「お邪魔しまーす」
「おう、いらっしゃい」
金曜日の夕方、仕事場に現れたのは沙綾だった。黄色のリュックを背負い笑顔で私に挨拶をする。
家の中へ招き入れ、荷物をベッドの横に置かせる。
「早かったな。家の手伝いとかでもう少し遅くなるかと思ってた」
「父さんたちに朝日先輩の家に泊まりに行くって言ったら手伝いはしなくていいって言われました。むしろ朝日先輩の迷惑にならないようにだそうです」
「山吹家は私のことをどれだけ偉い人だと思ってるんだ?」
沙綾くらいしっかりしてる子が他の人の家に泊まりに行って迷惑なんかかけるわけないだろうに。
「父さんも母さんも朝日先輩が無茶しがちだって知ってるから心配してるんですよ」
「過保護。道理で沙綾みたいな子が生まれてくるわけだ」
「それどういう意味ですか?」
「蛙の子は蛙ってことだよ」
何か言っている沙綾を視界の隅に入れ私は買い物に行く準備を進める。家の冷蔵庫には食材がほとんどないのだ。
「沙綾、夕飯何が食べたい?」
「え、朝日先輩が作ってくれるんですか?」
「何嫌なの」
「そうじゃなくて!えーっとそうですね‥‥ペペロンチーノがいいです」
「おっけー。好きだねペペロンチーノ」
「先輩は好きじゃないんですか?」
「別に普通だよ。まあスパゲッティとかよりはペペロンチーノの方が好みではあるけど」
でも沙綾の場合どこに行ってもペペロンチーノ頼むからなぁ。たまにならいいけど毎回毎回ペペロンチーノというのは飽きないのだろうか。
「買い物行くけど沙綾は家で留守番してる?」
「一緒に行きます。家で待ってるのは暇ですし部屋の主一人でなんて行かせられませんよ」
「そっか。ありがとね」
沙綾はスマホだけを持って私と一緒に仕事場を出た。本当は財布も持とうとしていたのだが私が「持たなくていい」と言い、渋々と言った感じでカバンにしまっていた。気にしなくていいのに。
目的地は近くのスーパー。この時間ならセールでもやっているだろうか。
「沙綾の家だとペペロンチーノに何入れる?」
「何って普通のペペロンチーノですよ」
調味料はあるから食材だけでいいか。
必要な食材をカゴに入れていると沙綾が話を振ってきた。
「朝日先輩って普段料理とかするんですか?」
「ある程度はね。そう言う沙綾はめちゃくちゃ上手そうに見えるけど?」
「いやいや。そんなことないですよ。母さんの手伝いはよくしますけど料理スキルは人並みです」
会話から伝わる良い子さ。どうせお母さんの身体が弱いこと気にして一人でやってたんだろう。普通に料理できそうだ。
でも沙綾が家にいたら最高だな。可愛いし優しいし面倒見いいし。
「沙綾ならいいお嫁さんになりそうだね」
「お、お嫁さん!?」
「そうそう。毎日エプロン姿で起こしてもらいたい」
「エプロン姿で!?」
考えてみたら朝起きたら目の前に笑顔の沙綾が現れるとか最高じゃないか。将来的に起こしてもらえるやつ幸せかよ。
「‥‥‥‥沙綾?どうした?」
「い、いえ!私料理の勉強頑張りますね!」
「あ、あぁ‥‥?」
黙り何かを考える素振りを見せる沙綾に声をかけたらそう言われた。
なんで突然。そんなに手料理振る舞いたいやつでもいるのかな。
スーパーから帰ってきた私たちはすぐさま料理に取り掛かった。沙綾にも手伝ってもらったがすごく慣れた手つきだった。
誰かと食べるご飯はいつも以上に美味しいと感じるものらしい。この感覚も久しぶりだ。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした。食器貸して。洗うから」
「あ、私やります」
「いいの?」
「はい。ですから先輩はゆっくりしててください」
食べ終わり食器を片付けようとしたら沙綾が代わりにやってくれるという。お言葉に甘えてベッドに腰掛けた。
