躊躇なくバリケードの外へ飛び出していく奥村と呼ばれた少女と、第六小隊長の凛に優は呆気に取られた。
クラクションの音が響き渡る中、二人はどんどん前方へ飛び出していく。彼女たちは、優が後ろから付いて来るものと一切疑っていないようだった。
外に広がる亡霊の群れを見渡した後、優は覚悟を決めて駆け出した。
上空から舞い降りてくる亡霊たちに無差別攻撃を繰り返しながら、前方の影を追う。
霧の中、拡散したヘッドライトの光が徐々に大きくなり、車体のシルエットがはっきりと浮かび上がった。
「負傷者は?」
先に車に辿り着いた凛が叫び声をあげる。
「二人います!」
「そのまま車を出せ。援護するッ!」
直後、車が動き出した。
同時に全方向から亡霊が集まってくる。
「奥村、桜井。拠点までの道を死守しろ。遅滞戦闘用意ッ!」
応じている余裕などなかった。
翼を広げて高速で接近してくる亡霊に、何も考えずESPエネルギーの塊を放つ。
吹き飛んでいく亡霊の後ろから新たな亡霊が姿を現し、徐々にその包囲が狭まっていくのがわかった。
「囲まれてます!」
響き渡る戦闘音に負けないように叫び声をあげる。
四方から閃光が走り、轟音が平衡感覚を奪った。
そんな状況下で、白崎凛はどこまでも冷静に戦闘を続けていた。
思わず目が奪われる。
亡霊の群れに怯む様子もなく、自ら最前線を維持する後ろ姿は支配者そのものだった。
「傾注ッ!」
不意に、白崎凛が叫んだ。
「これより我々は内線運動によって敵戦闘力の分離を生じ、接敵面積を拡大させるものとするッ!」
激しい戦闘下において、優は凛の発した言葉の意味を呑み込むことができなかった。
硬直した優に対し、凛が振り返って言う。
「ついてこい!」
途端、凛は反転するように走り出した。
護衛していた車がバリケードに達し、優たちもすぐに拠点に戻ることが可能な状況にも関わらず、凛は亡霊の集団を目指して走っていく。その後ろには迷わず着いていく奥村の姿もあった。
優は拠点側に集まる中隊員たちと、自ら孤立していく白崎凛たちの姿を交互に見比べた後、諦めて凛を追うように走り出した。
凛の言う内線運動の戦略的意義など優には分からなかったが、彼女の迷いのない判断と行動はきっと正しいのだろうと思えた。
先頭を走る凛が次々と亡霊を打ち破りながら叫ぶ。
「数に惑わされるな。全てはESPエネルギーによる力比べに過ぎない」
荒い息を吐きながら、凛の言葉に集中する。
彼女の雄々しい言葉には、戦場の恐怖を忘れさせる効果があった。
「我々三人の持つESPエネルギーは、ここにいる雑魚どものESPエネルギーを遥かに凌駕する」
敵の包囲網を突破するように、凛が道をこじあけていく。
突出した優たちを包囲しなおそうと、亡霊たちの群れが崩れていく。
後方の拠点への圧力が下がっていくのがわかった。
「さあ、このまま――」
声が途絶えた。
声だけではなく、あらゆる音が一瞬にして遠ざかった。
全ての亡霊が、一瞬にして動きを止めた。
目の前で吹き飛んでいく亡霊の頭が、妙にゆっくりに見えた。
「なんだ?」
奥村の低い声。
それに乗じるように、周囲の亡霊たちが一斉に引いていく。
そして、亡霊たちの視線が上空へ向けられた。
「おい、なにか来るぞ」
奥村の警告と同時に、上空から凄まじい圧力が届いた。
直後、周囲を覆っていた霧が割れた。
晴れた空から、巨体が舞い降りてくる。
猿のような頭部に、巨大な両手。細くて虚弱な両足。
不思議と、その表情は笑っているように見えた。
「――ホムンクルスッ!」
