真っ白な世界で僕は思い出すように歌を歌う。
誰に向けて、何の為に、どうしてなのか、歌を歌う。
忘れては行けない何か、無くしては行けない何か、その為に歌を歌う。
歌を歌って痛む。歌が続かなくて苦しむ。
ごめんね。ごめんね。
謝りたい想いを歌にする。
弱くて、守ってもらってばかりで。
歌を歌うことがせめて、せめてもの償い。
歌が好きな訳じゃない。
でも歌を好きだと言ってくれた誰かがいた。
優しい子で、強い子で、寂しがり屋で、怒りん坊で、大好きだった。
歌が続かない。続けなくちゃ行けないのに。
自分が弱くって嫌になる。
「そんな事ないさ」
え?
「よく頑張ってくれた。もう疲れただろう。代わるよ」
誰?どうやってここに?
僕は出たいとは思わなかった。だけど、入れないなと、確信は得ていた。
「なるほど、セイレーンが確保した星図パターンへの反応がプロダクトキーになっているのだな。それを君は歌に変えたのか」
僕の、僕の事が分かるの?
「分かるよ。君を分かるから、君の不幸を変えに来た」
どうしてだろう、どうしてなんだろう。
「行きたまえ。したい事をしていけ」
君の、アナタの、名前を、知っている、覚えている。
「その名前は君が持っていけ。世界に挑んだ男の名前だ。君にこそ相応しい。」
まって、待ってよ
「行け、マイケル!」
きょう、じゅ。
「·····そう呼ばれる資格はもう無いよ」
きょうじゅ、教授、マイケル!
「君の名前だと言っているだろう。まったく、君の嫁がやっかむぞ?」
ごめんなさい、ごめんなさい!弱くって!ごめんなさい!
「何を言う、儂が戦うに値する理由は君だ。なぁに君は40年も戦ったんだ!適当に5億年ぐらい殴り合いしてやろうぞセイレーン!」
古臭い臭いがする。錆の臭い。
それに伴って塩の臭いがする。鼻を刺す臭いがする。
『彼は』まず眩しいを理解した。
『彼は』次に寒いを理解した。
『彼に』毛布がかかる。
そして、
「おかえり、少佐」
しわくちゃの老婆が座席越しに優しく話しかけてくる。
右の腕と足が灰色のグチャグチャした何かと繋がって気持ち悪く見えるが、少年は毛布を脱いで走って彼女に抱きついた。
「ぐんそう、軍曹!」
それはエル・ヴァーノンだった。
あれから40年、そしてろくすっぽの治療をしなかったツケが回り、肌はより汚くなり、右の腕と足を機械に繋げて自分の達成する一大プロジェクトの効率化に励んだ。
「おいおい、折角かけた毛布を脱ぐな。目のやり場に困るだろう?」
毛布を掛けていたのは覚えている。
そうだ。
重桜航空母艦―
「加賀·····」
「おかえりなさい」
その身体に何の損傷もないことを見て少年は胸を撫で下ろす。
「身体、何も無かったんだね。ごめんね無茶させて」
「キズがあったら良かったらしいぞ?」
抱きついた老人の言葉に少年は頭を混乱させる。
だが、それをさせないというように加賀はその言葉を口にした。
「義兄さん。そう呼んでも良いですか?」
その言葉は少年を泣かせるには充分だった。
そんな風に言われる資格は無い。
少女達に戦争を押し付けた人間モドキの自分への言葉ではなかった。
「義兄さん、行こう」
どこに?そんな言葉は出てこない。
肌触りのいい子供用のシャツとパンツを渡されて着替えをする。
着替えて、ようやく気づいた。
「軍曹、軍曹は·····」
そう機械に繋がれた彼女は囚人と何が違うというのだろうか。
だが、彼女は笑っていた。優しく、誇らしく。
「私の居場所はここだよ。少佐」
その言葉がどういう意味かを思い出させた。
それがどれだけの意味を持つのかも理解した。
ここは彼女の思い出の場所で、彼女の全てになったのだ。
「大丈夫、皆たまに来てくれるんだからさ」
笑って返して、そして左手で手を振ってお別れを告げた。
「義兄さん、こっちだ!」
当時は無かった格納庫に仕舞われたモノを見て少年は目を丸くした。
それは車だった。
青色の速そうな車だった。
加賀の接近にドアが開閉される。
少年は急いで助手席に乗るが、ドアが閉じるのはとても遅いが、ぱちんと音を立てて閉まる。