ベッドからキッチンはよく見えるから沙綾の食器を洗う後ろ姿が目に入る。
クルッと先端の跳ねるピンクのポニーテールにそれをまとめている黄色いリボン。うなじはなぜか色っぽくて、身体のラインが出ている服は沙綾のスタイルの良さを私に見せつけていた。二の腕に余分な脂肪はなくて、まるで中学の頃みたいだ。
「‥‥‥‥沙綾」
「なんですか」
「沙綾はさ、もうバンドやらないの?」
「‥‥‥‥どうしたんですか急に」
間があった。声のトーンも半オクターブくらい低い気がする。
「知ってるかもしれないけど今有咲たちがバンド組んでてドラムがいないんだよ。それで沙綾が出来たりしないかなーと」
「無理ですよ。家の手伝いがありますし、母さんのことも心配ですから」
「だよな。じゃあ知り合いにドラマーいたりしないか?」
「‥‥‥‥思い当たる人はいますけど別のバンド組んでいるので」
「そっか」
まあなかなかいないよなドラムやってる人。沙綾の知り合いもダメなら自力で見つけるしかないだろう。有咲や猫耳には力になれなくて悪いが。
「先輩、先にお風呂使っていいですか?」
「いいぞ。ごゆっくり」
食器洗いが終わったのか沙綾は着替えを持ってお風呂場へ行った。30分ほどで出てきた沙綾はダボッとしたラフな格好。頬は少しだけ赤く染まり髪から水滴が垂れる。残念なことにここにはドライヤーを置いていないので頑張って乾かしてくれ。
入れ違いに私もお風呂に入る。さっぱりして部屋に戻れば沙綾はなぜかベッドに座り私の相棒を手にしていた。
「あれ。沙綾ってギター弾けたっけ?」
「いえ全く。ただこのギター見たら先輩が弾いてるところ思い出して‥‥‥‥」
沙綾の前で相棒を弾いたのなんて二年前。手首が使いもんにならなくなってからは弾こうにも弾けなくて沙綾のお願いを叶えられずにいた。今もまだ叶えられない。
その事実が悔しくて沙綾からギターを取り上げ元の位置に戻した。沙綾は少しだけ悲しそうな顔をしていた。そんな隣に座る。
「沙綾。本当にもうドラムやらないの」
「‥‥‥‥やりませんよ。何度も言ってるじゃないですか」
「でもそれは家族のこと、やまぶきベーカリーのこととかお母さんのことがあるからでしょ?沙綾はどう思ってるの」
「どうって‥‥‥‥」
「ドラムが嫌いになったわけじゃないでしょ?」
「そんなの!‥‥当たり前じゃないですか」
知ってた。沙綾がドラムを叩いてる時はいつも笑顔だったから嫌いなわけないことくらい。でも口に出したことは重要だ。
沙綾は誰かのために自分の気持ちを押し込められるやつだ。だったら誰かがやってもいいと言ってやらないといけない。
「ならやればいいじゃん」
「そんな簡単に‥‥‥‥」
「簡単に言ってないよ。私は今よりバンド活動してた時の沙綾の方が輝いてたと思う。お母さんが心配なのはわかるよ。でもだからって沙綾が何もかもガマンする必要ないじゃん」
「‥‥先輩」
「それにドラム続けてくれたら夏希や有咲たちも喜ぶと思うし」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥また、市ヶ谷さん、ですか」
「え」
気が付けば私は沙綾に肩を押された。一秒にも満たない時間で背中にベッドの柔らかな感覚が訪れた。まだ濡れている髪の冷たさが肌を掠める。
明るいはずの天井は影になっていて目線の先には沙綾がいた。まっすぐ見つめられ両手は沙綾の手によって拘束されている。
ここで今自分の置かれている状況を理解した。
「さ、沙綾!なにして!」
「いいですよね市ヶ谷さんは。先輩の色々なところを知ってて」
「は」
「私が見たことない先輩をきっとたくさん知ってるんだろうなー」
「ちょ、おい」
「逃げちゃダメです」
