今日はバンド練習がなく、私は店の手伝いをしていた。
昼のピークを過ぎた雨の日。天気のせいか店内には私以外誰もいない。父さんに頼まれたパンを陳列しているとチリンと扉の開く音がした。
振り返れば珍しいお客さん。笑顔で慣れた挨拶をする。
「いらっしゃいませ燐子先輩」
「‥‥‥山吹さん、こんにちは‥‥‥」
Roseliaのキーボード担当の白金燐子先輩。大人しくてゆっくり、たどたどしい話し方が特徴の人だ。
まだあまり関わったことはないが優しい先輩だということは知っていた。
手には傘が握られている。
「燐子先輩。傘立てはそこにあるので使ってください」
「は、はい‥‥‥ありがとうございます‥‥‥」
私の言葉を聞いて燐子先輩は慌てて傘を傘立てに納めていた。
店内を見て回るのだから邪魔にならないように端による。しかしいつまで経っても動いている気配はなくて、陳列を終えて燐子先輩を見ると店内をキョロキョロ見ていて落ち着きがない。何か戸惑っている感じだった。
「何かお探しですか?」
「‥‥‥あ、いえ‥‥‥そういうわけでは‥‥‥」
他のお客さんと同じように話しかければやんわり断られた。
私の知る限り燐子先輩は初来店だろうからどこに何があるとかオススメだとかを聞きたいんだと思っていたけど違うみたい。
トレイを持った燐子先輩はメロンパンとチョココロネを取ってレジに向かう。
一つ一つ袋分けをしてお会計をする。お会計の時に話しかけられた。
「‥‥‥あの‥‥‥山吹さん‥‥‥」
「はい?」
「‥‥‥朝日さんが、どこにいるか‥‥‥ご存知ですか‥‥‥?」
袋詰めをしていた手が止まる。
視線を上げれば燐子先輩は手にしていたサイフに目線を落としていた。
「‥‥‥どうしたんですか急に」
「最近‥‥‥朝日さんの姿を、見ていなくて。‥‥‥話したいことが‥‥‥あったんですけど‥‥‥メッセージも、返ってこなくて‥‥‥」
燐子先輩の言葉に私は何も言えなかった。
話したいこととはなんだろうか。
そもそもどうして燐子先輩が。
同じ学校だけど燐子先輩が朝日先輩と話している所なんて見たことがない。
確か違うクラスだったはずだし接点もないだろう。
なのに、そのはずなのに、なんで。
「‥‥‥家じゃないんですか」
「‥‥‥氷川さんに‥‥‥いないと、言われて‥‥‥山吹さんなら、知っているかと‥‥‥」
「どうして‥‥‥」
「‥‥‥校内で話しているのを‥‥‥よく見ます、から‥‥‥」
多分今の朝日先輩の精神的に一人でいたいと思うはず。
それもカラオケみたいに騒がしい所ではなく静かでゆっくりできる所に。
案として出せるのは仕事場かネットカフェくらい。
どっちにいたっておかしくはない。けどもしネットカフェにいたらどのネットカフェにいるか分からないから完全に積みだ。
これは先に調べてもらうしかないかな。
スマホを取り出して私は有咲にメッセージを送った。すぐについた既読の文字。スタンプが返って来たのを見て袋詰めを再開する。
「‥‥‥ちなみに、話したいことってなんですか」
サイフから出された小銭を受け取る。ちょうどだった。
「‥‥‥知りたいんです‥‥‥‥‥‥朝日さんの、ことが‥‥‥」
「朝日先輩のことを知りたい?」
「はい‥‥‥あの日の、朝日さんは‥‥‥おかしかった、から‥‥‥」
全然話が見えなかった。燐子先輩は一体何の話をしているのだろうか。
「何かあったんですか?」
「‥‥‥山吹さんは‥‥‥朝日さんに、拒絶されたこと‥‥‥ありますか?」
燐子先輩の言っていることが最初分からなかった。徐々に理解して、最悪なイメージが湧いてくる。
「燐子先輩、もしかして‥‥‥」
「私じゃ‥‥‥ないです」
と言うことは他の誰かが拒絶されたってこと?
