Raison d'etre   作:月島しいる

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03話 姫野雪

 重い金属製の扉を開けると、眩い光とともに心地良い風が吹いた。

 思わず目を細める。少し肌寒かった。

 桜井優は亡霊対策の寮棟にある屋上に来ていた。

 この頃はよくここに足を運んでいる。

 亡霊対策室の中では比較的静かで落ち着ける数少ない場所だった。

 扉が重い音を立てて閉まる。その時、思わぬところから声があがった。

「こんにちは、桜井くん」

 驚いて声のした方向に目を向ける。

 そこにはフェンスにもたれかかるように、第二小隊長の姫野雪が立っていた。

「あ、こんにちは」

「風に当たりにきたの?」

 小さく頭を下げる優に、雪がゆっくりと近づいてくる。

「それとも……なにか悩みごと?」

「えーと、外の空気を吸いに……」

「嘘」

 雪は優の目の前で立ち止まり、顔を覗きこむように腰を曲げた。

 顔の距離が五十センチほどまで縮まる。優は思わず後ずさりそうになった。

 雪とはあまり話した事がなかった。慣れない彼女の雰囲気に呑まれそうになる。

「う、嘘ってどういう意味ですか?」

「あなたは悩みがあってここにきた。広瀬理沙の事が心配なんでしょう?」

 とくん、と心臓が跳ねた。

 あれを知っているのは陸上自衛軍と奈々、それに情報部の一部だけのはずだ。

 優は警戒するように雪を見た。

 雪は薄い笑みを浮かべたまま表情を崩さない。

 優の反応を見て楽しんでいるようだった。

 彼女の優しい眼差しが、じっとりと優を射抜く。

 大人びた憂いを帯びた淡紅色の瞳。そこに、光を反射する銀色の髪がひらりと重なる。

 今まで赤い瞳はカラーコンタクトだと思っていたが、間近で見ると本物だとわかった。

 誰かが雪の事をアルビノだと言っていた気がする。先天的な遺伝子疾患が原因である、と。

 ――あの人はさ、多分、あんまり身体が良くないんじゃないかな。日光に弱いし、視力も低いはずだよ。本来、小隊長には向いてないかもしれない。

 そう評したのは、確か第四小隊長の舞だったか。

「あ、あのっ、日光を浴びるとまずいんじゃ……?」

 広瀬理沙の話題を逸らそうと試みる。

 しかし、雪は優しい微笑みを浮かべてそれを受け流した。

「ええ。でも、今はそういうお薬があるの」

「そ、そうなんですか――わっ」

 不意に雪の手が優の頬にのびた。

 突然のことに固まる。

 雪の淡紅色の瞳が優を瞳を射ぬいた。

 まるで頭の中を覗かれるような奇妙な錯覚に陥る。

 優は咄嗟に目を逸らせそうになって、意識的に耐えた。

「あなたは、アルビノじゃないのね」

「――え?」

 思わぬ言葉に、気の抜けた言葉がもれる。

 雪の手が頬から名残惜しそうに離れる。

 そして、彼女は再び微笑を浮かべた。

「広瀬さんとコンタクトを取りたいなら、ESPエネルギーをもっと上手く扱えるようになれるようにしなさい。ESPエネルギーは攻撃手段以外にも情報体としての特性を持ちます。正しくは、そちらが本質なのですけれどね」

 話が急に戻った。唐突な変化に軽く混乱する。

「情報体……?」

「そう。あなたはそれを既に知っているはず」

 優の脳裏にイーグルの放った追尾弾が浮かんだ。

 ――ESPエネルギーは情報体としての特性を持つ。

 いくつもの疑問が濁流のように溢れ、雪に訊ねようとした時、彼女はくるりと背を向けた。

「あ、あの」

 呼び止めると、雪は一度だけ振り返り、柔らかい微笑を浮かべた。そして、滑るようにすうっと出入り口へ消えていく。

 いつのまにか、優はその様子に見惚れていた。

 ――不思議な人だなぁ。

 そう思いながら、自身の右手を見つめた。表面を覆うようにして光り輝くESPエネルギー。

 ESPエネルギーの扱いに上手くなれ、と雪は言った。

 不思議とデタラメな言葉ではないように思えた。どこか確信めいた言い方だった。

 強く風が吹き上げる。

 優は静かにESPエネルギーを纏い始めた。

 自身の手を見る。

 練り上げたESPエネルギーによって翡翠の光が溢れていた。

 現時点で、優は攻撃以外にESPエネルギーによる光翼を作り出す事が出来る。

 攻撃の為の単純なエネルギーの出力ではなく、持続的に揚力を発生させるエネルギーのコントロール。

 小銃も機械翼も、ESPエネルギーに指向性を与える為の補助具でしかない。

 本来のESPエネルギーはもっと自由に使えるはずだった。

 なのに、誰もそれを体得できていないだけなのではないか、と思う。

 練り上げたESPエネルギーを、光翼のように指先に維持させるように意識する。

 何かを具現化させようと集中する。

 指先に集まったESPエネルギーがすぐに霧散し、大気中に溶けていく。

 優は諦めず、もう一度ESPエネルギーを練り始めた。

 今度は指先ではなく背中にESPエネルギーを集中させて、以前のような光翼を作り出す。

 背中から広がった翡翠の光が、優を包み込んだ。

 やはり、小銃から撃ち出しているようなESPエネルギーとは違う。この光は攻撃的な特性を保持していない。

 これと同様のものを、背中以外から出力しようと試みる。

 しかし、何度挑戦しても指先に集中したESPエネルギーは、蒸発するように一瞬で霧散してしまう。

 原因を考える。それらしい理屈が一つだけ頭に浮かんだ。

 日常的に機械翼を使用しているため、ESPエネルギーを用いて空を飛ぶ、という認識と感覚が既に頭にあった為だろうか。

 イメージ、あるいは自己の認識、経験。それらが必要な可能性が高い。

 優は試行錯誤を重ねながら、そのまま屋上でESPエネルギーを練り続けた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「ねえ。いきなりだけど姫野さんって強いの?」

