1954年 9月 愛知県豊橋市 池田家
時は流れ1954年の夏、学園艦計画は未だ表立ってはいないが、内閣総理大臣である吉田に気づかれないように、その計画は序々に水面下で進みつつあった。前年度の補正予算でドック建築計画の調査が始まり、一番艦の建造は鈴鹿で行なわれる事が決定。既に巨大ドックを作るための用地確保やドック建設のための下準備、そして一部の工事が始まっていた。調査費用こそ国費から出ていたが、実際の工事は例の資金からの支出のため、大蔵省は工事そのものには関わっておらず、それもあって吉田の耳には未だに入っていないようだ。もっとも、前年5月に発足した第五次吉田内閣は法務大臣による検事総長への指揮権発動など様々な問題で既に死に体となっており、吉田もそれどころではなかったという理由もあるのだが。
この年の5月、池田美代子は娘の美奈子と、終戦の年に生まれ今年で9歳になる孫の美紗子を連れて松代を再訪し、そこで夫の元部下達から松代で保管してあった戦車を受け取っている。池田の元部下達は、この日が来るまで終戦時から定期的に戦車のメンテナンスをしてくれていた。美代子はこれに感謝するのと同時に、可能であればこれからは池田流の整備の手伝いや、戦闘技術の伝承を手伝って欲しいと願った。池田の元部下達は、今は亡き池田末男の妻である美代子を助けるのは、自分達の責務だと思ったのであろう。二つ返事で了承し、今は池田家で戦車の整備や戦闘技術の伝承に力を貸してくれている。これにより今は、池田家の敷地にもかなりの数の戦車が存在しており、それを用いて戦車道の訓練が始まっていた。また、地方に戻っていた旧門下生達も池田流が復活した事を聞き、少しずつだが池田の元に戻ってきており、池田流は息を吹き返しつつあった。当初は、再軍備反対派が戦車道が復活した事を聞きつけ、家を取り囲むような騒ぎもあったが、池田家の周囲は基本的に池田家にとても好意的であり、また地元の元軍人達を中心に擁護派が圧倒的に多かったため、今ではそれも沈静化している。
同じく西住流も退役軍人等の持つドイツとのコネクションや服部卓四郎が持っていたアメリカとのコネクションを利用し、前年から今年にかけてかなりの数のドイツ戦車を日本に運び込む事に成功したようだ。このとき服部は、アメリカの政府高官達に『日本はこれから戦車道という武道を復活させるつもりだ』という真の目的を伝えたと言われているが、これに対するアメリカの政府高官達の反応は概ね好意的だったと伝えられている。その後、服部はアメリカ政府高官との話合いを続けているようで、近々アッと言う様な知らせがあるぞ、と辻は聞かされている。
そんな中、政治家としては鳴かず飛ばずの辻政信は比較的時間に余裕があった。流石に旧軍時代の評判が悪すぎたようだ。とはいえ、辻はそのような評判は全く何処吹く風で受け流しているようで、こうやって池田の所に時々遊びに来ては、池田美代子達と話をするのを楽しみにしているようだ。
「お母様!私達もそこにあるチリに乗ってみたいです。何故、私達だけずっとチハなのですか?もっと大きな戦車に乗りたいです!。」
「美紗子、あなたに五式はまだ早すぎます。あなたはまず、九七式を使った戦闘機動やその戦車の能力を体で覚えなければなりません。我々池田流にとって、九七式チハは特別な戦車。この戦車を手足のように動かすことこそ、池田流が最も大事だと考えている部分です。あなたも、将来は池田流の家元となる人間なのですよ。そんな人間がチハを自由自在に動かせないのは、話になりません。さぁ、もう一度そのコースをチハで周ってくるのです。それが終わったら射撃練習、その後は私が打つ弾をチハで避ける訓練です!」
「お母様~、美紗子達はもう疲れました。少し休ませてください。」
「いいえ、まだ休むには早すぎます。あなたの御祖父様は、帝国陸軍の戦車乗りの間で神様として尊敬されていた方です。その孫娘であるあなたが、これしきの事でめげていては、亡き御祖父様に申し開き出来ませんよ。さぁ、直ぐに始めるのです。」
戦車道を行なうための池田家の敷地では、美代子の娘で池田流師範を勤める池田美奈子が、その娘で未だ9歳の美紗子に厳しく戦車の操縦や射撃、戦闘指揮などを教えていた。そんな姿を横目に見ながら、家元である美代子と辻は話していた。
「美奈子さんも厳しく教えていますね。ですが、美紗子ちゃんは未だ9歳でしょう?ちょっと厳しすぎやしませんかね?もっとも私がそんな事を言える立場ではない事は承知していますが。」
