1954年 10月1日 東京 史実研究所 所長室
史実研究所所長である服部卓四郎は、長期のアメリカ滞在を終えて戻ってきた。服部が日本に帰国した事を聞き、史実研究所に辻と政争で忙しい筈の岸信介が訪ねてきた。
「岸さん、吉田総理が外遊中にあなた方は倒閣の準備をすると聞いています。今あなたは最も忙しい人間の一人の筈、私のような者の所に来ていて大丈夫なのですか?」
服部が岸に尋ねた。現在総理大臣である吉田茂は、欧米7カ国への外遊中だが、その留守を突いて、鳩山一郎を中心として日本民主党を立ち上げ、吉田に対する内閣不信任案を提出する計画になっていた。そして、その民主党の幹事長になるだろうと予想されていた岸信介は多忙なはずだ。
「なに、一日くらい時間が空けられるような余裕がなければ、こんな大掛かりな政争は出来んよ。それに辻君から聞いたのだが、なにか面白い話がアメリカからあったようだね。おそらくもう2ヶ月もすれば私も政権の中枢に居るだろうから、早い内に例の件をアメリカがどのように考えているのか聞いておきたくてね。」
岸の言葉を聞いて、同席していた辻は不思議に思った。服部が以前言っていた「近々アッと言う様な知らせがあるぞ」の中身を岸も知らないようだ。
「岸さんがこの手の争いで不覚を取る事はあまり考えられないので、大丈夫なのでしょう。まぁその話は置いておいて、アメリカの件ですが上手く立ち回れば我が国に相当なメリットが出ますよ。この学園艦計画は。」
服部は、アメリカ滞在で得られた成果について話し出した。
「まず戦車道の件は、アメリカに正直に全てを話しました。GHQ時代の上司だったウィロビーの軍人つながりの伝で、現在の大統領アイゼンハワーの側近に強力なコネクションがありまして、この手の件は将来の事を考えると、相手首脳陣には隠さない方が良いだろうと判断したのです。当初は反対もあるだろうと思っていたのですが、意外にも向こうは好意的に受け取ってくれました。」
「それはそうだろう。これから我が国は、共産国家に対する防波堤にならなくてはならんし、朝鮮半島有事の際の後方基地にもなる。さしずめ、防衛力強化のためには戦車道は有効だという判断だろう。それと我が国に広く戦車道を広める事で、国民に国防の意識を多少なりとも持たせる…この辺りが理由になるのではないかね?」
服部の話に岸が答えた。
「そうですね、岸さんが言ったような理由を言われましたよ。それと、戦車道で多少戦争ごっこをしてもらったほうが、日本は暴発しないのではないか?などとも言われましたがね、まぁ、半分冗談なのでしょうが。ただ、本当の理由は少し違いました。」
この答えには、辻も笑いを抑える必要があった。まるで、我が国は何か争い事をしていないとストレスで暴発するように思われているな、と。先の大戦は、お前達が挑発してきた事も要因の一つだと思うのだが…。
「服部君、たしかにそれは目出度い話だね。戦車道も容認してくれるのであれば、学園艦建造計画は問題ないだろう。技術的にもなんとかなりそうだという報告を受けているし、設計図も出来ている。しかし、君にとってアッと驚くような話であった本当の理由というのが是非知りたいね。」
「岸さん、ひょっとしたら世界中を巻き込む大事になるかもしれませんから、政権を取ったあとの舵取りは慎重にやってくださいよ。アメリカは、日本の学園艦建造計画に参加する意思を伝えてきました。」
服部の答えに、岸は驚愕の表情を見せた。服部は岸でもこのような表情をする事があるのだな…と思いつつ、この話をどのような順番で岸に説明したら良いかを思案し始めた。
「服部君、何故アメリカがこの計画に参加するのだね?それに参加すると言っても、アメリカでも独自に学園艦を作るのかね?」
