東洋租界奇譚 ―The Strange Episode of Oriental Concession― 作:soliquid
このお話を書くに当たり、東アジアや東南アジア、西アジアや中東の文化やら租界の盛衰やらを調べようとして、「……うん、無理!」ってなったsoliquidです。雰囲気的なソレとしては、「カウボーイビバップ」や「攻殻機動隊」のアジアっぽい区画あたりを想像して頂ければと思います。
続きになります。
何かの折に、お読みいただければ幸いです。
夕刻。シーナの壁を夕日が朱く染める。
租界の一角。修練場だろうか。一人の少年が木剣を振るっている。時に素早く。だが、全体としては緩やかな動作が続く。何度も、何度も、一連の動作を繰り返す。身体に覚え込ませるように。正眼の構えから、縦、横、斜めなど、さまざまな方向に剣を振るう。同時に、足も移動しながらこの動きを繰り返す。ゆっくりとした動作の中に、幾つもの所作が込められている。一朝一夕では為し得ない動きだ。
「――ふぅ」
少し休憩を取り、汗を拭う。水筒の水で喉を潤す。先ほどまで振るっていた木剣は床に置き、次はやや小振りな木剣を二本用意する。片手で一本ずつ持ち、先ほどとは異なる動きを行う。この動きはまだ少し覚束ない様子で、傍らに置いた書物を見ながら、一つ一つの動作を確認するように動く。どことなく祈祷や舞踊のようにも見える。苦笑いをしながら、少年がつぶやく。
「――やっぱり、ニテンイチリュウ(二天一流)は難しいな」
しばらく型稽古をした後、少年は木剣を片付け、稽古場に併設する自宅へ戻った。軽く湯浴みをし汗を流した後、租界の夜の雑踏へと入っていった。
租界には、蓬莱(ホーライ)、九龍中心(セントラル・クーロン)、大和路(ヤマトジ)など、名前が付いた区画がいくつか存在する。はるか昔、人類が壁内に避難した際、東洋人の集団が作った区画である。現在は混血が進み、「名は体を表す」ほど厳格に民族性を反映するものでは無いが、それでも尚、東洋人の民族を祖先に持つ者達のルーツとなっている。
その区画の一つ、九龍中心には『屋台街』と呼ばれる一角が存在する。見た目は雑多であるが、食料から日用品まで、様々な物品が売られている。租界の中で最も栄えている商業区画であり、租界内はもちろん、租界の外からも客足が絶えない。色取り取りの提灯(ちょうちん)やガス灯が、原色の租界の夜をよりいっそう際立たせている。
本格的な酒宴の時間にはまだ時間が早いため、他の屋台を見回しても大人の客もまばらだ。少年は飲食を商う屋台に入った。
「――こんばんは、ヤンおばちゃん、「フー」ちょうだい。今日は卵もつけてよ。それから――何か肉も食べたいな。スズメとか――ある?」
声変わりが始まった時期特有の、高いとも低いとも言えない声で、少年が声を掛ける。注文は手慣れた様子だ。
「あいよ!今日も稽古あがりかい?精が出るねぇ――」
「うん。新しい技が少しずつ上達してきたから、今日は自分にご褒美をね」
おかみさんと挨拶がてら、長椅子の端に座る。
程なくして出された丼には、透き通った琥珀色のスープに麺が浮かんでいる。その傍らには卵と、少々の薬味野菜。
「このフーねぇ、相変わらずアンタのとこのお米を使ってるから美味しくて――ウチも儲かってるよ」
屋台のおかみさんが世辞を言いながら焼き鳥を調理する。串に刺した肉にしっかり火を通す。脂がしたたる。燃料の焼き炭に油滴が落ち、「ジュッ!」っと景気の良い音。一通り火が通ったところで、辛味噌を塗り、再び表面を炙る。味噌が少し焦げ、香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。
