激しい痛みを覚えて、ぼくの意識は覚醒した。
瞼を開けるとぼんやりとした視界に、カラフルな色が写る。それが何かを認識する前に、瞼に痛みが奔った。
ただしそれは先程の激痛とは違って、眼に染みるような不快な感覚で、瞬時に汗が目に入ったのだと理解した。
「っ……」
急いで目を何度か瞬かせる。
次第に視界はクリアになって、ぼくの目の前にあった五色の姿も明らかになった。
「う、うわっ……!?」
赤色――真っ赤な髪の毛をした女の子と目が合って……そして彼女は悲鳴を上げると飛び退いた。
かなり焦ったような表情をしている。もしかして何かしてしまったのだろうか? そんな不安が湧き上がって、とりあえず尋ねる為にも体を起こす。
「ッ!」
「うおっ!?」
「ちょ……!」
「あ、あわわ……」
ぼくが体を起こすと、他の四色――青、黄色、緑、ピンクが慌てて飛び退いた。
いや、ピンク色の髪を持つ少女だけは転んでしまい、しりもちをついたまま転がるようにしてぼくから距離を取った。
……一体ぼくが何をしたって言うんだ。
女性にこうもあからさまに避けられるという事実に、微妙に……いや、かなりのショックを受けながら周囲を見回すと、驚くべき光景が広がっていた。
「こ、ここは……?」
クリスタルとでも呼ぶべきだろうか。
鋭利な角を持った蒼い宝石が、四方八方いたる所に刺さっていた。宝石は強弱をつけながら輝いて、周囲を柔らかな光で照らしている。
ぼくはそのあまりに幻想的な光景に見惚れてしまった。呆然としながら立ち上がろうとしたので、よく見ずに変な所を掴んでしまってバランスが崩れた。
「ッ!? あ、危ない!」
ぼくは地面にぶつかるのを予感して瞼を閉じたが、いつまで経っても衝撃は訪れなかった。
おそるおそる目を開くと、赤髪の少女の顔が写った。そして彼女はぼくの肩をがっしりと掴んでいる。どうやら彼女が助けてくれたらしい。
「だ、だだ、だ、大丈夫だったかい?」
「……大丈夫です。ありがとうございました」
「! 良いんだ、別に、そう、全然良いんだ」
赤髪さんはかなり挙動不審である。
しかし悪い人では無さそうだ。少なくとも転ぶのを助けてくれる程度には友好的なのは分かった。
とりあえず現在の状況を説明してくれると嬉しいのだが……。
「あ、あの~……」
「な、なんだね?」
「えっと……ここはどこです?」
ぼくが尋ねると、赤髪さんは困った表情をする。そして左右を見回して、青、緑、黄色、ピンクと顔を見合わせていく。
彼女たちの表情には困惑があって、ぼくの不安は強くなった。彼女たちはしばらくアイコンタクトを続けていたが、やがて蒼髪さんが代表して一歩前に出て口を開いた。
「ここはアルバストロスの迷宮。最深部」
……アルバストロス? 迷宮?
ぼくは再び困惑して首を傾げた。その様子を見た蒼髪さんは、ぼくの足元に小さな人差し指を突き付けた。
その人差し指を追うようにして、ぼくは視線を動かした。
「そしてこれはアルバストロスの迷宮の最深部の宝箱」
どうやらぼくは宝箱の中で寝ていたらしい。
飾りだけ見ても立派な箱だというのが分かる。宝箱には拳大の宝石がついているし、金銀がキラキラと輝いていて騒々しい上に、ぼくが横になって眠れる程に大きな箱だ。
もはやこれ自体が一つの宝だと言っても過言では無いだろう。しかし意味が分からない。余計に混乱が大きくなっただけである。
ぼくが思わず頭を抱えていると、少女は再びぼくを指差しながら抑揚のない声で宣言した。
「その宝箱の中にいたのがあなた。よってあなたの所有権は、ダンジョンを攻略した私達にある」
◆ Side グリューネ
やりやがった、コイツ!