「さぁ行こう!」
どこへ?その返答は格納庫の前にあった不自然な―
「坂?」
「ダブルエイト!見せてやれ、モードストラスフィア!」
座席に座った少年をまるで座席にワイヤーで固定される。車は横に広く形状を変えてそれはまるで翼のよう。
エンジンの起動、サイドブレーキを外し、クラッチを切り、アクセルを踏む。
だがその速度は。
「あべべばびばべべぼば!」
「舌を噛むなよ!?」
まるで、というか、これは、そう。
ロケットエンジンだ。
坂を登り天に向かい、それでも火を吹き、きりもみで空を飛ぶ。
「はー!はー!はー!」
少年が息を整えているのも梅雨知らずに加賀が何かのスイッチを入れる。
『·····少佐、私達は軍曹を信じることにした。だからその為に目標を皆で決めた。この録音はその目標が達成しようがしてないが聞かせるつもりだ』
それは加賀の声だった。
加賀は少年を見ないように少し恥ずかしいのか顔を背けていた。
『私の夢は、貴方を兄と呼び、そして、姉様と笑い合いたい。気づいたんだが、鴨だしの蕎麦とマルゲリータピザが美味しいんだ!バカみたいな組み合わせだろう?でも君と食べてみて、君の感想が聞きたい!』
「すまん。当時は私も馬鹿だった」
今の加賀が昔の加賀をバカにするが、少年は否定した。
「美味しいんだよね?食べに·····僕、味·····」
「その為に40年賭けたんだ。大丈夫。ちゃんと分かるよ」
そう言いながら小さな箱を出した。
そこにはデカデカと弐兎と書かれていた。
『ぼくの夢!』
力強い声が車内に響いた。
『ぼくの夢は!少佐がぼくの作ったお菓子を、もっと!って言ってくれること!少佐!ぼくお菓子もっと上手くなります!』
飛龍の力強い誓が響いた。
加賀は箱の中のプチシューを少佐の口に突っ込む。
甘い。程よく甘くて、ふわりとしていて、あぁ。
「もっと、もっと、食べたい·····」
少年がぽつりぽつりと呟く。涙を流しながらお菓子を食べて塩っぽく感じるけど、美味しい。その言葉の意味を理解出来る。
「コラー!そこの宙天飛行車ー!」
窓の外、ここは上空を超えて、対流圏と成層圏の境目、そんな空を飛んだ車の窓を叩くノック音と叱る声が響いた。
「お菓子食べながら泣いてるのは違反よー!」
そんな風に言いながら重桜重巡洋艦高雄型2番艦、愛宕が笑っていた。
「え!?えっ!えええっ!?」
『私達は決めました!というか信じました!少佐のあの白い太陽を!だから少佐の教官殿に教えを頼んでいます!海よりも広い海で私達に出来ることがあると信じて!』
録音の音声になお驚いていた少年に掌にある機械を見せる。
「重桜の葛の葉という企業が戦後即設立してな健康診断用に詳細なデータを保有する気象観測衛星を欲していて、そしたらアイツら全員履歴書持って走っていったんだよ」
加賀が大爆笑しながら車体の微調整をするが、その様を見て愛宕ぷんすか怒る。
「何よ!加賀なんて『私は義兄さんに蒼空を見せるんだー!』ってスパナ一つで車会社に乗り込んだクセに!」
「おい!それを言うな!」
この車は加賀自作の物なのか、そう思うと思わず少年は頭を下げてしまう。
「ありがとうね」
「いや、本当に蕎麦とピザは美味いんだ」
「こだわるね」
「こだわるさ」
そう言いながら少しずつゆっくりと落下していくのが分かる。
「気圧変動で耳が壊れたりしないんだね·····」
「葛の葉が提唱した技術と後は―」
『ビーバーズ!私達は、うん。正義の味方よりももっと簡単な事をしようと思います。旅行会社とか。って思ってスケジュール管理の勉強してみたんだけど、教科書だけで6冊あるの!がんばらなくちゃね!』
チャールズの録音に少佐が、はっ、と加賀を見る。
「正解。こういうのの旅行プランというか空は今、ほぼ独占状態だ。マスコミに言うなよ?」
あははは、と乾いた笑いが起きて落下速度を微調整していくと次の録音が回った。
『少佐、俺様だ。まず言わせろ、ニーミがウザイ。っていうか少佐のせいだからな!あいつがダイズでソーセージ作るの!パブやりましょうよ!って俺様はレーベランドを開園したいんだよ!』
