新学期初日は全校集会で校長の面白くもない長話から幕を開けた。夏が明け、授業日程が通常通りに戻り、つまらない学校生活がまた始まる。
とは言え今までとなんら変わりはない。授業も教師もクラスメイトたちも、数名イメチェンしてるやつらがいるくらいでそれ以外は夏前と変わった点は見られない。まあこの短期間で変わった方が違和感を覚えるのだが。
夏前の一か月間もそうだったのだが、ことあるごとに香澄やおたえが教室に来たり、花音や千聖が話しかけてくることもあり授業をサボりづらくなった。そのせいというべきかおかげというべきか、屋上に行く機会は減っていた。あそこ、日当たりよくて良い感じに日陰もあって過ごしやすかったのにな。
ただ授業をサボって不良生徒を演じる必要もなくなった以上、下手に単位を落とすような行動自体する理由がなくなったのもまた事実。最初こそもの珍しそうな視線を向けていた教師やクラスメイトたちも今では少し慣れたのか他生徒同様に扱ってくれる。とは言え教室にいる私に話しかけるのは名前を上げたクラスメイトの二人くらいだし、それに元々私に話しかけたがる物好きも少なかったわけだから腫れものとして扱われないだけ平和で助かっていた。
そんなことを考え迎えた放課後。
ある意味それはこの先を変える選択肢だったように思う。
「あ、あの、氷川さん」
おそるおそる声をかけたのはほとんど話したことのないクラスメイトだった。あまりの珍しさに数度瞬きを繰り返してしまう。
「えっと、何か用?」
「生徒会長が氷川さんのこと呼んでるんだけど……」
「え?」
生徒会長。今そう呼ばれている人間のことを思い出し私は教室の扉に視線を向けた。
現生徒会長が微笑んで手招きしている。これまた珍しい招集だった。教室から出て彼女の元へと向かう。
「七さん。どうしたんですか?」
現生徒会長、
ただバンドから抜けた今は特に接点はなくすれ違った時に軽く挨拶程度。それ以外のやりとりは全くしていなかった。
新学期が始まって一週間経った今、一体何の用なのだろう。
「ちょっと相談したいことがあってね。悪いんだけど今から生徒会室に来てくれない?」
「いいですけど、先に連絡してもいいですか?先約がいるので」
用ができて遅れると有咲にメッセージを送ろうとスマホを取り出すが、それは七さんの言葉を聞き止めざるを得なかった。
「もしかして市ヶ谷さん?それなら大丈夫よ。許可は貰っているから」
「はい?それどういう……」
「言葉のままよ。さっき市ヶ谷さんと会って朝日のこと借りるって話していたの。だから連絡しなくても大丈夫よ。行きましょうか」
「あ、はい」
そういうことならと私は元の位置にスマホをしまい七さんの後を追う。
しかし気になる点が一つあって問いかけた。
「七さん、有咲と仲良いんですね。意外です。グリグリ関連で面識があるのは知ってましたけど」
「市ヶ谷さんには何回かキーボートの相談や練習に付き合ったことがあるのよ。だからそれなりに仲良くしているわよ」
知らないところで有咲が交友関係を広げていて驚く。七さんの話的に有咲の方から話しかけたのだろう。人見知りでコミュ障なのに頑張ったものだ。
「ふふっ。心配しなくても取ったりしないわよ?」
「そんな心配してませんけど!?」
突然のことに思わず大きめの声で反論してしまった。下校中の他の生徒の視線が向く。
七さんは楽しそうに笑う。この人は本当に私の調子を崩すのが得意だ。
「冗談よ。市ヶ谷さんは確かにかわいいと思うけど私のタイプではないもの」
「それはそれで私としては複雑なんですけど。ていうかなんでそのこと知ってるんですか。七さんにその話をした覚えはないんですけど……」
「この間聞いてみたら市ヶ谷さんも認めてたもの。まあそれを抜きにしても朝日も市ヶ谷さんも態度に出るから見ていたらわかるわよ」
