東洋租界奇譚 ―The Strange Episode of Oriental Concession― 作:soliquid
あついぜぇ!あつくてしぬぜぇ!
――という夢を見たのさ。蓋を開けてみればいつも通り地味な展開。
続きになります。
何かの折に、お読みいただければ幸いです。
スバルとカムイは、大老(ターラオ)の住処まで来た。二人とも正装をしている。このまま夜会にでも行きそうな雰囲気であるが、本日の行き先はそれ以上に緊張する。
互いに無言。
「――どーにも硬いねぇ、君たち」
二人の後から、のんびりした声が聞こえる。
「「――ドーライ先生」」
二人の引率としてやってきた男――道士のドーライが声をかける。
道士、ヤン・ドーライ(楊 道来)。大別すれば大老側の人間であるが、租界の子供達に読み書きや算術を教える役目を担っている。大老の一族の傍系であるが、権力とは少し離れたところに居る変わり者である。ちなみに、そのさらに遠い親戚には、あの屋台のマダム・ヤンが居るのだが。
「――しかし、僕でいいのかい?」
正直なところ、人選は最後まで迷った。カムイの父にするか、それともスバルの両親にするか。いや、誰それが――などと、収拾がつかなくなった。そんな中、ふと、ドーライの名が浮かんだのだ。
政治力こそ無いが、大老に比較的近い傍系の者。また、租界内外にもよく通じ、スバルやカムイが相談しやすかったということもある。ドーライの寺子屋を訪ねた際、思い切って打ち明けてみたのだ。
「それにしても、兵団、ねぇ……」
タバコをぷかりと遣りながら、ドーライは無精髭をさする。こう見えて二十歳を過ぎた頃の若者なのだが、明らかにその容貌は四十がらみのそれである。
(前門の虎、後門の狼――か)
租界という不自由から飛び立ったとしても、箱を替えるに過ぎないのではないか。己の命、運命の預け先を、「血の掟」から「王政」へ替えるだけではないのか。
そう思ったが、二人が話しに話して決めた結果である。どうなるのかの成り行きは分からないが、せめて、無事な姿で家には帰してやろう――そう思うドーライであった。
その後、スバル・カムイ双方の両親に許可を取り、「後見人」として同行することになった。
スバルとカムイは、今日この場で大老に訓練兵団入りを――決意表明する。
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「――大老、来ました」
側用人が大老に告げる。
「そうか」
言葉少なに大老が答える。いつものゆったりとした服ではなく、やや締まった装いをしている。
ドーライが目通りの取り次ぎをすることは既に知っていた。租界の掟に刃向かうほどの気骨がある若者は、ここ二十年ほど見ていない。
大老自身は、彼ら二人を叱るでも咎めるでも窘めるでもなく、また、強制することも考えてはいなかった。
ただ――確かめたかった。見てみたかった。
租界の掟を破り、自らの翼で飛び立とうとする若者の決意と――実力を。
「各々方、準備と覚悟は――よろしいか」
部屋向こうに移動し、声をかける。
数人の影が、こくりと頷いた。
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「スバル・タカチホとカムイ・ペシュカ、入ります」
ドーライの後に続く二人。日が高い時間に呼ばれたのだが、大老の屋敷の中は陽が当たらない。少しひんやりと、湿気を含んだ空気。租界内の者だからだろうか。高千穂の家の者だからだろうか。特に持ち物を改められることもなく、目通りを許された。
「――よく来た。で、話というのは?」
燭台の蝋燭の炎がゆらめく。
「はい――私、スバルは、カムイと共に来年から訓練兵団に入りたく――その」
スバルが気圧される。
「その……恐れながら、大老の申し出をお断りに伺いました――」
カムイが言葉を継ぐ。大老はまったく動じない。恐らくではあるが、このような話であることは分かっていたのだろう。
「レイス家への縁談の話を蹴ってまで、兵団に入ることの『利』は、租界にあるのかね」
特に感情の籠らない声で、大老がスバルに問う。
「――はい。厳しい選抜になると思いますが、憲兵団に選ばれた暁には、壁内の様々な有形無形の情報を提供致します。カムイのお父上だけでなく、我々若い世代も租界の手足となりましょう」
当然訊かれるであろう質問。スバルは用意した答えを述べた。
「――ふむ。しかし、その申し出は不確定ではあるな。我々としても、お前達が『きちんと』仕事ができる保証が欲しい」
大老が白髪交じりの繭の奥でわずかに目を細める。
(あれは楽しんでいるときの――?)