少年はおかみさんの世辞に少し照れながら、ゆっくりと麺をすする。醤油をベースにして、川魚で出汁を取ったスープが麺に絡む。噛めば、ほんのりと米の味わい。旨い。これは大当たりだ。
しばらく後、半熟の卵を溶く。つゆにコクが出て、また別格の味わいになる。丼に口を付けてつゆをクイっとまたひとくち。日中の野良仕事。その後の稽古で疲れた身体を温かく満たしてゆく。
「あぁ……」
心底満足そうにため息を漏らす。
「――はいよ、スズメおまち!」
おかみさんが焼き鳥を出す。串が五本。これも旨そうだ。さっそく一本手に取り――
「――あ!いたいた!!」
屋台の外から、快活な少女の声がする。串を持ちながらあんぐりと口を開けて振り返ると、黒髪の少女が居た。まだあどけなさが抜けきっていない面持ちだが、その横顔は少女から乙女になる端境期の瑞々しさを湛えている。切り揃えた前髪。後ろ髪をひとつにまとめた髪型をしている。着ているものは着物ではなく作務衣である。大方、野良仕事や家業の手伝いをした後、そのままの格好で来たのだろう。
「――よう、スバル。珍しいなお前が九龍に来るなんて」
「そ。たまには外でね」
スバルは飄々と答える。
「いいとこのお嬢さんが、出歩いて怒られないか?」
スバルの生家、高千穂家は、租界の中でも有力な家格であり、彼女の両親は大老(ターラオ)に次ぐこの街の言わば「顔役」であった。そのため王政関係者、憲兵団、有力な商会などとの折衝や交渉、あるいは接待に出向くことは少なくなかった。
「今日は父様も母様も寄合いに行ってしまったのよ。だから今夜は私だけ外食。たまにはお手伝いさんにも暇をあげないとね」
よく口が回る。スバルは少年の隣にストンと腰掛ける。
「ヤンおばちゃん、久しぶり!えっとね、えっとね――」
スバルは屋台の食材を見ながら、どうしようか決めかねている。ちらりと少年の方を向き、
「――ね、同じのにしていい?」
先ほどの至福のため息を聞かれたのだろうか。スバルはそんな同意を求めてきた。確かにこの旨さは空き腹にガツンとくる。彼女も彼女で日々の労働と稽古で疲れているだろう。ならば答は決まっている。
「――あぁ、もちろんだ」
「おばちゃん!神威(カムイ)と同じのちょうだい!」
「あいよっ!高千穂のお嬢が来たとあっちゃ、手は抜けないねぇ!」
おかみさんはフーと焼き鳥を調理し始めた。顔役の家の者が雑踏の屋台に顔を出すこと、ひと昔前では考えられなかったが、スバルはこういう散歩が嫌いではないため、こう見えて顔が広い。
スバルとカムイは、焼き鳥串に口を付ける。
外側はパリッとしているのに、中は芳醇。ひと噛みごとに肉のうま味が溢れ出す。そして極めつけのピリ辛の炙り味噌ダレ。これが旨くないはずがない。
「――やだ、これすごく美味しい!!」
スバルは汗をかきつつ、小動物――子リスか子ネズミのように、もくもくと食べる。昔からの大食らいは相変わらずだなとカムイは思ったが、家柄のせいか、決して品が悪い食べ方では無い。健啖(けんたん)なのだ。
「おや、嬉しいねぇ!じゃあこれはおまけだよ」
おかみさんは頬を緩め、香味野菜と茸の炒め物を一人前出してくれた。二人で分けて食べろ、ということだろう。野菜炒め自体は互いの家でも普通に食べるものだが、こういう粋な計らいは嬉しくなる。先程の辛味噌とは異なり、薄味。クセの無い味だが、これも箸が進む。
食べながら、スバルとカムイは食べながら世間話をする。
「お前んとこの親父さんとお袋さん、最近は特に忙しそうだな」
「ええ。大老(ターラオ)のお供もだけど、父様母様だけでシーナ壁内まで行くこともあるみたい……」
