Raison d'etre   作:月島しいる

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14話 望月麗(6)

 随分と国道を進んだ時、無言で歩いていた麗が口を開いた。

「何か聞こえます」

 立ち止まり、振り返る。

 麗が深い霧の中で空を見上げていた。

 釣られて空を見上げる。霧で何も見えない。

 彼女の言う通り、何か低音が聞こえた。

「これ、ヘリですよ。対策室の哨戒ヘリです」

「ヘリ?」

 言われればローター音のようにも聞こえた。

「……まさか、ここに着陸して僕達の捜索を開始するつもりじゃないよね……」

「……わからないです。どうなんでしょう?」

 優は少し悩んだ挙句、空に向かって右手を向けた。

 そしてESPエネルギーの信号弾を打ち上げる。

「一応、位置情報を送っておこう。神条司令に何か考えがあるのかも」

「そうですね」

 ローター音が大きくなる。

 じっと空を見上げるが、霧の中に機影は確認出来ない。

 相応の高度を維持しているようだった。

「あ」

 麗の声と同時に、視界の隅で何かが動いた。

 続いて破裂音が響く。

「何か落ちましたよ」

 十数メートル離れた車道に黒い物体が落ちていた。

 霧のせいで良く見えないが、かなりの大きさと質量を持った物体だった。

 小銃を構え、警戒しながら落下物の確認に向かう。

「……ドローン?」

 アスファルトに叩きつけられて破損しているのは、軍用のドローンのようだった。

 機体に取り付けられたカメラを覗き込む。

 点灯している表示灯はなく、正常に動いているようには見えなかった。

 これを使って本部とやり取りを行うのは無理だろう、と判断する。

「……この霧に通信を妨害する機能があるみたいだね」

「あ、また何か来ます」

 麗が叫ぶ。

 空を見上げると、ドローシュートが取り付けられたボックスがゆっくりと落ちてくるところだった。

「次はなんだろう」

 恐らく哨戒ヘリが投下したのだろう。

 落下してきたボックスを拾いに向かう。かなり大型のボックスだった。

「ゲームに出て来る宝箱みたいです」

 本部との繋がりが出来て余裕が出たのか、麗がどこか呑気そうに言う。

 優は小さく笑って、ボックスを開いた。

 中には医療用ナノマシンの注射器と飲食料、小銃が入っていた。

「うーん。支援物資かな」

 ボックスを漁り、一つ一つを念入りに確認していく。

「本部からの命令とか指示を示すものはないんですか?」

「メッセージはなさそうだね。食料が結構入ってる。神条司令はこの事態が長期化する可能性も考えてるのかも」

 優はそう言って、小銃を肩にかけるとボックスを両手で抱え上げた。

「一度休憩しよう。麗ちゃん、周囲の警戒をお願い」

「はい」

 支援物資を運びながら歩道に寄って適当に休めそうな場所を探す。

「……コンビニの中、入ろうか」

 近くにあったコンビニ。

 自動扉に近寄ると、センサーが反応してドアが開いた。

 店内は通常通り明かりがついている。

