空がバラバラになるような衝撃の後、空模様もまたグチャグチャの色をしていた。
あちこち暗雲が残り、あちこちに日が差して、その空はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
それはその下にいるほぼ全ての世界と生命も同じだった。
「全機、各員、回収完了、これより横須賀に帰投します。」
ユニオン西海岸、サンディエゴ沖にその中でたった一人、何も傷一つない赤城が宣言する。
茶色の九つの尾が傷付いた同胞を救って今出立せんとする中、声がひとつ荒らげていた。
「待てよ!少佐を拾えてねぇだろ!」
埠頭の端まで軍曹がもう抜け殻になった少年を引きずったが、赤城はそれに一瞥もくれない。
それどころか跳ね除けて軍曹だけを拾い上げていた。
「軍曹、それは死体です。積載量は今もオーバーしています。Z23の損傷が酷い、一刻も早く帰らなくては……」
左から2番目の尾に丁寧に包まれた小さな少女の躯体状況を確認する。
だが、そんなことは知らない。そんなことよりももっと大切なものがあると軍曹は叫ぶ。
「少佐の!お前の、好きな男の身体なんだぞ……」
そう。愛していた。愛していたからこそ赤城は今、異常なまでに汚れ一つ無い肉体になっている。
その心を喰らい、彼女は最早航空母艦の性能を超えて高い次元の存在になった。
その性能を活かし、軍曹を納得させようと無駄な努力を励む。
「スキャニング完了――腰椎の半分以上が虫食い状にリュウコツ結晶化しています。脳波は確認、ですがもう『そこ』に何もありません。」
読み取れた情報を冷たく読み上げる。
だが、それはより軍曹の心を込み上げさせた。
「『そこ』じゃねぇ!少佐だ!」
まるで場所のように言われた事が苦しい。
脈拍はあった、体温もあった、まだ可能性はあるのかもしれない。
ヴェスタルが診れば、そう思ったが説き伏せられた。
「鳥の丸焼きを貴方は生きていると?そんなものよりも今生きている者の方が優先されるべきです。」
その言葉に涙が流れる。
たった今さっきまで生きていた。生きていたはずだ。
それなのに、なのに、どうして、そんな、そんな酷いことを言うのかが理解出来なかった。
「少佐、少佐、少佐!」
自分の身が運ばれていく、小さく動く左手を伸ばして少年を、彼を、安心出来る場所に置いてやりたいと伸ばすが、それは儚く無意味に終わった。
残存する横須賀のメンバーが基地に戻ったのはそこから半日先だった。
通信圏内に入った瞬間に赤城は仲間の二人が酷く傷付いている事を告げて、状態を詳しく説明した。
人間で言うならもう即死してもおかしくない損傷だったが、まだ間に合う、自分も立ち会い手伝うと口にして埠頭に着いた。
担架に運ばれるメンバーで最も重症なのは軍曹だった。
右の腕と脚の骨の神経が取り戻せないほどグチャグチャになり、仮に手術して状態を戻そうと舗装したとしても障害は間違いなく残ると言われた。
「切り落としてくれ。」
彼女はそれだけを言って涙を流した。
「少佐が全部を捨ててくれたのに!アタシは残せる!?ふざけんな!こんなモン要らねぇ!アタシは!アタシは……」
そこまで叫んでとうとう気を失った。
駆逐艦Z23は身体の40%を失ったが心臓と背中は守れた事からまだ生存の可能性はあるとされた。
「でも、担保の確保が出来ない。この状態じゃ再生するにも――」
そこまで言って管と針を赤城が自分の腕に射し込んだ。
「栄養豊富で新鮮よ。じゃんじゃん使ってちょうだい――」
ぱちん。と供給のラインを整備して赤城がヴェスタルを穏やかに見つめた。
その姿を見て、ヴェスタルは涙を浮かべながらすぐに肉と骨の蔓が正しく伸ばせるようにサイズの異なるカーボンナノファイバーの矯正具を一つずつ接続する。
再生は驚く程速かった。
まるで赤城の水は砂に溶け込むように吸い取られ、蔓は特撮の映像のように伸びて、伸びて、すぐに形を描いていく。
