Raison d'etre   作:月島しいる

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2章 本土地上戦
01話 山田茂雄


 青空が広がっていた。

 その下に、荒々しい息遣いが響く。

 桜井優は背中に機械翼を背負い、両手に小銃を抱えて原っぱを走っていた。

 特殊戦術中隊は建前の上では軍隊ではないが、最前線に送られる部隊である事に変わりはない。

 こうした走り込みを命令されるのは珍しくなかった。

 ゴールに辿り着つくなり、すぐに機械翼を外してその場に倒れ込む。

「お疲れさま」

 先に訓練を終えていた篠原華がタオルを差し出す。

 優は息を整えながらそれを受け取った。

「……あり、がとう……」

「慣れないとしんどいよね」

 苦笑する華の言葉に、優は黙って頷いた。相槌を打つ気力もなかった。

 寝返りを打ち、後ろを確認する。

 まだ走っている中隊員が大勢いた。

「あ、京子も終わったみたい」

 華の声と同時に、京子が向こうからふらふらと寄ってくるところだった。

「はあ……はあ……もうダメ……」

 彼女はそう言って、機械翼をつけたまま前のめりに倒れ込んだ。

「おつかれさま」

 優が声をかけると、京子は恨めしそうに顔をあげた。

「なんで……はあ……入ったばかりの桜井のほうが……早いの……」

「京子が練習さぼってるからでしょう」

 隣から華の声。

「はあ……そもそも、これ、意味あんの……私達、どうせ空飛ぶじゃん……」

 そう言われて、ふと疑問に思う。

 現在、亡霊対策室は洋上封鎖ドクトリンと呼ばれる基本原則に従って人員を編成し、標準装備を更新している。

 亡霊が本土に到達する前に洋上で撃破するというこの原則において、地上戦というものは重要視されていない。

「うーん、昔聞いた話なんだけどね、軍事学的に占領には歩兵が絶対に必要なんだって」

 考え込む優の横で、華が思い出したように言った。

「占領?」

「そう、占領。例えば安全に攻撃するだけだったらミサイル飛ばしたり空爆するのが一番だけど、最終フェイズとして占領しないといけないわけじゃない? そこで屋内を制圧できる歩兵が絶対にいるんだって」

「いやいや、どこを占領するの?」

 京子が笑う。

 華は少し考えて、それから真顔で言った。

「……白流島だよ。最終目標である白流島攻略を司令部はずっと考えているんじゃないかな」

「白流島……」

 日本海に浮かぶ有人島。

 現在、謎の濃霧に包まれて亡霊の拠点となっている。住民の生死は不明。

 物心がついてから、日本はずっと亡霊との闘争を続けてきた。

 白流島攻略という考えが、優にはどこか現実離れしたもののように思えた。

「……そうしないと、この闘争はいつまでも終わらないんだもの」

 華の呟きを聞きながら思う。

 司令部は、本気で白流島を攻略する気なのだろうか。

 テレビ越しに何度も見てきた亡霊対策室司令、神条奈々の飾りめいた笑顔がふと脳裏によぎって、それから消えていった。

 

 

 

 

 

──────────2章 本土地上戦

 

 

 

 

 

「戦争には、英雄が必要でございます」

 ねっとりと絡みつくような声に、神条奈々はうんざりとした表情を見せた。

「これは、国家総動員の総力戦ではない。そんなものは必要ない」

「国民は不安を覚えております。終わらない侵略に震えております。我が子は無事に成人できるのか。晴れ姿を見ることはできるのか。孫を抱くことはできるのか。皆、そのような不安を抱いて生きているのでございます」

 そう説くのは、亡霊対策室広報部の長、山田茂雄(やまだ しげお)だった。

 でっぷりと飛び出したお腹を揺らしながら、彼は力説する。

「神条司令、よくお考えください。桜井優は既に戦略情報局の手によってメディアに露出しております。このまま戦略情報局の傀儡として利用されるくらいなら、我々対策室によって良識な英雄を作り上げるべきです。彼にとっても、そのほうが負担が少ないに違いない。そうではありませんか?」

 思わず息を吐く。

 神条奈々は山田茂雄に視線を向けると、じっと睨みつけた。

「桜井優がまだ十六歳の未成年であることをあなたは忘れていないかしら」

「理解しております。まだ幼い彼にとって、得体の知れないSIAのプロパガンダに利用されるのは耐え難い重責でありましょう。身内である我々が動いた方が、きっと彼の負担も少ないはずです」

「柊沙織は、違った」

 思わず、彼女の名前が口を飛び出した。

「柊沙織は英雄化によって、引き下がれない状況に追い込まれた。彼女は小銃を投げ捨てる権利を失った。英雄になるということは、そういう事でしょう。あなたは、桜井優の逃げる権利を奪おうとしている」

「力を持った者の定めでございます。人間社会は、どれだけ取り繕うとも功利的な部分がございます。桜井優の持つESP能力は、稀有なものです。その力は公共のために振るわれなければなりません。そして、我々は最大限のサポートで彼を支えなければならない」

「許可しない。未成年をプロパガンダに担ぎ出すなんて全うじゃない。子供を前線に送り出す現状が既に狂っているのよ。私がここの司令官である内は、これ以上狂った事になんてさせない」

