ポケモンと生活   作:wisterina

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元となったイラストはこちらです。
https://twitter.com/koike_09/status/962635551483486208

また草ポケモン専用車両のイラストもこちらにあります。
https://twitter.com/koike_09/status/868768634759397377


『ポケモンと過ごす一日』

――八時――

 

 チルットのさえずりが聞こえる。

 

 目が濁ってぼんやりとして上澄みのようなものが目にかかって薄いカーテンみたい。耳からポケモンの鳴き声が聞こえてすっきりする。

 私の地元は窓からもっといろんなポケモンの声が聞こえてきたけど、大学に入ってこの部屋に越してきてからはあんまり聞こえない。静かと言えば聞こえはいいかもしれないけど、実家ではポケモンの鳴き声を目覚まし代わりだった私には静かすぎてお寝坊しそう。

 布団をのけて上澄みがかかった瞼をこすると、ひんやり冷たい肉球が布団を通して太ももに当たる。布団の上で口を大きく開けてあくびをするのは私のもう一人の同居人。ううん同居ポケかな?

 

「おはようグレイシア」

 

 グレイシアはおはようのあいさつの代わりに私の手にコロコロと顔をこすりつけてくる。私はお返しに青い寒色の雪の結晶のような耳を二回ほどなぞるように撫でてお返し。柔らかい毛の一本一本はきめ細かくて普通は一緒にいたら暑いと思うけどこの子は氷タイプだから逆。どこを触っても冷たい私の同居ポケモン、おかげで五月に入ってから急に暑くなったこの季節でも扇風機もなく夜を過ごせる。

 

 朝の特有のぼんやりとした目がさえてくる。

 

 こもっている空気を入れ替えるために窓を開けて、ベッドの手元にある時計を持ってのぞいてみると、もう八時。いつもは七時頃に起きるようにしているけど、やっぱり目覚まし時計を使わないと人間寝だめしてしまう生き物なのかな。ポケモンはいつものように起きているのに――いやそうでもないかも。だってグレイシアはいつも私と同じ時間に起きるからポケモンも寝だめするんでしょうね。

 

 「チルット」という鳴き声がさっきより大きく聞こえてきた。

 見ると、窓の縁にチルットが一匹どうしたのと首をかしげて私の部屋を訪問していた。チルットは綿のような羽をバタバタと羽ばたかせるだけでいたずらしようとする気配はない。グレイシアも警戒することなく歯が全部見えるほどの大きなあくびをして、おまぬけな顔になる。

 ぴょんとベッドの上に降りると、私の枕元に置いてあるヒメグマのぬいぐるみをパタパタとはたきのようにぬいぐるみを掃除し始めた。そういえば最近このヒメグマちゃんを枕元に置いたままにしてあんまりお手入れしていなかった。ついでと言わんばかりにチルットはベッドの縁も掃除してくれた。

 

 きれい好きなポケモンだと知っていたけど野生のポケモンが私の部屋を――勝手に侵入してきたのは感心しないけど。とってもいいポケモン。

 手元の目覚ましを見るともう長い針が一の所を過ぎてしまっている。大変! 今日グレイシアとお買い物に行く予定だった。早く着替えを済ませないと。ベッドから飛び降りてグレイシアと一緒に洗面台の方へと移動する。

 

 

――八時半――

 

 今日のメイクはナチュラルでいいかな。出かけるといっても、本気メイクでデートをするというわけじゃないんだし。まあ彼氏とかいなんだけどねと自分で言って肩を落とす。起きたばかりでまのぬけた顔とずり落ちたブラの紐が鏡に映って余計にまぬけに見える。

 ファンデーションを軽く頬に塗りながら自分の顔を見るとやっぱり童顔だなと思う。大学の友達と比べても目は大きくて顔が丸く子供みたい。おまけに身長もそんなに高くなくて体も貧相だからメイクをしても中学生ですか? とよくコンビニの店員に年齢を間違えられる。

 

 サークルの男子に可愛いねと言われるけど、私としてはきれいだねの方が嬉しい。だってもう十八で大人と言っても差し支えない歳なのに子供みたいで可愛いねは失礼。

 そういえば童顔の人はショートが似合いそうと雑誌に書いてあった。やっぱり髪を伸ばしてロングにしようかな? でもロングだと髪が邪魔に感じるしなんだか不格好に見えてしまうから好きじゃない。だからどっちでもないセミショートにしちゃうのかな。あーあ、私大人のお姉さんになりたかったなぁ。