「次、レナウン片脚、両腕。」
また同じように自分の血を流し込んでヴェスタルが記録してる限りの長さになるように部品の骨組みの型を作っていく。
「ヴェスタル、片腕の型をやるわ、今なら精密作業も可能よ。データをちょうだい。レナウンは皮膚や内臓にまで損傷がないからさっきより安定してる。」
「え、ええ。お願いします。」
二人での作業により先程よりも短い時で修復段階へと肉体が移行される。
「後は自力回復でも大丈夫かしら?」
残ったメンバーの身体に確認すると頷いて返された。
それを見届けて赤城がぶっ倒れてヴェスタルはパニックを起こした。
肉体は無事でももう神経や心は限界だったのだ。
ベッドで倒れ、加賀が傍に付いていた。
そうして横須賀は朝を迎えるのと同時だった。
重桜航空母艦、二航戦の蒼龍がこの基地統括の少年の個室スペースに入ろうとしたのは。
そしてその後を追うように妹の飛竜も入り込んだ。
「姉様、何をするんですか?」
「聞かないで。あっちに行ってなさい。」
その言葉に意図を掴めずにいたが、蒼龍が机の引き出しを漁ろうと中央を開けた瞬間だった。
「やっぱり。」
そこにそれがあった。
『Don't forget 忘れるな 别忘了』
そう紅いインクで丁寧に書かれた手紙がそこにあった。
飛龍はそれに気づいて顔をしかめた。それもそうだ。血の匂いのインクなど誰でも悪い想像をする。
そんなアナログなモノは用意出来ない。用意しようとする意図を確認される。紙は丁寧に折られているがとても分厚いと形容でき、無理矢理手紙にされている。
「バカ、バカよ、あの子は本当に――」
蒼龍は恐らく横須賀の中で一番自分の主人の心が分かっていた。シンパシーと言えばいいのだろうか、戦術の意図だけでなく憤りを覚える部分もまた似通っていた。
だからこそ『この手紙』があると思っていた。
「姉様、それ、なんですか。」
「アナタは知らなくていい。私はこれがあるだけで答え合わせは出来た。」
少年の中にあったものがなんなのか、それだけで蒼龍には分かる。
「でも、それ、遺書、ですよね?」
そうだ。こんなモノは用意する必要も時間もない。
それでも有ることが飛龍の心に疑問よりも深い恐怖があった。
いつから?なんで?なにを?
だってそこにあるものが彼の最後の言葉のはずだ。それならば――
「知らなくていいことがあるの!少佐は!あの子はこれを読まれる事がないようにずっと頑張ってきたの!だから――」
「何があるというのだ蒼龍」
握っていた手紙が壁から伝った蒼の艦載機に奪われる。
蒼龍にとって一番その手に渡って欲しくない彼女にその手紙が届いてしまった。
「やめなさい!加賀!」
「何をだ?何故隠す?何故お前だけの物にする?」
「私だけのモノじゃない!アナタのモノでもあるの!でも、目を閉じることを少佐は望んでいるはずなのよ!」
「そうやって、何故アイツは親ヅラをする。私達を戦わせるクセに、姉様を苦しめているクセに――!」
そう言って手紙の中身を開け、艦載機で蒼龍の展開する花札を相殺し、読んだ瞬間に加賀は、ぺたんと座り込んでしまった。
手紙が舞う。舞って、その文が飛龍の目にも入る。
『この手紙が読まれているということは僕への憤り、不満が募ったのだろう。まず最初に僕を殺してくれて感謝する。僕は君達に戦争をしてくれと宣う戦争犯罪者だ。それは誰の目にも明らかだ。だけど僕の手が止まれば僕は用済みとなり、この横須賀はどうなるか分からない。正直僕は僕以外のデザイナーズチャイルドを信用出来ない。戦術目標達成の為ならば本当に自爆も厭わないヤツもいる。だから誰かに殺されない限り僕は止められない。そんな無能な僕の生命でどうか許して欲しい。僕を殺した君達の行為は正しい。この手紙を読んだらすぐに遠くどこかの山や孤島で細々と生活を送って貰えないだろうか。正しい事をした君達に更なる仕打ちはとても凄惨だが、人間は理由を付ければ誰でも殺せる生き物だ。だからごめんなさい。逃げてください。逃げて逃げて、せめて一秒でも多くの時間を生きてください。』
