二泊三日の合宿を終えて、妹たちがすっかり仲直りをし平和な日常に戻った頃。
私はどうしても今行かなければいけないという使命感に駆られ執筆作業を早々に切り上げて出掛けていた。
家から前の家を通り過ぎそのまま裏路地を通って進んで行く。
途中で年に数回しか訪れることがない花屋に入り、店内を回る。それほど大きい花屋ではないが特別で大切なものだから適当に選ぶわけにもいかず、結局店員のお姉さんの力も借りて花を選んだ。
花を選ぶ際に用途を聞き悲しそうにしていたお姉さんだが私が店を出る時には来店時と同じ優しい笑みを浮かべていた。
花屋から先はほぼ一本道。慣れた足取りで間違うはずのない進路を進む。
久しぶりの彼女は私になんと声をかけるだろうか。
ついてすぐ忘れないうちに私は手に持っていた花を生ける。多分今やってしまわないと忘れてしまうから。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
ここに来るたびに動くはずのない見えるはずもないものに締め付けられる胸の痛みに耐えながら、聞こえるはずのない軽やかな声に挨拶を
彼女の墓参りに足を運ぶのは実に三か月ぶりのこと。
それでいて、久しぶりな感じがあまりしない。
彼女の存在は私に付き纏っていて逃れることを許さないから。
そう言えば近況報告はしていなくて、話題としてそれが自然と口から零れる。
「私、ギター続けてるんだ。この前は伝えられなかったけど仲良くしてる後輩に教えて欲しいって言われてさ。少しくらいならいいかなって思って指導してきたんだけどなんだかんだここまで続けてるよ」
痛くて痛くて本当ならここに来ることすら辛いだけなのに、ここに来なくたってその痛みは一切消えない。
「君が教えてくれたギターで、君が教えてくれた生き方で、君が教えてくれた音楽で、私は今も生きている。何度感謝してもしきれないくらいだよ」
憧れから始まった出会いはかけがえのないもの。
「改めて言わせて。
あの日、私のことを受け入れてくれて本当にありがとう。色んな相談に乗ってくれてありがとう。私の隣にいてくれて、本当にありがとう」
出会わなければ始まることのなかった私たちの物語。
大切で、幸せが溢れていた時間。
「あのさ、
だからこそ、出会ってはいけなかったのだとも思う。
「私、高校卒業と同時にギター辞めようと思うんだ。いいよね」
絶対に返って来ない返事を、私は今日も待っている。
♢♢♢
「おかえりおねーちゃん」
家に戻れば仕事が終わった日菜が帰ってきていた。思っていたよりも早いご帰宅。また完璧な仕事をして巻いて来たのだろうか。
「ただいま。紗夜は?」
「まだRoseliaの練習中だよ。ライブが控えてるらしいから練習を延長することになったみたいだよ。さっき連絡あったけどおねーちゃんは見てないの?」
そう言われ私はスマホを確認する。
確かに日菜の言うような内容のメッセージが紗夜から入っていた。夕飯も先に食べてていいとのこと。
スタジオから帰る時には相当遅い時間になっているだろう。毎回Roseliaの面々は頑張りすぎだと思う。まあ体調管理はできるだろうからそれほど心配はしていないけど。
「あ、そうそうおねーちゃん。カッターある?」
「カッター?あるけど何に使うんだ?」
「通販で頼んでたのがさっき届いたんだけどあたしの持ってたカッターどこかにいっちゃってさ」
「わかった。部屋に来て。渡すから」
「ありがとう」
私は日菜を連れて部屋に戻り荷物を置きながら、机の引き出しからカッターを探す。
日菜は何をするにしても自分の部屋ではなくリビングにいることが多い。多分今まで私たちと一緒にいる時間が少なかった分それを増やしたいからだろう。
日菜は良い意味でも悪い意味でもストレートだから、なんとなくその意図を汲み取った私たちは誰かが家にいる時はなるべくリビングにいるようにするのが暗黙の了解になっていた。
一緒にいる時間が増えてからというもの日菜は嬉しそうに笑うことが多くなり、私としても嬉しかった。
不意に机の中に入っていたあるものに目がいく。
「……おねーちゃん?」
「あ、いや。なんでもないよ。はいこれ」
不思議そうな日菜にカッターを手渡した。「今日は執筆したいからしばらく部屋にいるね」と続ける。「わかった。がんばってね!」と日菜は部屋を後にした。
再度机の中に視線を向ける。
目を引き、乱雑に放置されていたのは猫型USBだった。
夏休みも中旬頃。紗夜が合宿へ、日菜がロケのため家を空けた日。あの曲を聞いた中学生くらいの子にスカウトされたのを思い出す。
『聞けばわかるわ!あなたレベルのギタリストなら絶対に!』
だいぶ強気で、芯のしっかりしてそうな物言い。自分の音楽に自信を持っている人間の発言。
なんだかんだ開くことのなかったUSBの中身が今、無性に気になっていた。
聞けばわかる、ね。
「……まあ、聞くだけならただだよな」
気楽な気持ちでパソコンを開きUSBを挿す。
入っていたのは音源データとメモ。
メモを開けば連絡先と住所が書かれていた。個人情報を見ず知らずの他人に書くとは不正利用してくれとでも言っているのだろうか。まあ私は悪人ではないからしないがさすがはリテラシー勉強不足の中学生と言ったところか。
メモは閉じてイヤホンを挿し本題の音源データをクリックした。
――――そして、後悔する。
「っ……!」
全て聞き終わる前に居ても立っても居られなくなった。
メモを開き直し住所をマップに打ち込み、カバンを掴んで部屋を飛び出す。
「うわっ!ど、どうしたのそんなに急いで?」
「悪い日菜ちょっと急用ができた!夕飯は適当に出前でも取ってくれていいから!」
カッターを返しに来たのか扉のすぐ先にいた日菜にぶつかりそうになりながらも私はそう伝え家を出た。
日没も近いが、急げば暗くなる前には着くことだろう。
電車に乗り込み、位置を確認する。
連絡先も載っていたんだ。それなのにわざわざこんなことをして。
普段の私ならきっとここまで急なことはしない。
どうしてこんなことをしているのか。その答えはきっと――。
「ここみたいだな……」
高級住宅地に聳え立つマンションが一つ。住所の通りならこの場所で間違いはなく、エレベーターに乗り込み最上階を目指す。
エレベーターが開いた先の広すぎるロビーは持ち主が金持ちなのを表していた。
扉の前に立つ。見るからにセキュリティのしっかりしていて、アポなしは最悪追い返されることだろうと思ったが来た以上何もせずに帰るわけにはいかない。そう思いインターホンを押した。
思い出したメモの内容。
住所を書いていたのは私がここに来ると
仮にそうだとしたら、恐ろしいやつだ。
そしてそれにまんまと乗ってしまった私は単純な人間だ。
「――来てくれると思っていたわよ」
出てきたのはあの時の少女。
久しぶりの再会に、どうしようもないほど胸がときめいた。
新学期が始まる。