東洋租界奇譚 ―The Strange Episode of Oriental Concession― 作:soliquid
「奇譚」という名前を付けている以上、ちょっと不思議で不気味な雰囲気になるように書ければいいなぁ、と。相変わらず爽快感や疾走感がありませんが。
何かの折にお読み頂ければ幸いです。
『どうやら、あの小僧は、期待はずれ……か』
大老(ターラオ)がカムイを一瞥し、肩を少し落とす。
『ものには成らずとも――だ。あのしぶとさは予想外かの。小娘の護衛くらいにはなろう――しかし』
『先ほどからチリチリと――煩わしいことよ』
大老の吸霊札に抑え付けられ、身動きは取れないはずの道来(ドーライ)から、僅かながら抵抗する力を受けている。少しでもあの少年少女の役に立とうとするのか、辛うじて動く口を動かし、ゆっくりと道教の破邪文を唱えている。
並の道士であれば気絶を免れないところであるが、傍系とは言え大老一族を名乗るだけのことはある。ほんの僅か、胸の奥が焼け焦げるような不快感を余所に、大老は戦況を見守る。
「――――ッ!!」
何度目かの斬撃が空しく空を切る。その度に、脚に腕に、強烈な一撃を叩き込まれる。逆刃にしているのは、「命までは奪わない」と言った国定(クニサダ)の「せめてもの情け」だろうが――
――それを補って余りある鈍痛が奔る。
意識が揺らぐ。
涙が――出てくる。
痛いからじゃない。もちろんそれもあるが――
悔しい。
年月をかけて練り上げたものが、まったく通用しない。あの積み重ねた日々は何だったのだろう。幼馴染も守れないような情けない小僧――それが今の自分なのだと、カムイは痛感した。
相手の国定は、手を伸ばせば届きそうな位置に居るのに、刃筋がまったく当たらない。雲や霞を相手に闘っているような「異質な」感覚。それでも――
「――ぅ、うおおおおっ!!」
獣のような咆哮をあげ、気力を振り絞り、身体を奮い立たせる。
肩で息をしている。既に分かっている。限界は近い。
ぎろり、と国定を睨む。一刀が駄目ならば、二刀流で。小太刀「朧(おぼろ)」と「叢雲(むらくも)」を携え、何千何万も稽古をした型通りに、国定の懐へ飛び込み――縦と横を絡めた連撃。だが――
――また当たらない。兄弟子であることを考えれば、太刀筋をある程度知られていてもおかしくはない。しかし、『その剣筋は見切っている』とばかりのゆらりとした動作で連撃を躱される。あるいは、刀でしっかりと受け止められる。
――せめてひと太刀。カムイは二刀のうち、利き手である右手の小太刀を国定に向かって投擲する。当然躱される――その隙を見て残る左手で国定を串刺しにせんとばかりに刺突を仕掛ける。
『迷いは――既に無ぇが……身体が付いていってねぇ』
カムイ自慢の震脚(シンキャク)を使った高速移動も、打ち付けられる痛みと重なる疲労で、万全な状態の半分も発揮できない。逆を言えば、戦闘開始時に、万全な状態のカムイの震脚を見切り受けきった国定の技量も凄まじいのだが。
利き手ではない左手での刺突、もはや躱すまでもなく。
「――ふぅっ!」
国定は自身の刀をつばぜり合いのようにカムイの小太刀に打ち付ける。
「あぁ――」
もはや握力も充分でない。カムイの左手から刀が弾かれた。しかし、まだだ。まだ――
無刀の左手を乱暴に伸ばし、国定の着物の襟をありったけの力で掴む。不完全だが、対象物を固定し、そこに拳を打ち付ける技――『爆骨(ばっこつ)』を見舞おうとする。
――国定としても、このような味の悪い催しは早く終わらせたかった。しかし、何度峰打ちで痛めつけても、まったく心が折れる様子がない。それどころか、最初は怯えと焦りが見えた剣筋に迷いが消え始めた。
兄弟子の国定から見ても、抜刀や打ち下ろしの切れ味は申し分ない。贔屓目無しに、震脚や俊敏性ならば、三十も半ばの国定を超えている。稽古を少しも欠かさなかった痕跡が見て取れる。「まとも」に喰らえば、国定とて無事ではないだろう。しかし――悲しいかな、その脚捌き、眼捌きが致命的に素人だ。闘いの『流れ』というものを理解できていない。本当に惜しい。
