東洋租界奇譚 ―The Strange Episode of Oriental Concession― 作:soliquid
命がけの攻防――そして、二人は新しい世界へと小さく羽ばたく。
『みんな、みんな――こわれてしまえばいい』
心のヒビに闇を流し込み、スバルは尚も印を組み詠唱を続ける。その威力は既に、カムイを生き人形とし、国定(クニサダ)の脚の自由を徐々に奪い、流麗(ナガレ)やターラオ(大老)にまで確かな圧力を与えていた。
「オン、バサラ――」
「オン、バサラ――」
スバルの詠唱の速さと、「呪い」という目に見えない攻撃手段のため、大老もナガレも対処の仕様がない。先程とは一転し、かけられた術に対し、防御策を講じるほか無かった。反撃手段は無いわけではない。スバルの短い詠唱の隙を狙い、国定が物理的に攻撃をすることが唯一現状で考えられるが、先程からカムイの猛烈な連撃を凌ぐことで手が回らない。仮にナガレが徒手空拳で攻撃をしても、スバルの方がおそらく上手であろう。彼女はカムイに柔(やわら)の手習いもしているのだ。
そんな中で、独り、冷静に戦況を見守る人間が居た。
――ドーライであった。
スバルの呪文の呼吸を静かに見やり、呪言の詠唱と発動の間に、彼自身の術をそっと、だが着実に混ぜ、発動させている。
彼はスバルの秘伝「呪怨刻(じゅえんこく)」を目の当たりにし、この腕試しと言うには余りの理不尽を収めるための方策を練っていた。打合せをしたわけではないが、おそらく国定も同じ気持ちだろう。未来を担う少年少女に対し、理不尽を叩き付けて「これが現実だ」とは――それは余りにこちら側の都合ではないか。もう充分だ。君たちの覚悟も、力も、そして恐怖も、存分に味わった!
羅刹が歌い、修羅が踊る。
壊される――いや、壊れる前に、この茶番を終わらせる。
ドーライに「才能」と呼べるものがあるとすれば――それは、『並列処理』であった。大老やナガレ、スバルのように、一つの呪文なり術式を磨き、鍛え上げる才には恵まれなかった。術を磨けば磨くほど、探求すればするほど、その分厚さ――深遠さ――とでも言おうか、そういった壁や溝に阻まれた。
しかし、様々な術を同時並行である程度の精度で扱うことに長けている。深さでは彼らに及ばずとも、広さと汎用性という特徴を有している。そしてそれは、防御的で受動的な戦闘において威力を発揮する。つまり――「負けにくい」のだ。このような点を鑑みると、呪術と武芸という領域こそ異なるが、様々な流派の強みを少しずつ駆使して闘うカムイに、ドーライは以前から親近感を感じていた。だからこそ、後見人を買って出たのかもしれない。
事実ドーライは、大老に吸霊術で押さえ込まれてからすぐ、術に抵抗するための「破邪文(はじゃもん)」、麻痺した神経系や経絡を修復する「治癒文(ちゆもん)」を同時に発動していた。一つ一つは大きな効果ではないが、継続して唱えれば、それなりの蓄積になる。そして、破邪文や治癒文の効果が徐々に強くなるにつれ、スバルの術式から自身を防御するための「結界文(けっかいもん)」や、大老やナガレの術の威力を少しでも弱める「吸霊文(きゅうれいもん)」まで発動させた。さらに、術の発動を大老やナガレに悟られないよう、「遮文(しゃもん)」という迷彩を付けた。彼らには単なる「破邪文」としてしか感知されないだろう。
術の複数展開。気を抜けばスゥ……と血の気が引く。流石にこれほどまで多様な術を発動させたことは無く――だが、ドーライはやらずに居られなかった。
『頼られた大人が――情けないところはッ――!』
スバルもカムイも、常人で言うところの「一線」を既に踏み越えている。このままであれば、どちら側か分からないが、確実に死人が出る。そしてそれは、おそらく――限界を超えて心身を摩耗させている年若い二人だろう。ドーライの神経節がミシミシと音を立てる。大老やナガレ、スバルに比べ術の精度が高くないことは充分に自覚しつつ、それでも尚、集中力を研ぎ澄まし、ドーライは複数展開した術の維持をする。
――刀を振るう身体が軽い。というか、自分のものではないみたいだ。頭の中で『こう動くように』と命令を下すが、どうも一致しない。まったく当てずっぽうな動きではないのだが、自分で身体を動かしていないような。そんな不思議な感覚のまま、カムイは本能のままに国定を捉える。先程から国定の間合いをとる動きがぎこちない。その違和感の先――視線を落とすと、彼の右足先が黒ずんでいる。これまでのように満足に動けない理由はそれか。上手くすれば、致命傷を与えられるかもしれない。
