Raison d'etre   作:月島しいる

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15話 広瀬理沙(5)

 第三小隊長、佐藤詩織は空戦機動技術に自信を持っていた。

 亡霊に遅れを取るはずなどないと、そう思っていた。

 そのはずだった。

「なん、でッ!」

 競い合うように、イーグルと高度を上げていく。

 横目で見るイーグルは、徐々に詩織を突き放そうとしていた。

『危険域です。それ以上は高度順応できていません』

 オペレーターの警告。

 人が対応できる高度には、限界がある

 その限界を伸ばすため、高度順応訓練をずっと積んできた。高高度を目指して、飛び続けてきた。

 警戒管制機の光が、遥か上方に見えた。その光にはまだ届かない。

 機械翼が不規則な振動を起こす。

 くらくらと目眩がした。

『危険です。高度を下げてください』

 荒い息を吐き出し、詩織は上昇を止めた。

 構えた小銃の向こうで、イーグルは更に上を目指して飛んでいく。

 引き金を絞ってばら撒いた銃弾は、イーグルを捉える事なく空中に溶けていった。

『上を取るのは難しそうです。戦いやすい低空で待ち伏せしましょう』

 第二小隊長、姫野雪の声。

 イーグルが大きな口を開き、複数の追尾弾を吐き出す。

 詩織は即座に反転し、今度は墜落するようにして速度を得た。

 下方に二つの識別灯。

 斜線が被らないように角度を切る。

 援護するように、下方から銃弾が降り注いだ。

 振り返ると、上方から迫る追尾弾が援護射撃に撃ち落とされていくところだった。

『進藤さん、援護してください。切り込みます』

 姫野雪が着剣し、銃剣が淡く光る。

 急降下してくるイーグルに相対するように、姫野雪が上昇を開始した。

 彼女の小銃から放たれた光条と、イーグルが吐き出した光弾が衝突する。

 閃光が煌めいた。

 続いて轟音とともに、衝撃が詩織を襲う。

 通信機から巨大な雑音が届く中、詩織の身体は大きく空を舞った。姿勢制御に集中し、反転する視界を何とか元に戻そうとする。

 何が起こってるのか分からないまま、二度目の轟音が響いた。

 再び、軽い衝撃。

 ようやく態勢を立て直す事に成功した詩織の視界に入ってきたものは、依然として空に浮かぶイーグルと、堕ちていく雪の姿だった。

 眼下の護衛艦が、位置を示すように探照灯を回す。闇夜を光が切り裂く中、護衛艦から一つの識別灯が飛び立つのが見えた。華だ。

『華ッ、雪を拾いなさい』

『高エネルギー反応あり。次の攻撃に備えてください』

 振り向いた先で、イーグルが次の攻撃を仕掛けてくるのが見えた。

 ばらまかれた五つの追尾弾が、第五小隊長の咲へ向かう。

 重い銃声と共に、一つの追尾弾が撃ち落とされる。しかし、残る追尾弾は依然として咲に向かったまま。

 進藤咲は標準装備の自動小銃ではなく、単発式の狙撃銃を装備している。彼女の腕がどれだけ良くても、全てを撃ち落とす時間はない。

 撃たれる前に撃つしかない。そう判断し、詩織は小銃を無防備なイーグルに向けた。そのまま引き金を絞る。

 セミオートで放たれた光弾が、次々とイーグルに着弾する。しかし、爆ぜる身体が堕ちる様子はない。

 下方で爆発音が聞こえた。

 見ると、咲が堕ちていくところだった。

 残った小隊長は詩織と、下方でフォローに回っていた華の二人だけしかいない。

 勝てない。

 その事実が、ゆっくりと脳に染み込んでくる。

 ここを突破されれば、このイーグルは本土を強襲するだろう。

 この時間帯では避難に大幅な遅れが生じ、多くの民間人が犠牲になる事は容易に想像できた。

『イーグルから更なるエネルギーを反応を確認』

 通信機からオペレーターの声。

 小銃をイーグルに向け、迎撃態勢をとる。

『来ます』

 オペレーターの声と同時にイーグルの口がぱっくりと開き、光弾が夜空に飛び出す。

 その数、七つ。

 避けられない。

 すぐに詩織はそう判断した。

 前方に小銃を構える。

 全てを撃ち落とすことなんてできるわけがない、と思った。しかし、それでもやらなければならない。

 引き金を絞る。

 反動で揺れる視界には、依然と光弾が映ったままだ。

 もう一度、人差し指に力を入れる。すぐ目の前まで迫っていた光弾が弾け飛ぶ。当たった。しかし、次の攻撃がすぐ近くまで迫っていた。

 小銃にESPエネルギーを装填し、すぐに次の光弾を狙う。発砲音が響くが、変化はない。

 間に合わない。

 小銃へのエネルギー供給を放棄し、全ての力を防御に回す。

 詩織は衝撃に備え、目を瞑った。直後、轟音と衝撃が詩織を包み込んだ。

『これは――』

 誰かの唖然とした声。

 痛みは、やってこなかった。