表情の変化に気付いたのはドーライだけであった。何かある――
ドーライがそう思うと同時に、大老が
「各々方、お出になられませい」
後方の部屋に向かい声をかけた。
「……うそ、でしょ――なん、で」
スバルの顔が青ざめる。理解の範疇を超えている。
「なんで、母様が――居る、の?」
スバルの向かいに、装束に身を包んだスバルの母――高千穂家術式正当後継者――高千穂 流麗(ナガレ)が立っていた。
「――兵団には行かないで、スバル。お願いよ……」
震える声でありながら、印を組み、術式を発動させる。
(やはり、すべて想定内か――!)
ドーライは事を収めようと同じく術式を発動させようとする。服の中から吸霊の護符を取り出し――
――身体が動かない。
「邪魔をするでない――小童」
静かな一言。大老も術を行使している。ドーライと同系列の術ではあるが、その精度と威力は桁違いだ。圧倒的な力で押さえ込まれ、ドーライはその場にへたり込む。確かに甘さがあった。後見人気取りで安穏と付き添いをした自分を恥じた。
「――母様!やめて!!話を聞いて!!」
「おばさん!やめてくれ!!」
スバルが、カムイが叫ぶ。しかしナガレは術を解かない。静かにつぶやく。
「あなた達の、覚悟を――母さんに見せてちょうだい」
うまく話が通じない。娘を想う気持ちの隙を突かれて、おそらく大老に「虚の術」でもかけられたか。意志を妨げず意識を操る、という高等な術だ。ナガレは自分が大老の術にかかった自覚のないまま、自分の意志で術式を発動させている――はずだ。
(この程度の理不尽に打ち勝てず、何が自由か――)
前後不覚になるスバルを見て、大老は少し肩透かしを受けた気持ちになる。やはり――子供、か。
スバルの母、ナガレが得意とするのは、天地万物の気脈を操る術である。日が照っていれば太陽の、雨が降っていれば雨雲や水の、彼女の周りのあらゆる有形無形を「力」とし、扱うのだ。
大老は政治家である前に、呪術を扱う「道士」であり、この館には「龍脈」と呼ばれる一族秘伝の気脈を通してある。その本拠地で術を放つのだ。スバルは、母の術の向こうに、荒々しく深い、そして尽きることのない圧力を感じていた。
「――ちっ、人妻操るなんざ悪趣味で見ちゃいらんねぇな……ったく」
別の方向から声がする。
声の主は、意外な人物だった。
「――ッ!」
今度はカムイが驚愕する。
「よぅ、お嬢に坊主。お前らも好きモンだな。わざわざ化け物爺さんの家でドンパチやろうなんて――な」
浅黒い肌。まだら模様の着崩した着物。雪駄を履いたその人物こそ――香具師(やし)の国定羅門(ラモン・クニサダ)であった。帯には揃えの本差しと脇差しが見える。
「サダさん――まさか」
カムイにとっては武芸の兄弟子に当たる――らしい。もっとも国定の代に師匠が亡くなってから、実質、徒弟制度も無くなり、道場での稽古は廃れた。幼少の頃から書物を頼りに稽古するしかないカムイにとっては実感が湧かないが――それでも尚、赤の他人というわけにもいかない間柄であった。
「――ま、そういうこった。お前等のスジ通したけりゃ、俺たちを力ずくで何とかするしかねぇのさ……」
国定は腰の刀を二本抜き、だらりと構える。
「あの爺さんから「殺すな」とは言われてる。だが――そのつもりがなくても「死んじまう」ことだってあるんだからな……」
苦虫を噛み潰すように、国定はそう吐き捨てた。
ナガレと国定に挟まれた形になったスバルとカムイ。
「スバル――まず俺がおばさんを柔で組み伏せる。最悪、怪我はするかもしれない――ともかく、正気に戻ってもらおう」
動揺するスバルにカムイが耳打ちする。
「――援護、頼めるか?」
覚悟を決め、スバルがこくりと頷く。
『オン・バサラ――』
とてつもない速さで連続した印を組み、スバルが真言(マントラ)を唱え始める。幼少の頃から日課として行っていたあやとり。おかげで今では自在に印を組むことができる。
真言(マントラ)の他にも、祝詞(のりと)、陰陽術(おんみょうじゅつ)、修験(しゅげん)など、様々な『術式開始儀式(イニシエーション)』はあるが、スバルはこの形式での術式の発露がもっとも適していた。あやとりのように、集中力を紡ぎ、結い、何層もの網のようにするイメージ――ガチリ、とスバルの頭と身体の中でスイッチが入る。大老の館の龍脈がスバルにも流れ込む。
それが闘いの合図となった。
「リン・ピョウ・トウ・シャ……」
続けざまに九字を切る。流れ込んだ龍脈が身体の隅々にまで行き渡る。
「カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン!」
カムイの背中に手を触れる。龍脈がカムイの身体にも流れ込む。一時的だが、カムイにも力が付与される。
ナガレも国定も、その様子を見届けてから、構えに入る。
「高千穂の奥さんよ、意識が混濁してっから分からねぇとは思うが――まかり間違っても自分の娘ェ、殺しなさんなよ」
国定が耳打ちする。ナガレはちらりと国定を見やり、また無言でスバルの方を向く。
「フウゥゥゥッ!」
まずはナガレが気脈をスバルに向けてぶつける。衝撃波のような、見えない「塊」がスバルに向けて襲いかかる。スバルは印を組み、呪文を唱える。
「――怨敵から 守り 祓ひ 給へ」
短い詠唱。おそらくはナガレと同じく見えない「防護壁」を作ったのだろう。ナガレの放った衝撃波はスバルの横を逸れて後方にいなされた。しかし、その威力は絶大で、部屋の土壁が「ぼこり」と凹んだ。
実際に本格的な攻撃術式を見たことがないカムイはゾッとする。が、
「――何処見てんだ、坊主!」
首筋を狙う薄刃一閃。決して油断していた訳ではないが、すんでのところでカムイは身を捻り躱す。すぐに構え直す。
「あっちはあっちで勝手にやってりゃあいい。お前の相手は俺だ。オラ、かかってこい!」
カムイは国定を睨み付け、裂帛の気合いを放つ。
「うおおおおぉっ!」
示現流。一番得意な右上から左下にかけての袈裟斬り。太刀筋は、先日夜会(ソワレ)で見せたものと寸分違わない。
――が。
会心の一撃を、こともなくひらりと躱される。返しの刃を左から右へ薙ぎ――いや、できなかった。国定は、カムイから見て左に躱したのだ。
「――ちっ……」
国定が手首を返し、逆刃に構える。
「――痛ぇぞ」
がらんどうになったカムイの左脇腹に、鉛のような重い一撃。呼吸ができない。カムイは膝を付く。
「か――は、ッ!!」
構えを解き、国定が呆れたようにつぶやく。
「お嬢の術式が無けりゃ、お前ぇ、峰打ちでもオダブツだったぜ……?」
国定は大老を、そして大老の術に拘束されているドーライを一瞥する。
『あの青二才……コイツら無事に返せんのか――?』
「――――っ!!」
国定を精一杯睨み付けて、カムイは立った。アバラは折れてはいまい。ヒビは入ったかもしれないが。
一撃で分かった。いや、「分からされた」。街のチンピラのような者だと誤解していたが、仮にも同門の兄弟子。国定も剣に打ち込んだ時期があったのだろう。見せかけだけの大技で何とかなる相手ではない。カムイは正眼に構える。
「ほう――北辰一刀流、か。悪くねぇ――な!」
国定はだらりと刀を構えたまま、跳躍する。
「おらぁっ!!」
下から逆袈裟に斬り付ける。
鍔迫り合い、防戦が続く。
先日、夜会で聴衆を驚かせたカムイの剣術だが、「まっとう」なものではない。初めて見る者には珍しく、確かに切れ味も鋭く威力もあることは間違いない。しかし、書物頼みの型稽古ばかり行ってきたので、闘いの緩急や虚実が――ほとんど分からないのだ。
現に、得意としている示現流も、「初の太刀」のみ徹底鍛錬し、他は一通り、それなりの精度で扱える程度である。古(いにしえ)の剣豪の「免許皆伝」には遠く及ばない――それが、租界での伝承者の哀しい現実であった。
ナガレと国定は攻撃の手を緩めない。特に分担をしているわけではないが、ナガレとスバルが、国定とカムイが対峙する形で闘いが続く。
虚ろな目で気脈を有形無形の渦に、鞭に変えて攻撃するナガレ。それを必死の形相で防ぐスバル。スバルの顔には未だに焦りの色が見える。母親が自分に攻撃をする、という「あり得ない事態」が整理できていない。
戦況はじりじりと劣勢に回る。
『母様――なんで……っ!』
スバルは泣きながら、防御陣を展開することしかできない。カムイも戦えとは言えない。しかし、実力や状況の差は圧倒的だ。
どうする――
どうすればいい――
カムイは、汗で湿った刀の柄を、握り直し、正眼に構えた。
スバルは、震える声で呪文の詠唱を続けた。
● あとがき
少し時間が空いてしまいました。すいません。
もう少し戦闘描写が続きます。
あと、前作に比べて登場人物をちょっと出し過ぎたかもしれない。
掘り下げが難しいです。
● 次回予告
「闘わなければ、生き残れない」
――誰が言った言葉だったか。
神秘を操る少女と、白刃を操る少年。
各々が覚悟を決め、精一杯の剥き出しの暴力を奮うとき――
次回、第6話、「呪言(じゅごん)の巫女(仮題)」