きっかけは一つのニュース報道だった。
「ここで臨時ニュースをお届けします」
毎朝聞き慣れたアナウンサーの声でニュースが読み上げられていく。ばあちゃんや香澄と話をしながらいつも通り聞き流していく。
そのはずだった。
「先日○○区にて刺傷事件が発生しました。犯行を行なったのは氷川____。4○歳。被害にあったのは人気急上昇中のアイドルバンドグループPastel*Palettesに所属している氷川日菜さんの姉である氷川朝日さんだと言うことが判明しました」
「は‥‥‥」
自分の耳を疑った。テレビに釘付けになる。
「朝日さんは胸や肩などを包丁で合計六箇所刺され」
なんだよこの放送。
「病院に搬送された今も意識不明の重体だそうです」
だって紗夜先輩は朝日先輩が休んでる理由はただの風邪だって。
「警察の調べによると____容疑者とその夫である____は普段から朝日さんに暴行を加えていたという証拠が見つかり日菜さんや姉の紗夜さんに話を伺っているとのことです」
「ッ!」
「有咲!?」
香澄の声は無視して何も持たずに家を出た。全力で通学路を駆けていく。
きっかけにしてはあまりにも衝撃的で信じられないことだった。
そしてそんな大切なことを私たちに黙っていた紗夜先輩のことを私は許せなかった。
「紗夜先輩!!」
「市ヶ谷さん?‥‥‥っ!」
校舎に入ってすぐのところで風紀委員の仕事をしていた紗夜先輩の胸ぐらを両手で掴んで壁に押え付ける。ドンッと大きな音が辺りに響き渡った。持っていたプリントがドサッと床に散らばる。
見るからに紗夜先輩は痛がっていた。けどそんなこと気にできるほど今の私は優しくなかった。
「‥‥‥紗夜先輩。今私がなんで怒ってるのかわかりますか」
いつもより明らかに低い声が出た。学校では三年間イイコのフリしてるつもりだったけどもう無理。朝日先輩のことでこんなに怒れるなんて知らなかった。普段の私がやらないようなことしてる。
紗夜先輩のこと睨みつけてるし返答次第で首を絞めそうだ。
「わからないとか、言わないですよね」
「いち、がやさん。苦しいので離してください」
「もちろんちゃんと答えてくれれば離しますよ」
「‥‥‥姉さんのことですよね」
「それで?紗夜先輩は私たちに朝日先輩が学校を休んでる理由、なんて言いましたっけ?」
「っ‥‥‥」
今更バツ悪そうな顔すんなよ。ムカつくだろ。
「どういうつもりなんですか。紗夜先輩は私たちと朝日先輩の仲が良いこと知ってますよね?なのにどうしてそんな大切なこと教えてくれなかったんですか」
「それは‥‥‥」
無責任なんだよアンタら家族は。朝日先輩の態度なんて薄っぺらなものしか見てないくせに朝日先輩のことをわかった気になって。普通に考えて家で起こっていた虐待に姉妹の紗夜先輩たちが気づかないなんておかしなことが起こるはずないんだ。朝日先輩はあんなに紗夜先輩たちのことが好きなのに。なんでアンタらは。
「私は朝日先輩が紗夜先輩たちとの仲が戻って嬉しかったんです。あの写真だけで仲の良さが伝わって正直嫉妬した。私じゃ朝日先輩の本当の笑顔は引き出せなかったんだって落ち込みもしました。けど朝日先輩の一番大切な人たちが紗夜先輩たちだって知ってたから悔しいって気持ちを抑えて仲が戻ったことを祝福したのに。
ほんと、なんで伝えてくれなかったんです?」
「‥‥‥‥‥‥」
「いい加減にしろよ!