「お……おおおっ!」
カムイ渾身の、右拳の打突。入れば骨折は免れまい。
「てめぇが五体満足で生きて帰れたら――」
「――俺の技ァ、全部くれてやッからよぉ!」
捕まれた胸ぐらの左手を強く揺さぶり、固定を外す。その瞬間、ぞり――と、国定の頬をカムイの拳が掠めた。寸分の見切りでカムイの右拳を躱したのだ。
国定は両手の刀を捨て、カムイの伸びきった右手に組み付いた。そのままテコの原理を利用し、ぐるりと投げる。腕投げと山嵐(やまあらし)を混ぜたような投げ技。国定は「柔(やわら)」にも精通していた。
したたかに床に打ち付けられた。ミシ……ブチ、という音。関節は破損させた。筋繊維も断裂したかもしれない。
『もういい――眠れ、眠っちまえ!』
受け身も採れずに利き手を極められ、投げられたカムイがだが、亡霊のようにまたよろよろと起き上がる。焦点の定まっていない目で、国定を睨み付ける。
『――なんてぇしぶとさだ、勘弁しろよ……』
スバルは、カムイと国定の剣戟の音を横で聴きながら、やはり防戦一方であった。痛め付けられるカムイを見るのも辛いが、目を覆ってはいられない。もう何度目の詠唱だろうか、母、流麗(ナガレ)の放った衝撃波を脇に追いやる。
何千何万、数え切れないほど組んできた結界陣の手印だが、ただおざなりに組めば良いわけではない。その都度、莫大な集中力が要る。術の発露とは『糸を紡ぐ』ような繊細な作業の組み合わせなのだ。
言い換えれば、意識を操られていようと、ナガレにも同じことは言える。しかし、重く、暗い龍脈の衝撃波は、衰えるばかりか徐々に、だが着実に威力を増しつつある。租界の顔役としての業務が忙しくなり修行の時間が取れないと言いながら、実のところ稽古時もスバルに合わせて指導をしていたのかと、その力と精度の差に唖然とする。
結界で辛うじて防御をしているが、致命傷を免れているだけで、張り出した両腕の付け根から、体内が根こそぎ破壊されるような鈍痛が奔る。母が手を抜いていない、あるいは手を抜かないように操られていることは、充分に理解できた。
「――ぐっ、うぅ……!」
食い縛った口から、そして小さい鼻から、ぶくりと血が噴き出す。内臓も相当に揺さぶられているらしい。吐き気と鈍痛でどうにかなりそうな意識をそれでも紡ぎ、再び印を組み、真言(マントラ)を唱える。
「オンバサラ、ノウマク、サンボダナン、バザラダンソワカ……!」
ゴゥ……と、スバルの脇を、形を失った力の奔流が抜けていく。虚ろな目でそれを一瞥するナガレ。すぐに呪文の詠唱に入る。あの母に似た女は、果たして人であるのだろうか。化物の類ではないだろうか。肩で息をしつつ、スバルは、それでも母をすがるような目で見遣る。
『かあさま――』
『なんで――』
消耗が激しい。結界陣を展開するような防御系の術式は、そもそもスバルが得意とする方面ではない。望む望まざるに関わらず、高千穂一族は術式をひと揃え覚えた後、もっとも相性の良い術式を「秘術・秘伝」として磨きをかけるしきたりがある。
例えば、スバル同様修行中の身ではあるが、弟の北斗(ホクト)は、自らの身体能力を向上させる『鋼身霊(こうしんれい)』という術式に長けている。そのため、剣術や武芸など、カムイの真似事をするのは理に適ってはいる。
目の前の母、ナガレは、天地万物の気脈を操り、様々な力と為す『脈霊光(みゃくれいこう)』という秘伝がある。まさにその暴威を目の当たりにしている。
――では、スバルは。
『租界の希望にならんことを』
そんな、祈りにも似た願いと共に、その命に「昴」と名付けられた少女が、もっとも得意とする術式は――
「おかあ、さん――」
スバルは嗚咽しながら印を組む。
……何で、こんなもの――こんな、もの――!!