「はっ、はっ、はっ……」
加賀は呼吸がまるで出来なくなって耳が音を強く拾い出して鳴り止まなくなる。自分の心臓が馬鹿が付くほどに速く打ち鳴らされてそれが増幅して気持ちが悪くなる。
落とした二セット目が床に落ちる。
『もし、僕の生命だけでその怒りが収まらないのなら、どうか、どうか、勘弁して貰えないだろうか。軍曹と曹長と中佐殿の生命は見逃して上げてください。軍曹はずっと暴行の記憶が鳴り止まず辛い日々を送っていたのです。本当は優しい女性なんです。乱暴な言葉は多いけど、じゃなきゃあんな幸せそうなケーキを作れるはずがないんです。教えられるはずがないんです。沢山の色んなものを奪われてしまったんです。許してあげてください。曹長は寡黙で君達に接する機会を絶っているけど、きっと彼なりに沢山の想いを抱えているんです。僕が戦えるのは彼のお陰です。それでも悪いのは僕です。どうか彼を見逃して上げてください。僕をどう扱おうとも構いません。お願いします。』
「なんで、こんな……」
それは遺書というよりも嘆願の印だった。
蒼龍の表情が曇って、飛龍は青ざめていた。
『中佐殿はこの基地の橋頭堡そのものです。もしもこの基地に誰かを残すならどうか彼を見逃して上げてください。彼が居なければ物資の補給調達スケジュールとコストはとても間に合いませんでした。彼のネームバリューはこの世界でとても大きなものです。記者やコメンテーターや過去を知らない人達は彼をいの一番に責めますが彼が過去に助けた弁護士の一人が曲がりなりにも議員になり、君達艦船を、マイケル・アスキスを信じてくれと今も叫んでいてくれています。その言葉で沢山の人間が手痛い懐から残り少ない貴重なご飯をこの基地に渡してくれています。世界は本当に君達を信じていいのか迷っています。だから、マイケルを信じて渡してくれている。そのパニックを避けたいのもありますが、どうか彼の生命を奪わないでください。お願いします。僕の生命よりずっとずっと大切な人なんです。お願いします。』
「やめろ、やめろ、やめてくれ……」
その文字が滲んでいるのを見て、彼が、少年が何を抱いていたのか少しずつ分かっていく。
『もし戦争が終わった後ならば、赤城をはじめとする艦船達へ、本当にごめんなさい。僕のような子供に付き合わせてごめんなさい。君達の手を汚させた事は全て僕が仕掛けた事です。この戦争が終わった時、人類に僕が居たことを材料に君達の人権を確保してください。僕はそれだけのことをしました。もし他の基地の艦船から非難を受けた時も僕だけが非難の対象になるようにしてください。お願いします。喧嘩も論争も戦争の後処理も恙無く、穏やかに時が過ぎるように祈っています。』
「ちがう、やめろ、なんで、こんな、わたしは……」
加賀が文章を読み拾い、震えながら紙を握る力が増幅され蒼龍を見た。
『最後に加賀へ、君から沢山の時間や思い出や尊厳を奪った事をいつか贖います。僕一人だけを呪って、どうか世界を、君の大好きなお姉さんを憎まないでください。お願いします。君達二人の気高い絆をどうか、捨てないでください。僕は数年で死ぬ生命です。それに比べて君達はもっともっと永い時を生きる。だからそんな長い時間喧嘩なんて絶対にしないでください。それだけが君への僕の本音です。産まれてきてごめんなさい。こんな手紙を残すのは卑怯だって分かっています。でも、それでも、ごめんなさい。お願い。喧嘩しないで。』
「あ、あ、あ……!」
こんな想いを一度どこかで、いつだったのだろうか、知っているはずなのに、何故、どうして、今の今まで忘れて、そうだ、そうなんだ。
彼の仕草、言動が怖いのは当たり前だ。
もういつ死んでもおかしくない様に振舞っているからだ。
その動きに加賀はどこかで覚えていたからだ。
少年の心の中が全部、諦観で出来ているのではないのか、それを感じて飛龍がぽつりと呟く。
