車に乗り邸宅への帰路へ就いた。
――そういえば、この館がある街って、なんだか不思議。私たちが住んでいるところと別の世界みたい――――
反り返ったような屋根。家や店の窓には、知らない文字。果たして文字だろうか、何かの紋様にも見える。
――これが「東洋」なんだ。
馬車の中で眠りに落ちる前、ヒストリアはそんなことを思った。
――その場所が『東洋租界(Oriental Concession)』と呼ばれることを知るのは、もう少し先の話。
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――楽しかったな。また会いたいな。
高千穂家に戻り、寝所で今日のことを反芻する。スバルもまた、ヒストリアとの出会いを静かに喜んでいた。もう慣れてしまった毎日の日課だが、今夜は特に楽しい。
赤い紐を結った長い輪――を両手にピンと張り、指を巧みに動かし、紐を様々な形に変えてゆく。梯子、塔、星空。物心付いた頃から行っている。「アヤトリ」という遠いご先祖の遊び――らしい。
――そうだ、今度ヒストリアに会えたら、いろいろ見せてあげよう。
得意の『四段梯子』を月にかざし、スバルは微笑んだ。
●あとがき
今回のテーマは「東洋人」です。ミカサの入れ墨とかミカサ母の刺繍とか、何となく原作では伏線ぽい部分のひとつになってますよね。
それはともかく、本作では僅かに漂う「いんちきオリエンタル」だったり「なんちゃってジャパニズム」な雰囲気を感じていただければ……と思います。前作以上に独自設定や解釈があります。ご了承ください。次回以降、少しずつ小出しにしていければと思います。
「租界(そかい)」――詳しい話はWikipediaに譲りますが、本国ではない外国の土地(主に都市部)で、特権や利権を持った人種・民族が、あるまとまりを持って住む租借居住地――みたいなものだと思ってください。
お読みくださり、ありがとうございました!
●次回予告
租界に住む少年。彼は剣を振るう。
租界の夜の賑わい。
夕餉(ゆうげ)の場で少年と少女は、しばし語らう。
彼と彼女を取り囲む現実。
夜は、こうして更けてゆく。
次回、第1話 九龍中心(セントラル・クーロン)、屋台街にて