『ダメです!夕立ちゃんやラフィーちゃんならまだしもレーベ先輩はニッチ過ぎます!』
『お前!仮にも先輩だぞ!?』
『ほら!作り方覚えましょうよ!』
ケンカ、というより仲睦まじいような話し合いが響き渡る。
「間を取ってレーベ寿司になった!後ろにソイソーセージ寿司があるぞ!」
「待って·····」
加賀の宣言に少年は理解を放棄した。
そして以外に美味だった。
『私の夢、どうしようかと思います。私が一番少佐を理解してるフリで一番酷い女だったと思います。でも、少佐、甘えさせてください。生きる世界があるんだと。貴方が死ねという日が来たらその日に死にましょう。だからそれまではお願いします』
それは飛龍の姉の声だった。
「蒼龍·····」
『·····89番、貴方の全てを捻じ曲げてごめんなさい』
聞いた事がない声だった。
だけれどもその声は続く。
『私は蒼龍さんと一緒に施設を経営していきます。どうか蒼龍さんを許してあげてください。罰せられるべきは私です。エッカルトも、アラスターも、エルも、貴方も、レオンすら使った私こそが真の戦争犯罪者です』
その言葉を聞いただけで義妹に頼らなくてはと力強く見つめる。
「―加賀!」
「そう言うと思った!」
向かう先はサンフランシスコの外れ、小さな小さな老後介護施設。
そこでパラシュートを展開したダブルエイトと言われる車が着陸する。
そしてそこから降りた少年がドアを開けてまず真っ先に胃の中身を吐き出した。
「すまん、艦船でテストはしたんだが、人体は圧で保たんかったか」
「い、良いよ。気にしないで·····」
むせるように吐き出して介護施設の扉を開く、窓口に彼女は居た。
「しょう、さ·····」
「蒼龍·····!」
「ごめんなさい、ごめんなさい·····!私、本当に!」
「良いんだよって言ったじゃないか!良いんだよ!あんなモノを残してごめんね!蒼龍!許して欲しいのは僕だよ!」
「そう言ってくれると甘えてる自分が情けないの·····」
「蒼龍は悪くないよ!本当に僕が·····」
そう言っていた時だった。
不意に後ろに居た人が持っていた雑誌を落としていた。
「え、エイトナイン?」
小柄な老人だった。
その顔を見覚えがあった。
嘘だ。そう思うほどに少年には驚きがあった。
「ゼロツー!?え!どうして!」
「おぉい!みんな!エイトナインだ!アイツが帰ってきたぞー!」
少年の問いに答えずにぞろぞろと沢山の老人がロビーに溢れかえった。
誰も彼もがそこに居た。
少年は本当に涙を流して誰が誰なのか通信での間でも分かる。
「どうして、どうやって?」
「寧海総督のお陰でな·····」
オリジナルの寧海が可能な限り『生産』の時点でコードの改竄を続けていたらしい。時に金を握らせて、時に全てを書き換えて、子供達が一秒でも生きられるようにして、そして、戦後の子供達に不自由の代わりに延命として『老化』という状態を保つ事で生存を可能とするのが精一杯と本人は泣いて謝っていた。だが少年達には充分だった。
全員が人よりも早く老いて、人と同じ速度て人生を楽しんでいた。
「エイトナイン!今度遊びにこい!ビリヤードでお前を負かしたい!」
疑似恋愛の対象はその老いと共に荒っぽさは抜けたのか、それでも楽しそうにしていた。
何度もショットのフリをして、本当に楽しそうにしていた。
「おじいちゃん達ー!いちおーアンタら80代で戸籍偽造·····」
そこに居たのはやっかましく子供の老人達を叱る艦船、いや知っている。エイトナインは89番は彼女を知っている。
「覚えている·····」
「·····はじめまし―」「覚えています!」
顔は覚えていない。いや認識出来ないようにされていた。だが、その人は自分に言葉をくれた。
「前へ進めました!一歩!貴方が勇気づけてくれた!」
「何が認識阻害よ·····全然できてないじゃないクソ開発共、私は貴方に恩を感じてもらうような·····」「生きてください!お願いします!じゃなきゃ!」
悲しくて!苦しい!
