「行かない」
その言葉は強がりのように思えた。
朝日先輩はああ見えて誰よりも寂しがり屋だから本当は私たちと一緒に行きたかったんだろう。ただ行かないと言うだけの理由があった。それだけ。理由というのにはなんとなく想像がついていたから私は止めなかった。決めたのは朝日先輩だから私はその意見を尊重した。
一緒に行きたくなかったのか?と聞かれれば答えに迷う。私が一緒に海に行って遊びたかったのは事実だ。きっと先輩にお願いすればなんだかんだ言いつつ最終的には折れてくれただろう。それを理解したうえで行こうとは言わなかった。
朝日先輩の嫌がることをしたくなかったから。別に海に行けるのは今年だけではなかったから。行こうって、朝日先輩から言ってくれた時に行けばいいと思った。だから私は何も言わなかった。
それがあんな結果になるとは想像していなかった。
♢♢♢
「はー!楽しかったー!」
「うん。そうだね」
ポピパによる一泊二日の旅は幕を閉じた。二日間遊び倒したことの証明かのように空は夕焼けが沈みかけていた。
昨日と今日遊んだ分明日はみっちり練習をすることになっていた。遊び疲れた身体を癒すためにも今日はこのまま家に帰りたかったのだが、こいつらの顔を見ていたら帰ろうなんて急かすような言葉を言う気にもなれない。楽しかったことも、まだ話し足りなくて帰りたくないことも本心だ。
「ねえもうちょっと話していたいからどこかお店入ろうよ!」
「明日は朝から練習なんだしやめといた方がいいんじゃない?」
「えー!私話し足りないよ!!」
「有咲の家に泊まれば話せるんじゃない?」
「はぁ!?」
「おぉ!名案だよおたえ!」
お願い有咲!と香澄は私に懇願する。有咲!とおたえも続く。助けを求めるため沙綾とりみを見れば期待の眼差しを向けられた。どうやら満場一致の意見のようだ。
私はため息を吐く。これ、私が断っても数で押し切られる。というかそもそも断る理由も意味もないよな。
「わかったわかった。とりあえずばあちゃんに連絡するから待て」
「わーいやったぁ!」
「明日は朝日先輩も来るんだから朝日先輩も呼んだら?」
「いいねそれ!」
香澄はおたえとハイタッチを交わす。沙綾が朝日先輩の名前を出したことにより香澄たちのテンションが上がっていた。朝日先輩はお泊りに呼べば来てくれるだろうし香澄のマシンガントークに付き合わされることになるであろう未来を想像するとなんだか申し訳なくなる。
とりあえずばあちゃんに電話を掛けようとスマホを取り出す。ディスプレイは既に通話の画面に切り替わっていて、私が今一番会いたい人の名前が表示されていた。
「……朝日先輩?」
通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。
朝日先輩が電話をかけてくるなんて珍しいと思った。大抵メールで済ませるし、電話なんて急用以外ではほとんど使ったことがないから。何かあったのだろうか。
「もしもし」
電話の際一番スタンダードな会話の始め方。だけどそれに対する反応はない。
「あの、朝日先輩?もしもし?」
息遣いからそこにいるのはわかるのに朝日先輩は何も言ってくれない。どうしたのだろう。そう思ってもう一度名前を呼ぼうとした時、小さな声が聞こえた。気を抜いていたら聞き取れていなかったであろう小さな声。
「__あいたい」
たった四文字。私が行動するのにはそれだけで十分だった。
「ちょ、有咲!?」
「悪い!用事できたから先帰ってくれ!」
普段ならありえないシチュエーション。全力で先輩の家まで走る。
息が上がって苦しいのに言葉にできない幸福感が私のことを支配する。
きっと急ぐ必要はない。「今着いたところなので家行きますね」なんて冷静に対応することもできたはずなんだ。それなのに私の足は止まらない。
私が会いたかった。私が寂しかった。朝日先輩もそう思ってくれていたんだろうか。多分そうだ。会いたいと言ってくれたのが嬉しい。早く会いたい。
家の前で息を整える。こんな全力疾走をしたのは久しぶりだった。元々体力のない私は息を整えるのにも時間がかかってしまう。
やっとのことで整った息。汗だくで服がくっついて気持ち悪くて仕方ない。
インターホンを押した。しかし朝日先輩からの返事はない。何度押しても変わらない。紗夜先輩や日菜先輩はいないみたいだった。
ドアノブを捻ってみれば何の抵抗もなく扉が開いて驚いた。防犯意識は高いはずなのに鍵をかけ忘れるなんて珍しいと思った。
「あ、朝日先輩……?」
扉を開いて名前を呼んだ。返事はない。嫌な予感が脳裏をよぎるがここで帰るなんて選択はできなかった。
「は、入りますよー……」
中に入りリビングにたどり着くも朝日先輩の姿はない。それどころか人のいる気配が全くなかったのだ。
朝日先輩に呼ばれたのだと思っていたが実は違ったのだろうか。けどそんなことありえるのか。仮に私の家に来て言ったのだとしたら追加で連絡が来るだろう。というかその場合家の鍵をかけ忘れるなんてヘマをあの朝日先輩がやるだろうか。答えはどう考えても否だった。
朝日先輩の部屋にノックした。やっぱり返事はない。だけど部屋の中からは小さな泣き声が聞こえた。それを聞いて扉を開く。
「アッシュ……っ!?朝日先輩!?」
