ずっと変わりたくないことがある。
変えたくない関係がある。
そう思っているのに、どうして変わってしまうのだろう。
望んでもいない未来が近づいている。
重たい身体、痛む節々、増えていく傷、増えていく包帯、見せられない肌。全てが嫌だった。
けど一番嫌いなのは本音で話せない自分。嘘をついて傷つける。そんな最低な自分。
こんな奴にはなりたくなかったはずなのにいつの間にかそんなクズにまで成り下がってしまった。
妹たちと話すことに恐怖を感じてしまっている自分のことが大嫌いだった。
酷い言葉をぶつけて遠ざけようとして、そのくせ離れられるのを怖がって。
矛盾した考えがさらに私の心を傷つけていく。
そんな自分自身を殺してしまいたいと思ったのは今に始まったことじゃない。
「‥‥‥ッ!‥‥‥っは‥‥‥!」
左手首に当てた刃を横に引く。
痛みと共に流れ出る新鮮な血。やけに嬉しかった。
何度目かもわからないリストカット。いつからか始めてしまった間違った私を正気に戻す方法。
最初は本気で死にたくて切った。
でも結局怖くて深く切れなかった。それに私を慕ってくれる子たちに申し訳ないと思ってしまった。
紗夜にも日菜にも死んだ姿なんて見せたくないと思った。
だからやめよう。そう思ったはずなのに。
自分で自分に与える痛みはよかった。
あいつらからの制裁は夢のように過ぎていく。けどこれはじわじわ感じる痛みで生きている気になれた。流れる赤は私のことを肯定してくれているように感じたから。
そうしたらどんどん誰にも言えない秘密が増えていった。紗夜や日菜だけでなく沙綾や有咲にも言えない秘密が。
痛みに耐えながら消毒をして包帯を巻いていく。
普段から包帯をしていてよかったと思った。
傷は残るが仕方のないことだと割り切っていた。問題はあるが心配する必要はない。
どうせこの方法で死ねないのはわかっているから。
♢♢♢
「朝日先輩!お願いです逃げないでください!」
「関わるなって言ってるだろ!何度言えばわかるんだ!」
もう嫌だ。
「朝日先輩!私たちのこと、頼ってください‥‥‥!」
「うるさい!もう何も言わないでくれ!」
嫌いだ。
「私はお前らなんて大っ嫌いだよ!」
こんな自分、知りたくなかった。
逃げたらダメなのにどうしてこうなるんだ。
私はもう嘘なんてつきたくないのに。
ねえ、本当のこと、いつ言えるの。
♢♢♢
家の玄関を開けて一番最初に目に入ったのは仁王立ちしている紗夜だった。その横で日菜が立っている。その目が私を捉えていて面倒な展開になるのがわかった。
「おかえりおねーちゃん」
「おかえりなさい姉さん」
「‥‥‥ただいま」
誰かに向かってただいまと言ったのなんて何日ぶりだろうか。少しだけ嬉しくなる。
靴を見る限り父さんと母さんは帰って来ていないようだ。数日前のことがあるから質問攻めにあう未来が見えた。だからこそすぐに逃げたかった。
二人の横を過ぎて自分の部屋に向かおうとするも紗夜に腕を掴まれる。
「行かないで」
その声が悲しげに聞こえた。
つい足を止めてしまう。
「姉さん。私たちは、待ちましたよ。姉さんが冷静になるのを」
「‥‥‥なにそれ」
「姉さん。あの日のこと、聞かせてもらえますか。いえ話してください」
いえるわけない。いっていいはずがない。
「おねーちゃんのその包帯だって、原因はケンカだけじゃないでしょ」
「‥‥‥ケンカだよ」
「だとしても毎日やるわけないよね」
バケモノとの、といったらどうなるんだろう。
「将来に関わることってなんですか。姉さんがどうなってもいいって何」
「‥‥‥なんでもないよ」
「それで私たちが納得すると思っているんですか」
わたしにとってふたりはたいせつだから。
「おねーちゃんはどうしてあたしたちと距離を置こうとするの。昔は仲良かったじゃん」
「‥‥‥人は、変わるもんでしょ。私は変わった。二人だってそう。無理に仲良くする必要はないだろ」
「姉さん。お願いです。どうして私たちと距離を置いたのか教えてください」
いつだって二人は私の後ろをついてきた。
笑う時も泣く時もいつも一緒で。でもそれは過去のものだと思っていた。
中学生の頃に私が二人を突き放してから、二人の仲も悪くなって、全員別の道を進んでいると思っていた。
けどそれが途中で交わる道に繋がっていたなんて思いもしなかった。
