ヤミカラスたちが木の上からぼくの頭をじっと見ている。その視線を感じながらもぼくはヤミカラスたちに見向きもせずぼうしを深くかぶる。
「おおさむいさむい。もうすぐふゆだねぇ」
ふんわりとほほにくっついてくる風は、そんなに寒くない。けどヤミカラスたちに興味ないということを示すためにわざと声を出して、風をよけるように前かがみになって早足で公園のそばを通り抜ける。
背後からヤミカラスたちの鳴き声が聞えてくる。なにをしゃべっているのかわからない。なにかをたくらんでいるかもしれない。もしかしたらぼくの声をうのみにして「そうかな。でもそろそろふゆのじゅんびをしないと」なんて考えているかもしれない。だとしたらそれはとてもラッキーだ、僕の言葉にまんまと騙されたのだ。もちろんこのラッキーは幸運の意味で、ポケモンのことじゃない。
ポケットから家のカギを取り出していそいそと家のドアを開け、カギをかけるとぼくははぁ~っとお腹にたまった重たい空気を吐いた。
「ただいま」
ぼくが家の中に向かって帰ってきたことを告げるけどだれも返事を返してこなかった。ぼくはぶるぶると体が震えた。
冷たいフローリングのろう下から、リビングに入るとぼくはまっさきに黄色の幼稚園バッグを捨てて、ソファーの前にある赤いモフモフに飛びついた。赤いモフモフはほっかほっかでぼくの冷えた体をすっかり温めた。今度は頭もと顔を赤いモフモフに埋めると、赤いモフモフの頭がぼくにお帰りの声をかけた。
「ウォン」
「ただいまウインディ。きょうおかあさんおでかけなの?」
ぼくがたずねると、ウインディは隠していた足をにょきと出して立ち上がり、とてとてとぼくを置いて歩き出す。そしてテーブルの上に置いてあった紙切れを口にくわえてぼくに渡した。
「きょうおかあさんは、かいものにでかけていておそくなります。いいこにしてたらきょうのばんごはんのデザートはケーキにしますね」
ぼくがただいまって言っても返ってこなかった理由がわかると、ウインディにお座りさせて今度はウィンディの方を待たせた。ぼくがキッチンからお父さんがおみやげに買ってきてくれたフエンせんべいを四枚ほど持ってくる。
「はいウインディ。ぼくのおやつ、わけてあげる」
「ワン!」
ウインディが低く吠えると、さっきと同じようにあごをクッションの上に置いて横になると、開いたその口にせんべいをひとつ投げ入れる。
ポケモンにはポケモンフーズという茶色くて丸く見るからに美味しくなさそうなものがある。それも朝も夜もウインディは食べている。お母さんは人間の食べ物を食べさせるのはダメだというけど、それだけ食べているのはかわいそう。だから、たまに自分のおやつをこっそり食べさせている。
ボリボリボリとウインディがぼくの小さな歯よりも立派なもので丸いせんべいを粉々に粉砕すると、ぼくも負けじとせんべいをボリボリと砕く。ぼくの歯はまだ小さいからウインディの半分しか噛めなかった。
ウインディがすっかりフエンせんべいを食べたのを見ると、ぼくはウインディの垂れた耳を上げてひそひそと話した。
「ぼくがおやつたべたことはないしょだからね。ウインディもきょうはん、なんだから」
「ゥウン?」
共犯という意味を理解できないようで首を左にかしげるウインディ。でもわからないならそれでいいや。残りのせんべいをすっかり口に投げ込んで、ボリボリとかみくだく。
晩御飯までまだ数時間ある。それまで我慢できずにこっそりとおやつのせんべいを食べてしまった。ぼくはちょっと悪い子だ。
せんべいを食べきると、ごろんとウインディの腰のあたりを枕にして寝転がる。ふんわりとした毛並みは奥にあるソファーより柔らかい。毛の間から入ってくるウインディの匂いなんてガーディのころから嗅いでいるかへっちゃらだ。ソファーよりウインディのほうがあったかくて、おまけに話し相手になれるからぼくはこっちで寝てしまう。
「ウインディ、きょうね。ぼくあのヤミカラスたちのまえをつっきったんだよ。すごいでしょ。ヤミカラスってひかるものがすきだから、あんぜんピンとかきんぞくのものをかくしてたんだよ」
ぼくが胸を張ってそう言うと、ウィンディの顔が近づいてまん丸二つの黒目がぼくを映している。ウインディの目はとてもやさしく、「そうなんだ。よかったね」と言いたげだ。言葉はわからなくても僕にはわかる。
