「さーて。どこから話そうか」
姉さんはやけに間延びした声でベッドに腰を掛けてそう言った。
自ら部屋に鍵を掛けていたということは逃げるつもりも私たちを逃がすつもりもないと言うこと。真剣な話をするはずなのにどこか気の抜けた姉さんの発言は色々場違いだと思った。
「それより先におねーちゃんの手当てしないと‥‥‥」
「大丈夫だよ。ただ殴られただけだし。もう慣れたから」
淡々としていた。母親に殴られて頬が赤く腫れているというのに、どうして姉さんはそんなに平然としていられるのだろう。左腕の傷が今までの姉さんの苦労を物語っている。
「‥‥‥いつから」
「ん?殴られ始めたの?それなら」
「違うわ。姉さんが演技を始めたのが、よ」
「っ‥‥‥」
姉さんは驚いて、すぐに表情を歪めた。
どうやら私が演技のことを知っていたのは想定外だったみたいね。
「少し前、咲祭が終わってすぐの頃、風紀委員として校内の見回りをしていたら偶然市ヶ谷さんと山吹さんがそんなことを言っていたの。ついでに言うと姉さんを『助けたい』とも」
「あいつら‥‥‥」
姉さんは困ったように頭を掻いていた。
「ちょ、ちょっと待って!演技って何?どういうこと!?」
日菜は困惑している様子だった。ふぅーと息を吐く。
ずっとおかしいと思っていた。だけど私も日菜に対しての感情の変化があったからもしかしたら当然の変化だと思うようになった。心の底から優しい姉さんに限ってそんなことありえるはずないのに。
「今まで姉さんが私たちに取っていた嫌な態度は全部嘘だったのよ」
「えぇ!?そ、そうだったの!?」
日菜は目を見開いて姉さんを見つめた。姉さんは「上手く隠せてたつもりだったんだけどなー」と呟く。
「うんそうだよ。私は紗夜と日菜のこと嫌いになったことなんてない。むしろずっと大好きで大切だって思ってる」
久しぶりに聞いた「好き」の言葉に胸の奥が温かくなった。
「だったらどうしてあたしたちに嫌われるようなことばっかりしてたの?」
その問いに、姉さんはすぐには答えなかった。一度考えるような素振りを見せる。
「‥‥‥‥‥‥紗夜の質問にまだ答えてなかったよね。
私が演技をしたのは中二の時だった。きっかけはね、虐待じゃない。紗夜がいたからなんだ」
予想外の発言だった。てっきり私はその時からすでに虐待されていてそのことを隠すために私たちを遠ざけたのだと思っていた。
それなのに。
「おねーちゃんが、きっかけ‥‥‥?」
「うん」
「わ、私が姉さんに何かしたってこと‥‥‥?」
「違うよ」
姉さんは力強く否定した。
そしてとんでもない真実を口にする。
「だってあのままだったら紗夜が虐待されてたから」
呼吸が止まる。
姉さんの言ったことを理解できなかった。
「それってどういう‥‥‥」
「日菜は知らないでしょ。この家の裏側」
「裏側?」
「最初はみんな平等に愛されていた。欲しいものも愛情もみんなに与えられていた。だけどある時両親は重大な真実を知ってしまった。授業を聞くだけでテストは満点、運動神経抜群で色んな部からスカウトされる。一度見ただけでなんでも完璧にこなすことのできる天才がいた。それが日菜だった」
確かに日菜は天才だ。だけどそれがどうやったら私のせいで姉さんが不良のように変わることに繋がるのかわからない。
日菜だって困った表情をしていた。
「そしたら思うわけだ。『他の子も日菜と同じ才能を持っているかも』ってね」
あぁ。気づいてしまった。
「そしてわかったことは才能で日菜と同じレベルはいない。そのうえ努力したって追いつけないやつがいる。それが紗夜だった」
ここからが間違いなく今に繋がる運命の分かれ道。
「私は一度だけ見たことがあった。私と日菜よりテストの点が十点低いって理由だけで怒られている紗夜の姿を。努力を認めてもらえず悔しさから身体を震わせていた紗夜の姿を。私は紗夜の努力を知っていたからそれが許せなかった。
あいつらに認めさせたかった。だから、自分を落とすことを決めたんだ」
「まさか、そんなことで‥‥‥?」
「バカらしいと思う?効果覿面だったよ。
二人は輝いてた。それに紗夜も自分より下がいる感覚は気分良かったでしょ?」
「ちがっ!」
違うとは、言い切れなかった。だって間違ってないから。
日菜の天才性に勝てなくて腹が立って、でもそれよりも下がいることに安心している自分は確かにいた。私は日菜に負けていても姉さんには負けていないってどこか安心していた。
真実だ。全部姉さんの言った通り。
「‥‥‥ごめんなさいっ‥‥‥」
「別に怒ってないよ。むしろ私の狙ったことしか起こってないから」
そう言って姉さんは小さく笑った。目に涙が溜まる。
「‥‥‥おねーちゃん」
「なに?」
「あたしおねーちゃんのこと好きだよ」
「うん」
「おねーちゃんは?」
「もちろん好きだよ」
「‥‥‥さっきの話、全部本当なんだよね」
「うん」
「っ!」
日菜が姉さんに抱きついた。声を上げて泣きじゃくる日菜を姉さんは優しく宥める。
「‥‥‥姉さん」
「なに?」
「私はずっと姉さんの優しさに甘えてました。多分これからもたくさん甘えます」
「うん」
「それでも、私の姉さんでいてくれますか」
「‥‥‥おいで」
広げられた片腕に飛び込んで泣いた。その間ずっと私の頭を優しく撫でてくれて、子供の頃に戻ったみたいですごく懐かしかった。
♢♢♢
「‥‥‥落ち着いた?」
「ええ‥‥‥」
「うん‥‥‥」
私から離れた二人の目は赤く腫れていた。まだ少し涙が溜まっている。本当に私の妹たちは涙が似合わない。後で氷持ってきてあげないと。
あ、さっきの氷嚢でいいか。
「姉さん」
「どうしたの紗夜」
「私を助けてくれてありがとう」
「おねーちゃん」
「なぁに」
「あたしの心配をしてくれてありがとう。他にもおねーちゃんと仲直りするきっかけをくれてありがとう!」
二人は笑顔で私に感謝を伝える。
心が温かくなって涙が零れてしまいそうだった。
それを堪えて私も笑顔を返す。
「そんなの当たり前じゃん。だって
二人は驚いたような顔をして、また抱きついてきた。
さっきと違って二人一緒と言うこともあり支えきれずに背中からベッドに倒れ込む。
なんだかとても懐かしい香りがして自然と涙が零れた。