Raison d'etre   作:月島しいる

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11話 望月麗(5)

 福岡県高梨市に隣接する上空に到着して、優は息をのんだ。

 眼下の街を紫色の霧が覆い尽くしていた。

 かつて似たような光景を、写真で見た事があった。

 日本海に浮かぶ白流島が、謎の霧に包み込まれている空撮写真だ。

 それと同様の霧が本土に広がっているのは、想像していたより遥かに衝撃的な光景だった。

 それは紛れもない侵略で、本土が戦火に包まれていく前触れにも思えた。

 そして、上空にポツンと佇む異様な影。

 人の形をした何かが、高梨市の占領を誇示するように上空二〇〇メートルほどで静止している。

『なんですか、あれ?』

 誰かの呟きをマイクが拾う。

 全員がその異様な姿に圧倒されていた。

 その亡霊は、人の形をしながらも巨大な頭部と手を有していた。

 反対に、胴体部や足は小さくバランスが悪い。

 どこか宇宙人を連想させるようなフォルムだった。

『視認出来る亡霊は情報通り一体です。体高は三メートルから四メートルほど。出現後から対象に動きが見られません』

 第六小隊長の白崎凛が淡々と報告をあげる。

 哨戒ヘリが優たち中隊を追い越して、亡霊を撮影するように近づいていく。 

 しかし、亡霊は接近する哨戒ヘリに対して反応を見せず、ただ浮遊しているだけだ。

『ペンフィールドのホムンクルスに酷似しているわね』

『顔つきまでそっくりです。模倣しているとしか思えない』

 奈々の声に同意する白崎凛の声。

『ペン……何とかのホムンクルスって何ですか?』

 第三小隊長の詩織の声に、奈々が答える。

『脳機能局在論という、人の脳は部分ごとに違う機能を持っているという学説があるの。例えば、ある脳の部分は手の機能を司っている、みたいにね。そして、その脳の領域の大きさは、対応している体の領域から来る体性感覚の入力量や重要度のそれに比例する。ペンフィールドのホムンクルスはそれを三次元的に表現した学術的な人形で、あの亡霊はどうもそれに酷似している』

 説明を聞いても、いまいちピンと来なかった。

 優は小銃の光学照準器を覗いて、異形の亡霊をじっくりと眺めた。

 口の部分が大きく飛び出し、逆に頭頂部の付近は小さくなっている。腕や胴体は今にも折れそうなくらい細く、栄養失調の子供のようだ。しかし、手はそれには釣り合わないほど大きく、その巨大な頭さえも鷲掴みできるほどだった。