 眉を整えながら今日の髪のことを考えていると、くいくいっとグレイシアがロングスカートを引っ張てくる。これは早く私も梳いてよと催促しているサインだ。

 

「もうちょっと待ってねグレイシア。あとちょっとだけ」

 

 眉の形がはみ出ていないか手鏡でよく確認して、服もちゃんと直して、あとは髪をどうするかだけど…………よし、と髪を束ねて棚の化粧箱に入れてある一本のリボンを取り出すとそれを髪に結ぶ。今日はポニーテールでいこう、これで少しは大人に見られるかな?

 グレイシア用のブラシを手に取って毛づくろいをする。グレイシアは私のお化粧をイーブイの時から見てきておしゃれに興味を持っていた。イーブイの時は茶色のふわふわとした尻尾や胸の毛を維持するかに苦心したけど、グレイシアになってからは体格だけでなく毛並みがサラサラになってブラシを変えた。

 はぁ~ポケモンなら、進化さえすれば見た目が大きく変わって印象がすぐ変わるのになぁ。私はいつまでも童顔、グレイシアもイーブイの時と比べて可愛いから凛々しいに変わったというのに。

 

「さて、できたわグレイシア」

 

 巻き毛や逆毛がないように丁寧にブラッシングしたグレイシアの毛は、見た目は氷の表面のようにつるんとしている。

 するとグレイシアは小さく鳴き声を出して左の前足を私のリボンの所に向けた。まるで私とおそろいにしたいといっているかのよう。

 

 やっぱりおしゃれさん。

 

 お出かけのために持っていくバッグの中から以前グレイシア用に買った小さめのリボンを取り出して耳につける。つける部分がゴムだから痛くもないし簡単に外れはしない。

 もう八時半。はやく朝食の準備をしなくちゃ。

 

――九時――

 

 チンッとオーブントースターがパンが焼きあがったのを知らせくれた。トースターを開けてみるとちょうどよく焦げ目がついた食パンが顔を出し、焼きたてパンのような香ばしい小麦の香りをふんわりと私とグレイシアを包み込む。

 それを先に焼いていた目玉焼きとソーセージと一緒に食パンを皿の上に乗せる。

 

 やっぱり朝食は食パンよね。できたらベンチか傘のついたテーブルの下でゆっくりと味わいたいけど、毎朝外食できるほど余裕はない。けど一人暮らしするならせめてと朝食は毎日こんな感じ。憧れと現実はこんなもの。

 グレイシアにも一枚置く。ポケモンにはポケモンフーズという食べ物があるけど、なんだかペレットみたいで食べさせるのはあんまり好きじゃない。ポケモンフーズの方が栄養価が高くても、人間の食べ物を食べてもポケモンに影響はないのだからそっちのほうが良い。だって私のご飯が朝昼晩と栄養満点の茶色い固形バーだなんて絶対いや。それだったら太るけど色とりどりのハンバーガーがいい。ポケモンだってそう思うはず。

 

 いただきますと私が言うとそれまで待っていたグレイシアが、器用に前足を使ってもしゃもしゃとパンの耳をかじる。私はそれをナナシの実のマーマレードを塗りながら眺めてパクリ。うん、ナナシの実の酸っぱさと甘さにパンの素朴な美味しさが加わって食欲が進む。

 フォークをソーセージに差すと、またチンッとトースターが鳴って席を立ち上がると、食パンを取り出してそれを未だに窓辺に居座っているチルットたちの所に持ってくる。

 

「チルットたちおいで、お礼の焼きたてのパンよ」

「チルット!」

 

 嬉しそうに二匹のチルットがパンをついばみ始める。右に左に顔を前に出して二本のアホ毛が規則正しく動く姿はポッポ時計みたい。けど違うのは生きているのと、落ちたパンくずをきれいに掃除すること。

 便利で可愛いチルットいっそ住まわせるというのもありかもしれないけど、ポケモン一匹だけ住むのにもお金がかかるから難しい。

 そう思うとポケモンブリーダーやポケモントレーナーとかポケモンに携わる人たちってすごく大変なことなのよね。お金もかかるし何より掃除とかの手間もあるから。だから私にはグレイシアだけで手がいっぱい。

