なんだかんだ居心地のいい羽沢珈琲店に座ることが増えた気がする。
家にいても険悪な雰囲気の二人の相手をしないといけないし執筆の集中力が途切れてしまうのは数度試みて体験済み。その間だけ二人を家から追い出すのも考えたが練習や仕事で疲れているだろうから気が引けた。
こんなことなら仕事場を引き払わなければよかったなんて思いつつ心地いい空間を見つけることができて助かっていた。
夏休みのクーラーの効く涼しい店内は昼過ぎだからかあまり人がいなくて執筆にはうってつけだ。パソコンのディスプレイには物語が半分ほど進んだ作品が表示されていた。
「朝日先輩。コーヒーのおかわりいかがですか?サービスしますよ」
「ありがとうつぐ。けどサービスっていいの?」
「はい。常連さんになりつつありますし、そのお礼ってことで」
看板娘のつぐとは通っていくうちに仲良くなれたと思う。腕の包帯のことで警戒されていたのは本当に最初の最初だけだった。こんなことなら商店街の散策はもっと早めにしておくべきだったと若干の後悔が生まれたレベルだ。
話を聞いてみるとつぐは紗夜とも日菜ともそれなりに付き合いがあるらしい。どちらにも可愛がられているみたいで安心した。
「Afterglowは夏休みの間のどんな感じ?」
「どうっていつもと変わらないですよ。ただ休みになったのでいつも以上に集まることは多いですけど。夏休みの宿題一緒にやったりとか」
「ほんと仲良しだよね」
「はい」
私には幼なじみがいないからそういう存在に対する憧れみたいなものはある。だからこそ小説でも幼なじみ設定の盛り込んでるし。
「あとは練習時間が少し長めになったりとかですかね」
「まあ休みだしそうなるよな」
「ポピパもそうなんじゃないんですか?」
「練習時間?こっちは有咲のとこの蔵でやってるから時間に制限はないからあんまり変わんないかも。大抵予定合えばみんな朝からいるし」
「その環境羨ましいですよ」
つぐの笑みにつられて笑う。無料で練習できる環境があることなんて滅多にないしそう思うのは当然だろう。私は教えるついでに入り浸って練習もできるし有咲に感謝だな。
「そう言えば今度のライブの準備って順調ですか?」
サービスで持ってきてくれたコーヒーを出しながらつぐは問う。
「ああ。みんな張り切ってるし今のところ問題はないかな」
執筆の手を止めマウスを動かしてスマホと共有しているスケジュール表を開く。二週間後、五バンドの合同ライブが控えていた。
ライブハウスCiRCLE主催の今回の合同ライブは元々まりなさんが計画し、参加バンドを集めていたそう。まりなさんと私が顔馴染みということもあってポピパも誘われた。今人気や勢いのあるバンドを呼んでライブをやりたいと詳細を聞いた際に話してくれた。当然のように了承した香澄にため息をついたのは記憶に新しい。
他に誘われたのはRoselia、ハロー・ハッピーワールド、Afterglow、そしてPastel*Palletesの四バンド。正直パスパレを呼べるのは想定外だったしよく許可が取れたものだと思った。
「あと合宿の件ですけど、聞きました?」
「あれね。もちろん聞いたよ。花音からポピパ宛てにメッセージ来てたから」
「参加しますか?」
「なんだかんだで全員乗り気」
「こっちもですよ」
突然であり、そして必然的に組まれた合宿。
組まれた意図を知っているのは全員だとしても、とんでもなく大掛かりな計画が始まることを知っているのはほんの数人だけ。クスリと笑みがこぼれてしまう。
「朝日先輩?」
「なんでもないよ。気にしないで」
笑みがこぼれてしまうのも、理由を知っているのは数人だけ。シミュレーションは完璧だった。
「それより、朝日先輩はパソコンで何をやってるんですか?」
「ん?これ?小説書いてるんだよ。こんな感じだけど一応私小説家やってるから」
「え!?そうだったんですか!?」
「そうだよ。もしよければ読んでくれると嬉しいな」
「え、これって!」
カバンから最近発売されたばかりの小説を差し出す。表紙を見てつぐは驚いていた。
「つぐ?」
「こ、この小説の作者さんって朝日先輩だったんですか!?」
「あれ?もしかしてこの小説知ってる?」