朝日先輩が床に倒れていた。アッシュは朝日先輩にすり寄っていた。私は駆け寄ってその肩を擦る。そっと朝日先輩が目を開けたことに安心した。
「どうしたんですか!?た、体調は!?きゅ、救急車!っ……!」
テンパる私を朝日先輩は引き寄せ抱きしめた。両膝をついたうえで前のめりの体勢はきつい。先輩のことを抱きしめるよりも朝日先輩のことを押し潰してしまわぬように耐える方が優先で両手は床についた。動きたくても朝日先輩が抱きついてそのせいで胸が高鳴って動けない。
「あ、朝日先輩……」
「ありさ」
ただ私の名前を呼んだだけ。それなのにその声が、吐息が、熱っぽいから。全身に電流が走ったかのように痺れた。朝日先輩、と呼ぶのですら途切れ途切れのでカタコトになってしまう。
それに気づいたのかクスッと笑って私の耳に口づける。変な声が出て途端恥ずかしくなった。
「なーに恥ずかしがってるんだよ」
「いや、あの、なに……してるんですか」
「なにって抱きしめてるんだけど?」
「そうじゃなくて、その……」
もしかしてわかってやったのだろうか。それともわからずにやったのだろうか。もしわかってやったのならこの人は……。
ゴクリと唾を飲み込む。それに合わせて朝日先輩が離れた。と言っても首に回った腕はそのまま、身体だけが離れたという形。
熱い目が、赤に染った頬が、吐かれた熱を持つ吐息が、すべてが私を誘ってくる。それを見て狙ってやっているのだろうと確信した。
気づいたらキスしていた。何度も何度も啄むようなキスを落とす。たった二日あっていなかっただけでこうなるだなんて。欲深くて、それにあまりにも忠実すぎる自分に笑いが零れそうだった。とは言っても実際笑う暇などない。朝日先輩は止まらない。私も止める気はサラサラない。
いつもと立場は逆転している。だからか朝日先輩はどこか余裕がないように見えた。それが嬉しくて激しくしてしまうのは仕方のないことだと思うんだ。
「ありさ……もっとっ……」
そうやって煽るのはどうかと思うけどな。
「……それならベッド行きましょう」
そう言って私は朝日先輩の腕から抜け出す。朝日先輩も同じように起き上がるがその場から動こうとはしなかった。不思議に思って声を掛ければこちら側に倒れ込んできて慌てふためいてしまう。
そこで朝日先輩の身体が熱いことに気がついた。火照っているとかそういう限度を超えていた。それに加え息遣いは荒い。やっとのことで朝日先輩が倒れていた理由に見当がついた。そして同時にとんでもないことをしてしまったと冷汗が流れる。
「朝日先輩、熱あるじゃないですか!」
「えー?ないってそんなの」
「そんな嘘通じるわけないじゃないですか!!」
持ち上げることは無理だけどどうにか引っ張ってベッドに寝かせる。抵抗されることなく朝日先輩はその上に納まった。
私は頭を抱えた。
生殺しは勘弁だけどいくらなんでも病人襲うのは最低すぎるだろ。
「紗夜先輩と日菜先輩はいないんですか?」
「二人とも、明日まで帰って来ない」
まじか。いつからこの調子なのかはわからないけど下手したら朝から何も食べてない可能性だってある。もしそうだとしたら治るものも治らないだろう。悪いと思うけど緊急事態だし食材は勝手に使わせてもらおう。普段料理とかしないけど簡単なものなら作れないわけじゃない。
そう思って朝日先輩の部屋から出て行こうとした時。くいっと弱い力で指を引かれた。
「朝日先輩……?」
「いかないで」
そんなことを言われて放っておけるはずがなかった。
熱が出て、家に一人で、どれだけの時間孤独を感じていたんだろう。
朝日先輩は、一人の時間が嫌いだ。理由はどう考えても紗夜先輩と日菜先輩を遠ざけて一人で戦ってきた日々があったから。一人になることは孤独になることだと思っているから。紗夜先輩と日菜先輩はそれに気づいているのだろうか。
朝日先輩の近くには大抵誰かがいる。朝日先輩自身が好んでそうしている。
私は一人の時間も嫌いじゃないから気持ちがわかるとは口が裂けても言えない。確かにクラスメイトたちを羨ましく思うことはあるけどそれはまた別の話。
朝日先輩は誰よりも賢くて、行動的で、強くて、優しくて、自分の存在を下に見ている。
みんな朝日先輩に救われているのに朝日先輩はそれをなんでもないことのように言う。
溜め込みやすいからこうやって一人になったら爆発する。そのくせ誰も頼らない。
人が何か抱えていたら何が何でも聞きだすくせに自分はギリギリまで言わないし言えない。
自分にもその優しさを向ければいいのにどうしてできないのか。そこが朝日先輩らしい、ということのだろうか。
そんな朝日先輩が頼ってくれたことが、ただただ嬉しかった。
「行きませんよどこにも。ずっと朝日先輩の隣にいます」
引かれた手を握って、私はベッドの横に腰を下ろした。「よかった」と小さく零した朝日先輩の目が眠そうに閉じていく。
「おやすみなさい」
「おやすみ……」
数秒して聞こえた寝息。あどけない寝顔に笑みが零れた。
普段はかっこよくて憧れの先輩だけど本当にかわいい。この先輩はこの先も私だけが知っていればいいのに。
少しだけワガママを想って朝日先輩と同じように目を閉じた。
アッシュがベッドの上で丸くなって小さく鳴いていた。