それにしても、身体が悲鳴を上げている――らしい。先程から既に一寸たりとも間を置かず、連撃に次ぐ連撃。筋肉が悲鳴を上げる。肺が縮む。関節がきしむ。しかし――痛みは感じない。これは夢なのだろうか。まぁ、いいや。今は、とにかく、目の前のコレを切り刻むことだけ考えていればいい――
ふとスバルの方を見やると、鼻や口から血を吹き出し、涙や鼻水、涎を流しながら、終わることのない呪言を唱え続けている。手は震え、顔は青ざめ、ものすごい形相だ。これまでに見たことがない。
既にスバルには、戦況を分析できるような明確な意識というものは無く、意志を持った術を発動する「塊」になっていた。
彼奴等に呪いを――災いを――
心の臓を抉り取ってくれよう――
五臓六腑を内側から腐らせてくれよう――
目から光を奪ってくれよう――
息を止めて窒息させてくれよう――
ありとあらゆる類の「呪い」が大老、ナガレを襲う。どうやらスバルの攻撃対象は主にこの二人のようだ。
大老も、よもやここまでとは想像しておらず、腕試しというよりは「災害」となり得るこの暴威を止める術を案じていた。とはいえ、さすが手練れの道士である。スバルの術の特性を見抜き、強力な結界を張り致命傷は免れている。
『――親子揃って、じゃじゃ馬めが!』
横で苦悶の表情を浮かべるナガレをちらりと見やる。かつて租界の「悪ガキ」であったナガレ、国定、そして、ナガレの夫で、国定の悪友でもある高千穂 富嶽(タカチホ・フガク)のことが脳裏によぎった。
『血は――争えんものだ!!』
スバルの圧力に抵抗しつつ、抵抗術式を展開する。
部屋全体を、狂気と暴力の言霊が包む。
若い命を散らすように燃やしながら、スバルとカムイが躍動する。
「――カ、ハッ――!!」
カムイの呼吸が途切れ途切れになる。既に体の動きを補える呼吸ができていない。尚も執拗に国定に縋り付き、無呼吸運動に近い攻撃を繰り出す。
「――ヒィー……ッ!ヒッ、ヒ……」
スバルも目鼻口からの吐血を拭うこともなく、既に声にならない声で両手を動かす。
二人とも、狂気に塗(まみ)れて笑っている。もう見られたものではない。ドーライは死力を振り絞り、すべての術式の出力を全開放する。
『――この子たちの未来を、奪うくらいなら……っ!』
これまで「遮文(しゃもん)」によって、術の複数展開を悟られずにいた――はずだ。少なくとも大老やナガレに悟られるような素振りは見られなかった。「破邪文(はじゃもん)」、「治癒文(ちゆもん)」、「吸霊文(きゅうれいもん)」――静かに、静かに蓄積した「それら」は少しずつ、しかし確実に大老、ナガレ、スバルの術の効きを弱くしていた。
『――まさか、あやつ』
大老が気付いたときには既にこの場を支配していたのは、意外にもドーライの術であった。よく見れば、カムイとスバルの苦悶の表情、大老自身とナガレも疲労している――双方体力、精神力を奪われていることもあるが、ドーライの術の干渉は確かに協力で、それだけ振り絞らないと術が効かなくなっていることにようやく気付いた。
己の「仕事」は果たした。あとは――
「今だ――やってくれ!!」
国定に向かい、ドーライが叫ぶ。
「――遅えッ!だが、『アマちゃん』のお前ェにしちゃ――よくやったッ!!」
言うや否や、国定がカムイを振り解く。皮膚が爛(ただ)れていない方の左足で、秘伝の「震脚」。大老に突進する。
――疾(はや)い。
脇差を抜き、刺突を仕掛ける。
『――そういうことか』
大老が気付いたときには、既に身体の自由を奪われていた。冷たい刃が喉元に添えられる。
「大叔父様――手荒な真似はしたくないのですが」
術を解かず、ドーライが大老を見る。――才に恵まれなかった凡庸と思っていたが、此程までに腕を上げたか。素直にそう思う。おそらくは術式の複数展開、そこに迷彩を混ぜて、こちらからの感知を鈍らせたのだろう。
「――爺さん、茶番はお終いだ。術を解きな……」
ふぅー、と息を吐いて、国定が刀の柄に力を少し込め、低く、静かな声で大老に迫る。その静かな迫力に、スバルとカムイはおろか、ナガレさえ静かになる。
「――少々ふざけが過ぎた、か……」
二十年前、租界を出て行った無鉄砲な婆娑羅(ばさら)者――国定。そして、十年前、租界を出て行かれなかった心優しい少年――ドーライ。運命の糸とは数奇なもので、大なり小なり、この租界と外界に関わりを持つ者が一同に介し、次の租界を担う若者を導く。
『儂のような老いぼれは――もう』
大老が脱力をすると、糸が切れた人形のようにナガレがどさりと倒れた。
「――かあさま!」
同時に、スバルが弾かれたようにナガレに駆け寄る。
「かあさま!ねぇ!返事して!かあさま!!おかあさん――おかあさん――!!」
その場に突っ伏し、泣き崩れるスバル。
「……大丈夫、よ。スバル」
細い声で、ナガレがスバルに声をかける。母の無事が分かり、スバルは嗚咽の声を挙げ泣き続ける。