私はリーシェに内心で絶叫と……僅かな賞賛を送った。
先程までの私達は混乱の極みにいた。なんせついに攻略したアルバストロスの迷宮の最下層にある宝箱を開けたら、男の子が入っていたからだ。
男の子と言えば女性の憧れだと言っても良い。
昔はたくさんいたらしいが、妊娠の魔法が開発されて男性無しでも出産が可能になった時から少しずつ男性は減っていったらしく、今では男女の比率は一対一〇程である。
つまり女性が一〇人いれば、ようやく男性が一人いるという比率。
女性が男性に飢えているのは必然だった。
それは一流の冒険者である私達も例外ではない。いや、むしろ戦闘一色の青春を送ってきた私達は、一般的な女性よりも男性と接した経験が少ないかもしれない。正直に言ってどう対処していいのか分からなかった。
だから私達はアイコンタクトをしてただ一人冷静そうに見えたリーシェに任せる事にした。
チームの頭脳であり、冷静沈着の魔法詠唱者。彼女ならこの状況も切り抜けてくれるだろうという期待を込めて送り出したのだが、その期待は大きく裏切られた。
『その宝箱の中にいたのがあなた。よってあなたの所有権は、ダンジョンを攻略した私達にある』
暴論である。
リーシェの口から飛び出したのは、人権無視も甚だしい暴論であった。
けれど微妙に頷いてしまう自分がいるのも確か。一方で間違いなく男の子の好感度は急降下してしまっただろう。
なんせ初対面で殆ど奴隷宣言である。
表情に変化は乏しいリーシェだが相当パニクっていたのだろう。というより一番パニクっていたのかもしれない。普段は流石にこんな事をいう娘では無いのだ。
「おわった……」
ナタリアの呟きが耳に届く。
そしてさらに隣でリンが小さく首肯しているのが分かった。
確かに終わった。どういう理由か分からないが、ダンジョンの最下層で宝箱に詰められていた男の子。彼を助け出す事でそこから青春ラブストーリーが始まる可能性があった。
しかしそれはリーシェの発言で、泡となって消えたのである。
(短い夢だった……)
内心で溜息を吐き出しながらも、首を大きく左右に振って自分を叱咤する。
そもそも男性に現を抜かすのが間違っているのだ。私達は冒険者で、未知を探す者。迷宮が恋人であり、迷宮が青春なのだ。
今考えるべきは男の事では無く、最下層まで潜ったのに宝箱の中身が人間だった事だ。
流石に人間を売る事は出来ない。奴隷制度なんてものは無いし、そもそもそんな人道に反する事を私は認めていない。
最下層に辿り着くまでにつかったアイテムの額は相当な物だ。
途中でレアアイテムを幾つか拾ったので赤字とまでは行かないが、それでもずっと準備してようやく達成した最下層攻略が儲けにならなかったのはかなりの痛手だ。
今後の冒険者活動にも差し支えが出るだろう。さらに帰り道は男の子を護衛しながらだと考えると……下手すれば赤字になるかもしれない。
頭の中で算盤を弾きながら憂鬱な気分になっていると、男の子が困ったような表情をしている事に気が付いた。
何事かと首を捻ったが、なるほど先ほどのリーシェの言葉に対して困っているのだろう。
『その宝箱の中にいたのがあなた。よってあなたの所有権は、ダンジョンを攻略した私達にある』
強気な男性ならビンタしてくるだろう。けれど一般的な男性なら恐怖に震える筈だ。
それなのにこの男の子は困ったような表情をしてるだけ。これは一体どういう事なのだろうか? 私が困惑していると、男の子は何かを決意したように表情を固めた。そして――信じられないような爆弾を投げつけて来た。
「よ、よろしくお願いします」
「「「「「!?」」」」」
よ、よろしく……?
一体何をよろしくすると言うのだろうか?
え? 一体どういう事だ。待て待て、落ち着くのだ。グリューネ。
誤った情報からは間違った答えしか得られない。
正確に状況を確認するのだ。最初から確認していこう。
まず私達はダンジョンに……アルバストロスの迷宮に潜った。
そして最下層まで辿り着き、宝箱を開けたら男の子が現れた。
理解出来ない状況に困惑してしばらく固まっていた私達だったが、いきなり少年が目を覚ました事で私達はパニックを起こした。
そこで私達は一番冷静そうに見えたリーシェに男の子の対応を任せた。
……が、残念ながらリーシェは全く冷静では無く、あろうことか男の子に向かって『その宝箱の中にいたのがあなた。よってあなたの所有権は、ダンジョンを攻略した私達にある』という暴言を吐いてしまった。
オーケー。
ここまでは完璧だ。間違いなくリーシェが悪い。彼女は下手すれば豚箱行きだが、出来る限りの擁護はしてあげるつもりだ。
しかしここから先が問題である。リーシェの暴言に対して少年はしばらく逡巡した後に、『よ、よろしくお願いします』と返したのだ。
つまり……どういう事だ?