 ようようと手元を見てみるとすっかりパンはなくなっていた。もっともっととさっきの鳴き声よりも少し高い声で甘えてくる。

 

「ごめんね。もうすぐ行かないといけないからもうおしまい。また来てもいいのよ、その時は部屋を掃除してもらいたいなぁなんて」

 

――十時――

 

 改札を抜けて階下のホームから発車予告のベルが鳴り始める。早く電車に乗らないとと謎の焦燥感に襲われる。どうせ次の電車はすぐ来るのに、どうして急がなきゃと体が反応してしまうのだろう。目の前で扉が閉まってしまったらその方が恥ずかしいのに、けどやっぱり体に従うしかない。

 足を速めると、もうグレイシアが私を追い抜いてホームに降り立っていた。今日はヒールのあるパンプスを穿いているから走りにくいのもあるけど、やっぱりポケモンの方が足が速い。人間だとどうしても遅れてしまう。ヤドンとかナマケロとかなら余裕で追い越せるのに――って全く動かないポケモンと比べてどうするのよ私。

 

 ようやく息を切らしながら一緒に電車に乗り込み、電車のドアが閉じられる。

 

 大きく息を吸って呼吸を整えると、爽やかな緑の香りが鼻に入ってくる。あぁそっかここ草ポケモン専用車両か。道理で涼しいと思った。

 草のリールを模した吊革に手すりに絡まれたツタにゴザの網棚。そしてこれ見よがしに草ポケモンたちが人の隣に座っているからますます緑が増える。メェークルなんて通路で居眠りしてしまうほどに。けどその中にウソハチがいるのはちょっと変で喉の奥で笑ってしまう。だってウソハチは見た目は植木鉢のようだけど実際は岩タイプのポケモンだもの。

 中吊り広告には一面に『夏の草ポケモン大作戦!!』と題したのが、いつも吊り下げられているミルタンクのモーモーミルク広告などの存在感を木々の中に埋もれさせている。

 

 この路線の私鉄が省エネ対策としてクーラーでなく草ポケモンで夏を涼しくしようという試みで去年から設置された草ポケモン専用車両。

 私からすれば、氷ポケモン専用車両の方がありがたいと思う。そうすればきっと今よりもっと涼しいはず。

 こだわりなのだろうか? それとも社長が草ポケモン大好きなんだろうか? と陰謀論に似た考えが思い浮んでしまう。でも、氷ポケモン専用車両のほうが良い。グレイシアも喜ぶし、キンキンに冷えた手すりとか離したくないかも。どんどん私の氷ポケモン専用車両を頭の中で作り上げていく、床も壁も一面鏡のようにピカピカの氷で手すりも網棚も氷でできている車両。そしてドアが開いて氷のお姫様が優雅に乗車する。

 あっ、でも通路が氷になるのは嫌かも。それだと電車の中がジョウト地方にあるこおりの洞窟みたいになっちゃうから滑って転びそう。それに私スケートができないから滑って下車できないや。

 

「クンクン」

 

 グレイシアが鼻を鳴らしている。その目線はロングシートに座っているリーフィアに向けられていた。てちてちとリーフィアに近づくと相手も気づいてお互いの小さな鼻を押し付ける。かわいらしいなあ。

 

「だめよリーフィア。凍らされちゃうよ」

「フィーイ」

 

 リーフィアの飼い主であるツインテールの女の子が手でグレイシアを払いのけて、リーフィアから引き離す。

 リーフィアはそんなことないよと言いたげだったけど仕方ないかも。草タイプは氷タイプには弱い。飼い主ならそれは常識。それも見ず知らずのポケモンが近づいてきたら警戒するのは当然。

 けど体の冷たさと心の冷たさは一致しない。だってグレイシアはそんな子じゃないのを私は知っているから。我ながらいい言葉だ。

 

『まもなく○○シティ。○○シティでございます』

 

 車掌が次の駅に到着するのをアナウンスする。次の駅が今日の用事がある場所だ。

 グレイシアを呼び寄せると、グレイシアは頭を下げてとぼとぼと戻ってきた。

 

――十一時――

 

 駅に隣接しているブティック店に入ると、涼しい風が出迎えてくれた。やっぱり暑いからかクーラーが利いていて涼しい、おまけにクーラーの風が店に漂っている香水の香りも運んできた。爽やかでおばさんがつけるようなキツさはない花の香り、目をつむれば花壇にいるみたい。

