「こちらです」
刑務官の案内で通された部屋はドラマで見たことがある作りだった。部屋を二分割するようにアクリル板だろうか、ポツポツと無数の穴が空いた透明な板で区切られている。室内は意外と狭く、置かれているものは椅子くらいでとてもシンプルだ。
部屋まで案内してくれた刑務官にお礼を言って椅子に座って待つ。
五分程して目の前の扉が開いた。
私を包丁で刺したことで刑務所に収監されることになった母さん。父さんは数日前に別の刑務所に移動することになったと聞いていた。
刑務官が扉を閉め、二人だけの空間になる。
「お久しぶりです。元気でやっていましたか?」
「最高だとでも思っていたのかしら」
今まで使ったことないほど丁寧な挨拶をした。それを静かに返される。
怒鳴られるかと思っていたから意外で驚いた。
ちゃんと話せそうなのが幸いだ。
「それで?私に何の用かしら。来る必要なかったでしょう」
「そうですね。本当なら来なくてよかったですよ。けど私がどうしても聞きたいことがあったので」
そうこれは大切なこと。けど紗夜と日菜には聞かせる必要のない戯言。私だけが知っていればいいこと。
「どうして、姉妹内でカーストを付けたんですか。昔はどんなことがあったってちゃんと平等に見てくれていたのに」
あまり長い時間いたくもないから手短に済ませたかった。
「ああ。何かと思えばそのこと。今更聞いて何になるの?」
「いいから答えてください」
なぜ私たちを急に差別し始めたのか。どうしてそんなことをするようになったのか。私ではなく紗夜が対象だったら。それを考えると怖くて仕方ない。
はぁーとため息をつく母さんをただ見つめる。
「‥‥‥理由があるというのなら、日菜ちゃんが私たちの期待に応えすぎたから、かしらね」
「日菜のせいって意味ですか」
「そういう意味じゃないわ」
けどまあ、ここまで来たら言ってもいいわね。
そんなセリフから始まったのは母さんの過去だった。
「私には何の才能もなかったのよ。どれだけ勉強しても要領が悪くて入りたかった大学にも行けなかったしそのせいでなりたい仕事にも就けなかった。親には何か言われることはなかった。むしろ慰めてくれて、けどそれが私を責め立てるものにも思えた。屈辱だったのよ。
それから結婚してあなたたちが生まれて、そして才能が開花した。見ただけで勉強も運動も完璧。成長するにつれて日菜ちゃんの何でもできる範囲が広くなって、そんな姿を見てこの子なら私の夢を叶えてくれるかもしれないってそう思ったのよ」
「だからって、言いたいんですか」
「それに思うでしょう。日菜に才能があるのなら他の二人にもあると思って当然でしょう」
「‥‥‥ええ。そうかもしれませんね」
日菜の才能は私や秀才の紗夜じゃどう頑張ったって勝てやしないほど上をいっている。日菜ほどの才能とは言わずとも似たような才能を持った子が生まれてもおかしくないと思うのは人間としては当たり前なのかもしれない。
「ですが、それで虐待だなんて。もっとやり方はあったんじゃないんですか?」
「‥‥‥言い訳になるけど、あの時は仕事で腹が立つことが多くて精神的にキテたのよ。だからほとんど八つ当たりみたいなものだった。初めて殴った日、正直なことを言えば後悔した。それでも父親であるあの人は大丈夫なんて言って、私もそれを鵜呑みにして。そんな時に何かを傷つけている瞬間、ストレスが軽減されることを知った。そしてあなたを怒れる理由ができてしまった。
引き金なんて一度引いたらおしまいよ。何度だって繰り返す。慣れてしまえばそれが間違いだってことにも気づけないんだもの」
母さんは自嘲気味に笑った。本当に後悔しているようなそんな表情だった。
「あなたが私を恨んでいることも殺してしまいたいくらい嫌っていることも知っているわ。だから、なんでここに来る必要があったのかわからないの。そんなことを聞きたかったから?本当にそれだけ?」
やはりこの人は母親だ。子供と一緒にいる時間が一番長かった分、一番私の性格を理解している。今更知りたくもなかった。
「‥‥‥聞きたいことはそれだけです」
「そう」
「ですけど、言いたいことはたくさんあります」
「ええ。知っているわ」
私は一度息を吐く。そして真っ直ぐ目を見て、想いを伝えた。
「確かに母さんは許されないことをしました。私の後輩に手を出して、私を刺して殺しかけた罪は簡単には消えないと思います。一生をかけて償うべきだと思っています」
「ええ」
「それでも私は、あなたのことを恨んだりしていませんよ」
そんな私の返答に母さんは驚いていた。それもそうだよな。殺されかけたのに恨んでないなんて、そんなおかしなことあっていいはずもないだろう。普通はな。私はそんな普通のことを求めてない。
「確かに虐待されている間は『なんで私が』とか『殺してやりたい』とか思ったこともありましたよ。ただそれは精神的に余裕がなかったから、だからそう思っただけ。本気で恨んだことなんて、ないです」
「‥‥‥正気じゃないわね」
「そうかもしれません。日菜と姉妹になったことが嫌だったことだってあった。日菜がいなければただ愛してくれたんじゃないかとか。考えたことあります。けど日菜が笑って『おねーちゃん』って呼んでくれるたびに、嬉しくて。やっぱりこの子の姉でよかったって思えて。それは紗夜も同じで。
あなたたちの元に生まれて大変なことだって多かった。苦しくて死にたいことだってあった。
それでもあなたたちから生まれて、生きていることで出会えた人たちがいる。
だからこそ、感謝しています」
「‥‥‥」
「いくら酷いことをされても、優しくされた事実は揺らがない。だから今だって、あなたたちのことは家族だって思ってます。ずっとそう思ってました」
「っ‥‥‥朝日」
「‥‥‥言いたいことはそれだけです。
本当に今までありがとうございました」
母さんがどう思っていたかなんて知らない。知らなくていい。後悔なんてしていようがいまいが私には関係ない。
どうせもう、関わることはないんだから。
深々と頭を下げて、私は部屋から出た。
もう、迷いはなかった。
♢♢♢
「姉さん」
「おねーちゃん」
「紗夜、日菜‥‥‥」
刑務所を出てすぐの所にいたのは私の妹たち。浮かない顔をしているのを見る限り私のことを心配してきたのだろう。
「姉さん、大丈夫だったの?」
「おねーちゃん‥‥‥」
「うん。大丈夫だよ」
本当に、心配性な妹たち。
心配をかけている事実は、これからなくしていかないとね。
「帰ろう。私たちの家に」
二人の手を引いて私は歩き出した。