「は、はい。この間本屋に寄った時に買いました」
「あ、そうなんだ。お買い上げありがとうございます」
サインでも書こうか?と問えば目を輝かせ裏に戻って行った。あれだけいい反応をしてくれたらこっちまで嬉しくなるものだ。
私が彼女に向けた笑顔はきっと輝いていたことだろう。
♢♢♢
「合宿ですか?」
「ええ。二泊三日でやることになったわ」
Roseliaの練習をいつも通り終わらせ、CiRCLEの受付前のスペースで今井さんがお会計しているのを待っていると湊さんからそう告げられた。初めて聞いたのか宇田川さんと白金さんも私と同じように驚いていた。
「だいぶ急ではありませんか?それにどうして今合宿を?」
「今度CiRCLEでPoppin'Party、Pastel*Palletes、Afterglow、ハロー・ハッピーワールドで合同ライブがあるでしょう?その時のセットリストとバンド順を決めるために合宿をしようと誘われたの」
「合宿をやらずとも集まって決められることでは?」
「一緒に練習して、モチベーションを上げようってのが目的らしいよ?」
「今井さん」
「一緒に練習すれば触発されるだろうし、ついでに親睦も深められるいい機会だって言われちゃってね。まあ参加しても問題ないと思ったし一応オッケーは出してきたけど」
「いくらなんでも急ですよ。その様子だとどこでやるのかも決まっているでしょうし。費用も日程も勝手に決められては……」
「その辺は大丈夫だよ。場所はこころが提供してくれるし日程は元々一日中スタジオ練入れてた日だから」
ほら、と今井さんはスケジュール表を指差す。確かにスタジオ練習の日と丸被りしていて日程的には問題がないようだった。
「あこは大賛成ですよ!合宿なんて楽しそうです!」
「ですけど……パスパレはよく日程合わせられましたね……」
「あーそれね。一日目は仕事入ってるらしいから夜から合流って形になるんだって。あと千聖は三日目の昼には仕事があるから先に帰るって言ってたよ」
それを聞いて私は眉間に皺を寄せてしまう。私が日菜とケンカしていることを知っているのに気まずくなるとか思わないのか。
そう考えていると今井さんが心配そうな視線を向けた。
「紗夜はそろそろ日菜と仲直りしなきゃダメだよ」
「……わかっていますよ」
それは誰かに言われなくても理解していることだった。
何でもないことなら私が折れてもいい。だけど今回のことはどうしても譲ることができないから。日菜と顔を合わせたら、また言い合いをしてしまいそうだ。
♢♢♢
「……どうだった?」
「ええ。及第点ね」
私を見て彼女はそう答える。良い返事がもらえて私はその場に座り込んだ。
息を整えて汗を拭く。彼女から差し出されたスポーツドリンクを受け取って出て行った水分を補給していく。
周りを見てみれば自分の汗で床が濡れていた。あとで綺麗に片さなければ。
「それにしても思っていた以上のことをするわね。貴方、こっちの世界が向いているんじゃないかしら?」
「そうやって煽てても何も出ないぞ」
立ち上がり隣に並ぶ。平均より小さい彼女だけど存在感は大きかった。
「数回アドバイスしただけでこれだけ良くなられたら私の立場がないわ」
「まあ、毎日のように演技してたからな」
「それは聞かなかったことにするわ」
少しだけ複雑そうな表情をするもんだからこっちは苦笑する。
「じゃあ言い方を変えるわ。さすがは日菜ちゃんの姉ね」
「日菜を引き合いに出されたら私だって立場がないんだけど?」
「でも驚いたわ」
「何が?」
「提案もアイディアも出しはしたけどまさかこんな方向に進むだなんてね」
「ノリノリのくせに」
それくらい見てたらわかる。学校にいる時と全然違う表情だ。この特訓の最中だってずいぶん楽しそうだよ。
「いつまでもケンカしたままだといつか仕事に影響するもの。日菜ちゃんは紗夜ちゃんや朝日のことになると感情が表に出やすいし、それについて協力するのは当たり前よ」
「もの好きだね。そんなに日菜のこと大切?」
「その言葉そっくりそのまま貴方に返すわよ」
彼女が口で負けることは珍しい。ため息をつく彼女にしてやったりの笑みを返した。
スマホのカレンダーを開く。
合宿の日はすぐそこまで迫っていた。