岸は慌てて服部に尋ねた。冗談ではない、元々日本で大々的に行う予定だったものに、何故この段階でアメリカが横槍を入れてくるのだ。それにこのような事をしても、アメリカにメリットなどないだろう。第一、アメリカで盛んに楽しまれているTank Game for Womenと戦車道では似ても似つかないし、そもそもこちらは第二次世界大戦までに使用した戦車で行う予定だ。
「いえ岸さん、少し落ち着いてください。アメリカが言ってきたのは、あくまでも日本の学園艦計画に参加したいということです。勿論、将来的には自分達も学園艦を作り、場合によっては戦車道に参戦しようと思っているのかもしれませんが、今の時点ではあくまでも日本の学園艦にアメリカも絡みたいということなのです。」
服部は岸に答えた。日本が作る学園艦にアメリカが参加する?全く持ってアメリカにとっての利点が理解出来ない…おそらく岸はそう考えているだろう。これはもう少し説明しなくてはならないな…と思い、服部は言葉を続ける。
「アメリカとしては、日本が作る学園艦の一つにアメリカ的教育システムを取り入れ、そしてアメリカの戦車を用いた戦車道をして欲しいということなのです。そのために、アメリカは自分の国をモデルにする学園艦の建造資金を供出するようですし、学園艦の設計、戦車の手配、訓練要員や整備要員の派遣まで行うと言っているのです。」
服部の答えに、岸は少しだけ落ち着きを取り戻した。なるほど、我が国の学園艦の上でアメリカスタイルの教育を試したいということか。差し詰め、このやり方で上手く行ったら、自国でも戦車道はまだしも学園艦システムを試してみようということか…。そういう意味では、日本に実験させて良い所だけを取り入れる、たしかにこれなら利点があるだろう。
「服部君、それはある意味願ってもない機会だね。アメリカに学園艦を一つ手伝ってもらえるのであれば、それはかなり我が国にとっても助かるだろう。それにアメリカの戦車やそれを指導する人員まで派遣してくれるとはね…」
「岸さん、話はこれで終わりではありません。いえ、むしろこれは取っ掛りに過ぎないのです。アメリカとしては、イギリス、フランスなどにも声を掛けて、それぞれの国毎に日本の学園艦を手伝わせようと考えているようです。こうすることで、学園艦毎に各国の特色が出た戦車道で戦う事になりますので、もっと楽しめるのではないか…という思惑でしょうね。良かれ悪かれ、あの国はエンターテイメントの国ですから。もっとも、アメリカとしてはある程度成功を見届けてから、自国でも実施したい意向のようで、まずは日本に小規模でやってもらって結果を見極めるといったところでしょう。また、これに参加させてくれるのであれば、終戦時にアメリカに持ち帰った日本の戦車の返却も考えているようです。」
まさか、ここまで大きな話になっていたとは…岸はため息をついた。これは相当腰をすえてやらないと、美味しいところを全て外国に持っていかれる恐れがある。ところが、その話を聞いていた辻は更にとんでもない提案をしてきた。
「服部さん、話は分かりましたよ。たしかに、旧連合国がこぞって自国の戦車を提供してくれれば、各学園艦毎に非常に面白い特色が出てくるでしょうし、戦車道の娯楽性も上がります。エンターテイメントとしては万々歳でしょう。そして、例え日本国内の戦車道の大会とはいえ、各国のプライドもかかってくるでしょうから力も入るでしょうし、上手く行けば昔の戦車を使った代理戦争のような物になるでしょうね。そうなれば、因縁のある間柄もあるでしょうから、もっと盛り上がり経済効果も出てきますよ。いくら旧連合国の仲間とはいえ、イギリスとフランスは昔100年間も戦争をしていた仲ですから、安全な大会とはいえ自国の戦車を使用しての戦いとなれば、十分に代理戦争のような盛り上がりは期待できます。そこでです…折角代理戦争のような形が出来るのであれば、もっともアメリカが代理戦争をしたがっている相手を誘ってあげる事が、我が国のアメリカへの感謝の形になるのではないですか?幸いにも我が国には、合法的な共産党がありますし、昨年スターリンは亡くなっていますから乗ってくる可能性はあるでしょう。」