 帽子を被った二体のマネキンの前を通ったあと、さっそく気になる服が目についた。一つはシュリンクピンクのポロシャツ。もう一着はローズグレーのTシャツとロングスカートのセット。

 

 店員のキルリアが、私が目をつけていた二着をねんりきでハンガーから引き抜いて私に差し出す。

 う~ん。ポロシャツはセール品で安くなっているけど、こっちのセットもいい色合い。けどセール品じゃないから結構なお値段ね。

 スカート丈が合っているか目を下ろすと、グレイシアの後ろ脚としっぽが見えた。私とは反対の方向で立っていてそっちを見ると、グレイシアは服を入れている棚の上に置かれているお店の飾りであるリーフィアのぬいぐるみに目を向けていた。

 じっと他の飾りには興味なく、ただリーフィアのぬいぐるみを食い入るように見ている。

 

 グレイシアはリーフィアの方が好きだったのかな。

 グレイシアの進化前のイーブイは八つの進化先を持つという珍しいポケモン。けど一度進化したら戻れない。

 電車の中で真っ先にリーフィアに近づいたのは進化前が同じだけじゃなくて、本当は自分はああなりたかったという憧れがあったのかも。グレイシアをグレイシアにさせたのは私だ。冬の時に進化したときは、私は喜んでいたけど本心では別の進化を望んでいたのかしら。

 けどグレイシアは何も言わず、ダイヤ状のリボンの紐のようなしっぽを静かに左右に振っているだけだった。

 

 私は店員さんを呼んだ。

 

――十二時半――

 

 買い物を済ませて、ハンバーガーショップでドリンクとバーガーを二個買って空いているベンチに座る。お店の近くにパラソルつきテーブルあって理想の昼食といきたかったけどあいにくの満席だったからこっちにした。

 けどロケーションは最高。木の葉っぱが春の日差しによる小さなスポットライトをベンチに振りかけている。ベンチは背中と座る部分にだけ鉄の板がついているやつじゃなくて、温かみのある木製の背中が歪曲したおしゃれなベンチ。ちょっと違うけど憧れの場所でのランチタイムだ。

 グレイシア用のハンバーガーの包装をむいてあげてそれを渡すと、グレイシアは器用に二本の前足でつかんでガブリ。「キュルル」とおいしいと喜んでいるけど、ハンバーガーのケチャップが顔についている。

 

「ケチャップがついているよ。ほら、じっとしてて」

 

 買った時についていた紙ナプキンでグレイシアの口周りを拭いてあげる。そういえば、イーブイだった時もこんなことしていたな、実家の家に生えていたブリーの実をイーブイが食べて、口の周りが真っ黒に染まって大変だった。

 

 さっきのお店で買ったものは結構無理したけど、グレイシアが喜んでいてよかった。

 けど私は喜んでいない。むしろ悪いことをしたなと思う。

 グレイシアが本当に望んでいた進化をさせなかったことに。

 

 

 

 目をつむるとまぶたの奥で全く異なる景色が広がる。

 

 一面真っ白雪景色。その上に小さなまぁるい足跡と細長い足跡が円を描いている。

 私の実家は、冬になった朝はいつも空から新しい雪がもたらしてきて地面を真っ白にする。その雪のカンバスを一番に汚したくて、私はイーブイを連れて飛び出した。

 白くて平坦なカンバスを、私とイーブイだった時のグレイシアがボコボコにして面白おかしく遊んでいる。私が『だいもんじ』と言って大の字になって倒れると、イーブイはコロンと体を丸めて『まるくなる』をする。すると、坂道だったのかイーブイはコロコロと転がっちゃってあっという間に『アイスボール』の雪玉になっちゃった。

 私はそれがもっとおかしくて、ついつい雪玉になったイーブイを転がしてもっともっと押す。すると、パカンと雪玉が二つに割れた。その中にはグレイシアに進化したイーブイがいた。グレイシアは何がどうなったのとグルグルと自分の尻尾を追いかけ、左右に自分の体を見回していた。

 その時の私ときたら、ピョンピョンとオオタチのように跳びはねて喜んでいた。

 イーブイが進化した。

 雪の中からグレイシアが生まれた。

 おとぎ話のような進化の仕方で嬉しかった。けど今思えば、あの時私が雪玉を転がさずにいたら、グレイシアはリーフィアになれたんじゃないかな。

 