 人の口の部分と手の部分は入力量、そして重要度が大きいということだろうか。そして、胴体部などは情報の入力量が小さいと解釈できる。

『何だか、気持ち悪い形ですね』

 詩織の声。

 暗くて周囲の中隊員の表情が見えないが、全員が似たような感想を抱いているようだった。

 優自身もこの亡霊に対して、強い生理的嫌悪を感じていた。

 人間の脳の入力量を表した学説モデルと、亡霊が同じ形をしている。

 明確には説明できないが、不穏で不快な話だった。

『これより、目標の亡霊をホムンクルスと呼称し、本作戦における第一攻撃目標とする』

 ホムンクルスの周囲を旋回していた哨戒ヘリが戻ってくる。

『咲の狙撃を合図に総攻撃を開始せよ。狙撃準備を開始』

 哨戒ヘリが安全圏に戻ると同時に、第五小隊長の進藤咲に狙撃命令が下る。

 優が振り返ると、光輝く隊列の中から小隊長格の識別灯を持った明かりが前に出るのが見えた。

 進藤咲だ。

 中隊で最も狙撃能力に長ける彼女が、ゆっくりと小銃を構える。

『撃て』

 銃声が轟いた。

 同時にホムンクルスの身体が爆ぜる。

『胴体部に命中。総攻撃を開始せよ』

『突撃!』

 着弾と同時に四十八名全員が加速した。

 ホムンクルスとの距離が一瞬で詰まる。

 先頭を飛ぶ第一小隊長の華が指揮灯をつけた右手を上に振り上げた。

 攻撃命令だった。

 それを合図に大気が爆発したかのような轟音が響き、ESPエネルギーの嵐がホムンクルス目指して降り注ぐ。

 ホムンクルスの身体がESPエネルギーの津波に翻弄されて、きりもみするのが見えた。

 反撃が来る前にそのまま撃ち落とそうと、優は照準を覗いた。

 その時、ホムンクルスの巨大な口の端が吊りあがるのが見えた。

 まるで、笑っているようだった。

 引き金に当てた指が思わず固まる。

『攻撃中止! 総員、後退し――』

 奈々の叫び声が聞こえた。

 同時に、ホムンクルが物理法則を無視したかのような挙動で上昇を開始した。

 突然のことに後退が遅れ、隊列が乱れる。

 いくつもの識別灯が、バラバラの方角へ飛んでいく。

 何が起こったのか分からなかった。

 優はその場に静止して、上昇していくホムンクルスを見上げた。

 ホムンクルの巨大な口が大きく開くのが見えた。

 物理的限界を超えて、口腔が全てを飲み込むように大きく広がっていく。

『後退せよ。繰り返す。後退せよ』

 奈々の命令が、通信機の向こうで繰り返される。

 高度を上げ続けるホムンクルスの口から、突如何かが吐き出された。

 霧だった。

 それは白流島や高梨市一帯に広がる霧と酷似していた。

 恐るべき速度で拡散していく霧が、上空から覆いかぶさるように広がってくる。

「──ッ!」

 優は後退を諦め、逃げ遅れた少女たちの元へ方向転換した。

 通信機の向こうで誰かがそれを咎めるのが聞こえる。

 しかし、優は止まらなかった。

 機械翼が嫌な音を立てて、切り裂いた風が唸り声をあげる。

 優は更に速度をあげ、いまにも霧に飲み込まれそうな一人の少女の身体を強引に抱きしめた。

「きゃっ!」

 ──ESPは攻撃手段以外にも情報体としての特性を持ちます。

 脳裏に雪の言葉が浮かぶ。

「ごめん、我慢して」

 優はありったけのESPエネルギーを少女の機械翼にぶつけた。

 彼女の機械翼が優の膨大なESPエネルギーに感応し、凄まじい速度で上空に打ち上げられていく。

 乱暴なやり方だったが、少なくとも安全圏まで投げ出す事は出来た。

 振り返ると、上から霧が迫っていた。

 高度を落として、失速した速度を稼いでいく。

 周囲を見渡すと、逃げ遅れたらしい識別灯が五つあった。

 ──間に合わない。

 そう悟っても、優は速度を緩めようとはしなかった。

「桜井! どこ!」

 不意に前方から京子の肉声が響いた。

 見ると、安全圏らしき所に京子らしき識別灯が見えた。

 京子の位置はまだ安全だ、と判断して真下にいる少女の元へ加速する。

 力一杯腕を伸ばし、その機械翼にESPエネルギーを送る。

 優のESPエネルギーを通した命令が彼女の機械翼に伝わり、逃げ遅れていた少女が一気に加速して安全圏へ弾かれていく。

 次。

 逃げ遅れている少女たちを探す。

 既に数人がエネルギー体に呑まれはじめていた。

『優くん、何をしているの! 後退しなさいッ!』

 奈々の命令。

 それでも優は迷わず、エネルギー体に突入を開始した。

 視界が紫一色に染まる。

 途端、機械翼が不気味な音を立てて振動し始めた。

 機械翼へのESPエネルギー供給が、辺りに蔓延するエネルギー体によって阻害されているようだった。

 霧で塞がれた視界の一角に何かがきらめく。

 識別灯の明かりだとすぐに理解し、速度をあげる。

 機械翼が悲鳴をあげるように軋んだ。

 識別灯の持ち主──望月麗の姿が霧の向こうに垣間見えた。

「麗ちゃん!」

 腕を伸ばす。

「先輩!」

 優の存在に気付いた麗が驚いたような顔をして、優に向かって手を向けた。

 二人の手が絡まり合い、離れないよう力強く握る。

 その時、機械翼が遂に機能を停止させた。

「やば──」

 咄嗟にESPエネルギーで光翼を作り出す。

 巨大な翼が優と麗を包み込んだ。

 しかし、機械翼と同様に揚力が得られない。

 周囲のエネルギー体から何らかの妨害を受けているらしかった。

「先輩! 地面が!」

 麗の声に釣られて下を見る。

 既に陸地が目の前まで迫っていた。

 咄嗟にESPエネルギーを練り、衝撃を殺す為に下方に放つ。

 直後、凄まじい落下音が霧の中に木霊した。

 

◇◆◇

 