スバルの心が、ぐしゃりと、音を立てて、ひしゃげた――気がした。
ゴプ……と、血を吐き棄て、「くひぃ」と息を吸う。呼吸を整え、
「おんまがつかみ ふりおりて さうらへ」
と、静かな声で呪言(じゅごん)を唱えた。
スバルの背後に、黒く、暗く、深く――禍々しい気脈の渦が形成される。
『ほう――』
大老がその白眉をピクリと動かす。同時に、ドーライに語りかける。
「ドーライ、もうよい。死なぬように、お主も自らを護れぃ」
動けないまでも、大老の吸霊術に抗うことができるドーライもまた、腕の立つ術者である。細かな系統は異なるものの、スバルが何をしようとするか、大体の見当は付いた。
スバルは、断続的に吐血する自らの口に指を入れ、両手の指を血に染めた。ぬと……と唾液と血液が混じる両の指で印を組み、
「かやつらに のろひ あたはせたまはん」
絞り出すような声で、初めて――
――初めて、攻撃の意志を見せた。
隣で様子を見ていた国定も、その異質さ――何か恐ろしいことが起ころうとしている――に気づき、攻防の手を緩める。対峙するナガレも、初めて攻撃から防御の陣を組むための術式に移るようだ。
果たして――高千穂昴が扱う秘伝術式は、『呪怨刻(じゅえんこく)』――すなわち、「呪い」であった。この術は滅多に使用しない。そもそも、秘伝である前に、術の特性を考えると、木や岩や板きれ相手に術を発動する意味はあまりなく、必ず対象となる「生き物」、すなわち「生け贄」が必要となる。そのため、練習も限定される。
スバルの背後に展開した黒い影が、部屋一面を覆う。黒い霧がかかったようになったが、見えない程度ではない。
術式に関してさほど専門的な知識を持ち得ない国定は、既に剣戟を交すことなく、事態を静観する他なかった。同時に、これから何が起こるのかと、初めて目にするスバルの豹変ぶりに背筋を凍らせた。カムイの意識は既に朦朧としながらも、その朦朧とした意識でスバルを見つめている。
呪術は、術者の精神に大きく左右される。当然ながら、明るく楽しい気分で呪いを発動することはできない。スバル自身の心が軋み、歪み、ひび割れた時にこそ、その真価を発揮する。
「――ァ、あ―― ッ、アー……」
少しずつ、少しずつ、スバルのひび割れた心に闇が侵食する。恍惚のような、苦悶のような喘ぎ声をあげ、スバルは震えながらぐにゃりと躯を屈める。
『――あ れ 』
最初に異変に気付いたのは、カムイであった。峰打ちとはいえ、国定に滅多打ちにされ、おそらく骨も関節も何本か折れているだろう動かないはずの身体が――動くのだ。いや、しかし、感触としては折れている骨はそのままで、痛覚や痛みによる熱、倦怠感だけが消えている。殴られすぎて感覚がおかしくなったのかとも思ったが――これが、スバルの術なのだろうか。
『まァ いいヤ……これで サダさんを――』
カムイの口が、三日月の形に歪んだ。
「ひ――ひひっ」
思わず、変な笑みと声がこぼれた。
続けざまに国定の身体に異変が起きた。右足の先が痛い。先程から急に、ひりつくような痛みに襲われた。カムイからまともに攻撃は受けてはいないし、そもそも足先に負荷はかけていないはず――
雪駄を履いている足先に目を遣ると――
どろ……
