そいつが現れたのは何ら変わりない普通の日だった。
「うわぁー!屋上ひろーい!」
いつもなら私がいるからと誰も入って来ない屋上に珍しく訪問者がいた。バカでかい声に身体を起こした。
目をキラキラさせてクルクルとその場を見渡す。その頭には猫のように耳が付いていた。
なんだこいつ。
それが真っ先に思ったこと。
「あれ、人がいる。こんにちは!」
「……」
なんだこいつ。
私に自ら笑顔で話しかけてきた?え、なにこいつ。ホントになんなんだ。
「おい香澄!何やってるんだバカ!」
「ちょっと香澄!そこは入っちゃダメだって!」
「あ!有咲!さーや!早くこっち来てよ!」
「人の話聞いてんのか!?」
屋上の扉の前に現れたのは有咲と沙綾だった。それから察するに猫耳の彼女は二人の知り合いのようだ。
「有咲、沙綾。こいつは君たちの知り合いか?」
「すみませんこいつすぐ連れて行くんで!」
「ほら香澄!戻って来て!」
「え、なんで?ここで食べようよ!先輩?もいいですよね?」
「いやよくねーよ」
なんで一緒に食べる流れにしようとしてるんだよ。有咲と沙綾が必死に連れて帰ろうとしてるの無下にすんなよ。
「か、香澄ちゃん!」
「香澄、なんで屋上にいるの?」
「りみりん!おたえ!」
なんか増えた。小動物と美人。なにこのメンツ。何繋がり。
「みんな今日はここでお昼ご飯食べよう!」
「え!?」
「香澄は暗黙の了解知らないの?」
「あんもくのりょうかい…?」
なるほど。私を知らない数少ない人物の一人か。ここまで校則破って紗夜に説教されまくってる私を知らないなんてありえるのかはわからんがこれを機に教えてやるか。
ここは私のテリトリー。許可したやつ以外に入られるのはムカつくんだよね。
「香澄とか言ったかそこの猫耳」
「はい。なんですか…先輩?」
「今すぐ出てってくれないか?」
「え?どうしてですか?」
「ここは私が使っているから。君たちがいるとうるさくて仕方ないんだ」
「でも屋上ってみんなの場所じゃないんですか?」
「みんなの場所だったら静かにしてほしいやつの邪魔をしてもいいってのか?よくねーよ早く出て行け」
「先輩も一緒にお昼ご飯食べましょう!みんなで食べると美味しいですよ!」
話が通じてないな。追い出されそうになってるのにお昼に誘うって何考えてるんだ。頭痛くなる。
「香澄!ここで昼はダメだ!朝日先輩も静かにしてほしいって言ってるし」
「あさひ先輩?そーいえば誰かに似ているような…」
「姉さん」
猫耳が考える素振りを見せた丁度その時屋上に声が響いた。この呼ばれ方は一人しか知らない。
「紗夜。何か用か?」
「偶然近くを通ったら揉めている声がしたので」
「いちいち見に来るなんてさすがは風紀委員長。真面目だねぇ」
「姉さん。仕事を増やすようなマネやめてください。何度も言っているでしょう」
「紗夜はいつも同じことを言う。そういうの疲れない?」
「そう思うのなら校則破らないでください。仕事を増やしているのは姉さんなんですから」
その通りだ。紗夜の仕事を増やしているのは私。でもそれは現段階で必要なことだからやっているだけ。本当は困らせることをしたくはない。今は言えないから引くしかないけれど言える日はいつくるのやら。
「どこに行く気ですか」
「帰る」
「午後の授業はまだ残っていますが」
「私が帰りたいと思ったら帰る。それが私のルールだから」
私は日陰に置いていたカバンを持ち、何か言いたげな紗夜の横をすり抜けた。引き留められるかと思ったがそんなことはなく簡単にその距離は離れる。
今日の紗夜は至って冷静だった。怒ることなく言い聞かせるように言っていた。何の心情の変化だろうか。わからない。紗夜は今何を思っている。
紗夜は私のことを、諦めたとでも言うのか。
♢♢♢
姉さんは、変わってしまった。
最近はそれを嫌という程実感する。
昔はとても仲の良い姉妹だったはずなのに。
中学二年生から関係は大きく変わった。
あの日家に帰って来た姉さんはなぜか機嫌が悪かった。いつものように話しかけても適当な返事ばかり。疲れているのだと思って自分の部屋に戻ったがそれが間違いだった。
次の日、挨拶を無視された。一緒の登下校もなくなった。学校では一切話さなくなった。話しても知らない顔をされた。
最初は私たちが姉さんに何かしたんだと思っていた。だから姉さんは口を聞いてくれなくなったんだと。
私と日菜は謝った。何が悪いのかもわからぬまま必死に。謝れば姉さんはいつも通りの優しい姉さんになってくれると思っていたから。
でも現実は違った。
