1958年 10月 池田流本家 九七式中戦車 第4小隊
「今日も負けたよ…これで今回も全敗だわ…」
九七式中戦車の第四小隊で三番車の車長を務める少女がため息をつく。
「私達、これまで全敗だよね…。いくら今回の相手が美紗子さんの小隊とはいえ、あそこまで瞬殺されると…」
二番車の車長も同調する。
「やっぱり、うちの小隊は懲罰小隊だよね…今更異動したいとは思わないけど、一度くらい勝ちたいな…」
四番車の車長も同調した。九七式中戦車の第四小隊は、仲間内では「懲罰小隊」と呼ばれている。各戦車の錬度は特に問題はない。いや、むしろ他小隊と比べても錬度は高いと言える。問題は彼女達の小隊長であった。
「こら!あなたたち、今回も簡単に撃破されるとはどういうことですか!敢闘精神の欠如としか思えません。いくら戦車の弾とはいえ、精神力さえあれば弾は避けていく物です。第一、何ですかあの突撃は!帝国陸軍では弾を避けるための機動だの、射撃タイミングを外すための機動だの、そんなまどろっこしい機動は必要ありません!敵に体当たりするつもりで、一直線に突撃あるのみです!」
「そうよ、私達が折角貴方達の突撃を援護したというのに、一体どういうことなの?あんなに簡単に撃破判定をもらうなんて、精神が弛んでいるとしか思えません。これから精神力の鍛錬をします!」
小隊長車から降りてきた車長と操縦手が小隊各車の乗員に悪態をつく。第四小隊の小隊長は『聖将』牟田口廉也中将の孫娘の牟田口恵子、そしてその操縦手は同じく帝国陸軍の富永恭次中将の孫娘である富永幸恵。当初、池田美代子はその入門を断ったが、両中将からの強い要望によりしぶしぶ入門を認めた経緯がある。また入門当初は、曲りなりにも将官の孫娘であったため、二人にそれぞれ戦車小隊を率いさせていたが、あまりにも指揮が酷すぎるため、少しでも被害を減らそうと二人を一つの車両に乗せ、小隊を一つに縮小していた。
とはいえ、豪快でサバサバした性格の牟田口恵子は、その指揮の拙さは目立っていたが、なにかと小隊の面倒も見ていたため、仲間内では人気もあった。そのため、試合では『突撃』とか『ジンギスカン作戦を開始します!』としか言わない指揮官ではあったが、小隊各車が命令を無視したり指揮系統が崩壊するような事はなかった。また、富永幸恵も操縦手としては超一流の腕前を持っていたが、小隊が一直線に突撃しかしないため、その腕前を発揮する機会は全くなかった。
そんな懲罰小隊の面々に転機が訪れる事になる。何でも新しく入門してきた西佳代という少女の腕前を見るために小隊戦を行なうということで、第四小隊から三両、西の指揮下に入ることになったのだ。結局、小隊長である牟田口が指揮に入ると、西もやりにくいだろうという判断から、小隊長車以外の三両が指揮下に入る事になる。そして、西の指揮下に入った第四小隊の面々は、初めて作戦というものを与えられ、突撃以外の戦闘を経験することになる。
小隊戦の結果は、両小隊長共に戦闘不能になったが、西の小隊が勝利した。第四小隊としては、結成以来初めての小隊戦の勝利であり、しかも美紗子の率いる第一小隊に対する勝利だったため、乗員達の喜びようは言葉では言い表せないものであった。この試合を見学していた家元の池田美代子は、第四小隊の指揮はそのまま西佳代が取る事にすると、即断した。
「あ~あ、私等どうするのよ?小隊がなくなっちゃったよ。」
第四小隊の小隊長であった牟田口恵子は、自分が指揮していた小隊を全て奪われることになってしまった。ところが美代子は、恵子達に新たに遊撃隊としての任務を与えた。美代子の考えは、戦車の操縦については富永幸恵に才能があることを見抜いていたため、単独行動の方が良いだろうという判断と、いくら牟田口恵子でも単独で突撃することはないだろう…というものだった。
しかし、恵子達がこれで反省して自重するような娘でなかったことは、その後の戦績が証明している。公式戦では、全車一斉突撃を信条とする知波単学園のドクトリンであったが、その突撃の先頭には、隊長車よりも前で突撃する牟田口恵子の戦車があった。
以上二編の短編になります。没ネタですから、あくまでもネタとして楽しんでもらえたらと…。牟田口さんと富永さん、最初は嫌なキャラで出そうかとも考えていたのですが、そういうのはガルパンの世界では、似合わないだろうな…と思い、無能でも好まれているキャラのような感じにしてみました。
嫌なキャラ版ですと…突撃の援護と称して、自分は突撃に参加せず、督戦隊よろしく味方の戦車のすぐ後ろを砲撃して突撃を強要するようなキャラになっていそうでしたがw。まぁ、こちらの方がリアルっぽく見えてしまうのは、牟田口様と富永様の経歴を考えると、仕方ないのかもしれませんが^^;