「なら。誰、ですか‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥あこちゃん、です」
「ッ!?」
燐子先輩は躊躇い目を伏せながら言った。それに私は目を見開く。
なにそれ。朝日先輩があこを拒絶した?嘘でしょ、完全に笑えない冗談だよ。
「待って、ください!それって一体いつの話ですか!?」
「‥‥‥‥‥‥月曜日‥‥‥です」
それって私たちを突き放した次の日ってこと?
嘘でしょタイミング悪すぎ。
朝日先輩は自分のせいで私たちに危害を加えられそうになったことと自分の最大の秘密が最悪の形でバレたことを後悔した。だからこれから先、私たちに危害が加えられないように突き放した。私だってそのことを理解しているつもりだった。
けどまさか他の人たちまで突き放してるだなんて。
いや、心優しい朝日先輩ならそうして当然かもしれない。だけどあこが朝日先輩と知り合いとは知らなかった。
朝日先輩は良い人なんだ。あこも多分その部分しか見ていなかったはず。信頼していただろう。
なのに突き放された。理由もわからず、拒絶された。優しかった先輩に突然そんなことされたら誰だって悲しくなる。純真無垢なあこならダメージは私たちの比じゃない。
「あ、あこは大丈夫なんですか?」
「‥‥‥Roseliaの、練習には‥‥‥ちゃんと来てます‥‥‥けど‥‥‥」
「けど?」
「‥‥‥‥‥‥プライベートで、会うことは‥‥‥減り、ました‥‥‥」
燐子先輩が朝日先輩とどんな関係だったかは知らない。
けど悲しげなその表情はきっとあこだけでなく朝日先輩へも向けられていた。
「‥‥‥正直、今でも‥‥‥信じられないんです。‥‥‥朝日さんは‥‥‥あこちゃんのこと‥‥‥妹みたいに、可愛がっていました。‥‥‥あこちゃんも、本当の姉のように‥‥‥甘えていました。‥‥‥‥‥‥一緒にいる時は‥‥‥とても楽しそうでした。‥‥‥だから‥‥‥ショックでした‥‥‥」
朝日先輩、突き放すのは私たちだけでよかったじゃないですか。
私はただ話を聞くことしかできなかった。
「私‥‥‥初めて見ました‥‥‥‥‥‥朝日さんが、あこちゃんに‥‥‥暴言を、吐くのを。‥‥‥衝撃、でした。‥‥‥あこちゃん、泣いていたんです‥‥‥‥‥‥冗談だって‥‥‥言ってほしかったと、思います‥‥‥」
そんなの当たり前だ。私たちは事情を知っているからまだいい。けど燐子先輩やあこは違うのに。なんだかんだ離れられて一番悲しむのは朝日先輩のくせに。どうして。バカ。
「‥‥‥朝日さんとは‥‥‥まだ短い期間しか、一緒に過ごせてません。‥‥‥‥‥‥それでも私は‥‥‥朝日さんが、酷いことを‥‥‥言ったのには、理由があると‥‥‥思っています」
私の目を見て燐子先輩はそう言った。その目は完全に覚悟が決まっていて、逃げ出したくなる気持ちを必死に抑える。
「‥‥‥私は、朝日さんと‥‥‥また笑い合いたい。‥‥‥あの楽しかった時間を‥‥‥嘘だとは、言わせたくない。‥‥‥認めたくない。‥‥‥そのために‥‥‥本当のことを、知りたいんです‥‥‥!」
朝日さんは、どこにいますか?