 電気は高梨市外から通常通り届いているらしい。

 補給物資の中にあった予備の小銃を、何となく外の駐車場に置いておく。

 もしも中隊員がこの前を通って落ちている小銃に気づいたら、向こうから中に入ってくるだろう。

「暖房、ついてますね」

 麗が店内に足を踏み入れながら呟く。

「人がいない事を除けば、ごく普通のお店だね」

 優はそう言って、レジカウンターにもたれかかるように座り込んだ。

 その隣に麗が腰を下ろす。

「ご飯、食べる? 色々あるみたいだけど」

 ゴソゴソと補給物資を漁り、食料を取り出す。

 固形食料に缶詰、クッキーのような保存食、レトルト品。

 どれも見慣れないもので、優は興味深くパッケージを眺めた。

 反対に麗は興味なさそうに店の外をガラス越しに眺めていた。

「お菓子みたいなのもあるよ。缶に入ったチョコケーキだって。ちょっと固そうだけど」

 緊張と不安を解こうと麗に声をかけたが、彼女は何も答えなかった。

 沈黙が落ちる。

 優は水の入ったペットボトルに手を伸ばし、少しだけ口に含んだ。

 水を飲み込む音が、妙に大きく聞こえた。

 ペットボトルの蓋を閉め、ふと天井を見上げる。

 換気扇の静かな低音が唸っていた。

 静かだった。

 目を瞑る。

 そこでようやく、疲労が溜まっている事に気づいた。

 どっと眠気に襲われる。

「先輩」

 麗の声。

 薄く目を開く。

 彼女の栗色の瞳が、すぐ目の前にあった。

「先輩は」

 麗の手がゆっくりと上がり、優の頬を撫でた。

「私のこと、どう思っていますか」

 優はぼんやりと麗を見つめた。

 答えを待つように、麗は何も言わない。

「……麗ちゃんが何を考えてるのか分からない」

「なにって、そのままですよ。答えが聞きたいだけです」

 優は少しだけ考える素振りを見せて、それから首を横に振った。

「この状況で話すような事じゃないよ」

「この状況だから、です」

 麗の表情が、崩れた。

 今にも泣きそうな顔を浮かべ、口を開く。

「先輩は、先輩が思ってるよりも遥かに重要な存在なんですよ」

 麗の言葉が理解出来ず、優はじっと彼女を見つめた。

「亡霊は無限に出てきます。少なくとも、たくさんいます。でも、私たちESP能力者はたった千人弱で、しかも特殊戦術中隊に入ってるのは二百人ほどしかいないです」

 彼女が何を言おうとしているのか、優にはわからなかった。

「だから、過去にESP能力者を増やす為の研究がされてきました。でも、結局何も分からなかったんです。妊娠したESP能力者も過去にいましたが、能力が子供に遺伝することはありませんでした」

 でも、と麗は言葉を続けた。

 麗の澄んだ瞳が、真っ直ぐと優を射抜いた。

「父親もESP能力者ならどうでしょうか?」

「それは――」

 優の言葉を遮るように、麗が動いた。

 甘い香りが全身を包む。

 柔らかな感触が、唇に触れた。

 麗のツインテールが、頬を優しく撫でた。

 目を見開く優に、唇を離した麗が宣言する。

「先輩、もう一度言います。私を好きになって下さい」

 

 

 