凛が叫ぶと同時に先制攻撃を加える。彼女の指先から打ち出された光条がホムンクルスの頭部を撃ち抜いた。
「奥村ァ!」
凛の掛け声に応えるように、奥村が地を蹴った。
彼女の銃剣がESPエネルギーを纏って光り輝き、ホムンクルスの胴体へ突き刺さる。
並の亡霊なら、これで確実に死に絶えるはずだった。
しかし、猿のような巨大な頭部がゆるりと周囲を見渡すように動き、その視線がすぐ近くの奥村へ向けられた。
次の瞬間、ホムンクルスの巨大な手が横薙ぎに振るわれ、奥村の身体が宙を舞った。嫌な音とともに、彼女の身体がアスファルトに叩きつけられる。
優は目の前の事態を、唖然と見つめることしかできなかった。
「桜井!」
叱咤するような凛の声。
「奥村の容態を確認して生きてるようなら一緒に後ろに下がれ。望みがなさそうなら一人で拠点で戻れ」
こいつは、と凛が駆け出す。
「私が相手をする」
閃光が走った。
圧倒的なESPエネルギーの波が、ホムンクルスを食らうように打ち出される。
「早く!」
その声に、優は弾かれたように駆け出した。
壊れた人形のようにアスファルトの上に倒れる奥村は、遠目には死んでいるように見えた。
「奥村さんッ!」
そばまで駆けつけ、しゃがみこんで顔色を確認する。痛みに顔が歪むのが見えた。
「良かった……生きてる……」
安堵と同時に、今すべきことを思い出す。
優はゆっくりと周囲を見渡した。
遠くに亡霊が壁を作るように並んでいた。しかし、そのどれもが戦闘意思を見せず、その場に立っているだけだった。
ゆっくりと息を吐き出す。
優はバックパックから医療用ナノマシンの注射器を取り出し、訓練通りに付属品のアルコールで彼女の腕を拭った。
中隊員には限定的な医療行為が法的に認められている。中でも救急措置については何度も訓練を受けていた。特に医療用ナノマシン投与の有無における生存率の違いについては徹底的な教育を施されていた。
周囲の亡霊を確認しながら、医療用ナノマシンを奥村の身体に投与していく。
その間にも、後方から凛とホムンクルスが衝突する戦闘音が響いていた。
「ぁ……ぅ……っ……」
奥村の口から、低いうめき声が漏れた。
少なくとも呼吸はしている。それだけは確かだった。
空になった注射器を放り捨て、戦闘服の連結ベルトに彼女の身体を繋ぐ。洋上で負傷者を拾い上げる訓練は何度もしたことがあったが、地上で負傷した仲間を運ぶ訓練はしたことがなかった。
頭部を揺らさないように慎重に持ち上げ、ゆっくりと歩き出す。
振り返ると、凛が断続的な攻撃を繰り返しているところだった。ホムンクルスは凛の攻撃に動じる様子もなく、単調な突進を続けていた。
「さ、おり……」
担いだ奥村の口から、知らない人の名前が溢れた。
きっと大事な人の名前なのだろう。
誰にだって家族がいて、大事な友人がいる。
必ず生きて連れ戻さなければならない。
優は拠点に向き直ると、彼女を背負って駆け出した。
周りの亡霊たちは動かない。
まるで役目を終えたように、彫刻のように突っ立っているだけだった。
「桜井さん!」
前方のバリケードから、第三小隊長の詩織が飛び出してくる。
「後ろです!」
振り返る。
すぐそこに、ホムンクルスの姿があった。
自然と足が止まる。
さっきまでこれを相手していたはずの凛の姿がどこにもなかった。
「桜井さん!」
詩織の叫び声。
ホムンクルスの腕が、ゆっくりと優に向けられた。
咄嗟に連結ベルトに手を伸ばし、奥村の身体を切り離す。
次の瞬間、優の身体がホムンクルスの巨大な手に鷲掴みにされた。