「あら、天下の帝国陸軍の参謀様も戦争が終わって丸くなりましたね(笑)。先日、岸さんから最初の学園艦はおそらく数年後に出来ると言われました。ということは、美紗子は池田流家元の孫として、嫌が応にもその学園艦の戦車隊を指揮する立場になるでしょう。それを考えると、今のうちに教えてやれる限りの事は教えておきたいのです。娘もそれが分かっているからこそ、こうやって厳しく教えているのだと思いますよ。もっとも、家元ではなく祖母という立場では、甘やかしてやりたいと思っているのですが、こればかりはなんとも。その分、辻さんが甘やかしているようですが…。先日美紗子が言っていましたよ。辻のおじさんは、いつもお菓子を持ってきてくれたり話を聞いてくれる、優しい小父さんだと。」
「まぁ、私にも孫娘が居ますからね…、あっ、戦車道はやらせませんよ(笑)」
美代子と辻は笑いながら軽口の応酬をした。あの子が戦車道の家元の孫娘でなければ、今頃は普通の祖母と孫娘という形で、実の娘には孫を甘やかすなと言われつつも、色々と甘やかす事が出来たのだろう。しかし幸か不幸か知らないが、あの孫娘は戦車道池田流の家元の孫だ。戦車道が復活する以上、あの孫には嫌が応にも周囲の期待と池田流という名前がついてくる。それに…
「たしか、西住さんの所のお孫さんも、美紗子ちゃんと同じくらいの年齢でしたね。」
「いえ、あちらの方が一年早生まれです。もっとも、同年代である事は間違いないですから、そのうち戦う事になるでしょうね。」
そう、西住家にも一歳違いの孫娘が居ると聞く。池田流対西住流、おそらく自分の孫娘は学園生活も含めてこれから何度も戦う事になるだろう。それも、圧倒的な能力差のあるドイツ戦車に対して、こちらは公式戦では九七式で戦わなくてはならない。しかも西住流は組織力と集団戦闘に定評がある流派だ。九七式では、おそらくゼロ距離まで切り込んだとしても、西住流が用いるドイツ重戦車の装甲を打ち抜くことは困難だ。しかし、たとえ負けると分かっていても池田流の名を汚すような散り方は出来ない。そのためには…。
「なるほど、チハの能力を限界まで引き出して、敵のドイツ重戦車にゼロ距離まで近づける程の操縦能力と指揮能力ですか…。たしかに、たとえ打ち抜かれないとしても、ゼロ距離までチハに接近されるようでは、相手のプライドはズタズタでしょうな。」
辻も同じような事を考えていたのだろう。
「えぇ、その通りです、辻さん。一応、新砲塔のチハに追加装甲をつけた物を使わせていますし、孫娘が乗る戦車の乗員は全て孫娘と同年齢の子で、これまで孫娘と寝食を共にしてきた娘さん達ばかりです。これからあの車両に乗っている4人は、一つのチームとして長きに渡って一緒に戦っていく事になるでしょうね。私としては、これくらいしか孫娘にしてやれない事がツライところですが。」
美代子は辻に答えた。この年齢のうちから一つのチームとして組ませれば、実際に学園艦に乗り込む頃には息のあったチームになっているだろう。そうすれば、例えチハに乗っていても…。
「ところで、公式戦以外はチハに拘らなくても良いのですよね?どれに乗せるつもりなのですか?やはり、五式中戦車か試作五式砲戦車ですか?」
「いえ、そのどちらでもありません。九七式中戦車の乗員は四人、その四人で最高のチームを作らせる以上、そこに一人追加の人員が入っても意思疎通に問題が出てくるでしょう。ですから、練習戦でも孫娘達は九七式に乗る事になるでしょうね。五式中戦車や試作五式砲戦車は、違う人間を乗せることになりそうです。」
美代子は微笑みながら辻に答える。戦車隊としては強力な戦車は使うが、池田家としてはあくまでも九七式チハに拘って戦うようだ。
だいぶ学園艦が建造出来そうな情勢にもってこれました。とはいえ、物凄く無茶な流れで書いているので、細かい所は突っ込み所満載ですが、こういう世界もあるんだな~といった気持ちで笑って流してやってください。それと、学園艦を本当に作るのはたぶん無理ですから、細かい建造方法などについても突っ込みは無しでお願いします。第一、そんな大きなドックは作れません(笑)。
池田流、練習戦では五式に家元の孫娘を乗せて無双をさせても良いな~と当初は思っていたのですが、やはり知波単学園の隊長になる子なので、チハタンしかないだろう…と思い直した結果、このような流れにしました。