普通だったら絶対に言おうとしないこと。
そのはずなのに。
多分私の精神が弱っていたから。
色んな人に優しくされたから。
側に寄り添おうとしてくれたから。
この悩みを聞いてほしかったから。
もう限界だったのかもしれない。
「‥‥‥紗夜、日菜、私‥‥‥わたしは」
「あら。三人揃って何をしているの?」
聞き覚えのある声に背筋が凍った。
おそるおそる振り返れば
「‥‥‥帰って来るの、早かったね。どうしたの?」
どうして今あの人がいる。いつもならまだ仕事をしている時間じゃないか。なんでこんな時に限って。
「今日は早めに上がれることになったのよ。珍しいわね姉妹で揃っているなんて。何かあったの?」
冷や汗が止まらない。目が笑っていないことを悟って、震える足を必死に抑える。
「別になんでもないよ。ただの世間話。ね、そうでしょ」
早くここからいなくなりたかった。
だからこそ同意を求めた。三つ子だから私の意思を読み取ってくれると思った。
けどこんな時だけそう思うなんて都合のいい話だ。
日頃の行い。こういう時、私の意思は汲み取られない。
「あたしはおねーちゃんとお母さんたちの仲が悪くなった原因が知りたかっただけだよ」
「っ!?」
「へぇ。そうなのね」
言いやがった。言ってはいけない禁断の言葉を。
バケモノの目は笑っていない。これから起こるであろう光景が簡単に想像できてしまう。
自然と身体が二人を守る態勢になっていた。
こうなるとやることは一つだけだった。
「姉さん‥‥‥?」
「おねーちゃん‥‥‥?」
もう、独裁政治は終わらせる。
「そうだよ母さん。私はずっと二人に話したかったんだ。父さんと母さんが隠したかったことを。
面倒を見てくれず、理不尽な理由で怒られて、私だけでなく後輩にまで手を出したアンタらのことをね」
「は‥‥‥」
「え‥‥‥」
後ろで驚いた声が二つ。目の前には普段と変わらぬ顔。今更知らないなんて言わせない。
私は左腕の包帯を解いていく。痛々しい傷が所々に存在していて自分でも見たくない。息を吞むのが聞こえた。
「忘れたとか知らないとか言わないよね。生憎自分じゃ強く殴れない場所にも傷があって辛いんだよ」
選べよ。肯定するか否定するか。
どっちでも二人の信頼はガタ落ちだけどな。
「ほ、本当なのお母さん?」
「じゃあ今までの傷も全部お母さんが?」
正確には父さんもだけど、まあそれはいいか。
「信じられない?」
二人に投げかけるように言う。
二人には今の状況がどう映っているのだろうか。
わからないがいい印象は持っていないと思う。
多分頭のいい二人ならどっちが正しいか理解したことだろう。
恨めしそうにしたって、無駄だ。
「‥‥‥ねえ母さん。紗夜と日菜に嫌われそうになるのって、絶望するでしょ」
その言葉が引き金だった。
「姉さん!!」
「おねーちゃん!!」
殴られた。じゃんけんで言うグーの形で。
身体は右側に流れテーブルの脚に頭をぶつける。左頬がジンジンと痛んだ。
おかしいかもしれないがそんな状態で私の口角は上がっていた。何が楽しいのかわからない。自然にそうなっていた。これだから自分の行動は理解できなかった。
「台無しよ。全部全部!お前のせいで!!」
「はっ!自業自得だろうが!人のせいにしてんじゃねえよボケ!!」
「親に向かってなんて口を利くのよ!」
「やめてお母さん!」
「落ち着いてよ!」
再度殴られそうになるのを二人が止めてくれる。バケモノが二人を傷つけられないことを知ってか知らずか。おそらく後者だが助かったことに変わりはない。
「‥‥‥覚えておきなさいよ朝日」
恐ろしい形相で睨まれたって負け惜しみに見えてしまう。
ざまあみろ。自分の行いに後悔してろ。
バケモノは寝室へと戻っていく。
それを見送れば、安心して力が抜けた。
「姉さん!」
床に倒れそうになったところを紗夜に支えられる。日菜はすぐに氷嚢を準備して私の頬に当ててくれた。
「‥‥‥ありがとう二人共」
思えばお礼を言うのなんていつぶりだ。随分久しぶりな気がする。
紗夜から身体を離して氷嚢片手に立ち上がった。
「姉さん」
「何」
「説明、ちゃんとしてくれますよね」
話さないわけにはいかない。知られた以上、私だけの問題ではなくなったのだから。
「私の部屋、行こうか。そこで全部話してあげるよ」
二人の心配そうな表情がやけに心に刺さった。