 まぶたを開けて頭の中の時空の世界から現代へと戻ってくる。まぶたの裏は私だけのタイムマシン。

 すると、私の足の間に緑と薄緑の縞々の細長いものがあった。オオタチだ。それは私のタイムマシンからくっついてきたみたいだった。オオタチはスンスンとグレイシアのハンバーガーを匂っていた。もちろんグレイシアは口をイーッと歯をむき出しにして、威嚇している。

 

「ほらオオタチ私のハンバーガー半分あげるから」

「オタチ!」

 

 ハンバーガーの上下のバンズに力を入れて半分に分ける。パンと肉と細かな野菜の断面がまるでさっきのハンバーガーショップに飾られていた写真とそのまんまでおいしそう。少し小さい方をオオタチに渡す。だってお腹空いているから大きいほうを食べたいもの。

 

 するとオオタチは、前の二本の脚でしっかりとハンバーガーをつかんで、そそくさと後ろの草むらにへと入っていく。どこへ行くんだろうと体をベンチの背中に向けると、草むらの中にはさっきのオオタチと二匹のオタチがいた。オオタチは半分に割ったハンバーガーをさらに二つに分けて、全部オタチたちに分け与えた。

 お母さんなのかわからない。けどそんな光景を見て、なんだか自分が小さく見えて嫌になる。残った大きい方のハンバーガーにかぶりつく。悔しい、けどおいしい。

 

――十四時――

 

 今日の夕飯の食材を買いに地下のスーパーに降りてきた。

 グレイシアはちょこんとエスカレーターの段差をお利口さんに座っているけど、早くしないと危ないから声をかける。

 

「グレイシア、座ってたら尻尾がなくなっちゃうよ」

 

 そんな言葉が効いたのか、すくっとグレイシアは立ち上がり、無事にエスカレーターから降りた。

 

 地下の飲食街は盛況だ。色とりどりケーキを売っているお店ではエプロンを着た店員さんが注文を受けてガラス棚の中から八号のチーゴのショートケーキを取り出してお客さんに渡す光景や、通路でカイリキーが四本の腕を使って試食を勧めている。

 私は飲食街に併設されているスーパーマーケットに入り、籠を一つ腕に掛けて今日の夕飯探しだ。けど何も決めていない。とりあえず、よさそうな総菜とか見つけたらそれでいいかとぶらぶら商品と商品が積み上げられた棚の間を歩いていくと、通路のどん詰まりから流れ込む生鮮食品コーナーの冷蔵庫からゴウンゴウンと音を鳴らして冷気が流れてくる。

 グレイシアは冷気に誘われるがままにに向かって一直線に走り出した。

 

「グレイシア、走ったら他の人にぶつかるよ」

 

 だけどグレイシアはまったく止まるそぶりはなく、冷蔵庫に前足をひっかけて一心に人工的につくられた冷たい空気を浴びて涼しむ。

 ようやく追いついた私がグレイシアを抱き上げて、メッと叱る。すると、ここに来るときに乗った電車の広告にあったモーモーミルクが目に入った。よし、今日はこれであれを作ろう。私は広告の戦略にまんまと乗せられて、一瓶籠に入れる。

 

「ブスタ!」

 

 足元にブースターが黒い二つの瞳で見つめて、グレイシアにむかって鳴き声を上げる。すると、グレイシアが私の腕からすり抜けてお互いの鼻をこつんと突き合わせる。冬を思わせる寒色のリボンの紐のような尻尾と炎を思わせる暖色の毛で覆われたもふもふ尻尾が同時に同じ動きで左右に振る。可愛いと思って思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「ブースターだめだよ。グレイシアが溶けちゃう。ごめんなさい、あたしが目を離したすきにブースターが逃げちゃって……」

 

 ショートカットのたぶん小学校高学年ぐらいの女の子がブースターに駆け寄ってグレイシアから引き離そうとする。けど、ブースターが重たいのか上半身ぐらいしか持ち上げられず、ブースターの頭の上に女の子の頭が乗る形になった。

 

「大丈夫よ。このブースターあなたのポケモンなの?」

「はい。この子最近ブースターになったばかりで、他のイーブイから進化したポケモンを見るとすぐに駆け寄っていくんです」

 

 まるでグレイシアとおんなじだ。もしかしたらブースターも本当になりたいポケモンがあったのかもしれない。

 

