帝国は連合国に無条件降伏し、アメリカ軍による占領統治が始まった。先の大戦で指導的立場に居た人間は公職を追放されたが、戦争が終わりようやく安心して生活出来るようになったことに対する安堵の声が大多数であった。1951年、日本がサンフランシスコ平和条約に署名をしたことで、正式に日本と連合国との戦争状態が集結し、日本国の新たな出発が始まる。そしてそのような新しい時代が始まる中、公職追放が解除され戦友との約束を果たすべく奔走する男たちの姿があった。
1953年 8月 東京 史実研究所 所長室
この年5月、元陸軍参謀本部作戦課長であった服部卓四郎は史実研究所の所長となっていた。敗戦の後、GHQの参謀第二部部長であったウィロビーの元で、太平洋戦争の戦史編纂に協力する傍ら、日本の再軍備に関する研究を請け負っていた。この事もあり、占領軍や当時の日本政府中枢と強力なコネクションを築いた服部は、終戦後も厳然とした力を持ち続けることに成功している。そんな服部の元を前年の選挙で自由民主党から立候補し、衆議院議員となった元部下の辻政信が、見知らぬ和装の女性と共に訪ねてきた。
「服部さん、ご無沙汰しておりました。しかし、ようやく私もそれなりの立場になり、こうやって服部さんの元にご挨拶にやってくる事が出来ました。」
「辻君、久しぶりだね。ところで、そちらの女性はどなたかな?」
服部は少し怪訝そうな顔付きで辻に答えた。この男が来るということは、また厄介な事が起こるだろうと…
「服部さん、少し昔話になりますが、終戦の前年、戦死した西や池田さん、そして私とあなたで東京で酒宴を開いた時の事を覚えていますか?そしてあの時の西との約束を覚えていますか?」
「あの時の事は覚えているし、約束も覚えている。しかし、また何故急にそんな事を言い出すのかね?我が国は朝鮮戦争による特需で、ある程度経済は復活し、再軍備も果たしたが、戦車道を表立って推進できるような内政状態にないことは、政治家である君の方がよく分かっているだろう。この日本の今の状態で、戦車道を大々的に始めたら、反対派がやってきて血の雨を見ることになりかねんよ」
これは服部の言うとおりで、この時代の日本は国際社会に復帰しつつあるものの、国内では再軍備の反対デモが起こるなど混迷を極めた時代であった。
「しかし服部さん、あの約束を果たすのであれば今しかありません。今日ここに連れてきたこの方は、戦死した池田さんの奥さんで、池田流家元の池田美代子さんです。戦後、熊本に戻った西住流も戦車道を復活させようと画策しているようですが、それとは別に池田流もそろそろ戦車道を復活させたいと思い、こうやって私の所にやってきたのです。」
「池田美代子と申します。服部さんには亡き主人が大変お世話になったと伺っております。」
和装をしているため、余計にそのように感じるのだろうが、なんとなく気品のある老婦人が服部に挨拶した。
「いえ、こちらこそ池田とは士官学校の同期でして、共に何度も酒を酌み交わした仲です。占守島に移動する前に東京の市ヶ谷で会ったのが最後ですが、今でもあの時のことを思い出しますよ。」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、亡き夫もきっと草葉の陰で喜んでいることでしょう。」
戦車道は日本で始まった武道の一つである。当時、世界ではTank Game for Women (TGW)というものがあったが、純粋に武道として取り入れたのは日本であった。しかし、先の大戦の結果戦車そのものが使用出来なくなってしまったため、このままでは戦車道そのものが無くなってしまうことは、服部もよく理解していた。戦車道の各流派は、技術維持のため、例えば西住流などは地元の農業高校の校長を説得し、トラクターや耕運機を用いて運転技術の維持をするなど、様々な努力をしていたが、これも戦車が使用出来ない状態が長く続けば、早晩消えてなくなることは明白だった。
「服部さん、今回連れてきました池田さんの所もそうですが、このままでは日本の戦車道は間違いなく消えてしまうでしょう。先の大戦が終わって8年が経過しました。そろそろ動いても良い頃ではありませんか?参謀本部に服部有り!と謳われた服部さんの能力は、この辻がよく分かっています。」