その胸の中にある言葉を吐いて、先程の嘔吐の疲労ものしかかって少年は気を失った。
気がつくとベッドの上に居た。
点滴を打たれている。
横を見ると加賀が口に指を当てて「静かに」のポーズをしていた。
「ヴェスタルさん来れないの!?お願い!あの子ぶっ倒れて、今ウェストバージニア!?」
ドアが開いているからだろうか、寧海の声が響く。
まるでその様は母親か何かだ。
「ごめんなさい明石さん!急患で、違うの精密検査して欲しくて·····!」
「『総督』と呼ばれるに値するだろう?」
加賀穏やかに笑みを浮かべる。
思えば少年の基地の食糧難改善案のほぼ全てが通ったのは、確かに不自然ではあった。
「おお、起きたか!今は昔の恋人よ!」
自分と同い歳の老人の叫んだジョークのツボが分からなくて引き笑いを浮かべるが、そのすぐ後に寧海が駆け込んで、指をさして状況を整えて理解し、加賀に照準を合わせた。
「轟け·····!」
「ハッハッハッハッハッ!真実を知っている方が幸せだろう!」
「『総督』、そうお呼びしても良いですか?」
少年の言葉に、寧海が顔を曇らせる。
「そう呼ばれる資格はないわ。貴方を酷い目に合わせて」
「違います。私には誰よりも勇気を貰えた。生きる事が大変で、人と人とでこんなにも争って、苦しんで、悩んで、それでもそれでも―」
そうか、少年は、石ころと呼ばれた英雄に、勇気と未来を貰えたのだ。
「90年、戦い抜いたんです。もう自分を許してください。僕に力をくれた人。今こうして皆を、戦った少年達に未来を渡してくれて、何よりも感謝しています。僕はそこまで気が回らなかった。不甲斐ない」
目の前の少女達にしか想いが行き渡らない。
それがなんとも悔しくて、やはりそう呼ぶに値する。
「総督、89番は無事、帰還しました―」
少年は帰る場所を作ってくれた少女に敬意払い、帰って来れたことを告げた。
「おかえりなさい、母さん―」
そこに少女の母の欠片はあるのだろうか。
無かったとしても、あったとしても、それでも寧海はその言葉を言いたかった。
起き上がって窓口で泣いている翠の兎を抱き締める。
「悔やんでも悔やみ切れないなら、それぐらいの言葉はずっと聞くよ。だから、蒼龍、もう終わったんだ。生きていこう。したいことが無いのなら、僕も探す。だから―」
「それだけ言われて、悔やんでいたら私は馬鹿じゃないですか。もう―」
蒼龍もまた戦争に引きずられていた。
だけどそんな心は、持たないでと、そう願うしかないのだ。
ダブルエイトに乗り込み悪路を渡るように加賀がホイールを交換していた。
義兄に気づいた彼女は、ただ一言
「ありがとう」
それだけを言って車に乗り込んだ。
ウイングは格納され陸路を渡る。録音の続きが響いた。
『少佐!ごめん!ずっと疑ってた!何が出来るんだろう!何がしたいんだろう!私!何をしたいのか分からなくて!そうしたらさ!軍曹が、ご飯食べさせてやれよ。お前沢山食べてたろ。って私、それで良いかな!?私の好きなご飯!横須賀のご飯!少佐に食べて欲しい!私!毎日美味しいご飯食べれて!幸せだったんだ!』
「というのを今聞かせた」