我慢の限界だった。片手を胸ぐらから離してその手を振り上げた。私の行動に紗夜先輩は目を開いてすぐに痛みに耐えるためにギュッと目をつぶった。
「ちょっ!有咲!!」
拳を振り下ろそうとした瞬間に邪魔が入った。そいつに腕を掴まれて動けない。
「何してるの!」
「離せよ沙綾」
「いくら朝日先輩のことだとしてもそれはやりすぎだよ!」
「うるせぇな。私は一発殴らないと気が済まない!」
「だからダメだって!」
「殴りたいなら殴ってください」
「は‥‥‥?」
聞こえてきた予想外の言葉に私は目を丸くした。沙綾も同じような目で紗夜先輩を見ていた。
「私を殴って、それでその怒りが収まるならいくらでも殴ってもらって構わないわ」
「紗夜先輩、何言ってるのかわかってますか」
「ええ。もちろんよ。ちゃんと言葉の意味を理解したうえで言っているわ」
「なんで」
「‥‥‥そうね。強いて言うなら罪滅ぼしよ。まあ姉さんことに対する私への罪はそんな軽いもので済むとは全く思っていないし姉さんがああなってしまったのは私にも原因があることだってわかっている。私のせいだって思っているからこそ、貴方には。市ヶ谷さんには先に私を殴る権利があると思っているわ。山吹さんも同じよ」
さあどうぞなんて言う紗夜先輩は薄く笑っていた。
「‥‥‥なんでだよ、なんでアンタは」
そんな所だけ朝日先輩と似てるんだよ。
やめろ。朝日先輩と同じ優しい目で見つめるな。
腕が震えた。その震えは全身に広がって全然止まってくれなかった。
もう殴れなかった。殴る気なんて起きなかった。殴れる状況じゃなかった。
拳から力が抜ける。沙綾に掴まれた腕と紗夜先輩の胸ぐらを掴んでいた腕は重力に逆らうことなく垂れ下がった。
立っていられなくてその場に座り込めば沙綾がしゃがみ込んで背中を撫でてくれた。今になって汗が噴き出す。
「そこ三人!何をしているの!」
慌てて振り返ればそこにいたのは体育と生徒指導を担当している教師だった。ジャージ姿でこちらを仁王立ちで見ている。その周りにはたくさんのオーディエンス。
大方騒ぎを聞きつけて来たんだろう。やべぇなんて言えばいい。急に先輩の胸倉を掴んで暴言を吐いたなんて印象悪すぎだろ。
「他の生徒から登校してきた市ヶ谷が突然氷川に殴りかかったと聞いたがそれは本当か」
「せ、先生違うんです!有咲はそんなこと」
「山吹お前には聞いていない。市ヶ谷、氷川。事実か?」
多分紗夜先輩は本当のことを言う。だって完全に被害者だから。それに嘘がつけない真面目な人だと言うことも知っている。言わないわけがない。
怒られることを覚悟して私は顔を伏せた。
「いえ。そんな事実ありませんよ」
思わず顔を上げる。私と教師の間に入って私を守るような形になる。
紗夜先輩の表情を見て、やっぱり姉妹なんだと思った。
「確かに傍からは市ヶ谷さんが私に殴りかかったように見えたかもしれませんがあれはよろけたところを私が支えただけです。他意はありません」
「市ヶ谷が大声を出していたように思うんだが?」
「それは体調を崩しているのに無理をしようとしていたので私が叱った時のものです。市ヶ谷さんも大声を上げていましたがそれほど大声ではありませんでしたよ」
「‥‥‥氷川。何故お前は市ヶ谷を庇っている」
「庇ってなんかいません。全て事実です。それよりも市ヶ谷さんは体調が悪そうなので保健室に連れて行ってもいいですか?」
なんで、この人は私なんかを。
「市ヶ谷さん、大丈夫ですか?」
「さよ、せんぱぃ‥‥‥私‥‥‥」
「話は後で聞きます。今は私に話を合わせてください」
紗夜先輩は屈んで私の背中に手を回した。沙綾に一緒に保健室についてくるよう頼んだから左側を支えられる。私は病人に見えるような演技をしながら保健室を目指した。