846年。すなわち、シガンシナ陥落から一年。ウォール・マリアは未だ、ウォール・ローゼ領内の移民の受け入れで混乱していた。しかしウォール・シーナ領内に限れば、シガンシナ陥落の直接的な影響は大きくなかった。移民受け入れの問題のほとんどは、マリア領内で起こることだからだ。
そして、シーナ領内でも、この租界の景気の良さは頭一つ抜けていた。租界結成時に先祖達が王政との間で取り決めた約束――「免税」。租界の住民は、そのすべての活動において、王政への納税を免除されていた。そのため、ストヘス区近隣の商業や物流がより盛んになり、免税品を求め、買い物客が来る。貨幣の流通は景気の対策にもなるため、王政側も一種の「経済特区」扱いとし、特別措置を認めてきた。シガンシナ陥落による混乱、大恐慌の中でも、租界の住民はしたたかに生活を営んでいる。
「そりゃ大変だ。でもそういう大役はお前ん家くらいしかできないよ。俺んトコは『混血二世、三世』ばかりだからなあ。そろそろ租界から追い出されそうだよ」
カムイは三本目の串を食べながら独りごちる。スバルも麺をすすりつつ、答える。
「あら、そうだっけ。でもカムイのお父様は混血だけど騎馬民族の末裔じゃない。お母様のご実家だって北方系の名家でしょ?それに――」
しかし、スバルより二代ほど前の世代から、その様子は変わってきた。
租界結成当時は「東洋人」であること、それそのものが「特権」であった。だが、時を経るにつれ混血が進み、純粋な東洋人は戸籍上、スバルの親の世代で絶えてしまったという。スバルの母方やその兄妹は純血だが、父方は混血家系だ。それでもスバルはじめ高千穂家の血統純度は高く、租界の中でも有力な名家たり得るのだが。
当然、戸籍を管理する王政側もこれは承知で、混血が進む東洋人をどこまで「東洋人」と見なすか、兼ねてから議論の対象になっていた。租界側も考慮せざるを得なくなり、生き残りと先祖代々の土地を守るため、様々な方策を講じている。
その一つが、『文化・技術の伝承』である。
血統ではなく、東洋の文化や技術の伝承――それは壁内の人類のほとんどが持ち得ないものである。言語、農林水産業、音楽・舞踊などの芸能、民芸品、武器、そして神秘まで、租界内に手がかりが現存するものに限られるが、ありとあらゆる『東洋』を残し、それを希少価値とする――
そこに王政が利用価値を見いだせば、の話だが、何もしなければ租界は緩やかにその特権を剥奪され、やがて瓦解するだろう。瓦解を免れるとしても、完全に王政の管理下に入り、免税や自治権をはじめ、さまざまな特権の消失は免れない。形骸化するのだ。
特権と民族性。傾きがどちらに強いかは個々人に依るが、現時点での租界の方針はこのようなものであった。そのため、純度の強弱にかかわらず、租界の子供達は何かしら「一人一芸」を課されている。一芸を為すに至らなかった者は、租界の居住という権利を剥奪され、ストヘス区内の一般市民となる。それ自体致命的なことでは無いが、やはり利権を保持したい、血統を維持したいと考える者は少なくない。
「――それに、カムイ。あなたには、『剣術』や『武芸』があるじゃない。あなたの腕前なら、立派な憲兵になれるわよ」
はふはふ、と鳥串を食べたあと、スバルがそんな風に言う。
「――そうだといいな。お前の一族の『術式』だって大したものだぜ。一族悲願の神官職に就けるんじゃないか?」
「――そうなったら、私たち内地で結婚するの?それとも此処に住み続けるのかしら?」
――結婚。開拓地で暮らす他の同年代の子供たちには、まだあまり実感が湧かないだろうが、スバルもカムイも、「一族」や「末裔」などの言葉を物心つく頃から散々聞いてきた。租界に暮らす子供の習わしであろうか、さほど抵抗なくこのような話もできる。