加賀がサンフランシスコのドンファンタウンの外れ、ドライブスルー可の蜂食という店の店長に聞こえるようにスピーカー音量を最大にして店の中に聞かせた。
「加賀ぁぁあああああ!」
「私麻婆茄子丼と羹、野菜多めで」
「あの僕、店長のオススメで」
少年と少女のオーダーに顔を真っ赤にしながらも受け入れ、店自慢のスープと焼きそばと焼売と炒飯を渡された。
「また来てね。待ってるから、団体でも良いし、話もしたいよ」
「うん。近いうちに」
陸路を渡る。目的地までどれぐらいなのだろう。
夕方に差し掛かりビルに沈む夕日を見て、明るい夕暮れに微笑む。
『夕立の夢!夕立!先生になりたい!少佐が苦しんで覚えたモノよりも皆が笑ってられるコトを教える先生になりたい!何の先生になるかは分からない!でも夕立頑張るよ!少佐が!少佐がくれた未来に負けない!この心に横須賀がある!』
夕立の言葉と加賀が後部座席にあった紙袋を渡す。
その中には沢山の本だった。
「色んな先生になっているよ。文系も理系も経済も、色んなところの先生になって頑張ったんだ」
野山をかけるのが精一杯。
誰の言葉だったろうか。野山をかけてあらゆる生命に教えていったのだ。小さな事でもいい、人に教えて生活を豊かにしていったのだ。
『ヨークです』
ロイヤルの重巡洋艦の声が通った。
『私はシークレットサービスに入ろうと思います。思い上がったジョンブル共にツケを払わせようと考えています。少佐、可能な限りでいい、なんとかしてみたい。未来の輝きを一つでも手にしたいです』
「失敗してな、仕方が無いから今は―」
そう言いながらダッシュボードを指をさすと。
その中にはポスターがあった。
「議員になったよ。これしか無かったらしい」
優しい微笑みを浮かべて撮影されている一枚に何だか幸福を覚える。
隣に金髪の女性が見える。
「同じ党のロイヤルの議員さんだ、ヴァキャベルと言ってな、艦船への理解が高くてな。就職難や食糧難の殆どに高い水準で改善案を毎年のように更新してな。お陰でヴァキャベってる。って造語が出来たほどだ」
加賀が苦い顔を作っていた。
その様に首を傾げていると―
「意識が高い。って意味だよ」
なるほどね。と思って少し瞼を擦ってしまう。
欠伸も、不意に出てしまう。ごめんねと言う前に加賀が囁く。
「構わんよ、眠るといい。座席『状況』を変える」
そう言いながらボタンをタッチすると助手席の材質がふわふわと柔らかくなり、ぺたぁ、っと倒れ込む。
身体を縫い止めるように緩いワイヤーが布を吐き出して毛布の役割を果たす。
そうして数時間運転して、目当てのコンビニエンスストアに辿り着く。
車に鍵をかけると、おかしな事に店員達が駐車場で待っていた。
「仕事しろよお前ら」
加賀が笑いながら三人を見ると真ん中の紫の髪の駆逐艦が愛想笑いを浮かべる。
「てへへー少佐の寝顔見てみたくて·····」
「本当に戻ってきたんですか?」
「ノルウェーのビール、少佐と飲みたい」
ジャベリン、綾波、ラフィーは今はコンビニエンスストアを経営してる。
最初は三人とも大統領の警護というとんでもないスカウトが来たが、二年で気づいてしまった。
少年に会えないんじゃないのかな?
