Raison d'etre   作:月島しいる

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05話 秋山明日香

「全員が……家庭環境に……?」

 京子が曖昧な笑みを浮かべて頷く。

「そう。だから、誰も面会なんて来ないし、たまにああやって押し掛けてくる人がいても誰も会いたがらないってわけ」

 京子の声が随分と遠くに感じた。

 それから少し遅れて、すとんと納得がいった。

 国防上やむを得ない事態とは言え、成人すらしていない我が子を軍隊に預ける親が一体どれだけいるだろうか。

 恐らく、殆どの親は我が子を守ろうとするだろう。

 しかし、日本に存在する全ESP能力者の内、その三割近くが特殊戦術中隊に所属しているのが現状だ。

 三割。

 あまりにも多い。

 つまり、彼女らは親に心配されるような立場ではなかった。もしくは、彼女らは自ら特殊戦術中隊への入隊を希望してしまうような状況に置かれていた、ということなのだろう。

 優は反射的に華、京子、愛の顔を見渡した。

 京子は全てのESP能力者がそうだ、と言った。

 ならば、そういう事なのだろう。

「そんな顔しないでよ」

 京子が困ったような笑みを浮かべた。

 優は意識的に何でもない風な表情を取り繕うとしたが、すぐに駄目だと悟って、まだ言い争っている警備員たちの方に顔を背けた。

 年輩の女性は、娘に会わせろと叫び続けている。

 一見すると、娘想いの母親に見えた。

 不意に一人の男の姿が脳裏に浮かんだ。近所では愛想の良い父親として振る舞っていたあの男。

「桜井くん?」

 華の声が酷く遠くで聞こえた。

 彼女の声に重なるように、女性の悲鳴が頭に響いた。

 続いて食器の割れる音。

 男の叫び声。

 鈍い音。

 すぐに幻聴だと分かった。

 幼少期に何度も聞いた騒音。

 視界が霞む。 

 目眩がした。

 誰かの声が二重に聞こえる。

 吐き気がこみあげ、その場に膝をついた。

 口を押さえ、小さくうずくまる。

「ちょ、ちょっと! 桜井くん?」

 警備員と女性の言い争う声がやけに遠く聞こえた。

 現実感が麻痺していく。

 誰かの悲鳴が轟いた。

 これはただの記憶だ。現実に起こっている事ではない。

 そのはずだった。

 息が苦しい。

 うまく呼吸できなかった。

 過呼吸を起こしている、と冷え切った頭の奥で警鐘が鳴る。

 意識的に息を吐く。

 しかし、体がうまく動かない。

 手足が鉛のように重かった。

「桜井……やっぱりあんたも……」

 誰かの声。

 それに重なるようにまた女性の叫び声が聞こえた。

 現実と記憶の境目が消えていく。

 誰かが殴られる音と男の怒声。

 響き渡るサイレンの音。

 優は丸まるようにして、震える自分の肩を抱いた。

 不意に、その肩を誰かが優しく包み込んだ。

 ほのかに甘い香りが優を包む。

 震えがぴたりと止まり、混乱していた優の意識は急速に現実へと浮上していった。

「華、ちゃん……?」

「大丈夫だよ」

 その一言を聞いた途端、全身から力が抜けた。心地よい安心感が全身に広がっていく。

 緊張の糸が切れたように、思考が白濁する。

 ふらっと身体が傾いた。

 まずい、と思った次の瞬間には華に身体を預けるようにして倒れ込んでいた。

 誰かの呼び声。

 そこで桜井優の意識は途切れた。

 

◇◆◇

 

 消毒液の香りがした。

 起きているのか眠っているのか、判断が出来ないほど思考に霧が掛かっていた。

 誰かの話し声がした。

「接近禁止命令が出ている対象がどうしてこの敷地内にいるの。こういった事態を避ける事が保安部の仕事でしょう」

「全面的にこちらの落ち度です。ただ、保護者の立場を持つ者に対して我々は強い権限を持ちません。我々は建前上、民間人に対して強く出る事が出来ない」

 女と男の声。

 一人は、軍医の秋山明日香(あきやま あすか)だった。治療中に何度か会った事がある。

 もう一人は知らない男の声だった。

「あのね、司法が接近禁止命令を出しているの。つまり、保護者ではなく加害者なの。お客様扱いする必要はないでしょう。敷地内にあんなのがウロウロしていたら子どもたちが混乱を起こして当然です」