足の指が、溶けている。指だけではない、足の皮膚が溶け始めている。ただ溶けるだけではない。膿んで、腐っていくような溶け方をしている。ぶくりと皮膚が腫れ上がり、腫れ上がった箇所が破ける。腐臭が――鼻につく。
「――ぉ、おい!なんだこりゃあよぉっ!?」
たまらず声をあげる国定。途端、酷い形相をしたカムイが眼前に迫ってくる。
「――ぅぅう、ッ――!!」
声にならない声をあげ、カムイは刀を振るう。国定は痛む脚で必死に交わす――が、
『おかしい。こいつは――?』
先程までの単調で読みやすい攻撃ではない。何かどろどろとした、纏わり付くような攻撃に変わった。しかも、折れているであろう脚や腕を平気で振り回し、曲げ、縮め、躍動させている。まるで痛みを感じていないような。
半開きの口。焦点が合っていないどろりと深く濁ったカムイの目が、国定を執拗に捉える。動けないはずの身体。にも関わらず、命を削りながら肉薄する生き人形。
『――これがお嬢の十八番ってワケかい!』
先程までの攻防と一転し、国定は防戦に回った。纏わり付くカムイをどうにか付き飛ばした後、こんな即席でも使わないよりはマシ――と、懐から護符を数枚取り出す。九龍中心(セントラル・クーロン)の屋台街で適当に見繕った玉石混淆、海千山千の代物だが。
刀の柄元付近の刃に親指をするりと這わせ、刀傷を作る。指の腹からじわりと血が滴る。護符にその血を垂らし
「南無三――ッ!」
傷を負った箇所にべたりと貼り付ける。気休め程度になればと思っていたが、存外効力がある。痛みはあるが、これ以上腐敗せずには済むようだ。
「おんまがつかみ のろひ ころし たまへ」
「おんまがつかみ たたり ころし たまへ」
「かやつらに わざわひの あらんことを」
狂ったような速さと精度で印を組み、スバルは詠唱を続ける。背後の黒い霧はその密度を加速度的に増す。既にスバルに「止める」という意識は無い。元来が明朗快活であるスバルからは想像もできないような、呪いや祟りのようなおぞましい術式。もっとも適正があることは、何とも皮肉ではあるのだが。
『ぐ――!』
防御の陣を敷いているにも関わらず、ナガレの心臓が捕まれるように痛み始めた。動悸を引き起こし、心拍を乱し、あわよくば心不全や卒中で屠るということか。能面のようなナガレの顔が、始めて苦悶に歪んだ。
『ふん――心を潰し、闇に呑まれおったか』
『だが――それすら転じるとすれば、あるいは――』
大老は眉間に深い皺を寄せた。
● あとがき
チンピラ役や只の賑やかしだと思ったか……?まさかの国定(クニサダ)活躍回でした。
つよい(確信)。
さて、国定だけでなく、スバルの母、流麗(ナガレ)や大老一族の外れ者、道来(ドーライ)、未登場人物等々、構想は爆発的に増えておりますが、それを描ききるだけの筆力が無いので困りものです。
何回か前のまえがきでも書いたように、「進撃の巨人」の世界観の中で「和風」な「剣と魔法の世界」を描きたかったのですが、果たして今後どうなることやら。
お読みいただき、ありがとうございました。
● 次回予告
試すはずが、逆に試されている――
怨嗟の言霊と、荒れ狂う鬼刃。
租界は、彼らを御すことができるのだろうか。
未来を託すことが――できるのだろうか。
次回、第7話 新世界へ(仮題)