「何に謝ってるの」
「それは、わからないけど姉さんが私たちに対して怒ってるみたいだったから」
「あたしたちがおねーちゃんに何かしちゃったんだと思って」
「…ああ。そういうこと。そうだね、私も何の説明もせずにこんな態度とってたもんね。ごめんごめん」
やけに投げやりな態度に私たちは困惑した。知らなかったこんな姉さんを。いつも明るく困った人がいたら手を差し伸べて私たちを大切に思ってくれる。それが私たちの知る氷川朝日だったのに。
「もうさ、私には構わないでほしいんだ」
「え……」
「どういう、ことですか」
「言葉の通りだよ。学校でも家でも私に話しかけないで、私を呼ばないで、極力私の視界に入らないで」
姉さんが何を言っているのかわからなかった。明らかな拒絶の言葉に二人して動揺を隠せない。
「な、なんで!?あたしたちおねーちゃんの気に障ることしちゃった!?もしそうなら謝るから!」
「意味がわからないわ!どうして急にそんなこと!」
「………」
「こんなの納得できないよ!」
「お願い!理由があるならちゃんと言って!」
「……なら、言ってあげるよ」
ため息の後に吐かれたのはだいぶ低い声で圧が強くて私たちは揃って後退してしまう。そして信じられないセリフを口にした。
「私は二人のこと、好きじゃないんだよ。ただ親におねーちゃんだから面倒見ろって言われたからそうしてただけ。それ以上でも以下でもないんだ。さすがにさ、もう一人でどうにかできる人たちに手をかける理由が見つからない。私も自由にしたいと思ってたよ。でも二人が話しかけてくるんじゃ自由にできないんだ。
だから私に構わないで。私にとって二人は、邪魔でしかないから」
私の中で砕ける音がした。
姉さんに対する信頼、尊敬、憧れ、数々の思い出、全て。
「姉さん!!」
正直、我慢の限界だった。
「おねーちゃん!!」
感情のまま姉さんの胸倉を掴み震える拳を構えた。日菜の叫びはどちらに対するものだったか知らないがそんなことどうだってよかった。
私は楽しかった思い出の全てを否定されたのが許せなかった。
姉さんは驚き、一瞬だけ目を見開いた。でもすぐさま普段の表情に戻って、冷静に淡々と言った。
「殴りたいなら殴りなよ」
「は…?」
「それで紗夜の気が収まるならそうすればいい。今回限りは許してやる」
姉さんのそれは私への肯定だった。今度は私が狼狽する。
別に姉さんを殴りたいわけじゃない。流れでそんな体勢になっただけ。そもそも姉さんのことを私が殴れるわけがない。
私の拳は力なく下ろされた。
「殴らないんだ」
「…私が、できるわけないでしょ……」
「そう…」
力が緩んだ胸倉の手を姉さんは剥がす。そして部屋へと戻って行った。
日菜が心配そうに私を見つめる。私はその場に立ち尽くすことしかできなくて、今日あったことが全て夢であってほしいと願った。
しかしそう簡単に現実は変わってくれない。むしろ悪化していく。
耳にピアスをし、髪の色を変えた姉さんはもう私たちの知る姉さんではなかった。
どんなに話しかけても、どんなに気を引こうとしても、その度に姉さんの態度は悪くなっていく。
校則を破り、授業を抜け出し、教師に楯突く。
日に日に知らない人になる姉さんが嫌で嫌で見ていたくなくて。でもどうすることもできない自分に腹が立っていった。
そして気づけば私は日菜に八つ当たりをしていた。
日頃の生活と姉さんの態度と日菜の天才性。重なったストレスが爆発した。
日菜を遠ざけた。
「なんでも努力せず完璧にできて、できない人の上に立とうとしないでよ!」
「お、おねーちゃん…?あたしそんなこと」
「してないって言うならどうして私のマネばかりするのよ!日菜にマネされると全部できないみたいな扱いを受けるの!」
「あ、あたしはただおねーちゃんと一緒のことがしたかっただけで。おねーちゃんはあたしよりなんでもできるし」
「ッ!?その態度が私は一番嫌いなの!どうして私を見せ物にするの!どうして私が日菜より上だって言うの!私の気持ちを一度でも考えたことがある!?ずっとバカにされているんだから!!」
「お、おねーちゃ…」
「私が姉じゃなくて、日菜が姉だったらそうはならなかったのに!!」
日菜に酷いことを言った自覚はあった。でもいっぱいいっぱいだった私は日菜のことを考えることはできず距離が離れた。
私は姉さんに習ったギターにのめり込み、そのせいか姉さんのことも日菜のことも何を考えているのかわからなくなっていた。
学校でも家でもどこにいても。あんなに仲の良かった三つ子は姿を消していた。