 ぼんやりとした思考の中、視線を横に動かす。

 大柄の男がいた。クマみたいな後ろ姿が明日香に叱られ、小さくなっている。

 恐らく、亡霊対策室の警備を統括している保安部の責任者なのだろう。

 亡霊対策室は実働部隊であるESP能力者よりも、それを支援する職員の方が遥かに多い。

「この子たちはいつ戦闘に駆り出されるのかも分からないのよ。常にメンタルをニュートラルに保つ必要がある。二度とあの保護者を敷地に入れないように」

「はい。再発防止に努めます。ただ、親である事に変わりないのではありませんか。本当に門前払いが――」

 クマのような男はそこで言葉を切った。それから、ゆっくりと優の方を向く。

 目が合った。

「すまない。起こしてしまった」

 男はそう言って、不器用そうな笑みを浮かべて立ち上がった。

「話はまた後で」

 明日香が小さく言うと、男は小さく頷いてそのまま部屋から出ていった。

 医務室に優と明日香だけが取り残される。

 優はぼんやりと明日香を見た。まだ頭が上手く動かない。

「落ち着いた?」

 明日香が優しく問いかけてくる。

 答えようとするが、上手く声が出なかった。

 だから、代わりに頷く事にした。

「そう。どうせ後は寝るだけでしょう。今日はここで休むといいわ」

 優は頷く代わりに目を瞑った。

 酷く疲れていた。

 思い出したくない記憶が頭の中に溢れ出していた。

 眠って忘れてしまいたかった。

 目を瞑る。

 医務室に満ちる消毒液の臭いが昂ぶった神経を鎮めていくのが分かった。

 優はそのまま意識を手放した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 桜井優は睡眠、という行為が好きではなかった。