地位や名前や色々な事よりも少年に気楽に会いたい。
そう思ったら三人とも自主退職し、スリースターという名前のコンビニエンスストアを始めていた。
「飲ませんぞ、肝臓ツヤツヤなんだからな」
「では、肉ネギおにぎりを」
「ジャベリンフルトを!」
「弐兎の野菜ジュース·····」
それぞれが明日の少佐のご飯を持っていた。
ビールのくだりは冗談だろう。
だが、笑ってクレジットカードを出して支払いを済ませると思い出したように三人が言う。
加賀(さん)塩臭いです(よ)
「はぁ!?」
上がっていけと言わんばかりに、コンビニと同時兼業しているモールのシャワーを彼女に勧める。
シャワーを浴びる。そうするとそれが目に付いた。
「ヘレナは『これ』になったなぁ」
明日『読む』であろうヘレナのメッセージを思い出す。
『少佐、私は小説家になろうと思います。起きた出来事を少しずつ世界に広めていこうと思います。できるかな?って思うけど、やってみます』
不安であったが小説は帝竜カンパニーの販売で本屋に置かれたが、これがまた不思議なことに小説の中に出る少女の最後、太陽の元で世界に平和を祈るシーン、こと細かく書かれたその匂いを、再現しないか。そう話が上がった。
今では小説家は副業で、主に香りへの仕事を果たしている。
それはこのシャワー室の備品からも見るようにかなり世の中に浸透していった。
主人公の少女のモチーフはもちろん少年。
そして、その匂いのイメージはあの時の太陽だった。
優しい、暖かい気持ちになる、良い香りがする。
店員達にモールの一室を借りて、少年をベッドに寝かせる。
『ヴェスタルです。少佐ちゃん、医療というか少し考えたのだけれど、皆がもっと穏やかに眠れるようにしたいって思ったの。だって少佐ちゃん気づていないと思うけど床ずれしてるんだもの!子供から老人への揺りかご、優しいマットを開発していきたいです!』
それはその女神の名前を冠する物の抱擁か、少年の身体は自然に沈み、骨は一番リラックスした状態で眠りにつく。
「おやすみ、義兄さん」
毛布を被せて、加賀もまた別のベッドで眠りにつく。
朝、起きて、少年はトイレで用を足し終えると、思わず笑ってしまった。
彼の姿がそこにあった。
「曹長·····」
加賀がそれに気づき録音ファイルを開く。
『少佐、君にこんな事を言うのは恥ずかしいが、金がいる。だから、俺は金を稼ぎたい。エルの研究が少しでも進みやすいように稼いで稼いで、エルに金を渡したい。それに君以外の生命達、デザイナーズチャイルドは君だけじゃない。金を稼ぐのに一番いいのは、余りにも皮肉で、吐き気がするが、俺は、役者になるよ。一番の役者だった君を思い出して、何もかもに俺の名前が使われて、それで、俺の懐に金が入り、少しでも君が早く帰って来れるように、少しでも君が穏やかに生きてられるように、俺なりに世界を変えていこうと思う』
彼のように強く健康な歯を。
そんなキャッチコピーと歳を取っているとは思えない屈強さがうかがえる彼の顔に少年はその歯磨き粉に頭を下げた。
「一番凄い役者。って言う世界規模のアンケートでな、殿堂入りしたよ。その影響もあって身体が壊れるじゃないかってぐらいのアクション撮影を馬鹿みたいなスケジュールでやっててな」
あれだけ凄い人だったんだ。
もっともっと凄いことをしたんだろうな。
そう思えて、その話を聞けただけで勇姿が見える。
「色んな言い分で、各所に金を渡して、いくら稼いだのか本人も忘れた。って言ってマネージャーがな」
続きは録音データに委ねた。
『レパルスです。えっとさ、なんて言うかさ、皆夢大きすぎない!?ここまでの録音に立ち会ってなんだけどさ!もう!この人達引っ張れてる少佐はなんなの!?』
「あはは·····」
たまたま、だよ。そう言いたくなる。
だけど、録音は息を長く吸って、答えた。
『もうね!気づいた私だからやる!私が皆の経済面のマネジメントします!税理士かな、とりあえず!あーもうさー!みんなのお財布は私が握るかんね!?』
決意した叫びの後にぷんすか怒る息の後、続いて凛とした声が響く。
『マイクは、ここか·····』