「さぁ、どうなんだろうな。王族や貴族と親戚関係になれば、それはそれで旨味もあるんだろうけど――あっちはあっちで「いろいろある」って父さんが言ってたしな」
「あなたのお父様、憲兵団だものね。そこら辺は詳しいわよね――頼りにしてる」
カムイの言葉を聞きながら、スバルはヒストリアのことを思い出していた。初めて夜会で出逢った後も、定期的に顔を合わせるようになった。間を置かず意気投合する仲になったのだが、どういうわけか昨年あたりから急に姿を見せなくなった。病気か、それとも――カムイの言う『いろいろ』の悪い方を想像してしまい、少し表情が曇る。同時に、あれだけ綺麗な少女だ。少し早いが、どこか名のある家に嫁に行ったのかもしれない。そうであればいずれ近いうちに夜会などの社交の場で出逢えるはず――そんな期待もあった。
「あぁ……食った食った!」
「――おいしかった!おばちゃん、お代ここに置いとくね!」
よく会う幼馴染とは言え、会えば話が尽きない。互いに満腹になり、屋台を後にする。
帰り道。九龍中心の繁華街を抜け、大和路の区画へ。よもやこの租界の中で、顔役の娘に手を出す命知らずは居ないだろうし、スバルが印を組み術式を発動すれば――襲った者が気の毒な結末になる――が、念のため、カムイはスバルを送る。カムイにとっても大和路には母方の実家があるため、子供の頃から頻繁に来ている。そうでなくとも稲の作付けや刈入れで、父方母方問わず、一族郎党で揃って大和路の区画の外れにある田畑で野良仕事をしている。もはや慣れた道だ。
スバルの生家、高千穂家の近くまで来た。
「ねぇ、たまには遊びに来て。私の術の上達具合も見て欲しいし――また『柔(やわら)』も教えて欲しい。あと、父様も母様もホクトも、来て欲しいって言ってる」
「わかった。裏作の作付けが終わったら暇見て行くよ。ホクトにはちゃんと自分の稽古をしろって伝えといてくれ」
苦笑しながらカムイが答える。
スバルの二つ下の弟、ホクト(北斗)は、どうやらカムイに憧れており、本業の術式よりも剣術の真似事にうつつを抜かしている。カムイは兄貴分として、ここは少しビシッと決めておかないとな。などと思う。
スバルを送った帰り道、カムイはもう一度九龍中心に寄り、先程の屋台で焼き鳥を数本包んでもらった。母親への土産にするためだ。
「――父さん、今頃どうしてんだろな」
憲兵団騎馬隊としてシーナ壁内に勤務しており、月に数回しか帰宅できない父親の安堵を心配する。
ガス灯でぼんやり輝く星空を見ながら、カムイは家路を急いだ。
●あとがき
孤独のグルメ、「九龍中心の屋台街、フーと雀肉のピリ辛味噌ダレ、香味野菜炒め付き」、お送りしました。焦るんじゃない。これは進撃の巨人の二次創作なんだ。それなんてゴロー?うおぉん!
作中の「フー」は華南からベトナムあたりの麺料理です。米粉を練ってうどん状にしたものです。
スバルと対を為すもう一人の主人公、カムイ(神威)・ペシュカが登場です。剣を振るって屋台で麺類を食べて世間話をするだけでした。作品中で詳しく書くか分からないので、補足を。「ペシュカ」という姓はトルコ系だそうです。「トルコ」の語源をさかのぼると、かつて「テュルク」と呼ばれる西アジアから中央アジアにまたがる騎馬民族でした。その末裔、という感じです。東洋とはちょっとズレますが。名前の「カムイ」はアイヌの言葉が由来です。
屋台の描写、ローティーンの男女ではなく、既にオッサンのソレですね。いやはや。
●次回予告
847年。東洋租界(Oriental Concession)に住む少女、スバルは一二歳を迎えていた。
在り方を模索する租界の方針により、生きるべき道が用意された。
だが、スバルの胸中は穏やかではない。運命を受け入れるのか、それとも――
次回、第3話 鳥籠姫と狐目女(仮題)