Raison d'etre   作:月島しいる

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10話 望月麗(4)

 亡霊対策室は騒然としていた。

 各部署でひっきりなしに電話が鳴り響き、廊下を慌ただしく職員が走り回る。

 それは司令室として例外ではなく、オペレーターたちは次々と舞い込んでくる解析結果に顔を青くしていた。

 事の始まりは数時間前に遡る。

 一三三五、九州沿岸に位置する高梨市から膨大なESPエネルギーが探知された。

 その大きさは一つの都市を丸ごと飲み込むほどの巨大なもので、多くのオペレーターを震撼させた。

 しかしその後の調べで、探知されたESPエネルギーは一つの亡霊を指すのではなく、ESPエネルギーの集合体である事が判明し、ただちに沿岸部の全域に避難警報を発令した。

 ESPエネルギーの集合体とは、何の攻撃意思も持たない単なるエネルギー体ということである。

 一般にそれは霧のようなものとして認識される。

 しかし、このエネルギー体が問題だった。

 白流島はESPエネルギーで構成された霧に包まれているが、調査に入った者で生存者は存在せず、島民全員も行方不明者扱いとなっている。

 高梨市一帯を覆うESPエネルギーは白流島と同様に霧状のもので、一度中に入れば生きて戻れない危険性があった。

 こうして避難警報が発令し、自衛軍による厳戒な警戒体制が高梨市一帯に敷かれたのが一六三〇のことだった。

 ここで神条奈々は一つの決断を迫られる。つまり、特殊戦術中隊を投入するか否か、である。

 ESPエネルギーに包まれた高梨市一帯との通信手段は全て途絶え、市民の安否が不明な状況に陥っていた。霧に包まれた街から脱出した者は一人もおらず、内部の情報が一切手に入らない状態だった。

 熟考の末、神条奈々は待機の判断を下した。

 蔓延したエネルギー体での生存が確約出来ない以上、特殊戦術中隊を投入する事は出来ない、と判断したのだ。

 統合幕僚監部、及び戦略情報局もこれを支持し、情報収集と通行規制による二次災害の抑制に留まる事になった。

「司令、高梨市に繋がる主要交通網の封鎖を陸上自衛軍が完了しました。引き続き、周辺都市への避難支援を実行中です」

 奈々の元へ加奈が報告に来る。

「航空自衛軍による生存者の探索も実行中ですが、未だに霧から脱出した生存者は見つかっていません。内部からのそれらしい音声も一切拾えない、と報告が上がっています」

「……白流島に亡霊が出現した時と同じ状況ね」

 奈々は空撮された高梨市の様子を見ながら呟いた。

「……白流島は第一基地に過ぎなかった。第二、第三基地が本土内にこうして作られていく可能性がある」

 最悪の想定を口にした奈々に、加奈が青ざめる。

「日本海上ならともかく、これでは亡霊が出る度に甚大な被害が……」

「本土決戦どころではない。この狭い列島内部に敵の前線基地が作られたとなれば事実上の敗戦と同義よ。何としてでも高梨市は奪還しなければならない」

 ――侵略。

 その二文字が頭の中をぐるぐると回る。

 特殊戦術中隊の設立後、亡霊の被害は急速に減っていった。

 未知の生命体による侵略を受けている状態という認識は、世間では徐々に薄くなっている。

 奈々に言わせれば、今までの亡霊の侵略はどこか遊びのあるもので、本腰ではないように思えた。

 まるで特殊戦術中隊の規模に合わせたような戦力の逐次投入など、亡霊には不可解な動きが多い。

 しかし、前線基地が九州に造られたとなると侵略という意味合いが急速に現実味を帯びてくる。

 この事態が引き起こす経済的損失がどれほどのものになるか想像もつかない。

 日本が頼っているメタンハイドレートの輸出も難しくなるかもしれない。あらゆるシーレーンが危機に晒され輸入出の全てがストップする可能性もある。少なくとも、これでは対馬海峡は放棄せざるを得ない。

 海上自衛軍や戦略情報局が維持している中曽根航路帯構想は軍事的にも経済的にも破綻するだろう。

 そこまで考えて、思考を放棄する。

 自分の仕事は戦うことだ。

 亡霊の多方面的な影響など文民が考えればいい。

 どうせ、全ては既に手遅れなのだ。

 一八四〇、沈黙が破られた。

 高梨市一帯のエネルギー体とは独立した一つの巨大なESPエネルギー、すなわち亡霊が現れ、統合幕僚監部による承認を受けて神条奈々は特殊戦術中隊の投入を決定した。

 

 

◇◆◇

 

 

 桜井優は戦闘服に着替え、識別灯の点検を繰り返していた。

 識別灯は夜間飛行時に、味方への誤射や衝突を防ぐ為のものだ。

 特に小隊長クラスは識別灯に色が異なっており、即座に見分ける事が可能になっている。

 黙々と訓練通りの点検を進めながら、息をつく。

 先程の麗の言葉が脳裏に蘇った。

 ――私じゃ、ダメですか?

 ホテルの前で、彼女はそう言った。

 一瞬、唇が触れた。

 彼女は本気だった。

 しかし少し冷静になれば、やはりおかしいと思う。会って間もない異性に対してあれほど積極的になれるものだろうか。

 何か、違和感があった。

 無理をしているような気がした。

 それがとても危うく感じた。

『優くん、準備出来た?』

 通信機から奈々の声。

「はい。終わりました」

『そう。女性陣はまだドレスアップと化粧に手こずっているわ。悪いわね。みんな厚化粧なのよ』

 奈々の冗談と、数人の笑い声が聞こえた。

『司令、こっちにも聞こえてますよ。第一から第六小隊の全ての準備完了報告を受けました』

 華の声。

『あら。ではパーティーの時間ね。ダンスホールを開放しましょう』

 男女の出撃ブースを分断していた扉が開き、機械翼を広げた女性中隊員たちと部屋が繋がる。

『出撃ハッチ開放十秒前』

 オペレーターの無機質な声。

「ねえ、今回ってやばそうじゃない?」

「……過去最大のESPエネルギー量が観測されたらしいね

 誰かの不安そうな声がそれぞれの識別灯で明滅する部屋に響いた。

 それをかき消すように第四小隊長の黒木舞が叫んだ。

「さて、今日は精鋭揃いだ。大物を落とした子には優くんとの一日デート権をプレゼントするよ」

 周囲の第四小隊のメンバーが笑い声をあげる。

 今回出撃するのは第一から第六小隊の第一分隊、総勢四十八名である。

 各小隊の第一分隊には近接戦闘が可能な、ESPエネルギーに恵まれた少女たちが集められている。今回、戦力として安定しない少女たちは作戦に組み込まれていなかった。

 優はちらりと後ろを見た。麗もこの精鋭の中に混じっていた。

 彼女は何かを考え込むように小銃を睨んでいる。

『ハッチ開放』

 オペレーターの宣言とともに、出撃ハッチが開いていく。

 夜の冷たい風が吹き込んだ。

『これより出撃を命じる』

 通信機から奈々の言葉が届く。

 それを合図に各員の機械翼が一斉に展開されていく。

「第一小隊出撃」

 奈々の命令とともに、優たち第一小隊に属する第一分隊計八名は大きく床を蹴った。

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