そう言ってマイクの接触音がごそりと響く。
誰の声なのか分かる。
「レナ、ウン·····」
『少佐、両目、両足、リュウコツ機能が壊れました。でも、不思議と辛くはありません。治せそうな気がします』
声は静かだけれど、とても自信に満ち溢れていた。きぃ·····と車椅子だろうか車輪の音が響く。
『あの虹の光、あれをもう見ようとは思いません。あれは戦争の光だと思っています。私はもっと違う色が見たい。そう思うと、今から何をするのかまるで想像はつかないのに、貴方と出会う時、私は五体満足で両目も使えて、貴方を驚かせている。確信できる。だから、待っていてください』
加賀が今日の新聞を少年に渡す。
そこにはこう記されていた。
鬼コーチレナウン、次の種目は野球に決定。
「オリンピックは義兄さんがいた頃にはやらなかったな。レナウンは20年、リハビリに励んだよ」
最初は這ってでも脚という部位を動かした。
浅い水の溜まりでもがき、暴れるように動かすことに成功し、それから目の回復に注力した。
セイレーンの因子が強く残っているそれを、薄めて行き、瞳は金のままだが、人並みに認識は出来るようになった。
それから各国首脳に頼み込んだ。
もし、自分の中のセイレーンが暴れることがあるのなら例えそれがどこであろうと近くに誰がいようと、お願いします。
あの少年達と同じ脳死を可能とするチップを入れてください。
「なんて、ことを·····」
少年の実態を聞かされて、あの頃の少年と本当に同じ速度で走ってしまった。
だけれど新聞に映る彼女はとても優しく、とてもカッコよく見えた。
専属コーチになった選手が余りにも強すぎる為、オリンピックに出させない事を、宣言させられた。
だがリハビリを終えて20年の時間で沢山の競技者に世界記録という、本当の頂点を歩かせることに彼女は成功した。
1人、1人、1年という時間を賭けて、彼女は育んだ。
そして、決まって彼女は老若男女ともかく満面の笑顔で言うらしい。
「ありがとう。私の誇りになってくれて」
今ではその老若男女の成功者からの求婚アピールが一つのテレビ企画として成立しだした。
だが全員に首を振って、気持ちに感謝を言い、告げた。
「教え子と関係を持つなど言語道断!だが·····」
その愛に誰よりも感謝している。
ありがとう。私の教え子達。
そう言って彼女は沢山の花束を抱えて今日も教えを授けている。
最初に決まって言う。
「強い選手じゃなくて、思い出に残る選手になろう。誰か一人、仲間でもいい、貴方と相対した人でもいい、たまたまニュースで見たぐらいでもいい、でもその人達が忘れないでいてくれる選手になろう」
彼女もまた、居るのだろうか、そんな選手が。
もっぱらではアラスターがそうではないかと言うのがマスメディアでは報道されている。
「義兄さん、罪な男だな·····」
「いや!あの!えっと!」
「冗談だよ、レナウンは今、ある楽団のヴィオラの演奏者と交際してるのを宣言したよ」
ノッポ。そう言いたくなるような高身長の丸メガネの茶髪の青年手を繋いで、微笑んでいる写真を見せられる。
それに安堵すると少年のお腹の音が食事を欲した。
朝ごはんにおにぎりとウインナーと野菜ジュースを食べ終えるとまた車で移動する。
『··········少佐』
それは、忘れてはいない。いや忘れてはいけない。
ずっとずっと覚えている。
その声が誰なのか。忘れていない。目を覚ます前に聞いた声だ。
「教授·····」
『儂はもう長くない。だから君に会えない。そうは思わなかった。なんというのだろうかな?儂の人生は確かにやりがいがあった。だけども儂自身にとっては途轍もなく·····』
どうでもいい事になってしまった。
その言葉の意味を老人が続ける。
『なんだろうな。40年社長をした。それは良い。20年ぐらい勉強した。それも良い。10年辛酸を浴びるかのように飲まされた。それも良い。良いことになった。なってしまった。だからな―』
君と過した一年にも満たない時間がどうにも悔しい。
もっと、もっとなぁ、そう思えてしょうがない。
やり直したいんじゃない。自分がただレナウンを強くする枷にしかなれなかった。