 華、京子、愛のいつもの第一小隊のメンバーと食堂で夕食を食べていた時、優は何となく気になっていた言葉を口にした。

 華と京子がキョトンとした顔をする。

 愛は相変わらず無表情のままだ。

「そりゃあ……小隊長だし強いんじゃない?」

「小隊長の中ではどうなのかなって」

「んー、例えば黒木さんは近接戦闘に長けてるし、咲ちゃんは狙撃技術に特化しているし、みんな戦い方が全然違うから一概には言えないけど、一番強いのは第六小隊長の白崎さんかも」

 華が悩んだように言う。

 小隊長である華が言うのだから、かなり信憑性が高い。

「白崎さん?」

「うん。なんというか、戦い方が派手だよ。高出力のESPエネルギーで一気に殲滅しちゃうの。でも……」

 華は何かに気付いたように言葉を続けた。

「そういえば、姫野さんが大きな怪我をしたのって前のイーグル戦が初めてかも。あまり目立たないけど、もしかしたら白崎さんと同じくらい強いのかもしれないねー」

「へえ……一度も大きい怪我をした事がない、か……」

 集団戦において、全ての敵に注意を向けることは不可能だ。

 必ずどこかに死角ができ、そこからの攻撃にはどんな機動力を持っていても避けることは叶わない。

 一度も大怪我をした事がないという事は、常に全体を見渡せるような余裕を持っている、という事だ。

「何でいきなりそんな事を?」

「んー、昼に会った時、やけにESPエネルギーに詳しそうな話をしていたから、強いのかなって」

 京子の問いに少しぼかして答える。

 華がやや意外そうに眉をひそめた。

「……姫野さんとお話したの?」

「うん。ちょっとだけだよ」

「珍しいね。姫野さんっていつも他人と距離を置いてるような感じだから。同じ小隊長の私でもあまりお話した事ないよ」

「……逆ナン?」

 愛が首を傾げて、じっと見つめてくる。

 思わず苦笑して、首を振った。

「違うよ。屋上に行ったら、たまたま会っただけ。愛ちゃんは誤解を産むようなことばっかり言うんだから」

 視界の隅で華が不思議そうな表情を浮かべる。

「そういえば、桜井くんはいつから愛の事名前で呼んでるの? 私なんて未だに『篠原さん』のままなのに……」

「いや、それは愛ちゃんから――」

「あ、そういえば桜井って佐藤隊長のこともいつの間にか名前で呼んでなかったっけ?」

 何かに気付いたように、京子がぽつりと零す。

 それを聞いた華はジト目で優を見つめた。

「この差は何なんですか?」

「……えっと、別に意図したものじゃないんだけど……」

 思わず苦笑いを浮かべて誤魔化す。

「……呼び方は統一すべきだとおもいます」

「あ、じゃあ私もそれで。いいじゃん。他人行儀すぎても良くないって」

 抗議を続ける華と、それに便乗する京子。

 優は二人をちらっと見て、首を傾げた。

「じゃあ、何て呼べばいいの? ……華ちゃん?」

 試しに言ってみると、華の顔が茹蛸のように赤く染まった。

「私は?」

「……えっとじゃあ、京子?」

「……何で私だけ呼び捨てな訳?」

 不満そうに唸る京子。

「だって、ちゃん付けするタイプじゃないし……京子ちゃん、とかどう考えても似合わないと思うよ」

 そう言って、優はまだ半分以上残ってる親子丼に箸をのばした。

 さっきから話してばかりで一向に中身が減っていない。冷める前に食べきらなければ、とペースをあげる。

 それに合わせるように華は唐揚げ定食、京子はしょうが焼き定食に手をのばした。愛はさきほどから隣で黙々とミートスパゲティを食べ続けているが、あまり量は減っていない。食べる速度が遅いのだろう。

 そのまま食事を続けていると、優たちのテーブルの近くに一人の女の子が近づいてきた。華か京子の知り合いだろうか。

 チラ、と横目で見ると少女は優のすぐ隣で立ち止まった。

「あ、あのっ!」

 思わず、話しかけてきた少女に目をやる。

 ツインテールが特徴的な小柄な少女だ。恐らくは年下だろう。

 何故か、彼女の目は真っ直ぐと優に向けられていた。

 どこかで会った事があっただろうか、と記憶を辿るも思い出せない。

 キョトン、とする優に向かって、彼女が口を開く。

「す……す、す、すすす好きですっ! わ、私と付き合ってくださいっ!」

 その一言で場が凍った。

 視界の隅で華が石化しているのが見えた。

 誰かのスプーンが落ちる音。

「……らぶらぶ」

 愛の呟きが、妙に大きく響いた。

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