「なるほど、たしかにどうせやるなら、全てを巻き込んでしまっても良いかもしれないね。それに、最初は代理戦争のような試合になるだろうが、時間が経過すればいつまでもアメリカとソ連が争うわけでもなし、純粋に強力なライバル間での戦車道の試合になっていくだろう。たしかに面白そうだね。」
辻と服部のあまりにもとんでもない会話に岸は頭痛がしてきた。やはりこいつ等は旧帝国陸軍の参謀様だ、話を大きくする事しか考えていない。昔もそうだったが、またこいつ等の尻拭いを私がしなくてはならないのか…。しかし、たしかにやるだけの価値はあるだろう。
「…分かった。ここまで来てしまったからには、私も腹をくくろう。今の共産党指導部とは話もしたくないが、つい先日共産党に入党した上田建二郎君、いやたしか今は不破哲三と名乗っていたかな…彼なら一応話は通じるだろうから、そこを元にソ連にコンタクトしてみるか。まぁ、こんな婦女子の試合で本物の戦争が回避できるガス抜きになるのなら、不破君も協力してくれるだろう。」
「岸さん、ガス抜きは勿論ですが、ソ連を巻き込むとアメリカは間違いなく喜びますよ。趣旨を話せば、あの国は間違いなく自国のプライドに掛けて先の大戦で使用した最強の戦車と優秀な教官を派遣してくると思います。昔の戦車を使う以上、完全にとは行かないでしょうが、その時にソ連の教官が教えるのは、現在のソ連の考えている戦車戦術やドクトリンが混ざっているはずです。それらが少しでも解明出来れば…アメリカは喜ぶでしょうね。」
岸の言葉に、服部が付け足す。たしかにソ連まで巻き込むことが出来れば、日本が中心になって行う理由には十分なるし、世界平和のためとも強弁できるだろう。アメリカ・ソ連両国共に、自国の人間が直接戦い合うとなると、たとえ戦車道の試合でも問題が出てくるかもしれないが、この場合戦うのはあくまでも日本人同士だ。武道の一つとしての戦車道ではあるが、ここまで来れば十分に政治的な意義も出てくる。岸の中では、思っていた以上にこの案は悪くないな…と結論が出た。
「ところで、旧連合国はいいのですが、旧枢軸国はどうするのですか?まぁ、池田さんの所が日本の戦車、西住さんの所がドイツ戦車を持っていますが…」
辻が発言した。池田流は、旧満州戦車学校の教官達が戦技指導にあたっている。となれば、池田流は正統な帝国陸軍の後継者だ。しかし、西住流はどうするのだろうか?まさか、戦車はドイツの物を使ったが、作戦は帝国陸軍方式という訳にはいかないだろう。ところが、その疑問に対しては、岸があっさりと答えた。
「辻君は知らなかったのか?西住さんの所が昨年からドイツ戦車を掻き集めた際、一緒にドイツからオットー・カリウスとエルンスト・バルクマンという名前の戦車乗りを教官として招いたという話だ。それと、ゴッドハルト・ハインリツィというドイツの機甲部隊を率いた将軍を招いて戦車の集団戦術についても学んでいるようだよ。もう西住流は、ドイツ国防軍の戦車道と呼んでもよいだろう。あと旧枢軸国といえば、イタリヤだが…こちらも戦車は一緒に持ってきている。ただ、これをどうするかはまだ何も考えていないがね。」
いつのまに、そこまで動いていたのだろうか…辻は焦った。自分が池田流に入り浸り楽しんでいる間に、西住流は着々と勝てる戦車道を作る準備をしていたのだ。おそらく、池田美代子はその事を何処からか聞いて知っていたのだろう。だからこそ、自分の孫娘に厳しく教育をしていたということか…辻の中で全てのピースが枠に収まった。