「他のポケモンに進化したかったのかな」

「う~ん。たぶん違うと思います。ブースターが進化したとき本人がすっごくうれしかったことを覚えてます。けど、あれはあこがれだと思うんです。もしも自分が進化したらあんな風になったのかなっていう感じで追っかけるんだと」

 

 憧れ。自分が持っていないものに羨望を向けること。人間なら誰でも持っている感情。ブースターも、ううん。ポケモンだってそうだ。泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、怒ったり戸惑ったり。

 目の前の女の子の身長は、まだ百四十ぐらいと私と十センチしか変わらないけどなんか、私よりお姉さんな感じ。見た目じゃない、心が。

 自分のポケモンのことをちゃんとわかっている。

 

「自分のポケモンをよく見ているのね。すごい」

「いえお姉さんもすごいですよ。苦手な炎タイプに物おじしないですし、グレイシアが良くポケモンを知っていることですよ。それにグレイシアは深い雪の中でしか進化しないですから、すごく腕のいいトレーナーだという証明ですよ」

 

 お姉さんて言われただけでもうれしいのに、ここまで褒められると、なんだか顔が赤くなってしまいそう。

 私はトレーナーでもない、ただの持ち主。ただ雪玉を転がして進化させてしまっただけ。けど本当のことを言える勇気は、この女の子の憧れの羨望の目からでは言えなかった。

 そんなことをしている間に、グレイシアとブースターがお互いの顔をこすり合わあせてすっかり仲良しになっていた。

 

「ごめんね私のグレイシアと相手させちゃって」

「いえ、こちらこそありがとうございましたお姉さん」

 

 名も知らない女の子は丁寧に、ぺこりとお辞儀をしてブースターを連れていく。

 やっぱり私はお姉さんなんだ。ちょっと自信がついた。

 

――十八時――

 

 家に帰ったときにはもう六時。そろそろ夕食をつくらないと。今日は買ってきたモーモーミルクを使ってシチューだ。

 

 厚底の鍋の底に油をしいて、一緒に買ってきたお肉を入れるとじゅうじゅうと音を立てて焼き始める。実家ではほとんど料理をしたことがなかったけど、一人暮らしを始めてからは自分で料理することが多くなった。

 食べるのは好きだけど、料理をするのって結構大変。毎日同じものじゃ飽きるから献立を毎日考えないといけないし、それに借りているアパートのコンロはIHじゃないからコンロの火でキッチンが暑くて大変。五月でこれなのに、夏場はもっと大変かも。

 そろそろかな。肉をひっくり返してみるといいきつね色。

 すると、足元がひんやりと冷たくなって思わず私が跳びはねてしまった。見るとグレイシアが私の脚に寄り添っていた。

 

「グレイシア、油が跳ねると危ないから離れてなさい」

「キュン」

 

 注意してもグレイシアは離れようとはしなかった。

「グレイシアったら、私が暑いから自分の体温で冷やそうって言うの?」

 

 グレイシアはこくんとうなずいた。健気な子。

 

 シチューが完成すると、グレイシアが頭に底の深い木皿と木のスプーンを乗せてテーブルに運び、その後ろで私がシチューの入った鍋をもって追いかける。

 テーブルの上に食器類を置いて、木皿の中にシチューを入れる。トプトプと乳白色のクリームの海と赤やホワイトクリーム色に染まった野菜の島ができ上がる。そして手を合わせていただきますを言う。

 

「いただきます」

「キュゥン」

 

 たぶんグレイシアもいただきますって言ったのね。

 

――二十時――

 

 ゆっくりと裸のまま、手で湯船を掻きまわしてお風呂の温度を均等にする。今日はグレイシアも入るからぬるめのお湯にしないといけない。グレイシアとお風呂に入るのは結構手間がかかる。けどポケモンと一緒にお風呂に入るのは楽しい。

 

「グレイシアちょうどいい温度よ入ってらっしゃい」

「フィ!」

 

 呼びかけに応じてグレイシアが浴室に入って、ザブンッ。すぐにグレイシアの顔が火照ってきた。

 続けて私も髪を括ってお風呂に静かに入る。

 グレイシアは湯船にぷかぷか浮かぶコアルヒーのおもちゃを前足で押さえてお湯の中に沈める。それを離すと今度はぷかぁっと口からお湯を吐いて浮上するのを喜んでいた。

 