 ゆっくりと目を開ける。

 光る翼が、目の前に広がっていた。

 天使だ、と詩織は思った。

 目の前の、小さな背中からは巨大な翡翠の翼が飛び出し、詩織達を守るように大きく広がっている。イーグルの放った攻撃は無力化され、静寂が辺りを包んでいた。

『……桜井くん?』

 通信機から華の声。

 それを機に、目の前で翼を広げる小柄な影が、桜井優であることに初めて気づいた。

 優が振り向き、屈託なく笑う。

「ごめんね、遅くなって」

 詩織は安堵感で胸がいっぱいになっていくのを感じた。途端、疲労が限界に達したのか視界がぐらりと揺れる。

「……あ……っ……」

 機械翼へのエネルギー供給が途絶え、落下を始める。しかし、すぐに誰かが優しく抱き上げてくれたのを感じた。

 途方もない安心感が心を満たしていく。

 顔を見なくても、誰なのかわかった。

 不思議と嫌悪感を感じることはなかった。

 最後に感じたのは、安らぎだった。

 そこで詩織の意識は途切れた。

 

◇◆◇

 

「……優くん、どうして……」

 奈々の口から、無意識に言葉が零れた。

 哨戒ヘリが映し出す映像の向こうには、巨大な翡翠の翼を広げる桜井優の姿があった。

 佐藤詩織を抱き上げた優は、その翼を広げて大きく上昇していく。

 彼の背中に広がる翼は、特殊戦術中隊の標準装備である機械翼ではなかった。ESPエネルギーそのものが翼を形作ったような何か。

 既視感があった。

 史上初のESP能力者、柊沙織が今際に見せたもの。

 誰もいない暗い廊下で、血溜まりで倒れていた彼女。

 その背中で折れ曲がっていた翼を思い出し、奈々は一瞬言葉に詰まった。

 

「皆が望む通り、お国のために死ぬまで戦ってあげる」

 

 柊沙織の昏い双眸がフラッシュバックした。

 コンソールを操作する右手が強張り、周囲の音が遠ざかっていく。

 死人が目の前で甦ったような、そんな得体の知れない恐怖心が胸に湧いた。

 琥珀色の鮮やかな髪と後ろ姿が、ますます柊沙織を想起させた。

 そうだった。

 最前線で一人戦い続ける彼女は、いつもそうやって背中を見せていた。

 奈々はいつも、安全な司令室からその背中を見つめていた。

 血に濡れていく彼女の背中を、ただじっと見ている事しかできなかった。

「司令、司令ッ! 指示をッ!」

 加奈の叫び声。

 それでようやく、奈々は現実に戻ってきた。

 ディスプレイに映った映像には、イーグルと距離を取って対峙する桜井優の姿があった。  

「優くん。聞きなさい。我々は鳥型の亡霊を"イーグル"と命名した。イーグルの放つエネルギー弾は追尾能力を有し、現時点では撃ち落とす以外に対抗手段がない。空戦機動によって振り切る事は難しいと仮定しなさい」

『了解です』

 ノイズの混じった優の返答が届く。

 イーグルは突然現れた優を警戒するように、距離をとって旋回を続けている。

 待機状態のイーグルに対し、優がゆっくりと銃を構える。

 一発の銃声。

 それが合図だった。

 イーグルが回避行動に移ると同時に、その口を大きく開いて数発の追尾弾を放つ。

「数が、多い……」

 隣で加奈の呻くような声。

 放たれた追尾弾は全部で七つ。一人で撃ち落としきれる数ではない。

 異なる放物線を描きながらも収束するように集まってくる追尾弾に対し、優は回避行動を見せる事なく、真っ直ぐと飛び続けながら右手を前方にかざした。

「これは――」

 優の右手から、無数のESPエネルギーが放たれた。小さな粒子が扇状に広がり、追尾弾を覆うように包み込んでいく。途端、追尾弾は目標を見失ったように四散していった。

「――フレア?」

 赤外線誘導ミサイルを誤魔化すための燃焼物のように、無数に放たれたESPエネルギーの小弾がイーグルの追尾弾を狂わしていく。

 全ての追尾弾が逸れると同時に、桜井優がイーグルの懐へ飛び込むのが見えた。

 先日見せた、馬鹿げたESPエネルギーの塊が至近距離で爆発する。

「まるで……現代の空戦みたいですね」

 イーグルの断末魔のような叫び声に、加奈の声が被さった。

 一拍遅れて、警戒管制機が送ってくるイーグルの反応が消滅した。

「イーグル、ロストしました」

 オペレーターの放心したような声。

 司令室に、奇妙な沈黙が落ちた。

 中継映像の向こうでは、荒い息を吐く桜井優の姿。

 背中から生えるのは、異形の翼。

「……護衛艦みなみ、桜井優を回収しなさい。機械翼なしの飛行は安全上の都合、認められない」

 それから、と言葉を続ける。

「佐藤詩織、および篠原華の治療を」

 勝利の余韻は、どこにもなかった。

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