 奈々は哨戒ヘリから送られて来る映像に叫び続けていた。

「後退せよ。繰り返す。後退せよ」

 しかし、命令を無視するように桜井優は霧の中へ突入していく。

「優くん、何をしているの! 後退しなさい」

 ついに霧の中へ完全に姿を消した桜井優を見て、呆然とする。

 更に優を追うように第一小隊の長谷川京子が霧を目指して急降下していくのが見えた。

「第一小隊、桜井優。第一小隊、望月麗。第一小隊、長谷川京子、第一小隊、安藤桃。合計四名のロストを確認」

 解析オペレーターが霧に呑まれて反応の消えた四名の報告をあげる。

「ホムンクルス、高度上昇中。中隊に接近しています」

 ホムンクルスが後退し終えた少女たちに肉薄している。

 そして、再びその大きな口を開き──

「すぐに高度を落としなさい! 総員、全力撤退! 戦闘区域からの離脱を命じる」

 数人の姿が、ホムンクルスの撒き散らす霧の中に消える。

 それを助けようとした数人が更に巻き込まれるのが中継映像に映った。

 識別レーダーから次々と中隊員の反応がロストしていく。

 それはもはや撤退ではなく、敗走だった。

「第四小隊、藤宮綾。第六小隊、東寺智ロスト」

 解析オペレーターが次々と不明者の名を読み上げていく。

 逃げるだけではなく、広がる霧を食い止める必要があった。

「凛! 最大出力で霧を吹き飛ばして!」

 第六小隊長、白崎凛。

 優が現れるまでは、最大のESPエネルギー出力量を誇るエースだった。

 命令通り、白崎凛が小銃を霧に向けESPエネルギーを練り上げ始める。

 次の瞬間、中継映像がフラッシュで一瞬見えなくなった。

 桜井優に次ぐ巨大なESPエネルギーの波が凛から放たれ、マイクが強い轟音を拾い上げた。

『一部の霧の消滅を確認。高出力の広範囲攻撃は有効のようです』

 凛の報告を示すように、徐々に正常に戻った中継映像では霧が大きく吹き飛んでいた。

「凛、高出力の攻撃で霧を吹き飛ばして前線を維持しなさい。咲、狙撃でホムンクルス本体を止めて」

 形成を立て直そうと、反撃を試みる。

 その時、予想外の事態が発生した。

 眼下に広がる霧が腕のように伸び、先行していた第六小隊長の凛の足を絡め取ったのだ。

『――これは』

 凛の悲鳴じみた声が、通信機から響く。

『凛! 待って!』

 凛を助けるように前に出た第四小隊長の舞に向かって、街を覆う霧から新たな腕が伸び始めた。

 二人の小隊長が拘束され、エネルギー体の中へ引きずり込まれていく。

 他の中隊員たちはその様子を見て、後退を止めていた。

「司令、ホムンクルスが!」

 加奈の悲鳴。

 気がつけば、ホムンクルスが本隊の上空まで迫っていた。

 再度、その巨大な口から霧が吐き出される。

 もはや隊列など存在せず、散発的な反撃が繰り返され、各個撃破される最悪の状況が中継映像の向こうで広がっていた。

「雪! 詩織!」

 上空から迫るホムンクルスと霧に注意を向けていた小隊長たちに、下方の霧が腕のように伸びてその身体を街中へ引きずり込んでいく。

 悲鳴がひっきりなしに届いた。

 霧に包まれた中隊員たちが、次々に姿を消していく。

 解析オペレーターがロストした少女たちの名前を読み上げていく。

「哨戒ヘリ、及び警戒管制機も下がりなさい! 持ちこたえられない!」