 奈々が睨みつけた先で、山田茂雄はいつもの張り付いた笑顔を浮かべたまま表情を崩さなかった。

 それがどうしようもなく奈々を苛立たせた。

「話は終わりよ。出ていきなさい」

「承知いたしました。しかし、近い内、必ずSIAからプロパガンダの発案がございましょう。私ならば、きっと最小限の負担で彼を英雄に仕立てあげてみせます。覚えておいてください」

 山田茂雄はそう言って背中を見せた。どこか片足に負担をかけるような歩き方で、引きずるように司令室から出ていく。

 その背中を見送りながら、奈々は思考を巡らせた。

 ――危険な男だ。

 広報部長としては、仕事の出来る男だった。

 しかし、人を操る事に快感を覚えている節がある。

 元々、海外でアジテーターとしての活動実績がある男だ。

 七年前、柊沙織を英雄として利用するように提唱したのも彼だった。当時、戦略情報局の思想教育部隊に携わっていたのではないか、とも言われている。

 奈々は小さく息をつき、椅子を回転させて窓の外へ目を向けた。

 広がる原っぱで、中隊員たちが走っているところだった。

 小銃を抱えて走る少女たちを見て、ふと思い出す。

 柊沙織が死んだのは海の上ではなく地上だったな、と。

 英雄として祭り上げられた彼女は、暗い廊下で息絶えた。

 そばには、壊れた小銃が落ちていた。

 英雄と呼ばれた少女が残したものは、それだけだった。

 後には何も、残らなかった。

 何も。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 訓練後、優は一人で本部に戻った。

 シャワーを浴びる前に渇いた喉を癒そうと自販機に向かうと、基地内では珍しい男性の姿があった。

 情報部の主任である斎藤準だ。

 優がここに来た時に本部内の案内をしてくれた人で、数少ない男性の知り合いだった。

「よっ、また新しい女の子ひっかけたんだって?」

 準がからかうように話しかけてくる。

 優は苦笑して「またって何ですか」と抗議の目を向けた。

「そういう、斎藤さんはどうなんですか?」

 準には付き合っている女性がいた。

 同じ情報部の田中幸枝。

 過去に一度だけ会った事があって、大人びて綺麗な人だった、と優は記憶している。

「婚約したよ」

 思いがけない返答に優は取り出した財布を落とした。

「おめでとうございます。田中さんも物好きですねー」

「素直に祝えよ。ところで、財布変わったんだな」

 財布を拾おうとしていた優の動きが止まる。

「女の子は現金より、プレゼントを渡された方が喜ぶぞ」

 その言葉を吟味し、意味をすぐに悟る。

 優は驚きを隠せず、弾かれたように準の瞳を見た。

「知っていたんですか?」

「あぁ。一部始終が街の街頭カメラにばっちり映ってた。消しといたけどな。」

 準は手に持っていたコーヒーを一口飲んで、話を続けた。

「逃亡資金として財布ごと彼女に渡したんだろ? 随分と気前がいいな」

 優は返答に窮して、黙りこんだ。

「……広瀬理沙は高校でいじめに遭っていたそうだ」

 準はじっとコーヒーの缶を見つめて、何でもない風を装いながら話を始めた。優は静かに耳を傾けた。

「いじめの原因はESP能力。ESP能力が発現するまでは普通の学生生活を送っていたらしい」

 言葉を選ぶように、小さく間をおきながら準の続ける。

「それがエスカレートして事件に繋がった。現場には刃物が落ちていた。恐らく、広瀬理沙に向けられたものだ。現場を見た限りでは正当防衛の線が濃い」

「……未成年による正当防衛。かなりの減刑があるってことですか?」

「……いや、正直なところそれは難しいと思う」

「ESP能力で人を殺したからですか?」

 優は無表情にそう言った。

 意識的に感情が出ないように抑え込んだ声だった。

「この国は、法治国家だ。でも、そうじゃない部分もいっぱいある。戦時下なんだ。俺たちにはどうしようもない」

 優が目を伏せる。

「……広瀬さんは、どうすれば良かったんでしょうか」

「……逃げるしかなかったんだ。人生には、そういう場面がいっぱい出てくる。関わってしまった時点で不幸になる人間ってのが一定数いるんだ。俺たちに出来ることは距離をとって、逃げる事だ」

「……僕がやったのは、正しかったんでしょうか?」

「さあな。これから広瀬理沙がどうするかによるだろうよ。もし広瀬理沙が無差別殺人を始めた場合、お前は責任を取らないといけない。しかし、広瀬理沙が穏やかに余生を過ごした場合、お前は少しだけ誇らしく生きていける」

 準はそう言って、手に持ったコーヒーを飲み干した。

「いいか、桜井。逃げてもいいんだ。広瀬理沙みたいな状況に追い詰められたら、逃げるしかないんだ。やり返したってろくな結果にならない」

 準の目が、優を見る。

 どこか、憐れむような目だった。

「小銃だって、投げ捨てていいんだ。機械翼だって、投げ捨てていい。お前の命はお前だけのものだ」

 優は何も答えられなかった。

 亡霊対策室に所属する者として到底許されるとは思えない発言に、優は内心動揺していた。

「じゃ、俺は仕事に戻るよ」

 缶をゴミ箱に投げ、準が踵を返す。

 優は小さく返事して、自販機のボタンを押した。大袈裟な音を立てて、缶コーヒーが落ちる。

 優は緩慢な動作でそれを取り出した。

 遠ざかる準の後ろ姿を見ながら、理沙の事を考える。

 苦いコーヒーの味が口内を満たした。

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