「辻君、君は相変わらず人を煽るのが好きだな。まぁ、それが君の面白い所でもあるのだが。池田さん、池田さんの所は今どのような状態なのですか?相当苦しい事は理解していますが、実情を教えてもらえませんか?」
服部の問いは、美代子にはとても厳しいものだった。池田流は最盛期その門下生は1万人を超える巨大流派だったが、終戦後の混乱期の生活維持のため、門下生はどんどん地方に戻っていき、残っている人間は約500人。夫で戦死した池田末男の人徳もあり財政的に助けてくれる人は多くいたが、肝心の戦車が1両もない状態だったのだ。そして、米軍払い下げのブルドーザーの操縦などで辛うじて技術維持を行ない、終戦の年に子供が生まれた実の娘が中心になって辛うじて戦車道を続けていた。また、戦前の教育が全て否定されていくなか、日本人の滅びの美学を体現化した池田流の思想に反感を持つ者も居たため、その思想についても細々と伝えているような現状だった。
池田からの回答を聞いた服部は、何故今回辻がわざわざ美代子を自分の元に連れてきたのか理解できたような気がした。このままでは、早晩日本の戦車道はなくなってしまう、そして自分はあまりにも現状を知らなさ過ぎた。服部の中では、日本が再軍備を進めていく過程、すなわち自衛隊が戦車を装備し始めた時点で、戦車道を復活させれば良いというシナリオがあったのだが、それでは遅すぎたのだ。このままでは、戦車道を引き継ぐ人そのものがいなくなってしまう。服部の決断は早かった。
「辻君、池田さん、現状は認識しました。ここまで酷い状態だったとは、恥ずかしながらこの服部、認識が甘かったようだ。しかし現状を認識した以上、なんとかしよう。老いたりといえ、私もかつては帝国陸軍の中枢にいた人間だ。組織の動かし方や巨大な計画を立案する事は私が得意としている所、それにGHQと関わっていた時代のコネクションがまだ生きている。」
「服部さん、私も末端とはいえこの国の政治家です。私も出来る限りの事は政府内で行いましょう。不肖この辻、行動力だけは誰にも負けないと自負しております。」
服部の頭は既に回り始めていた。日本で戦車道を復活させるためには、様々な課題がある。これらの課題の解決を普通のやり方で行ってはとてつもない時間がかかるだろう。となると、トップダウンによるスピード解決しか手はない。そして現在の日本政府でそのような事が可能な人間は誰か…。総理大臣の吉田茂か?いやそれは無理だろう。たしかに現在の権力のトップは吉田だが、あの性格では早晩内閣は崩れるだろう。それに、彼にとって旧陸軍軍人は天敵だ。私や辻が行っても、おそらく相手にされないだろう。むしろ、積極的な妨害を受ける可能性もある。となると、吉田の次に政治の中枢に居そうな人間…おそらく彼しか居ないだろう。服部は、とある場所に電話を始めた。
「あ~、日本再建連盟さんですね。私は史実研究所の服部ですが、会長はそちらにおられますか? GHQとの折衝でお世話になった服部と言ってもらえれば分かると思いますので、会長に繋いでもらえますか?」
服部の電話口の対応を見て、美代子は不思議そうな顔をしていたが、辻は瞬時に服部が誰に連絡を取っているのかを理解して、驚愕した。これだけの事を動かそうとして、吉田以外となると彼しかいない。戦時下に国務大臣の要職を勤めていたため公職追放にあっていたが、今はそれも解除されている。たしかに、能力・人脈については全く問題ないが、彼は太平洋戦争中に何度も我々陸軍に煮え湯を飲まされてきた側の人間だ。何故、その首謀者の一人である服部との間にコネクションがあるのか。
「お久しぶりです。ようやくあなたも公職追放が解除されて、表舞台に出ることになりそうですね…岸さん。」
岸信介、わずか45才にして東条内閣の商工大臣として入閣し、太平洋戦争中の物資動員の全てを取り仕切った男。その後、東条との間で溝が出来、最終的には東条の内閣総辞職を要求するまでに至ったが、能力は間違いなく超一級。極東国際軍事裁判ではA級戦犯容疑者として3年半も拘留を受けている。服部と岸の電話での会話は、非常にシンプルだった。服部は岸に「日本で戦車道を早急に復活させたい。力を貸してくれ。」と言った事に対して、岸は「分かった。」と一言で応じた、と後に池田美代子は自伝に記述している。
岸との電話での会話の結果、9月に日本再建連盟の会長室で直接会談の場を持つことが決まった。