「朝日」
「……七さん」
教室で項垂れていた後輩に声をかけると彼女は静かに私の名前を呼んだ。出会った頃から呼んでくれる愛称。彼女のバンドメンバーが付けてくれたその日から私は結構気に入っている。
「らしくないわね。話くらいなら聞けるわよ」
現生徒会長が全面協力するのはさすがに見過ごせないだろう。しかし話を聞いて多少助言を下すくらいならば問題はない。そう思った。
彼女の向かいの席に腰を下ろす。
彼女はノートに何かを書いていた。
「もしかして、演説用の原稿を考えてるの?」
「はい。……ただ、何度書いても納得のいくようなものにならなくて」
ノートにはいくつか下書きが並んでいる。ただどれも二重線で却下されていた。
パッと見る限り前向きで演説だとありがちなテンプレートの文面ばかり。正直悪そうなところは見当たらない。でも彼女はこれではいけないと考えているようだ。
「何が納得いかないの?」
「それがわからないんです。自分で見ても問題ないと思うし、有咲たちに見てもらってもいいって言われました。でも改めて読み返すと何かが違うって感じるんです」
周りには感じない何かを朝日は感じているらしい。そして本人も何が原因なのかわからず悩んでいるようだ。
頭を抱えている彼女を横目に私はまたノートに目をやる。
白金さんなら学校を良くできる、白金さんなら向いていると思う、いい生徒会長になれる。
書かれている内容は要約するとそんな感じ。代表演説ならこう書くのも当然だろう。ありがちだから違和感を抱いているのだろうか。
「……なんだか、これだけ悩んでいる朝日も珍しいわね」
「……からかってます?」
「まさか。普段しっかりしすぎてるくらいだからこうやって弱い部分が見られて嬉しいわよ」
「私にだって悩むことくらいあります」
きっと
でも結果論だったとしてもこうして弱さを見せてくれるようになったのは喜ばしいことだ。
「自分を変えようと頑張っているりんりんの力になりたいんです。せっかく頼ってもらえたのに何もできないままなのは嫌じゃないですか」
「気持ちはわかるわ。でもだからってあまり溜め込むものでもないわよ?これから行われるのはあくまでも高校の生徒会長選挙だからね?」
「わかってます。……でも」
私のせいでりんりんの評価が落ちるのは困るんです。
確かに彼女はそう言った。それで、腑に落ちる。
彼女は何度も似たようなことを言っていたが思っている以上にその言葉の重みは大きいようだ。
「朝日。もしかして白金さんのために代表演説を何事もなく確実に成功させないといけない、とか思ってない?」
「え?まぁそれはそうでしょう」
彼女はさも当然かのように答えた。
「私に悪評がつくのは私が悪いので構いません。けど私が代表演説をするからイコールりんりんもやばいやつ、と噂されるのは耐えられないんです。だからそれを撤回したうえで、りんりんだけでも理解されてほしい」
なるほど。なんとなくわかった気がする。
「朝日は怖いのね」
「え……?」
「自分のせいで誰かがまた傷つくと思っているんでしょ?」
「っ……」
あからさまにバツの悪そうな顔をする。
一年そこらでどうにかなる傷だとは思っていなかった。でも思っていた以上に溝が埋まっているわけでもないようだ。
「一応言っておくけど、生徒会長選挙では白金さんだけが良いと思われても意味がないわよ」
「……どういうことですか」
「貴方が悪だと思われている以上、その人に支持されている白金さんの評価も自然と下がるわ。だから貴方の評価が上がらないことには白金さんが生徒会長に選ばれることはないと思う」
同級生や教師内での評価が多少変わっているとは言え、上級生と下級生の間では朝日はまだ厄介者として扱われている。不良だと言われた生徒からいくら綺麗事を並べられたって聞く耳を傾けることはないだろう。
少なくとも今の朝日の評価はそんなものだ。そして白金さんの評価もそれが影響してる。だったら白金さんの評価を上げるよりも朝日の評価を上げた方が効果的だと私は思っていた。
「貴方が生徒からどう思われてもいいと思っているうちは変わらない」
「……七さんは、そう思うんですね」
彼女も思うことはあったようだ。でも自分ではそれでいいのかと確信が持てない。
間違いなく私の言葉を待っていた。そんな目をしていた。付き合いはそこそこ長いからそれくらいわかる。
「じゃあ、どうした方がいいと思いますか?」
「簡単な話よ。演説をするなら綺麗事じゃない、偽りのない朝日の言葉で伝えればいい」
まっすぐで真摯な言葉ほど響くものはない。きっと今の朝日にはそれ以上にできることはないだろう。それを受けて生徒たちがどう思うかは私にもわからないが無意味では無いと思う。
それを聞いて朝日はどう感じているのだろうか。
「……ありがとうございます、七さん。私、少し考えすぎていたのかもしれませんね」
「別にいいわよ。このまま不完全燃焼になられるよりはマシだもの」
席を立ち上がって私は朝日を見下ろす。もう、下を向いてはいなかった。
「私はもう帰るわ。だから助言もここまで。あとは自分で考えてね」
「はい。本当にありがとうございました」
頭を下げる彼女を最後に私は教室から去った。
朝日は誰よりも聡明で良い子だ。でもそれ故に強がりになってしまった。
「あの時、私の言葉をちゃんと伝えられていたら……」
手を差し伸べきれなくて勘違いされるように振る舞わせてしまった過去の自分に文句を言ってやりたい。
朝日はきっと私のことも姉妹のことも、そしてあの子たちのことも大切にしたいから自分を犠牲にするだけで成り立つならそれでいいと思っている。それが根底から変わる日はきっと来ない。
氷川朝日はそういう人間だ。嫌というほど思い知らされている。
「市ヶ谷さんにはあんな風に言っておいてこの体たらくなんてね……」
生徒会長選挙のことが片付いたとしても問題はまだまだ山積みだ。私が知らない事柄もいくつ抱えているのかわかったもんじゃない。
わかっているのは、早めに解決させないと取り返しのつかないことになる、ということだけ。
脳裏をよぎるのはあの事件のこと。
解散してしまったバンドのこと。
見れなくなってしまった笑顔のこと。
♢♢♢
あっという間に生徒会長選挙の日はやってきた。
体育館に集められた全校生徒たちを袖から覗く。所々で興味なさそうな反応が見受けられた。当たり前だ。全校集会を楽しめるやつなんて変人でしかないのだから。
「あ、朝日、さん……」
「りんりん? どうした?」
「……あ、あの……」
私を呼んだりんりんはいつも以上に歯切れが悪い。それが不思議で首を傾げていれば、彼女の身体が震えていることに気がついた。
……そっか。緊張してるのか。
「りんりん」
「……え……は、はい……」
「自分らしくいこう」
「え……?」
りんりんの手を握り、笑って見せる。
驚いた顔をして、何度か瞬きを繰り返していた。
「今更取り繕っても仕方ない。緊張するのは当たり前だし、場の雰囲気にのまれるようなことが仮にあったとしても……まぁその時は仕方ないと思う。私だってフォローできる分はする。
でも諦めたり弱気になるのはダメ。それに自分でなりたいって踏み出した一歩目なんだ。失敗は付き物だよ。それをなるべく成功に近づけるために今日まで準備してきたんだ。
その時間は裏切らない。だから自分を信じてやろう」
「っ……はい。ありがとう、ございます……」
本当に少しだけ安心した表情になる。
震えは残っているけど、治まった方だろう。
「……もうすぐだ。全力でいこうか」
「……はい」