それが恥ずかしい。
『だから、本当に、儂がやりたくてしょうがない事を、いや、違うな、儂の夢だ。もう夢を見る歳でも無いのに、叫びたい―』
君を守りたい。
そんな風に思ってくれたのか。
ただの使い捨ての生命を。
少年が信じた英雄は、最後まで少年の心を、生命を、救う英雄であり続けてくれた。
涙が止まらない。渡されたティッシュ箱で涙を何度も拭う。
『少佐、アタシだ。エルだ。·····ごめん。居場所をくれた人を蔑ろにして·····何年かかるかなぁ。わかんねぇ。でもさ、私の居場所は本当に横須賀になったよ。寝ても醒めてもガキ共の笑い声と飯の取り合いと、お前がくっそ不味いモン食ってるところ、その部分が本当に気に入らねぇ!だから何万時間かかろうが知らねぇ!少佐、お前に無かったのは味覚じゃねぇ!それがここまできてようやくわかった―』
人生が無かったのだ。
人としての生が彼には無かった。
彼は、首を絞めながら戦っていた。そう言ったのだ。ならそれは生きてなどいないのだ。
『その為ならなんだってする!お前を少し泣かすかもしれねぇ!でもジジイとバカと決めたんだ!お前を助けるのは!人間がやることだ!艦船には譲らねぇ!!』
艦船が助けたら、そんな哲学的な詩的な話がしたい彼女ではない。
単にただ自分達の力で助けたいのだ。
「僕は、横須賀に配属されて世界一幸せだったんだね」
義兄と呼んでくれる子がいる。
自分の代わりに戦ってくれる人がいる。
自分を助ける人がいる。
自分を目標のひとつにしてくれる人達がいる。
『少佐』
忘れていない。
忘れるものか。
この録音で絶対に彼女は、最後を選ぼうとするだろうと、彼は予測していた。
『赤城です。身体は少しの時間で元に戻ります』
その言葉に安堵する。
左手を斬ったこと、本当に謝っても謝りきれない。
『何をするのか、何をしようか、少しだけ分からなくなって、そうしたら、少佐、もう、仰ってください』
少年はなんの事か分からない。
だが、その後の言葉と声で理解をした。
『鹿児島の赤城です』
『同じく翔鶴です』
あ、ああああ。
『私達、終戦後ようやく知ったんです。あの指輪を作った貴方と貴方の赤城さんを』
『だから、赤城さんのやりたいことを私と先輩が全力でサポートします』
二人の言葉にスピーカーにしがみつきたくなる。
自分が、有り得ない。そう思っていたからこそ、生まれた道具。それで結ばれた人達が、彼女を、赤城を応援してくれるというのか。
『少佐、赤城は、歌手になろうと思います。少佐の子守唄を思い出して、貴方のように高い音、っていうか、男の方出せないとか翔鶴さんに教わったのですが、どうやって出していたのですか少佐は』
ぐちぐちと目標の高さに恨み口を呟く。
『毎日これからボイストレーニングですね!と翔鶴さんに言われた私の身にもなってください!デュエットの時に音が合わなかったら虚しいですよ!と訳の分からない励まされ方される身にもなってください!少佐より上手くなるって音声データ引き出したら、お二人共苦笑いで、すいませんこれ本当にヤバいです。この歌声が続くのだとしたら本当に化け物です。ってドン引きしてるお二人を見て赤城は!赤城は!』
『すいませんでした!』
『赤城さん!話がズレてます!』
こほんと、わざとらしく咳をしていつもの口調で語りかける。
『貴方が戻ってきた時、絶対に私はもう高嶺の花です。だから、お願い―』
目的地に辿り着く。急いでシートベルトを外して、走って、その高いビルに入っていく。
走って、転んで、また壁にぶつかって、それでも登って、どうしてだろう。居場所が分かる。
ここにいる。
息を整える。
ドアを開ける。
彼女が待っていた。
綺麗な夏物の着物を着て、顔を真っ赤にしながら、ドアを開けた少年をちらりちらりと見やる。
その姿を見て少年は息をたくさん吸って、大きな声で告げた。
「僕が、僕が生きる条件があります―」
貴方を愛する事を許してください。
長い長い時の中、歪んだ出会いは今直されて、優しく優しく、およそ人間では到底辿り着けない、執念の元、二人の恋人が今ようやく結ばれた。