ていうかいつの間に見られてたんだか。
出会った頃から七さんはこうだ。仲良くなるに連れてどんどん観察眼が鋭くなっていく。察しがよすぎて下手な嘘もつけやしない。
「まあ、それはいいとして。私に相談ってまたどうしたんですか?」
「んー、口で説明することもできるんだけど実際に見てもらって
話題転換で本題を問うが返ってきた回答には疑問ばかりが浮かんだ。
「本人って、一体誰のことを」
「それは入ればわかるわよ」
辿り着いた生徒会室の扉を七さんは開く。
中にいた同級生がビクッと肩を震わせた。
「お、お待ちしてました……」
「りんりん?じゃあ七さんの言ってた本人って」
「ええ。白金さんのことよ」
「てことはりんりんのことで相談があるってことですか?」
「ええ。白金さんのこれからのことで相談があるの」
七さんはにっこりと笑っていてりんりんを見れば対照的に申し訳なさそうに少し俯いていた。
え、待って。もしかして私重大な役割に
「えーっと?私にできること、ですか……?」
「むしろ朝日にお願いしたいことなのよ」
「なんでしょうか」
とてつもなく嫌な予感がする。そしてこういう時の勘はよく当たるのだ。
七さんがにこっと笑う。開かれた口からはこう綴られた。
「白金さんが生徒会長に立候補するの。だから朝日には選挙活動と白金さんの応援演説をお願いしたいのよ」
♢♢♢
「えぇ!?燐子先輩が生徒会長に立候補!?」
「しかも朝日先輩が応援演説するんですか!?」
「生徒会選挙当日までの選挙活動もな。もうほんと、なんでこうなるんだよ……」
放課後遅れてやってきた朝日先輩が来て早々ソファに倒れ込み悶絶していたのが珍しく理由を問いただせば生徒会長選挙活動をすることになったことを知った。それも燐子先輩の、加えて応援演説も担当することになったらしい。想定すらしていなかった展開に驚くことしかできなかった。
「ま、まあもう引き受けちゃったんなら燐子さんのためだと思ってやるしかないんじゃ……」
「だいたいなぁ!私が一緒に活動したって意味ないだろ他の生徒からも教師からも印象よくないんだからさぁ!むしろ一緒に活動したら絶対影響出るじゃん!もはや私いない方が良くない!?七さんも七さんだ!自分を変えたいりんりんに生徒会選挙に出ることをオススメするのはいいんだよ!そこまでは!そのあとになんで応援演説担当に私のことを推薦したりするんだよぉ!!適任なんていくらでもいるじゃん!もう!!」
「朝日先輩が有咲以外でこんなに悶えてるのは珍しい」
「おたえは意味わかんねぇこと言ってるんじゃねぇよ!」
思わずつっこんでしまったがおたえの言う通りでもあった。
これくらいの案件なら朝日先輩は簡単に引き受けそうなものなのに。まあ先輩の言い分は尤もだから否定することもできないんだけど。
印象が大事な生徒会選挙。朝日先輩の頑張りが燐子先輩の今後を左右する。というか事前の印象が悪いと問題しかないだろう。
鰐部先輩の選択は基本的に信用してるけど、どうして朝日先輩のことを選んだのかはわからない。確かに燐子先輩とも仲がいいし信頼もされている。朝日先輩だってフォローのしやすい接しやすい相手だろう。でも、それだったら紗夜先輩でもいいことになってしまう。紗夜先輩でなく朝日先輩にした理由って、何なのだろうか。
「もうさ、私じゃなくて紗夜でいいじゃん同じ顔なんだし。私にこんな重要な役割押し付けるとかほんと七さんは!」
「そんなに嫌ならなんで引き受けちゃったんですか?断ればよかったのに」
「……あれはな、無理。滅多にない七さんからのお願いだし、それにりんりんに頼まれたら断れない。無理」
「じゃあもう諦めるしかないですね」