 望月麗は、母の命と引き換えにこの世に生を受けた。

 彼女は生まれながらにして、命の重みをその魂に刻んでいた。

 出産後、42日以内に妊産婦が死亡する確率は、0.003%と言われている。

 彼女の命は、0.003%の確率の上に成り立っていた。

「命を紡ぐんは、とても難しいことじゃけえ」

 そう言ったのは、祖母だった。

 田舎育ちの祖母は、多くの兄弟に囲まれて育ったという。

 その兄弟は皆、祖母を残して既に死んでしまっていた。

 物心ついた時から、何度もその話を聞いた。

 生まれながらに0,003%の死を見た麗にとって、それは特段珍しい事ではないように思えた。

 麗の死生観は、平均的なそれよりも遥かに悲観的なものとして形成されていった。

 産まれてから一年未満に死ぬ乳児死亡率0.02%。

 40歳までに死ぬ確率2%。

 60歳までに死ぬ確率およそ10%。

 平均寿命までに死ぬ確率63%。

 人の命は、簡単に散ってしまう。

 タンパク質の塊は、いとも容易く崩壊してしまう。

 0.003%の確率が、母を奪った。

 麗は母の死体の上に、その生を積み上げていった。

「麗。母の分まで生きるんじゃ」

 そう言ったのは誰だっただろうか。

 祖父母だったかもしれないし、遠い親戚だったのかもしれない。

 麗の命は、母の命とともにあった。

 それは恐らく、彼女のものではなかった。

 身体も、魂も、自分のものではないように感じていた。

 どこかで引け目のようなものがあった。

 自罰的な意識があった。

 そして海上自衛官だった父の下、厳格な教育を受けて麗は育った。

 父は遠洋に出ると長い期間家に帰らなかった。

 父にも祖父母にも迷惑をかけてはいけない、という思いが生まれた。

 麗の人格は主体性を失って、その欠けた部分を補うように自己犠牲的な責任感が芽生えた。

 それが望月麗という少女を作り上げた。

 そして、亡霊の侵攻が始まった。

 麗より少しだけ年上の少女たちが、戦場に駆り出されていった。

 多くのESP能力者の命が失われただけでなく、亡霊に対して遅滞作戦を実施した数多の自衛官も殉死した。

 父の乗っていた護衛艦も、その例外ではなかった。

 数少ないESP能力者を撤退させるため、父の乗っていた護衛艦は勝ち目のない遅滞作戦を実行した。

 そして遺体すらも残らなかった。

 母だけでなく、父もいなくなった。

 同時期に、祖母もいなくなった。

 平均寿命までに死ぬ確率63%。

 母が0.02%を引いたように、祖母も当然のように63%を引いた。

 望月麗は頼るべき家族を失った。

 彼女にESP能力が発現したのは、そんな時期だった。

 選択肢はなく、亡霊対策室に身を寄せる事になった。

 父の仇もあり、麗は銃を手に取った。

 それが11歳の時だった。

「ここの最年少か。その身体で小銃を構えられるの?」

 入隊当初、当時の小隊長は麗を見て心配そうに笑った。

 麗はその小さい身体に似つかわしくない大きな小銃を構えて、ただその女性を睨んだ。

 他の年上の少女たちに混じって、麗は死にものぐるいで訓練に参加した。

 機械翼や小銃などの標準装備は、11歳の少女には重量過多だった。

 実戦には参加出来ず、基礎訓練に励む毎日だった。

 しかし、そのおかげで麗は死なずに済んだ。

 じっくりと、基礎を固める事が出来た。

「待ってろよ。チビ助。すぐ帰ってくるからさ」

 休暇の日に、よく街に連れ出してくれた人がいた。

 家族のいない麗にとって、姉のように慕っていた人だった。

 その人は、強かった。

 いつまでも実戦に投入されない麗と違って、毎回のように主戦力として投入されていた。

 中隊のエースだった。

 しかし、いつかは終わりが来る。

 終わりの見えない闘争で、ただ一度だけしくじってしまった。

 それだけで、その人は死んでしまった。

 その人だけではない。

 多くの中隊員が死んでいくのを、望月麗は見てきた。

 どれだけ強くても、繰り返される戦闘の中、一度のミスで誰だって死んでしまう。

 出撃が許可されない中、望月麗はずっとその現実を近くで眺めてきた。

 28%。

 入隊したばかりの一年目の中隊員の死亡率。

 11%。

 二年目の中隊員の死亡率。

 望月麗は、出撃を許されないまま二つの確率を超えた。

 彼女は万全の準備を整え、戦場に向かって歩き出した。

 戦いながら、実感する。

 この闘争が終わらない原因は、はっきりしていた。

 数だ。

 数が違いすぎる。

 亡霊の圧倒的な数に対して、中隊は僅か数百人をローテーションで回すだけ。

 この闘争は、危ういバランスの上で成り立っていた。

 そのギリギリのバランスで、終わりの見えない不毛な闘争を続けるしか選択肢がなかった。

 今までは。

 

 桜井優。

 

 その存在が確認された時、何故か両親の事を思い出した。

 自らの命と引き換えに、新たな命を選択した母。

 自ら危険な護衛艦に乗り込み、国を守ろうとした父。

 そして、思った。

 桜井優の存在は、闘争を終わりに導くのではないか、と。

 闘争が未だに終わらないのは、亡霊との戦力差が顕著すぎるからだ。

 もし、男性ESP能力者と女性ESP能力者によって新たなESP能力者が産まれるのだとしたら、その戦力差は爆発的に縮まるだろう。

 恋愛なんてどうでも良い。

 欲しいのは結果だけ。

 誰かが、真っ先に証明をするべきだと思った。

 ならば、私が。

「先輩」

 麗は意を決して、戦闘服の胸元に手をかけた。

「もう一度言います。私を、好きになってください」

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