「そうだよ、前みたいにウインディがおくりむかえしてくれなくてもへいきだよ」
いつもはウインディがぼくを幼稚園から送り迎えしてくれていた。ガーディのころからぼくを送り迎えしてくれた。あのヤミカラスたちをガーディのころから僕を守ってくれていた。
けど僕はもう年長組で、来年から小学生だ。もう一人で帰れるようにしないといけない時期、だから今日はひとりであの公園の前を通ったのだ。
「ぼくはもうねんちょうさんだから、ひとりでかえれるもんね」
真っ白なモフモフの尻尾がぐるんと体をぼくを包むように巻いてきた。炎タイプのポケモンだから体だけでなく尻尾の先まで温かい。まるで優しい火に抱かれているみたいだ。
家に帰ってきたときに冷えていた体が、だいぶあったまってきて、まぶたも頭も重たくなりウィンディおなかのあたりに頭が落ちていく。
「だいじょうぶ……だよ。ぼくは、しんかするんだから」
ぼくはちょっぴり嘘をついた。ほんとは怖かった。怖くて怖くて引き返そうとした。けど、ウインディが進化したようにぼくも進化したかった。進化したくてヤミカラスたちのいる公園の前を通った。けど家に帰った時、その怖さが一気におそってきて体が凍え縮みかけた。
ぼくはまだまだ進化できそうにない、まだウインディといっしょにいる必要がある。凍えて寒いぼくの体を温めてくれるウインディがいないとまだ僕は進化できないや。
うつらうつらとまぶたが落ちてきて視界が暗くなってくると、リビングのドアが開く音が聞えた。
「ただいま。あらあら、気持ちよさそうに寝てて。まるで親子ね」
お母さんの声だった。ああ、しまったまだフエンせんべい食べかけだった。早く食べておけばよかったと後悔しながらも、ぼくは眠りに入っていった。
ぼくは夢を見た。ぼくがガーディになって、帰りに通るヤミカラスたちがいる公園の中にいた。人間は誰もない。シーソーがひとりさみしくギィギィ音を立てて右にも左にも落ちずに揺れている。
そんなさみしい風景に僕の体はまた縮み上がり、ワンワンと鳴いてウインディを探している。
ビュービュー風が吹いて、砂が目に入りそうになった。風が収まるといつのまにかぼくはあのヤミカラスたちがいつも止まっている木が目の前にあった。
人間だった時にはそんなに大きくなかった木の幹が、ガーディになると二回りも太く大きく見えてくる。
その時だった。バサッバサッと空気を裂くような羽音がピンとたった両耳に響いてくる。
三匹のヤミカラスが僕に向かって「ヤミッヤミッ」と声を上げて木の上から降りてきた。黄色いくちばしから何度も何度も罵声のように泣き声が浴びせられて僕は逃げ出したくなった。
ぼくは一歩、また一歩と後ずさりをすると、そこで足を止めた。
何をやっているんだぼく。ウインディだってガーディだったときから僕を守るために立ち向かったじゃないか。それに今のぼくは火も吐けるし、力強い声もあるじゃないか。
ぼくはぼくを奮い立たせて、喉の奥からウインディがしたように吠えた。
「わん!!」
自分で吼えたのもびっくりするほど、かわいらしい声で驚いてしまった。こんなんじゃヤミカラスたちに笑われるだけだ。
ところが、いつのまにかヤミカラスたちはまるで最初からいなかったように消えてしまっていた。
一体どこに消えたんだと、警戒して辺りを見回す。すると、あのシーソーのあるところに、いつのまにかウインディが風で赤い体毛をゆうぜんとたなびかせて立っていた。ぼくの四本の脚はガクガクに震えて今にも倒れそうだだったけど、力を振り絞って駆け寄った。
ウインディとの距離はそんなに離れていないのに、まるで何百キロも走ったかのようにくたくたで、ハッハッと舌がみっともなく出て、口から息をしていた。
ようやくウインディの下にたどり着くと、ぼくの顔を頬ずりしてペロペロとあったかくてぬるんとした舌で舐めてくる。
「よくがんばったね」
ウインディに褒められた。うん、ほらすごいでしょ。ぼくひとりであのヤミカラスたちに勝ったんだよ。いつかぼくはウインディみたいに進化するんだ。
そこで目が覚めると、ウインディは夢と同じようにぼくの顔をペロペロ舐めていた。