「ねえグレイシア、本当はリーフィアになりたかった?」

 

 グレイシアはいきなりどうしたのと言いたげに首を傾ける。

 

「私が雪玉を転がしてしまって、グレイシアになったこと恨んでいる?」

 

 グレイシアは、「フィフィ」と言って左右に振って否定する。ポケモンは言葉でお互いを理解できないけどこうやって意思疎通できる。

 

「じゃあ、今日リーフィアに夢中だったのは憧れ?」

 

 けれどグレイシアは「憧れ」という言葉がわからないようでまた首を傾げた。

 

「う~んとね。自分もリーフィアみたいなポケモンになりたいっていう意味で、自分が持っていないものが好きということかな」

 

 そう説明すると、グレイシアはわかった! と言いたげな顔になった。

 

「そっか。じゃあグレイシアは、グレイシアになったことを後悔していないんだね」

 

 グレイシアは大きく首をこくんとうなずくと、勢いあまって湯船の中に顔を沈めてしまった。それを見て思わず笑ってしまい笑い声が反響して返ってくる。

 けど安心した。グレイシアはグレイシアが嫌いじゃなかったんだ。今日を思い返せば、確かにそうだといえる。私だって本当に自分が嫌いだったら外に出たくないもの。好きだからこそ表に出て自分が持っていないものを探していくんだもの。

 

 ふと湯船の上に映る自分の顔を見て、スーパーで出会ったあの女の子のことを思い起こす。

 お姉さんか。こんな童顔で中学生みたいな私が初めてお姉さんって呼ばれた。なんだか顔が熱くなって、私も湯船の中に顔を沈ませる。

 

 湯船から出て、グレイシアの体をふき終えて自分の髪をドライヤーで乾かしていると、私の携帯が鳴る。見るとお母さんからのメールだ。

 

『学校どう? 一人暮らしうまくやれている?』

 

 デコも顔文字もないまったく飾り気もないとても短いメールだ。

 

『上手くやっているよ。今日の晩御飯はシチューだった』

 

 髪を早く乾かしたいので、早々に装飾もない返信メールを打って髪を乾かす作業に戻る。

 するとすぐにメールが返ってきた。まったく空気が読めないなぁ。

 

『よかった。グレイシアはいい子にしている? いたずらとかしてない?』

 

 もちろんだとも。グレイシアはそんな子じゃない。体の冷たさと心の冷たさは一致しないもの。

 けどこの言葉は私だけのグレイシアへの言葉。だからこう返信した。

 

『とってもいい子にしているよ』

 

 ドライヤーの口から出る熱い息吹が私の髪をサラサラにさせる。

 

――二十二時――

 

 今日一日頑張ってくれたリボンを化粧箱に入れてお別れして、ベッドに入る。

 グレイシアはブティックで無理して買ったリーフィアのぬいぐるみを抱えたまま眠っている。

 

 ゴールデンウィークも終わって、明日からまた大学が始まるから七時に起きるようにしよう。

 朝起きたらまたチルットたちが来てくれるかな? 

 

 何でもないお休みの日だったけど、ちょっとお姉さんになれたかな。ううんお姉さんになろう。私を好きになろう。あのブースターの女の子に現実の私をどこから見ても素敵な大人のお姉さんになろう。

 

 グレイシアは今の自分が好きなんだ。だから、私も自分を好きになろう。

 童顔で、背も高くなく、胸も大きくないけど、大人のお姉さんになろう。

 

 もう体も顔も変えられない、私はもう進化してしまっている。私でない他の人に憧れることはあっても、私を好きになろう。

 

 そうだ。早く起きれたらグレイシアと一緒にお散歩にでも行ってみよう。朝は日差しが弱いからグレイシアが過ごしやすいかも。

 大学から帰ったらなにしようかなと考えてたら、すぅーっと体が落ちて消えていくような感覚が頭の中に巡ってくる。そして頭が枕に沈み込む。まるでスリープに催眠術をかけられたみたい。

 

 

 

 そうしていつもの夜を過ごして朝を迎える。

 こうして私とポケモンとの一日は過ぎる。

 

 

 おやすみグレイシア。

 おやすみ私。

 

 

 お母さん、私はとある町の、とあるアパートの、とある一室にて冷たくてあったかい大好きなポケモンと一緒に過ごしています。

 

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