「こんな、こんなのって、少佐はぼくらを信じてなかったの?」
飛龍の言葉に蒼龍が首を振って否定する。
「いつどんなショックで彼は死んでもいいようにしていたの。仲間を死なせた罪でも、戦争を続けさせた罪でも、途中で死んでしまった罪でも、私達にほんの少しでも幸せになってとバカみたいに祈り続けていたの。」
ずっと、ずっと、最初に飛龍の手に言葉を刻んだあの時から蒼龍には見えていた。
私達に生きていてくださいと祈りのように日常を渡そうする手と――
「自分の首をずっと握りしめながら。」
誰よりも憎みながら力を込めている姿を。
「なんで、なんで自分の幸せも祈ってくれないのに――」「こんな感情で戦っていたのか?」
二人の言葉に頷いた。
「そう、ずっとどんな時も自分だけを許さなかったの。きっと赤城に好かれた前から、あの子はごめんなさいって言葉だけで戦う人形だった。」
もっと幸せにしてあげられなくて、もっと楽な道を歩かせられなくて、辛い思い、疲れる仕事、その全てにいつかちゃんと謝ろうと想って手紙を書いたのだ。
「わ、わた、わたしは……!」
呼吸が乱れる。憎んだ子供の胸の中にあった真っ白な虚空で息が出来なくなる。どんなガスよりも恐ろしく、自分の呼吸を奪おうとする感情に溢れかえってしまう。
「加賀、記憶を消しなさい。今日をリセットしなさい飛龍も……」
「なんで、どうして……」
「こんなモノ耐えられるわけないでしょう?こんなの最低よ。こんな感情だけで戦っていたなんて事実は、私と赤城だけで良い。」
そういって床にへたり込んだ二人の額に指を充てる。
「無理矢理でも整合性が取れなくても構わない。こんなのは思い出や感情の吐露じゃない。ただの自殺現場のループよ。そんなものを見続けていられる程、アナタ達は強くない。」
二人の記憶の保存域から今日の記憶を消していく。今日という日がどこから始まろうがお構い無しに。
少佐の記憶の一部が消えてしまっても、それでも、それでも少年ならそれを選ぶ。
この手紙は自分一人を殺して、終わったら前を歩いてくださいと、最後に渡す予定だった祈りの為に、その覚悟を、何の為に戦うのかを、何の為に死ぬのかを、いついかなる時も絶対に焼き付けろと、未来の自分にも書いた手紙なのだ。
生きて欲しいと願った代償を、その生命で払えと、これ以上誰かを犠牲にしてはいけない。その祈りの為に、それを理解して蒼龍は唇強く噛み締める。
「少佐。アナタは最悪の指揮官です。最初から責任を放棄するなど絶対にあってはならないのに、分かっていたのに、それでも、自分が――」
オスである事を笠にして、少しでも多くの灯火が守られるようにと生きていられた事に感謝して、少女達へ様々な未来の返答を告げる。
残酷な未来しか残っていないと。
そんな、そんな言葉を言うつもりは無い。
それでも、それを実行しなくてはならない。
その謝罪に、その命乞いに、その代償に足りるかどうか分からないけれど、それでも少しは足しになるはずだと。
「ばか、くず、アンタなんか二度と繋がってやるもんか。大切だって言ったのに。」
小さく悪態を吐く。
戦争が終わった後にこの手紙を見つけるのが誰なのか分かっていたはずだ。少年と繋がる力が強い蒼龍なら、きっと分かってくれる。
飛龍の手を取ったその時に、少年も蒼龍の顔色に気づいていたのだ。
自分が渡している時間がいつか無価値だと言われてしまう時が来る事を分かってくれると。
「少佐、赤城は壊れる程悲しんでいるのよ。悲しんでいる事も分からない程悲しいから、一番悲しいから泣くことも出来ないのよ。アナタが残したモノを幸せにしなくてはって、勝手にあの子がアナタの代わりをしてしまっているの。誰も、誰も止められない。お願い。戻ってきて。それだけで良いの。それだけできっと……」
叶わない願いを虚空に呟いても何も起きない。
少年への祈りはどこにも届かずただ涙が零れ落ちるだけだ。