奥村の身体がホムンクルスの手をすり抜けて、アスファルトに崩れ落ちていく。
「桜井さん!」
詩織の悲鳴をかき消すように銃声が響いた。標準装備のものではなかった。
第五小隊長、進藤咲だけが持っている狙撃銃のものだろう。
ホムンクルスの右目が大きく弾ける。
しかし、ホムンクルスの手は優を掴んだまま離さない。
ゆっくりと身体が持ち上げられる中、ホムンクルスの肩越しに凛の姿が見えた。彼女はアスファルトに突っ伏して動かなくなっていた。
「優くん!」
第一小隊長、篠原華の声が聞こえた。
振り返ると、バリケードの向こうから複数の影が飛び出してくるのが見えた。
同時に、ホムンクルスの口が大きく開かれる。
優は目の前の巨大な頭部を、じっと見上げることしか出来なかった。
大きな歯が見えた。
人間なんて簡単に食いちぎってしまいそうな大きさだった。
それが、ゆっくりと動く。
まるで喋るように。
音はなかった。
人間のような声帯がないのかもしれない。
代わりに銃声が響く。進藤咲の狙撃銃だった。
今度はホムンクルスの左目が弾け飛ぶ。
しかし、まるで効いていないようだった。
「桜井さん! 今助けますから!」
詩織の声。
同時に、ホムンクルスの口から薄いESPエネルギーの波のようなものが感じられた。
意味はわからなかったが、まるで言葉のようだと思った。
「このッ!」
眼下で詩織が銃剣をホムンクルスの脚部に突き刺すのが見えた。
しかし、ホムンクルスは気にした素振りもなく優に向かって極めて薄いESPエネルギーの波を送り続ける。
不思議と悪意は感じなかった。
優は両目を失ったホムンクルスを見つめると、ただ首を横に振った。
わからない、とそう伝えたつもりだった。
途端、それまで優を掴んでいたホムンクルスの手が緩んだ。
浮遊感。
身体が落下し、アスファルトに衝突する。
「さ、桜井さん!」
詩織が駆け寄ってくる気配。
鈍痛の中、ホムンクルスを見上げる。
その姿が、霧のように溶けていくところだった。
それだけではなかった。
周囲を囲んでいた亡霊たちも、一斉に溶けるように消えていく。
優は立ち上がって、それらをゆっくりと見渡した。
「ど、どうして……?」
詩織も困惑したように周囲を見渡していた。
「優くん! 大丈夫!?」
華がすぐそばまで駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……それより、白崎さんと奥村さんを……」
ホムンクルスに掴まれていたせいか、息をする度に肺が痛んだ。
「あ、えっと、うん!」
すぐに華が凛の元へ駆け寄っていく。
彼女がバックパックから医療品を取り出す中、優は足元の奥村の身体を連結ベルトで繋いで担ぎ直した。
それから空を仰ぐ。
一帯を包んでいた霧が晴れかかっていた。
遠くのビルの窓で、人影が動くのが見えた。
第五小隊長の進藤咲だった。
同行は拒否されたが、少なくとも最低限の援護はしてくれたらしい。
「先輩! 大丈夫ですか!」
霧が晴れていく中、バリケードから次々と人が出てくる。
その中の一人、望月麗は煤だらけの顔で優の身体を支えた。
彼女は背中に担いだ奥村を見て慌てたように言った。
「私、持ちますよ!」
「……ありがとう。でも大丈夫だよ」
思わず苦笑する。
麗の小柄な身体ではきっと支えきれないだろう。
「ほ、本当に大丈夫ですか?」
麗の心配する声が響く中、上空からヘリのローター音が響いた。
優は背中でうめき声をあげる奥村を背負い、ゆっくりと舞い降りてくるヘリに向かって歩き始めた。