 時々、嫌な夢を見る。

 思い出したくない記憶が掘り出され、現実と夢の境界が曖昧になり、終いには二つの世界が逆転してしまうのではないか、と途方もない空想が勝手に広がってしまうのだ。

 しかし、その日の優は夢を見る事なく目を覚ました。

 いつもと違うベッドと毛布の感触に違和感を覚え、重い瞼を開く。 

「わっ!?」

 目を開けた途端に愛の寝顔が視界に飛び込み、優は素早くベッドの上で起き上がって壁際に転がった。

 優に腕を絡みつけて寝ていた愛も引っ張られて、ゴロゴロと目の前に転がる。

「うそ! なんで!?」

 寝る前の記憶を思い起こす。

 しかし、記憶が曖昧だった。

 それらしい事は何も覚えていない。

「ん……っ……ぅ……」

 その時、愛が小さきうめき、薄く目を開いた。

 身を固くする優の前で、愛がのそのそと上体を起こす。

「……おはよう。激しかったね」

「その第一声狙ってるよね!?」

 愛は不思議そうな顔をした後、毛布を体に巻き付け、頬を赤く染めた。

「……汗、かいたからあまり近づかないで。……恥ずかしい」

「え、あ、ごめんなさい……」

 本当に恥ずかしそうにする愛を前に、反対に冷静さを取り戻していく。

 辺りを見渡すと、清潔感のある医務室が広がっていた。

 そこでようやく、昨夜の事を思い出す。

 娘に会わせろと怒鳴っている女がいた。過去の嫌な記憶が蘇り、気分が悪くなったところを華たちが医務室まで運んでくれたのを朧気に覚えている。

 恥ずかしいところを見られてしまった。

「昨日、ここまで運んでくれたんだね。ありがとう」

 愛は頷いて、優の顔をじっと覗きこんだ。

 彼女の透き通った瞳と視線が絡み合う。

「な、なにかな?」

「……涙の後がある」

「……ぁ……」

 愛のひんやりとした指が優の頬を優しく撫でた。

 次の瞬間、優の体は愛の腕の中で抱き締められていた。

「あ、愛ちゃん……?」

 仄かに甘い香りが優の頭を満たした。

 柔らかな感触に動揺して、離れようと肩を押し返そうとする。しかし、それは次に愛が放った言葉によって遮られた。

「……昔、泣いた時に父がよくこうしてくれた」

 全身から力が抜ける。

 はじめて愛と会った時、話しづらそうな子だと思った。

 少し、気難しそうな子だな、と。

 しかし、すぐに違うと分かった。

 彼女は冗談をよく言うし、すぐに顔を赤くする恥ずかしがり屋な面もある。

 愛は無表情ではあるが、逆に愛想笑いなどで表情を偽ったりはしない。その感情をストレートに行動で示す。

 中隊の女子の中で愛はやや変人のような扱いを受けている事があるが、彼女の実直な在り方はとても好ましく思えた。

 対策室に入ってまだ日が浅く、良く知らない人間も多い。組織構造もまだ全体がよく見えない。

 その中で宮城愛という人間は、最も信用出来る友人かもしれない。

 そう思った時、医務室のドアが開く音が聞こえた。

「あ」

 振り返る。

 ドアが開いたところには驚いた様子の秋山明日香が立っている。 

 短い沈黙があった。

「二人でお楽しみのところ悪いんだけど、医務室のベッドでそういうことは……」

「わーーー! 違うんです! 誤解です! そういうのじゃないんです!」

 恐ろしい誤解が広がる前に食い止めようと、手を振り回し必死に訂正する。

 しかし、背中に回された愛の腕が離れない。万力のようだった。

「ちょっと愛ちゃん! 離して! 誤解が! 壮大な誤解が!」

「青春ね」

 クスッと明日香が微笑む。

「少しからかっただけよ。誤解なんてしてないから安心しなさい」

 彼女はそう言って、優の前で屈み込んだ。

「体調はどう?」

「えっと、あの、もう大丈夫みたいです。ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」

 さっきのからかいを含んだ笑みとは一転、慈悲深い聖母のような笑みを浮かべる明日香。

 どうも調子が狂う。

「今日の訓練は休んだほうがいいわね。一応熱だけ計っておきましょう」

 明日香がゴソゴソと引き出しをいじり、体温計を優のわきに入れる。

「正直ね、心配だったの」

「え?」

 ぽつりと明日香がこぼした言葉に顔をあげる。

「ここ、女の子しかいないでしょう? 男の子がちゃんと馴染めるのかなって」

 優は少し考えた後、頷いた。

 確かに悩んだこともあった。

「そう、ですね。はじめの一週間とかは全然ダメでした。やっぱり皆と壁を感じて……」

 でも、と優は愛に目を向けた。

「でも、華ちゃんや愛ちゃん達のおかげで無事馴染めることができました」

 明日香が微笑む。

 そこで体温計がピピピと電子音を発した。

 明日香が体温計を取り出す。

「36.8度。大丈夫そうね。念のため、激しい運動は控えるように」

 明日香は体温計を引き出しに入れながら、思い出したように言った。

「それと愛ちゃん。あなた朝食がまだでしょう。優くんは私が診てるから食べてきなさい」

 愛は素直に頷いて戸口に向かう。

 その間、明日香は無言でじっと愛の背中を見ていた。

 愛が出ていったのを確認して、明日香が優に向き直る。

 何となく、大事な話があるのが分かった。

 明日香は少し迷ったように視線を動かして、それから何でもない風に口を開いた。

「さっきの話の続きだけど、ここは本当に女の子ばかりなの」

 明日香の言わんとしている事が見えず、優は小さく首を傾げた。

「つまり、ここの男女比は外とは全く違うという事。思春期の男女にとって、それはつまり恋愛対象が限定されるということでもあるの。それは分かるでしょう」

 明日香は真剣な顔で言葉を続ける。

「特にここは閉じた世界だわ。そして貴方たちはESP能力者で、そこに強い帰属意識を覚えている。優くん、あなたの行動に関係なく、周りの女の子たちは少し普通とは違った行動を取るかもしれない。なにか困ったことがあったら、すぐに相談しなさい。いいわね?」

 優は困惑したように明日香を見上げた。

 彼女は真面目な顔で、じっと優の答えを待っている。

 明日香が一体何を危惧しているのか、優には良くわからなかった。

 麗の顔が、一瞬頭をよぎった。

 突然、何の前触れもなく告白してきた少女。

 しかし、相談するような事案でもないように思えた

「はい。何かあったら相談します」

「来てくれたのが貴方のような男の子でよかった」

 明日香はそう言って微笑んで席を立った。話はこれで終わりということだろう。

 優もそれに続いて立ち上がり、短く一礼した。

 医務室を出て、先に出た愛の後を追おうとする。

 その時、ポケットで携帯が小さく振動した。端末を取り出して確認する。

 望月麗からのメッセージだった。

 予想していなかった文字が目に飛び込んできて、優は固まった。

『明日デートしてください』

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