力強い言葉に私は何も言えなくなる。言おうにも口の中が渇いて気持ち悪かった。
どうしてみんなこうなのか。どうしてみんなそんな風に行動できる。私はアイディアが思いつかないとか有咲や紗夜先輩たちが解決してくれるんじゃないかとか他人行儀になってしまっているのにどうして。
朝日先輩のことは好きだ。この想いが揺らいだことは一度もない。本気で今の状況から救い出したいとも思っている。
けどそのために行動できない。先輩の計画の邪魔をしているんじゃないのかとお門違いなことばかり考えて、本当は怖いだけ。蔵で朝日先輩が暴力を振るわれているのを見て、あんな風に自分が傷つきたくないと思ってしまった。
何度も蔵での出来事がフラッシュバックした。朝日先輩の今じゃすっかり見慣れている傷がこれでもかと言うくらいフラッシュバックした。ただ臆病な感情だけが私を埋め尽くした。
結局大切なのは自分の次に先輩なのだと思い知らされる。
大切なもののために行動できる性格だと思っていた過去の自分を殴りたかった。
私にあるのは助けたいという意思だけ。けどそれだけあったって何の意味もないとわかっているのに。どうして私はそれを変えられない。どうして私はこんなにも弱いのだろう。
所詮口だけの女。そんな何もできず何も守れない私が、
嫌いで
嫌いで
大嫌いで
勇敢な人たちに、嫉妬する。
知りません。
それが無難な解答。そう言えばこれ以上燐子先輩が私の発言で真実に近づくことはない。そうすれば朝日先輩のことを知られずに済む。そうすればこれ以上傷つきやしないんだ。
だから私はゆっくりその言葉を口に__。
その時、独特な着信音が店内に響き渡った。
二人してその音の正体である私のスマホに目を向ける。ディスプレイには市ヶ谷有咲の表記。
仕事の時はマナーモードにしているのだが今日はし忘れていたらしかった。
「び、びっくりした‥‥‥」
「‥‥‥わ、私も、です‥‥‥」
電話を取ろうとしない私に燐子先輩は「出ないんですか?」と首を傾げた。
さすがに店番中だからと言ったが「何か大切な連絡かもしれませんよ」と言われたらそんな気がしてしまう。そもそも今日は店番があると有咲は知っているはずなのに電話を掛けてくるということは急ぎの用かもしれない。それに有咲なら要件も手短に話してくれるだろう。燐子先輩以外のお客さんもいないから早く動く心臓のまま断りを入れて電話に出た。
「もしもし有咲?どうし____」
『さーや、助けて!』
「え、香澄?」
電話の相手は有咲ではなく香澄だった。珍しく小声なうえ切羽詰まった声から聞こえてきたSOSに驚く。
「どうしたの香澄!ていうかなんで有咲のスマホから?」
『今朝日先輩のお母さんが蔵に押しかけて来てるの!蔵の中で有咲と何か話してるみたいなんだけど何か雰囲気がおかしいって言うか』
『あら香澄ちゃん。コソコソしてるけど、誰かと電話中?』
『ひっ!』
楽しげな声と怯えた声。息が止まりそうだった。
『誰と通話しているの?スマホ見せて』
『か、返して!』
『沙綾ちゃんって子と話していたのね。もしかして前ここにいた子かしら』
『さっきまで有咲と話してたのになんで‥‥‥』
『有咲ちゃんならそこで大人しくしているわよ』
「待って有咲に何したんですか」
自分でも驚くほど低い声が出た。
目の前の燐子先輩の肩が揺れる。
通話の先から小さく笑う声がした。
『何をしたと思う?』
「っ!ふざけないでください!有咲に何かしたら許しませんよ!」
『あら。まるで私が悪人みたいじゃない。私はただ楽しくお話していただけよ』
「‥‥‥一体何が目的なんですか」
『ふふっ。ここに来たらわかるんじゃない?』
『沙綾!!絶対蔵に来るんじゃねえ!!』
「有咲!」
『あら。オシオキが足りないみたいね』
『ちょまて、何して!』
『有咲!』
『オシオキよ』
「有咲!?有咲!!」
そこで通話は切れた。無慈悲な機械音だけが耳にこだまする。
絶望しそうだった。あの人が朝日先輩いない蔵に一体何の用がある。考えたってわかりやしない。音声だけを頼りにしたって情報不足だ。
ただ最悪の事態になっていることは理解できた。
「や、山吹さん‥‥‥?」
「っ!?」
名前を呼ばれてお店の中に燐子先輩がいることを思い出した。
不安そうな瞳に見つめられる。最悪なやり取りを聞かせてしまった。けど何か言い訳を考えているだけの余裕はない。
「すみません燐子先輩。話はここまでです」
「え、山吹さん‥‥‥!?」
どうにか父さんに店番を代わってもらって私は傘も持たず勢いよく家から飛び出した。
有咲ごめん。今回ばかりは有咲の言うこと聞けないや。
だって私は、有咲を助けたいから。
雨が、強くなった気がした。