………………
………
…
「……ねぇ、聞いて、スバル」
「――うん」
ひとしきり泣いた後、スバルに抱きかかえられて、訥々とナガレが話し始める。
「ねぇ……私もね……昔、ここから飛び立ちたかったの――」
身体をスバルに預け、視線だけ国定に向ける。
「――うん」
「でも……あなたは、きっと、大丈夫ね――だって」
「うん――カムイが、居るから」
母娘が泣きながら強く抱き合う。母は娘の無事を願い、娘は母の想いを受け止める。各々が命を張った一世一代の檜舞台は、静かに幕を閉じた。
カムイも呪術を解かれたらしく、その遣り取りを見ていた。痛みはもちろん酷いものだが、それ以上に――
「――おい、坊主」
後ろから国定が声をかける。
「お前ぇの総てを懸けて、嬢ちゃんのこと――守ってやれや……」
「サダさん、俺――」
「――強く、なりたい」
カムイは目に涙を溜め、前を見据えた。
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それからしばらく後――
「オラオラっ!どーしたァそのへっぴり腰はよ!!」
「お……押忍!」
道場に大きな声が響き渡る。兄弟子の国定が、カムイに本格的かつ丁寧な稽古を付けている。あの死闘から回復し、次の春、兵団に志願するまでにできるだけ強くなりたいというカムイたっての希望だった。
そして――
「オンバサラ、ノウマク、サンボダナン――」
「――力の塊を意識して!」
「そこで、静かに別系統の呪文を発動……」
「――はい!」
同じくスバルは、母のナガレとドーライから、やはり術の手ほどきを受けている。狂気に飲まれないために、能力の底上げを図ることが目的だ。術の精度はナガレに、複数展開はドーライに習う。
そして、847年、春――
「いよいよ、来たな」
「うん――」
周りには、兵団支給のカーキ色のジャケットを羽織った年齢が同じくらいの少年少女たち。スバルとカムイは、幾多の彼、彼女らに混じり、整列をしていた。
「――――!! ――!」
キース・シャーディスと名乗る教官が、一人一人、名前と出身地を確認していく。かなりの恫喝を含む怒声。二人は、「あぁ、導入儀式(イニシエーション)のようなものか」と認識していた。お前等は今日から兵団――思想行動を一律に規律化したこの集団に帰属するのだぞ、ということを初日に教えてくれているのだと。事実、あの教官に怒気は感じられても、殺意や悪意は無い。そうでなければ、あの左手に持った分厚い紙束の説明が付かない。しっかりと私たちのことを調べて、その上で「使い物」になるか、三年間もかけて精査してくれるのだ。もちろん訓練は生半可でなく辛いだろうが、その先には、スバルが求めた「自由への可能性」がある。
キース教官が、二人が並ぶ列に差し掛かる。
「次ッ!」
「はっ!――ストヘス区、東洋租界(Oriental Consession)出身、カムイ・ペシュカと申します!」
「租界――か、貴様のようなマフィアのガキが、兵団に何しに来た!」
「大切な物や人を守る為です――!」
「――そうか、せいぜいくたばらんように精を出すんだな!次ッ!」
「――はい!」
「同じくストヘス区、東洋租界出身の、スバル・タカチホと申します!」
「またマフィアのガキ――随分と華奢なナリだな!貴様は何しに此処へ来た!」
「闘って――自由を手にするためです!」
「軽々しく自由を口にするか!大人しく鳥籠に籠っていた方がマシだったかもな!せいぜい励むがいい!次ッ!」
右拳を己の心臓に捧げ、スバルとカムイは、これから始まるであろう自由への第一歩を噛み締めていた。
――後に、キース・シャーディスは同僚に語る。巨人への復讐、根拠の無い勇猛や自信、食い扶持の確保や立身出世、王政への心酔や忠誠……十代半ばの少年少女が兵団を志望する理由は様々あるが、あの東洋の二人組は違っていた。
甘ったれとは違う――地獄を見てきたような、濁った目もしていなかった――上手く形容できないが――そう、余りにも邪気が無いのだ、と。
お久しぶりです。soliquidです。
3/26に仮凍結しましたが、その時点で3,000文字程度書き溜めがありまして、
ちょうどお話の流れ的にもひと区切り、ということで、
例外的に投稿させていただきました。
これ以降、訓練兵団での過ごし方、
そこで起こるであろうイベントの数々――あれこれ思いを巡らせています。
――が、今回の更新は突発的なので、定期的には続きません。
もうしばらく更新は凍結しながら、水面下で少しずつお話を書いていきます。
●次回予告
初めての外界。苦しくも充実した兵団での訓練生活。
そして――懐かしい面々との再会。
次回 第8回 ●●(仮題)