覆い被さっている沙綾を退かす術は私にはなくて必死に逃げようと身じろぐも簡単に押さえつけられてしまう。沙綾ってこんなに力強かったっけ。
「ねえ先輩。先輩はどうして強がるんですか」
「え?」
「市ヶ谷さんには弱いところ見せて本心ばっか見せるのに。なんで私にはそうしてくれないんですか」
「そ、んなの偶然だって!」
嘘。本当は沙綾に弱いところを見せるのが嫌なだけ。
「そうですか。なら」
すると沙綾は含みのある笑みを見せた。それに嫌な予感がして冷や汗が流れる。
「朝日先輩。私しか知らない一面、見せてください」
「っ!?さあ___」
キス、された。
この前の手当の時のようなイタズラではなく、完全に本気のキスが唇に。何度も角度を変えられ柔らかい感触が次々と降ってくる。上手く息継ぎができない。かと言って口を開けば待っていたと言いたげに舌が入ってくる。目を閉じているため視覚以外の感覚がフル回転していた。段々抜けていく力に私は身体をベッドに預けた。
「‥‥‥‥さあ、や‥‥?」
止んだ口付け。息を整えながら沙綾を見れば何故か目に涙を溜めていてその雫がポロポロと私の頬に落ちていく。
驚いて沙綾を見つめれば本人も予想外だったのか両手でそれを拭っていた。
「おか、しいな‥‥なんで、涙が出るんだろう」
「さあや」
「すみませんキスしちゃって‥‥もう、しませんから」
「沙綾」
「だからおねがい‥‥‥‥きらいにならないで」
「沙綾!」
「っ!?」
上半身を起こした私は沙綾を力の入らない腕で抱きしめた。首を振って否定している。しかしすぐに逃げ出せるであろう力なのに沙綾が逃げる様子はなかった。そっと頭を撫でる。
「心配しなくても、私は沙綾のこと嫌いになんかならないぞ」
「‥‥‥‥うそです。だって、むりやりキスしたし」
「気にしてないよ。驚きはしたけど」
「‥‥‥‥ほんとう、ですか‥‥?」
「嘘ついてどうするのさ」
この後輩、今日は色々な表情を見せてくれる。それがなんだか嬉しくて仕方なかった。
「それにしても沙綾って我慢強いのかと思ってた」
「‥‥‥‥ずっと、ガマンしてたんです。そうじゃないと朝日先輩が離れていくと思って」
「そんなわけないのに。馬鹿だな」
「‥‥‥‥全部先輩が悪いです。私と話してるのにずっと市ヶ谷さんのこと出してくるんですから」
「‥‥もしかして嫉妬?」
「‥‥もしかしなくてもそうです」
なんだそれ可愛すぎ。
沙綾は身体を離して真っ直ぐ真剣な眼差しで私を見ていた。
「この際ハッキリ言っておいた方がいいですよね。
朝日先輩、私朝日先輩のことが好きです。紗夜先輩や市ヶ谷さん、他の人たちより明らかに私の方が先輩のこと好きですし、世界で一番愛してます。なので、私と付き合ってください」
真っ直ぐすぎる愛の告白になんだか照れくさくなった。恥ずかしくて今にも逃げ出したいくらい。
だけど勇気を出してくれたんだ。なら逃げるわけにもいかない。
「‥‥‥‥沙綾。私も沙綾のこと好きだよ。でもそれは友達や後輩として。今はまだそれ以上の感情で見たことはない。だけどもし、それでも私のことを好きだって言うならアピールして。沙綾のこと好きにさせて見せてよ」
私の言葉に沙綾は目を見開いて、そして笑った。
「そういうところ、先輩らしくて好きですよ」
「それはどうも。こりゃあ沙綾の私に抱く好感度上がったんじゃないか?」
「現段階で最高値なのでこれ以上上がりません」
「‥‥‥‥それは困った」
沙綾のやつ、隠さなくていいと分かってから言葉がストレートだ。これは私の心臓が持たないかもしれない。
沙綾はまた含みのある笑みを浮かべて私の耳元に近づいた。吐息がかかって嫌でもドキドキしてしまう。
「____朝日先輩。私、絶対先輩のことオトしますからね」
ホントに、困った後輩だ。