珍しく辛辣な沙綾の言葉に朝日先輩はまた頭を抱えた。しかし一度引き受けてしまったのならもう後戻りはできないだろう。諦めてもらうしかない。
「でも朝日先輩って鰐部先輩と仲良かったんですね」
不意に頭をよぎった言葉がそのまま口から零れた。それに同意する声が重なる。
「朝日先輩がグリグリの人たちと親しく話してるところって見たことないです」
「確かに。学校でグリグリとすれ違っても軽く会釈するくらいで会話してるところ見たことないですもんね」
「お姉ちゃんも朝日先輩とはあんまり話さないって言ってたよ」
「なのに鰐部先輩から直々に声をかけられたって相当仲良いんですね」
何でもない言葉のつもりだった。なのにしばらくしても朝日先輩からはなんの反応もなかった。
握った拳に力が入っている気がした。
「朝日先輩?」
「……別に、普通だよ。ただ昔、バンド関係でちょっとお世話になってたってだけ」
「あーそう言えば朝日先輩って昔バンドやってましたもんね」
「え?そうなの?」
「うん。前にナツたちから聞いたことあるし、ナツたちとも何度かセッションとかしてましたよね?」
「……そういうことも、あったかもな」
初めて聞いた朝日先輩のバンド時代の話。海野さんは知っていたのか。よく考えたら朝日先輩からバンドの話を聞いたことがなかったことを思い出す。でもその朝日先輩が曖昧な返事をする辺り何かあったのだろうか。
朝日先輩に聞いても教えてくれなさそうだし海野さんに聞けば教えてくれるのだろうか。
「つーかそんな話今はどうでもいいわ。それよりもりんりんの話!」
朝日先輩はテーブルを軽く叩いた。
「りんりんが生徒会長になりたいって言ってるんだ。私にできることがあるなら全力で協力したいと思ってる。だからどうにかして生徒会選挙を乗り過ごしたいんだ。何かアイディアないかな?」
真面目なトーンで話す朝日先輩に私たちは頭を悩ませる。
生徒会選挙の経験なんて私にはない。それは多分他の四人も同じだ。正直選挙活動をしているところを見たことはあったけど実際のところどんな準備をしているのかはわからない。
「……難しく考える必要はないんじゃないですか?」
「え?」
そう言ったのは沙綾だった。朝日先輩は首を傾げる。
「それはどういう意味?」
「朝日先輩の性格って私たちはわかっていますが、教師や生徒は誤解してる人がまだ多いと思います。正直このまま燐子先輩の応援演説をしても聞いてくれる人がいるのか怪しいかもしれません」
「まあ、それはそうだろうな」
「だから下手に取り繕わないで真剣にやるしかないんじゃないですか?今までの印象を覆すくらい真面目に活動すれば自然と名声はついてくると思いますよ」
「……なるほど。確かにそうだな」
沙綾の声に朝日先輩は納得したように頷いた。
「確かに適当な仕事するやつを信用するわけもないよな」
「でも朝日先輩ならなんとかできそうですし大丈夫ですよ!」
「何の根拠もない助言をありがとう香澄」
「あれ?私ディスられてる?」
「そんなことないよ」
朝日先輩はスマホを取り出して何やらメッセージを送っている様だった。おそらく相手は燐子先輩だろう。
問題が解決してよかった。だけど私はあまり力になれなかったからそれが少しだけ悔しい。
「有咲ちゃん?どうかしたの?」
「……なんでもない」
ただ信頼っていうのは普段の行いから少しずつ積み上げていかなければ効果がない。ちょっとやそっとじゃ植え付けられた印象は変わらない。沙綾の言ってた真剣だの真面目だのは、今回は効力を発揮するか怪しいところだ。ただのやる気のない生徒が頑張るのとはわけが違うのだから。
朝日先輩なら上手くやれると思うけど、もしかすると結構厳しいかもしれない。
何もないことを願い、私はキーボードの前に立った。