嬉しいことというのは不意に訪れる。
蔵練の日。とは言っても手首が使えない私は練習にほとんど参加していなかった。最初の方は左手だけで弾いていたのだが沙綾を筆頭にみんなに止められた。
今日は全体を見て指示出してよ、なんて。それ一番つまんない。
誰よりも練習して追いつかないといけないのは私なのに。
SPACEのオーディションはもうすぐなのに。
こんなところでつまずいている暇はないのに。
そんな焦りもバレて、大丈夫だよって声を掛けられて。
その笑みが悲し気なことには気づきたくなかった。
そう思いながら、みんなの休憩がてら開いたスマホ。
メッセージを見て勢いよく立ち上がった。
ギターの練習を続けていた香澄とおたえ、お茶を用意してくれたりみ、パンを広げる沙綾の視線が刺さる。それを気にできなかった。
「あ、有咲?どうかしたの?」
「‥‥‥なあ、どうしよう」
私、今めっちゃ泣きそうなんだけど。
呟いた言葉と共に流れた涙。両手で握ったスマホに雫が落ちていく。みんなが駆け寄ってきたのがわかった。
「有咲!?何どうしたの!?」
「これ」
沙綾に背中を擦されながらスマホを渡す。同時に顔を上げて笑った。
それを見て沙綾も香澄もりみもおたえも目を見開く。
ずっと見たかった。私が何よりも望んでいた光景が広がっていた。
「え、待って有咲これって!」
「今、送られて来たんだよ朝日先輩から‥‥‥!!」
朝日先輩から送られてきたのは一枚の写真だった。
「朝日先輩と、紗夜先輩と日菜先輩が一緒に写真に写ってる‥‥‥!?」
写真に写っていたのは三人。朝日先輩と紗夜先輩と日菜先輩。それがどういうことかわかるだろうか。
ずっと仲が良いのに、紗夜先輩と日菜先輩のために仲が悪いフリを朝日先輩はしていた。
だから今までの状況ならこんな写真送られてくるはずがない。つまり。
「‥‥‥よかった‥‥‥なかなおり、できたんだっ‥‥‥」
朝日先輩が悩んでいたことが全てなくなったわけではないだろう。けどきっと隠すという面においての肩の荷は下りたはずだ。一人で抱えていたものが少なくなったのだから喜ぶべきこと。
そして、何よりも、また朝日先輩が笑顔で笑っていることが嬉しくて仕方なかった。
「有咲ちゃん‥‥‥」
「酷い顔してるよ。ほら、ハンカチ」
「‥‥‥うるせぇ‥‥‥」
りみの心配そうな声を聞きながらおたえからハンカチを受け取る。
顔を上げた時に沙綾と香澄が泣きそうな、安心したような顔をしていたのは見間違いじゃない。
「泣いてんじゃねえよ‥‥‥」
「し、仕方ないじゃん!」
「有咲、ブーメランだよ」
「お、おたえちゃん‥‥‥!」
ハンカチで涙を拭う。分かりきったことを言うおたえを無視してまたスマホに目を向けた。
追加で送られてきたメッセージがあった。もう二分も経っている。
『ありがとう』
たったそれだけだった。何に対してのお礼か全くわからない。写真とミスマッチではないか。それとも誰かに送る予定だったのを間違えたのか。
とりあえず返信を返しておく。
『朝日先輩。明日蔵に来られますか?』
送ったメッセージ。すぐに既読がついた。それなのに返事が返ってこない。
なんでもない普通の質問なのに何か考えることもないはずだ。「空いている」か「空いていない」か。その二択しかない。予定があるなら断りの返信が来てもいいだろう。
どうして何も来ない。
それがただ疑問でしかなかった。
「ありさぁ!!」
「ぬぁ!なんだよ香澄!急に抱きつく」
「よかった!よかったよぉ!」
私に抱きついて涙を零す香澄にいつものノリでは何も言えなくなった。
香澄だって目撃者。私たちと同じ秘密を共有した人間。朝日先輩のことを私たちと同じくらい心配していたのだ。この涙は美しすぎる。
「……あぁ。そうだな」
肩に埋められた頭を優しく撫でる。
ふと沙綾を見れば香澄と同じことをりみにしていた。
おたえは一度周りをキョロキョロと見渡しギターを手を取っていた。
そして訳分からない歌詞を歌い出す。
「あっりさと~かっすみと~さぁ~やは~なっきむし~」
「おいやめろ!」
「お、おたえちゃん!」
いい曲調でなんて歌詞歌ってるんだよ!しかもこの雰囲気でそれって、雰囲気ぶち壊しもいいところだぞ!?
「ごめん。雰囲気、和ませようと思って」
「それでその歌詞か!?私たちを励ますような歌詞にしろよ!」
私の発言におたえは首を傾げた。
何がわからないって言うんだよこのド天然。
「別に有咲たち落ち込んでないでしょ?朝日先輩が朝日先輩になって嬉しいんでしょ?なら励ます必要なくない?」
珍しく的を捉えた言葉に黙ってしまう。
確かにその通りだ。朝日先輩が戻ったんなら泣いてたらダメだよな。朝日先輩に怒られちまう。
「あははっ。おたえ、いい事言うね」
「沙綾に褒められた。ご褒美にうさぎのしっぽパン頂戴」
「はいはい。ちゃんと用意してるよ」
沙綾はいつも通りにおたえにパンを渡す。
なんだか吹っ切れた表情をしている気がしたのは気のせいだろうか。
「ほら香澄も、パン食べよう?」
「‥‥‥うん。食べる」
まだ元気が足りないように見えるがそのうち元に戻るだろう。
三人は笑顔を向けている。だから私も笑った。
そうしているうちに届いていたメッセージに目を通す。
『わかった、明日ね』
たったそれだけ。そんな十秒で返せるような内容だけ。他にメッセージが返って来る気配はなかった。
忙しいのかな。仲直りしたんだし紗夜先輩や日菜先輩に構っているのか。
写真の場所は明らかに外だ。今は出かけている最中なのだろう。なら邪魔はできない。
だからそれ以上は何も言うことはなかった。
それが間違いだったと気づいたのは次の日。
どれだけ待っても朝日先輩が蔵に来ることはなかった。
♢♢♢
二つの声が部屋に交差する。言い合いでしかないそれを止める者は誰もいない。
罵声が響く。反論として荒げた声。お互いに引けない状況。焦りで身体が熱くなる。
彼女たちはもう家にはいない。だから安心している自分がいた。
腹部に刺さる鉄。倒れれば胸部にまで痛みが走った。
息苦しくて仕方ない。吐血する。意識が遠のいていくのを感じた。
目の前のそいつは怒りの表情を浮かべていて何かを喚いている。理解はできなかった。
その中に一瞬見えた悲しみに満ちた表情につい手を伸ばしてしまう。
その手は開かれた目と共に弾かれた。