 撤退命令を出している間にも、識別レーダーに映る友軍の反応が続々と消えていく。

 あっという間の出来事だった。

 哨戒ヘリが反転を開始し、現場の映像さえも見えなくなる。

 司令室に響くのはマイク越しに届く悲鳴と、ロストが確認された少女の名前だけだった。

「……オールロスト」

 無情な報告が司令部に響く。

 僅か数分で、神条奈々は手持ちの駒を全て失っていた。

 ホムンクルスは更なる侵攻を開始するわけでもなく、高梨市の占領を誇示するように一人、ただ空に浮遊している。

 司令室は沈黙に包まれていた。

「……加奈、生存者の索敵を」

「ESP反応は霧のせいで一切確認出来ません。音声信号なども確認出来ません」

「陸上自衛軍による生存者の捜索は?」

「統幕、および戦略情報局で協議中です。内閣の承認もまだで……期待できません」

 奈々は中継映像を眺めた。

 上空でじっと動かないホムンクルスが映っているだけだ。中隊員の姿はどこにも見当たらない。

 奈々は呆然として、隣の加奈を見た。

 視線に気づいた加奈が、震える声で言う。

「……他の部隊を、第二分隊以降を投入しますか?」

 奈々はゆっくりと首を横に振った。

 あり得ない事だ。

 小隊長格及び桜井優のようなイレギュラーの全員を失ったのだ。

 戦力の逐次投入で解決出来るはずがない。

「……交通規制を広げる必要がある。ホムンクルスは容易にあの霧を拡大する手段を有している。陸上自衛軍に連絡を」

「はい」

「それから、残りの全中隊に出撃準備命令を。もしホムンクルスが高梨市の外へ侵攻を開始すれば、ただちに出撃出来るように準備だけさせなさい」

「はい」

「それから……」

 奈々はそれ以上の言葉を失って黙り込んだ。

 各小隊の頭を失ったのだ。もはや亡霊対策室に出来る事は少ない。

 じっと中継映像を眺める。

 考えなければならなかった。

 ホムンクルスの目的は何だ。

 何故、動かない。何を企んでいる?

 あの霧の中は、一体どうなっている?

「あ」

 不意に一人の解析オペレーターが放心するように呟いた。

 中継映像を確認すると、霧の中から上空に向かって一つの光が打ち上げられたところだった。

「ESPエネルギーです。第一小隊の桜井優のものです」

「優くんの?」

「はい。エネルギー波形は桜井優のものと一致しています」

「これは……恐らく生存信号ね。内部で生きている事を私達に知らせようとしているんだわ」

 奈々は中継映像を見ながら考える。

「この霧は、少なくとも内部に落ちたESP能力者の生存をただちに脅かすものではない。ただし、何らかの効果、例えば機械翼の無力化などで脱出が困難ですぐに出てこれないのかもしれない」

 内部の事情が分からない以上、人員を送り込む事は難しい。

 出来る事は限られている。

「支援物資を投下しましょう。ナノマシンを中心とした医療道具に、飲料水や食料を用意して」

「はい」

 加奈が慌ただしく司令室を出ていく。

 それを見送ってから、奈々は中継映像に視線を戻して小さく呟いた。

「……最近、優くんに頼りっきりでダメね」

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